.[阪神・淡路大震災私記 臨危不変」 をご覧頂く皆様へ
このホームページをお訪ねいただきましたご縁に深く感謝致します。
平成16年度は地震、台風、津波などなど地球的規模での大被害が発生し、現在もその悲惨な現場現地でお過ごしの方、救援されておられる数多くの方々のことを思うと安穏として気持ちにはどうしてもなれません。
阪神淡路大震災の一周年に当たって「平成七年乙亥 阪神大震災私記 臨危不変」を取り纏め、私なりに大地震を風化させないように記録に留めました。当時カネボウ薬品部門の関西地区営業部門の責任者でもありましたので、東京情報大学の依頼で「有事に於ける経営者の行動様式」の資料として提供致しました。ごく親しい方には抜粋して近況報告を兼ねて小冊子をお手渡し致しましたところ、是非記録を公表してほしいとのご要望があり、 阪神淡路大震災10周年に当たることから期間限定で第一部のみホームページに掲示することに致しました。
映像的には不謹慎なスポットでしたので神戸以外の地域の方はあまりご存知ないと思いますが、住まいしておりました「神戸市東灘区森南町2丁目」は「芦屋市清水町」と並んで面積当たり死亡者率が最も高い地域でした。私どもは幸い無傷でしたが、当日は終日多くのご遺体とともに過ごしましたが、このことが今日郷里松山で一遍会のお世話をさせていただいている機縁になっているのかもしれません。
ご高覧頂いて感想などをお知らせ頂ければ幸甚です。地域の方、親戚縁者、会社関係者の氏名は実名でありますので、プライバシー保護の立場から他への引用は堅くお断り申しあげます。
最後に神戸淡路大震災で尊い生命を亡くされた方々に心から追悼申し上げます。
合掌
(追記)平成17年1月17日、阪神淡路大震災10周年に当り、手記の全文を思い切って掲載した。反響も大きく、神戸からも、友人や、幼馴染(誰だか不明)からもメールを頂いた。記録としてHPに記載して絆を確かめたい。ありがとう。
三好 書き込み:1/18
和田さんのメッセージに対するレスポンスです:

拙稿「神戸大震災私記」をご覧頂き有難うございました。「とは言え何をどうする?と思いつつ、何も出来ない日々を過ごすのみです。」は、現在の私の心境でもあります。
拙稿の表題を決める時にいろいろ悩みましたが、副題を「臨危不変」としました。
「臨機応変」は必要でしょうが「臨危応変」は大変危険なように考えています。危険が迫った時こそ「平常心」が肝要なのでしょう。10年前を振り返ってみて、落ち着いていたのは家人だったと思います。
男性は格好はつけたがりますが案外役に立たないものです。「女は強し」です。女性の皆さん、「お父ちゃん」のためにも「臨危不変」で宜しくお願いします。
和田 書き込み:1/18(火)

 昨日のTVを見て、三好さんの震災日記を感慨深く読ませていただきました。 ほんとに生と死の境を分けるのは何なのでしょうか。多くの方がお亡くなりになったのに、ご無事であったのは何よりでしたね。 
通常私どもは外面のニュースや映像などにに接するのみなので、内側からの生々しい当事者の方の体験の記録は、実感を伴って心に迫って来るものがあります。
わが身であればどうするだろうかと昨今の多くの天変地異?の襲来に、不安を募らせています。
とは言え何をどうする?と思いつつ、何も出来ない日々を過ごすのみです。 当地も活断層が通っているとか、考えれば怖いですね。どうぞ皆様お気を付けくださいませ。
三好 書き込み:1/18(火)
幼馴染さんのメッセージに対するレスポンスです:

