.[阪神・淡路大震災私記 臨危不変」 をご覧頂く皆様へ
このホームページをお訪ねいただきましたご縁に深く感謝致します。
平成16年度は地震、台風、津波などなど地球的規模での大被害が発生し、現在もその悲惨な現場現地でお過ごしの方、救援されておられる数多くの方々のことを思うと安穏として気持ちにはどうしてもなれません。
阪神淡路大震災の一周年に当たって「平成七年乙亥 阪神大震災私記 臨危不変」を取り纏め、私なりに大地震を風化させないように記録に留めました。当時カネボウ薬品部門の関西地区営業部門の責任者でもありましたので、東京情報大学の依頼で「有事に於ける経営者の行動様式」の資料として提供致しました。ごく親しい方には抜粋して近況報告を兼ねて小冊子をお手渡し致しましたところ、是非記録を公表してほしいとのご要望があり、 阪神淡路大震災10周年に当たることから期間限定で第一部のみホームページに掲示することに致しました。
映像的には不謹慎なスポットでしたので神戸以外の地域の方はあまりご存知ないと思いますが、住まいしておりました「神戸市東灘区森南町2丁目」は「芦屋市清水町」と並んで面積当たり死亡者率が最も高い地域でした。私どもは幸い無傷でしたが、当日は終日多くのご遺体とともに過ごしましたが、このことが今日郷里松山で一遍会のお世話をさせていただいている機縁になっているのかもしれません。
ご高覧頂いて感想などをお知らせ頂ければ幸甚です。地域の方、親戚縁者、会社関係者の氏名は実名でありますので、プライバシー保護の立場から他への引用は堅くお断り申しあげます。
最後に神戸淡路大震災で尊い生命を亡くされた方々に心から追悼申し上げます。
合掌
(追記)平成18年1月17日には阪神淡路大震災の十一周年を迎えました。やっと旧居跡に家屋を新築することになり1月14日地鎮祭を執り行いました。ご近所の皆様方にはご迷惑をお掛けしました。この場所で育ちました息子達と同様に孫達が「本山第三小学校」から学校教育をスタートできることは大変幸せに存じております。この機に第二部(第五章、第六章、第七章)も併せて掲示させていただき、十一年にわたる留守のお詫びと、息子達ファミリーへの暖かいご支援をお願い申し上げます。松山・神戸は車で四時間の距離ですので機会を得てお邪魔させていただき、震災後の苦労話などお聞かせいただきたく存じます。WE LOVE KOBE ! 
はじめに 平成七年一月十七日午前五時四十六分
阪神淡路大震災が突如発生した
第一章 人生で一番長い日 地震・雷・火事・オヤジ
第二章 ホテル住まいの危機対応 いつもあなたのそばにある
第三章 夫婦分業復旧作業 一難去ってまた一難
第四章 ストレス克服へ あるがままに生きる
第五章 混沌からの飛翔 がんばろや WE LOVE KOBE
第六章 早春賦 春は名のみの 風の寒さや
第七章 森南町区画整理 誰がために町はある
第八章 疎開先の新生活 住めば都 井の中の蛙ミナミを知らず
おわりに 天災は忘れなくてもやって来る
以下は毎年の阪神淡路大震災当日(1月17日)の日記の抜粋である。私ども夫婦にとっては、生かされていることを感謝する記念日として位置づけている。
平成8年1月17日(晴)【一周年】
平成7年1月17日午前5時46分−−−−−我が人生で決して忘れてはならない一瞬である。朝五時半に起床し、TVのスイッチを押し、神戸の現地の放映を見ながら黙祷。妻に一年間の労苦を心から感謝する。長くもあり、短くもあったこの一年−−−−危機は完全に乗り切ったと思う。
午前9時、神戸営業所で、震災祈念式を挙行。社長回章の朗読、メッセージ(喜里山社長、松石事業部長、福岡前神戸営業所課長)の披露の後、支店長(私)挨拶。震災直後のミーティング内容を改めて披露し、「自立」のメッセージを贈る。午後、漢方療法推進会大阪中ブロック会に出席し、新春の挨拶。
夜、妻と大阪城ホールの「阪神淡路大震災チャリティーコンサート」に出掛ける。司会は和田アキ子と葛西聖司NHKアナウンサー。出演は都はるみ、堀内孝雄、坂本冬美、川中美幸、香西かおり外の豪華メンバーで関西出身の人気歌手の総出演となった。 慌ただしく、祈念すべき一日が過ぎる。生きていて良かった。
平成9年1月17日(晴)【2周年】