心温まる素晴らしいメッセージを頂戴し感激致しました。「あの時から10年」・・・還暦から古希までの10年に相当するだけに貴重な体験の積み重ねでした。「物を失ってみて心の豊かさを知る」ことを体験できたことは、負け惜しみでなく有難いことでした。
古い「往復書簡」ですが、昭和30年の前半は勤務地大垣と愛媛県との電話連絡は交換手経由でしたから、申し込んでから通話まで3時間は必要でした。そんな訳で週一回の往復書簡を書き続けた次第です。発掘しました「往復書簡」をワープロ起こしして「たった一冊の豪華本」を制作しました。最後に残った方がその本を持参して浄土で読もうかと云っております。お惚気になりましたか、いやはや。
松山周辺でも今後半世紀中に大地震が発生するとか報道されていますが、「一大事今日只今之事」と割り切って毎日を心豊かに過ごしたいなあと思っています。
幼馴染 書き込み:1/18(火)

 この度は貴重な震災手記を読ませて頂き、もうあの日から10年の歳月が流れたのかと、感慨を新たにしています。
そして自然の脅威の怖さと、当時テレビ新聞等で報じられた以上に被災された方々の苦難を改めてしみじみ知りました。「当事者でないと本当のことは分からない」とはよく言われる言葉ですが、私なりに色々な思いが去来しました。
人は常に生と死を裏腹に生きていることも心すべきで、もしあの日一階にお休みになっていたら・・・想像するだけでも戦慄を覚えますが、奥様の言われる通り、ご先祖様が守ってくださったと私も思いました。人生は判断の連続で、いかに速やかに正しい判断を下すかが運と不運を決め、結果的に幸運をもたらせば、その判断は正しかったと考えるのが妥当だと私は思います。
手記を読み進むうちに、何時も光明と幸運がもたらされたのは頭のどこかで救いでした。首飾りや家宝の古文書もさることながら、奥様との古い往復書簡に胸をなでおろされたことは異性の立場から感動でした。鱒のすし、清酒立山には昔(富山時代)を懐かしく思い出しました。「備えあれば、憂いなし」「無一物即無尽蔵」等、大きな山を越えるとそれまで見えなかったものが見えてくる・・・
私たちのまだ経験していない多くの人生の示唆と教訓を教えて下さるかけがえのない手記を読ませていただきまして有難く深く感謝いたします。今年がお二人にとって、また、すべての人々にも良き一年でありますように!
橘 書き込み:1/17(月)

早速ホームページ「阪神大震災私記〜臨危不変〜」読ませて頂きました。君があの震災で罹災されていた事は、今まで話に出ませんので存じませんでした。幼少時の空襲体験より、まさに危機迫る体験ですね。よくぞ生きられた!が実感です。
私の方も、家内の妹が西宮に住んでいるので、罹災しました。小さな家ですが丁度少々手を加えた後だったので、何とか倒壊は免れました。
隣家は倒壊し、今は取り壊され空き地になっています。現今の神戸の街からは、既にあの惨事を窺う事は出来ませんね。
梅木 書き込み:1/17(月

阪神大震災も今日で10年目。
当地松山でも震度3の揺れで何事かと驚いた記憶はまだ新鮮です。しかし、本当に良く凌いでこられましたね。さぞ感慨深いものがおありだろうと思います。10年一昔。平素の多忙が危急の時を忘れさせてしまいますが、素晴らしい手記です。宝ですね。
様々な追悼・鎮魂の催しが営まれてきましたが、その願いは生かされている者の知恵を、自然災害からの安全と共生に活かしすことだと思います。鎮魂の10年ご苦労さんでした。想いは後ろにあっても希望は眼の前に耀くものと思います。
阪神大震災の日に当たって一言。
三好 書き込み:1/17(月