何年振りかで大阪駅前第2ビルに出社。マーケティング部の垣内、大橋、久留島、水谷部長と懇談。10時半から「日経新春経営トップセミナー」受講(田中直樹、堀紘一、加来龍三郎、神坂次郎氏)。関西ということでちょっと気を抜いて話しているのか満足感は薄い。久々の大阪だが、気遣ってくれているのか、阪神淡路大震災についての話題をあまり出なかった。
平成10年1月17日(晴)【3周年】
咲花温泉佐取館宿泊。無人駅咲花から新津乗換えで水原に向う。新津からの羽越本線は雪原の中を走っており人家もまばらである。水原は江戸時代代官所が置かれた地域の集産場で寂れてはいるが町自体はしっかりしている。30分の距離にお目当ての瓢湖があり、白鳥(二千数百羽)が一冬を過ごす。湖から眺める五頭山も良し。水原代官所、ふるさと農業資料館に立ち寄る。新発田市では清水園、足軽長屋、寺町、宝光寺、市島酒造(長尾富美子「蔵」碑)、諏訪神社を見学。夕、新潟の長男宅に落ち着く。
平成11年1月17日(晴)【4周年】
朝、読経。午前中は書斎で過ごす。ひよの大群が邸内のピラカンサの赤い実を食べつくす。
午後、瀬戸風峠→展望所→石手寺→風土記の丘の2時間コース。松山市内の展望、蜜柑山、四国霊場遍路道となかなか見応えあり。四国八十八カ所ミニコースは急坂で道悪し。木の階段を用意してもらえば善男善女も大助かりと思うのだが・・・・・
平成12年1月17日(曇り)【5周年】
足はそれ程痛くはないが、腕の痛みと握力の弱さを感じる。昨日の県民ハイキング明神山コースの下山時の滑りの防止で身体をひねったり、草木を握りすぎた為かと思う。午前中は登山コースの復習。レッスン用なのであまり面白くなかったが、天気であれば展望もよく救いがあったのだろうが・・・午後日野歯科に出掛ける。歯垢の除去は終わったが、左下歯の虫歯と右上の親知らず歯が残っている。後日治療ということにした。
阪神淡路大震災5周年・・・・・放送も終日特集だが、真実は決してTVでは伝わってこないし、もっとも悲惨なシーンは放映されることはない。
平成13年1月17日(晴)【6周年】
少しは暖かくなったが、それでも外気2,3度か。7年前の大震災の日はそれ程寒くなくて助かった。全国各地で阪神淡路大震災が風化しないように、地元神戸を中心に行事が行なわれた。近郊の石手寺でも5時46分を期して法要が行われた由。
終日、書斎にて平成12年度版「ひと・出会い・旅」の編集。夕刻81頁のゲラ刷完了。半月ぶりで書斎の掃除と暖房用灯油の補給。TVは阪神淡路大震災関連の特集が多く、罹災者としては見たくもなし。珍しくスイッチを入れず。
平成14年1月17日(曇り)【7周年】
 韓国旅行中につき省略
平成15年1月17日(晴)【8周年】
吉祥寺第一ホテルを7時半にチェックアウト。国立博物館の「大日蓮展」を見学。鎌倉仏教で一遍と日蓮を対比してみたいという野心もある。立教改開宗750年記念で「国宝・立正安国論」も出品されている。ガイドブック購入。館内の精養軒でビール&昼食。国立近代美術館のオールドマイスターの絵画とロダンの作品を鑑賞。次いで江戸東京博物館では「江戸開府400年・江戸東京博物館開館10周年記念『大江戸八百八町』展」を駆け足で見学する。
人形町に出て「鳥近」の玉子焼きを求め、夕6時に新宿に戻る。吉野家で腹ごしらえして松山行き深夜バスに乗り込む。「鳥近」の焼き鳥と酒で軽く酔ったが眠るところまではいかなかった。8年前の大震災の当夜は次男宅に泊まったが一睡も出来なかったことを思い出した。
平成16年1月17日(晴)【9周年】
6時に目覚める。9年前の5時46分に阪神淡路の大震災あり(犠牲者6,433人)。布団の中で祈りを捧げる。午前中はインターネット中心。午後は今夕町内会総会の挨拶、議事の検討。平成16年版「ひと・出会い・旅」に掲載する「阪神大震災被災日記〜臨危不変」の前文と目次総括を再編集し、当日を含む三日間を集録した。反響は大きくなるだろう。夕6時町内会総会。会長は私、副会長&広報委員は金森直美さん、会計は松田益子さんを選出。恒例の桜見物はさくねんは参加者が少なく中止したこともあり別途検討することとした。
芥川賞に綿やりさ(19歳)「蹴りたい背中」、金原ひとみ(20歳)「蛇のピアス」、直木賞には京極夏彦(40歳)「後巷説百物語」、江国香織(39歳)「号泣する準備はできていた」が決定する。若い作家の輩出に驚く。