早いもので平成7年1月17日の阪神淡路大震災から10周年を迎えます。ルミナリエの輝きとは違った感慨をお持ちになることでしょう。あわせて新潟やインド洋での大地震や津波のニュースがダブって深い悲しみと人間の無力さすら感じます。
10年前には最激震地であった「神戸市東灘区森南町で罹災した一人ですが、震災時の日記を中心に【阪神大震災私記〜臨危不変〜】を2年後に取り纏めました.今回期間を限って(一月中)マイホームページに一部を掲載しました。
個人的な日記ですが、阪神淡路大震災当時の記憶を蘇らせていただければ有難いのですが・・・それにしても「カネボウの猛烈社員だったな」と猛省?しています。「時既に遅し」です。いやはや。
(追記)平成18年1月17日には阪神淡路大震災の十一周年を迎えました。やっと旧居跡に家屋を新築することになり1月14日地鎮祭を執り行いました。ご近所の皆様方にはご迷惑をお掛けしました。この場所で育ちました息子達と同様に孫達が「本山第三小学校」から学校教育をスタートできることは大変幸せに存じております。この機に第二部(第五章、第六章、第七章)も併せて掲示させていただき、十一年にわたる留守のお詫びと、息子達ファミリーへの暖かいご支援をお願い申し上げます。松山・神戸は車で四時間の距離ですので機会を得てお邪魔させていただき、震災後の苦労話などお聞かせいただきたく存じます。WE LOVE KOBE ! 
はじめに 平成七年一月十七日午前五時四十六分
阪神淡路大震災が突如発生した
第一章 人生で一番長い日 地震・雷・火事・オヤジ
第二章 ホテル住まいの危機対応 いつもあなたのそばにある
第三章 夫婦分業復旧作業 一難去ってまた一難
第四章 ストレス克服へ あるがままに生きる
第五章 混沌からの飛翔 がんばろや WE LOVE KOBE
第六章 早春賦 春は名のみの 風の寒さや
第七章 森南町区画整理 誰がために町はある
第八章 疎開先の新生活 住めば都 井の中の蛙ミナミを知らず
おわりに 天災は忘れなくてもやって来る
以下は毎年の阪神淡路大震災当日(1月17日)の日記の抜粋である。私ども夫婦にとっては、生かされていることを感謝する記念日として位置づけている。
平成8年1月17日(晴)【1周年】
平成7年1月17日午前5時46分−−−−−我が人生で決して忘れてはならない一瞬である。朝五時半に起床し、TVのスイッチを押し、神戸の現地の放映を見ながら黙祷。妻に一年間の労苦を心から感謝する。長くもあり、短くもあったこの一年−−−−危機は完全に乗り切ったと思う。
午前9時、神戸営業所で、震災祈念式を挙行。社長回章の朗読、メッセージ(喜里山社長、松石事業部長、福岡前神戸営業所課長)の披露の後、支店長(私)挨拶。震災直後のミーティング内容を改めて披露し、「自立」のメッセージを贈る。午後、漢方療法推進会大阪中ブロック会に出席し、新春の挨拶。
夜、妻と大阪城ホールの「阪神淡路大震災チャリティーコンサート」に出掛ける。司会は和田アキ子と葛西聖司NHKアナウンサー。出演は都はるみ、堀内孝雄、坂本冬美、川中美幸、香西かおり外の豪華メンバーで関西出身の人気歌手の総出演となった。 慌ただしく、祈念すべき一日が過ぎる。生きていて良かった。
平成9年1月17日(晴)【2周年】
何年振りかで大阪駅前第2ビルに出社。マーケティング部の垣内、大橋、久留島、水谷部長と懇談。10時半から「日経新春経営トップセミナー」受講(田中直樹、堀紘一、加来龍三郎、神坂次郎氏)。関西ということでちょっと気を抜いて話しているのか満足感は薄い。久々の大阪だが、気遣ってくれているのか、阪神淡路大震災についての話題をあまり出なかった。
平成10年1月17日(晴)【3周年】
咲花温泉佐取館宿泊。無人駅咲花から新津乗換えで水原に向う。新津からの羽越本線は雪原の中を走っており人家もまばらである。水原は江戸時代代官所が置かれた地域の集産場で寂れてはいるが町自体はしっかりしている。30分の距離にお目当ての瓢湖があり、白鳥(二千数百羽)が一冬を過ごす。湖から眺める五頭山も良し。水原代官所、ふるさと農業資料館に立ち寄る。新発田市では清水園、足軽長屋、寺町、宝光寺、市島酒造(長尾富美子「蔵」碑)、諏訪神社を見学。夕、新潟の長男宅に落ち着く。
平成11年1月17日(晴)【4周年】
朝、読経。午前中は書斎で過ごす。ひよの大群が邸内のピラカンサの赤い実を食べつくす。
午後、瀬戸風峠→展望所→石手寺→風土記の丘の2時間コース。松山市内の展望、蜜柑山、四国霊場遍路道となかなか見応えあり。四国八十八カ所ミニコースは急坂で道悪し。木の階段を用意してもらえば善男善女も大助かりと思うのだが・・・・・
平成12年1月17日(曇り)【5周年】
足はそれ程痛くはないが、腕の痛みと握力の弱さを感じる。昨日の県民ハイキング明神山コースの下山時の滑りの防止で身体をひねったり、草木を握りすぎた為かと思う。午前中は登山コースの復習。レッスン用なのであまり面白くなかったが、天気であれば展望もよく救いがあったのだろうが・・・午後日野歯科に出掛ける。歯垢の除去は終わったが、左下歯の虫歯と右上の親知らず歯が残っている。後日治療ということにした。
阪神淡路大震災5周年・・・・・放送も終日特集だが、真実は決してTVでは伝わってこないし、もっとも悲惨なシーンは放映されることはない。
平成13年1月17日(晴)【6周年】
少しは暖かくなったが、それでも外気2,3度か。7年前の大震災の日はそれ程寒くなくて助かった。全国各地で阪神淡路大震災が風化しないように、地元神戸を中心に行事が行なわれた。近郊の石手寺でも5時46分を期して法要が行われた由。
終日、書斎にて平成12年度版「ひと・出会い・旅」の編集。夕刻81頁のゲラ刷完了。半月ぶりで書斎の掃除と暖房用灯油の補給。TVは阪神淡路大震災関連の特集が多く、罹災者としては見たくもなし。珍しくスイッチを入れず。
平成14年1月17日(曇り)【7周年】
この日は新羅国の首都慶州に居た。新羅は仏教の国であり528年に国家により公認されたが、日本の仏教伝来は538年であった。吐倉山(トハムサン)山頂近くの石窟庵(ソクラム)、山麓の仏国寺、王家の古墳群を観光し、午後には釜山に着き、竜頭山公園などを散策する。神戸の震災では在日の朝鮮人の被害も大きかった。新羅や釜山出身の方も多く居たのだろう。確実に大震災の記憶が薄れつつある。
平成15年1月17日(晴)【8周年】
吉祥寺第一ホテルを7時半にチェックアウト。国立博物館の「大日蓮展」を見学。鎌倉仏教で一遍と日蓮を対比してみたいという野心もある。立教改開宗750年記念で「国宝・立正安国論」も出品されている。ガイドブック購入。館内の精養軒でビール&昼食。国立近代美術館のオールドマイスターの絵画とロダンの作品を鑑賞。次いで江戸東京博物館では「江戸開府400年・江戸東京博物館開館10周年記念『大江戸八百八町』展」を駆け足で見学する。
人形町に出て「鳥近」の玉子焼きを求め、夕6時に新宿に戻る。吉野家で腹ごしらえして松山行き深夜バスに乗り込む。「鳥近」の焼き鳥と酒で軽く酔ったが眠るところまではいかなかった。8年前の大震災の当夜は次男宅に泊まったが一睡も出来なかったことを思い出した。
平成16年1月17日(晴)【9周年】
6時に目覚める。9年前の5時46分に阪神淡路の大震災あり(犠牲者6,433人)。布団の中で祈りを捧げる。午前中はインターネット中心。午後は今夕町内会総会の挨拶、議事の検討。平成16年版「ひと・出会い・旅」に掲載する「阪神大震災被災日記〜臨危不変」の前文と目次総括を再編集し、当日を含む三日間を集録した。反響は大きくなるだろう。夕6時町内会総会。会長は私、副会長&広報委員は金森直美さん、会計は松田益子さんを選出。恒例の桜見物はさくねんは参加者が少なく中止したこともあり別途検討することとした。
芥川賞に綿やりさ(19歳)「蹴りたい背中」、金原ひとみ(20歳)「蛇のピアス」、直木賞には京極夏彦(40歳)「後巷説百物語」、江国香織(39歳)「号泣する準備はできていた」が決定する。若い作家の輩出に驚く。
平成17年1月17日(晴れ) 【10周年】
阪神淡路大震災10周年に当る「神戸での祈念式」は天皇・皇后両陛下が出席される。妻と10年前の記憶を確かめる。
宝厳寺長岡住職に奥谷派を遊行寺本山に委譲した「珍一房」につき問い合わせるも不詳とのこと。大きな壁に突き当たる。併せて「幻の石灯篭」についても現状報告する。正月用品、飾り付けの片付け。掛け軸も@三信「福禄寿」A英一蝶「布袋」から@泉石老人「山水画」(座敷)A同信「四睡」(次の間)B文晃「富嶽」(奥の間)に変える。
平成18年1月17日(晴)【11周年】
阪神淡路大震災11周年は一遍上人開湯の伝承がある鉄輪温泉で迎える。ホテルからの朝焼け芳し。初日の出はルームから拝めそうである。朝食後モーニングコーヒーで寛ぐ。7時に新設の市営掘田温泉に出掛ける。地元の人ばかりである。露天風呂有り。ホテルの送迎車で別府駅経由で鉄輪温泉に送ってもらう。
スーパーマルショク→ひょうたん温泉→地獄原湯→豚まん本舗→洗濯場跡→熱の湯→入船荘→真宗寺院から国道に上がり鉄輪温泉一帯を眺望する。地獄蒸し大黒屋に立ち寄る。お目当ての一遍聖が設けたとの伝承の「むし湯」が10年に一回とやらの配管の腐食の取替えで休業、大ショックである。元湯→渋の湯→上人湯を見て亀の井バスで別府に直行する。駅前高等温泉→西法寺→秋葉神社→別府カトリック教会(修理中)→長寿味噌屋→友永パン屋店→竹瓦小路→竹瓦温泉→波止場神社を経てホテル「三泉園」に着く。夜は昔の繁華街「やよい」とソルパセオ通りを散策、喫茶店「なつめ」で温泉コーヒーを味わう。別府の「通」のコースを一巡したことになる。夜、大浴場に浸かり、震災の夜のことを懐かしく思い出す。