平成17年1月17日(晴れ) 【10周年】
阪神淡路大震災10周年に当る「神戸での祈念式」は天皇・皇后両陛下が出席される。妻と10年前の記憶を確かめる。
宝厳寺長岡住職に奥谷派を遊行寺本山に委譲した「珍一房」につき問い合わせるも不詳とのこと。大きな壁に突き当たる。併せて「幻の石灯篭」についても現状報告する。正月用品、飾り付けの片付け。掛け軸も@三信「福禄寿」A英一蝶「布袋」から@泉石老人「山水画」(座敷)A同信「四睡」(次の間)B文晃「富嶽」(奥の間)に変える。
平成18年1月17日(晴)【11周年】
阪神淡路大震災11周年は一遍上人開湯の伝承がある鉄輪温泉で迎える。ホテルからの朝焼け芳し。初日の出はルームから拝めそうである。朝食後モーニングコーヒーで寛ぐ。7時に新設の市営掘田温泉に出掛ける。地元の人ばかりである。露天風呂有り。ホテルの送迎車で別府駅経由で鉄輪温泉に送ってもらう。
スーパーマルショク→ひょうたん温泉→地獄原湯→豚まん本舗→洗濯場跡→熱の湯→入船荘→真宗寺院から国道に上がり鉄輪温泉一帯を眺望する。地獄蒸し大黒屋に立ち寄る。お目当ての一遍聖が設けたとの伝承の「むし湯」が10年に一回とやらの配管の腐食の取替えで休業、大ショックである。元湯→渋の湯→上人湯を見て亀の井バスで別府に直行する。駅前高等温泉→西法寺→秋葉神社→別府カトリック教会(修理中)→長寿味噌屋→友永パン屋店→竹瓦小路→竹瓦温泉→波止場神社を経てホテル「三泉園」に着く。夜は昔の繁華街「やよい」とソルパセオ通りを散策、喫茶店「なつめ」で温泉コーヒーを味わう。別府の「通」のコースを一巡したことになる。夜、大浴場に浸かり、震災の夜のことを懐かしく思い出す。
平成19年1月17日(晴)【12周年】
阪神淡路大震災の記憶は完全に薄れた。昨年春に旧宅跡に新築したこともある。神戸の知己から転居するのかと問い合わせを頂いたが、「次男にでっかいプレゼントですわ」と応えた。神戸の資産は息子に完全に引き継つぐことが出来た。孫達が「神戸っ子」として親と同じに名門「神戸高校」で学んで欲しいと願っている。
HP「阪神淡路大震災私記〜臨危不変〜」に平成8年の一周年から昨年の11周年までの毎年1月17日の日誌の要約を「前文」に記載しました。健康に恵まれて震災記念日には旅行や山登りで動き回っている。このペースで10年は過ごしていきたいものである。
平成20年1月17日(晴)【13周年】
阪神淡路大震災13周年を迎え、改めてHP掲載の「臨機不変」を再読する。
冬の寒さに戻る。旭川では零下33度の報道、想像できない。終日一遍会関係業務。(会員宛「定期便」と平成20年度講師依頼状作成)
講師は@大三島・万福寺浅野純以師 A湯築城記念館石野弥栄館長 B県歴史文化博物館大本敬久主任学芸員 C坂の上の雲記念館松原正毅館長  D一遍会理事今村威氏 E同 杉野祥一氏である。10月以降は固定的な講師であるので、年間講師ラインアップが完了する。
DVD版「広辞苑」をパソコンに取り込む。「座右の書」(?)になるには常に検索するしかあるまい。
平成21年1月17日(晴)【14周年】
16日から一泊旅行で、金刀比羅宮を「初詣」して、土佐は高知の「竜馬の宿」で一泊。上町に在る「竜馬の生れたまち記念館」、鏡川沿いに山内神社を詣でて「土佐山内家宝物資料館」で山内家の古文書や伝来の品々を拝観する。旧山内家下屋敷長屋と三翠園に立ち寄り、大手前通りに出て「ひろめ市場」で「かつおのたたき定食」を味わう。午後は「高知県立文学館」で「宮尾文学の世界」「寺田虎彦記念室」「特別展・鹿持雅澄展」と常設展の紀貫之から現代作家までの事績を一覧する。
夜に入ってから、阪神淡路大震災で夫妻とも亡くなられた小山さんの次女・裕華さんについて大学時代の友人(古沢さん)から照会あり。HP「鎮魂 平成七年乙亥 阪神淡路大震災私記 臨危不変」から検索して「道後関所番」のアドレスまでたどり着いた由。
神戸在住の杵淵、吉岡両氏に連絡、裕華さんの現住所が判明し一件落着。人事ネットが依然健在であることを改めて再確認でき、人助けが出来た。嘘のような実話である。それにしても、阪神淡路大震災から14年目の出来事であった。忘れかけていた記憶がよみがえってきた。