平成19年1月17日(晴)【12周年】
阪神淡路大震災の記憶は完全に薄れた。昨年春に旧宅跡に新築したこともある。神戸の知己から転居するのかと問い合わせを頂いたが、「次男にでっかいプレゼントですわ」と応えた。神戸の資産は息子に完全に引き継つぐことが出来た。孫達が「神戸っ子」として親と同じに名門「神戸高校」で学んで欲しいと願っている。
HP「阪神淡路大震災私記〜臨危不変〜」に平成8年の一周年から昨年の11周年までの毎年1月17日の日誌の要約を「前文」に記載しました。健康に恵まれて震災記念日には旅行や山登りで動き回っている。このペースで10年は過ごしていきたいものである。
平成20年1月17日(晴)【13周年】
阪神淡路大震災13周年を迎え、改めてHP掲載の「臨機不変」を再読する。
冬の寒さに戻る。旭川では零下33度の報道、想像できない。終日一遍会関係業務。(会員宛「定期便」と平成20年度講師依頼状作成)
講師は@大三島・万福寺浅野純以師 A湯築城記念館石野弥栄館長 B県歴史文化博物館大本敬久主任学芸員 C坂の上の雲記念館松原正毅館長  D一遍会理事今村威氏 E同 杉野祥一氏である。10月以降は固定的な講師であるので、年間講師ラインアップが完了する。
DVD版「広辞苑」をパソコンに取り込む。「座右の書」(?)になるには常に検索するしかあるまい。
平成21年1月17日(晴)【14周年】
16日から一泊旅行で、金刀比羅宮を「初詣」して、土佐は高知の「竜馬の宿」で一泊。上町に在る「竜馬の生れたまち記念館」、鏡川沿いに山内神社を詣でて「土佐山内家宝物資料館」で山内家の古文書や伝来の品々を拝観する。旧山内家下屋敷長屋と三翠園に立ち寄り、大手前通りに出て「ひろめ市場」で「かつおのたたき定食」を味わう。午後は「高知県立文学館」で「宮尾文学の世界」「寺田虎彦記念室」「特別展・鹿持雅澄展」と常設展の紀貫之から現代作家までの事績を一覧する。
夜に入ってから、阪神淡路大震災で夫妻とも亡くなられた小山さんの次女・裕華さんについて大学時代の友人(古沢さん)から照会あり。HP「鎮魂 平成七年乙亥 阪神淡路大震災私記 臨危不変」から検索して「道後関所番」のアドレスまでたどり着いた由。
神戸在住の杵淵、吉岡両氏に連絡、裕華さんの現住所が判明し一件落着。人事ネットが依然健在であることを改めて再確認でき、人助けが出来た。嘘のような実話である。それにしても、阪神淡路大震災から14年目の出来事であった。忘れかけていた記憶がよみがえってきた。
平成22年1月17日(晴)【15周年】
年初1月10日から19日までの10日間欧州の辺境の地であるポルトガルを旅していた。首都リスボンに4日、ポルトガル発祥の地ポルトに2泊、中世都市コインブラ2泊、機中泊2泊である。カトリックの歴史と大航海時代の偉業を追体験した。併せて松山の銘菓「タルト」の本家の味を確かめることができた。
16、17日は、リスボン近郊の大西洋に面した「発見のモニュメント」「ベレンの塔」「ジェロニモス修道院」「ロコ岬」を周り「ここに地果て、海始まる」と記名された「ユーラシア大陸西端到達証明書」を手にする。さらに「エデンの園」と呼ばれる「シントラ王宮」に立ち寄る。
スペイン人と同じラテン系であるが、古代のケルト人との血も混じっているのか気質が違う。新大陸発見時代のポルトガル植民地ブラジルとスペイン植民地ペルーにみる現地人の残虐な殺戮が端的に物語っている。
阪神淡路大震災の記憶も薄らいだし、半日の時差で真昼間でもあったので、あまり意識することもなくこの日を送った。
平成23年1月17日(晴)【16周年】
阪神淡路大震災16周年を迎える。神戸区東灘区森南町での罹災者の一人として「平成7年1月17日午前5時46分」が決して忘れることのできない時刻である。この日、月一回の奥道後温泉に出掛け、腹いっぱいバイキングに挑戦し、ジャングル温泉と大理石風呂でゆっくりと寛ぎ、ホテルのロビーで仮眠する。極楽、極楽、南無阿弥陀仏。罰当たりめ。
夜、高校同期の千賀英誉氏の訃報を知る。ここ数年会っていなかったので気になっていたのだが・・・またひとり「心友」を喪ってしまった。哀しい哉。
同期のHP【東の窓】に弔文を載せる。
千賀英誉氏のご冥福を心からお祈り申し上げます「東の窓」の告示を拝見、驚きました。新春に頂いた賀状を改めて手にして、哀しみが一層深く湧いてきました。あまりにも、あまりにも、突然のことで言葉にもなりません。
小生が同期会会長就任時には、関西同期会の責任者として、京都で、奈良で、六甲山で同期会を開催していただき、東京からも、東海からも、松山からも多数参加しての交流は、千賀さんあっての企画運営でした。素晴しい思い出を同期にプレゼントしていただき有難うございました。
今宵しんみりと16年前に神戸で被災した大震災のことを思い出していましたが、そこに訃報が飛び込んできました。その節には千賀さんの会社で製造しておられたセーターやワイシャツを贈っていただいて大助かりでした。有難うございました。
1月17日が改めて悲しい日になってしまいました。今はただただご冥福をお祈りするばかりです。お世話になりました。安らかにお眠りください。
平成24年1月17日(晴)【17周年】
1月17日は18年間晴れである。涙に暮れる雨天ではなく、明日を信じる晴天であることに神戸の頑張りがあるのだろうか。今年は、去年の3月11日の東日本大震災の記憶が生々しい。絆は大切だが、ゲマインシャフトは現代では幻影である。自らを信じ、自らを信頼し、一歩一歩歩むしかあるまい。
一遍会2月例会の講話「遊行上人の伊予回国〜聖と俗の狭間〜」のレジュメは完了したが、遊行上人七十四代の系譜はまさに「聖と俗」の権力闘争である。王家は血と「三種の神器」であるが・・・
県図書館で「歌人としての一遍上人」の文献調査をすすめる。視点と視座を確立すると、不思議と歴史が見え、歴史の方からが迫ってくれる。勅撰和歌集歌人としての一遍を新たに発掘することにより、一遍を子規に連なるマクロな系譜で捉えてみたい。
平成25年1月17日(晴)【18周年】
平成7年(1995)1月17日午前5時46分発生した阪神淡路大震災から18年目を病院で迎える。早朝6時のNHKニュースの実況を見る。当日誕生した新しい生命が今春高校を卒業する。
朝食は、みそ汁、卵とじ、漬物、牛乳とご飯。午前10時の回診で退院がOKとなり、手続きを済ませて、バスで伊予鉄梅本駅に出て、電車で帰宅する。2週間、一日2000リットルの水分を取ることが義務付けられている。350リットルのボトルが6本、1時間半ごとに1本がノルマである。まさに「水攻め」である。
昼食後は、書斎にて入院中の4日間の処理に追われる。メールは300件、手紙は確定申告に向けての銀行、証券会社関係書類が大半である。子規博からは冬季子規塾(関川夏央「子規と漱石の友情」)PRの依頼があり、一遍会会員にメールで依頼する。
神戸の長男から@出水康生「戦国おもしろ百話(143)」A徳島県総合大学校・まなびーや徳島編「戦国天下日人 三好長慶」DVDBNPO法人編「三好一族と堺町衆〜蘇れ・堺商人」DVDが届く。
『相模原市史』(第一巻)[古代・中世編]を東京の古書店から入手。当麻山無量光寺に関する論文の精度が少しく高まることを期待している。
平成26年1月17日(晴)【19周年】
19年前の今日、早朝5時46分阪神淡路大震災が発生、家屋が全壊し九死に一生を得た。還暦の歳であったが20周年は傘寿で迎える。生かされていることに感謝したい。
午前中は、前日に引き続き、講演「捨聖一遍と宝厳寺」と講義録「河野氏の諸国移住の史蹟と伝承」の復習と見直し作業。勝岡昭氏からパソコンの新規購入(XP⇒8・1)のアドバイスあり。
@台湾製より1〜2割国産が高いが、なじみのストアのなじみの担当者から購入すること。
A富士通から富士通の方がトラブルが少ない。
B10万以上がサイズが大きく却って作業がしにくい。
「椿湯」の改造計画が発表される。現在の椿湯はそのままで、新たに用地買収した隣接地に観光客向けの温泉施新築するという案である。従来の理想案でなく現実的な実行案であり「道後村人」としては賛成したい。
阪神淡路大震災の直後、ふるさと帰りして椿湯に浸かったときの安堵感を思い起こす。「震災の汗を道後の温泉に洗へ   子規もどき」である。
平成27年1月17日(晴)【20周年】
午前4時に目を覚ましたが、布団の中でとろとろしていたら運命の午前5時46分は過ぎてしまった。
あれから20年・・・・・阪神淡路大震災の一周年に当たって「平成七年乙亥 阪神大震災私記 臨危不変」を取り纏め、私なりに大地震を風化させないように記録に留め、HPを通して発信した。多くの友人、研究者、身元を捜していた一般の方々から寄せられたメッセージは大切に保存している。
「生かされている私」はいまここに存在する。「無一物即無尽蔵」(一灯園創設 西田天香師にことば)を実感し、今日まで一遍会のお世話を通して実践してきている。
プレスや新聞、インターネットで「阪神淡路大震災20周年」の特集が組まれているが、それほど真剣に見ていない。体験した「私だけの真実」を大切に、純粋に、胸も中にしまっておきたいから・・・・・

午前中、平成26年度湯築城歴史塾(第5回)に出席する。萬井良大講師(日本常民文化研究所特別研究員)による「二神家と予州家」。内容は、二神家の文献が少なく、予州家と予州家から見た二神家の系譜といったところである。最大の収穫は、当家の遠祖である湯山(食場)の三好長門守秀吉の居城「菊森城」の15世紀当時の城主が判明したことだ。出典は『河野一族中氏系譜』(『重見番五郎家文書』東大史料編纂所影写本)である。
細部検証してまとめるが重見氏の居城であった菊森城を予州家の河野通元(通之の長男)が討つ。通元は居城を「奥之城」に定め舎弟通重に菊森城を守らせ食場庄と東野庄を譲る。通重(讃岐守)は文明十四年(1482)湊山(三津)で討ち死にしている。三好長門守秀吉は総領家の河野氏に仕えているので、16世紀に入っては湯山の一帯は総領家の領地になって菊森城主に起用されたか。従来、三好氏と河野家の関係が希薄であったが、脈絡が見えてきたように思える、

家人と「大岩雁飯店」で中華料理を食べ、ダイキ本店で工事サービス内容を聞き、長屋門の漆喰の補修剤を購入する。崩れかけの土塀の補強に悩まされる。「崩れしままの・・・・・」滅びの美学も風情はあるのだが
帰宅後、「二神家と予州家」の復習と菊森城について新しい視点で研究を進める。
平成28年1月17日(晴)【21周年】
阪神淡路大震災から21年目を迎える。個人的には還暦の年から半寿の年を迎えたことになる。毎年のことだが、HPに掲載している「鎮魂 平成七年乙亥 阪神・淡路大震災私記 〜臨危不変〜」に目を通し、生かされている自分に生命について考える。

『子規会誌』(平成28年4月号)掲載の小論「歌のひじり 一遍 ―捨・遊・念―」を所定の11ページにまとめた。1月末には編集部に送付する。引き続き「『一遍歌集 全百首』について」の小論を取りまとめ、このシリーズを完結させたい。

一遍会次年度上期講師のラインアップが内定する。4月小沼大八代表、5月宝厳寺落慶法要、6月圓増治之氏、7月前園実知雄氏、8月武智利博氏、9月大本敬久氏という錚々たる講師が揃った。子規の「歌よみに與ふる書」(1〜10)を読み込んで、一遍の法歌について再考したい。夜、大河ドラマ「真田丸」。

読売新聞の連載小説「花咲舞が黙っていない」(池井戸潤作)が始まった。、TVでもおなじみである。 「下町ロケット」、「下町ロケット2 ガウディ計画 」、「花咲舞は黙ってない」、倍返しの「半沢直樹」など。彼は慶応出身で銀行マンでもあった。今後一年間は「朝ドラ」と合わせて楽しみである。
平成29年1月17日(晴)【22周年】
今春予定している松山子規会例会での講義録「生死の執着と安心 一遍と子規と 」をパワーポイントで継続作業。40コマ完了、ほぼ全体像をまとめることができた。やれやれ。

午後、ひめぎんホールで開催された愛媛銀行主催「櫻井よし子講演会」を聞く。テーマは「凛たる国家へ 日本よ、決意せよ」。今年で10回目であるが7〜8回は出席している。100分近い講演だが、独自の右よりの視座だが、ともかくぶれないのが良い。共感するところ大である。小池百合子都知事と双璧か。

【→MNさん】
阪神淡路大震災から22年目ですね。還暦の年でした。「現役」でしたから、大きな落ち込みもなく回復できましたが、今の年齢だったらバンザイだなと思っています。結婚間もない「新居」で、お世話になったあの夜のことは印象深いです。早朝の六甲トンネル越えの果敢な若者の行動が、すべてでしたね。関西地区担当としての震災後の処理が可能になりました。感謝しています。

松山もほんの少し雪らしい白いものが庭に降りましたが、今日あたりは最高10度ありますので、ほっとしています。膝、足の方は、やっと一日3000歩まで回復、月末には5000歩まで歩けるように努力します。なんとか1万歩に挑戦したいのですが日数がかかりそうです。メールありがとう。くれぐれもご自愛ください。