第三章 夫婦分業復旧作業一難去ってまた一難
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一月三十日(月)晴  一月度支店業績は」まずまず
久々のフルタイム出勤。朝食はカステラと牛乳。昼食はビル一階の「いなほ」で済ます。地震見舞いの電話の応対で多忙。来客は登田OBのみで助かる。お見舞いリストを作成する必要があるのだが、手が足りない。当面は、二月一日の支店全体会議の示達のレジュメづくりが大仕事となる。一月度の売上は締め切ったが、安井課の健闘(対計画一〇三%)もあり、支店全体としては、対計画八六%、進捗率六五%、前年比一〇五%である。あれだけの大震災が発生しても、想像もつかないトラブルを克服しての好成績。支店全員の努力を高く評価したい。
東京では相変わらず、地図上の神戸なり関西なりの捉え方だろうし、TVもイラク戦争より迫力無しで反応が鈍いと勘繰りたくなる。社長以下トップが支店の営業に多大の称賛をしてほしいのだが、期待しないほうが失望しないだけ良いのかもしれない。支店長としては、二〜三月の壁をある程度予測できるので、大きな障害は越えたと安心する。二月三日に神戸営業所全員が破損した神戸営業所に集結するので、なにがなんでも参加し、全員の元気な顔を見たいし、心からお礼を言いたい。盛実部長から、神戸営業所の実態報告を受ける。
夕六時、横関工務店から、明日第二回目の解体片付け可能という電話連絡を浮け、早々に帰宅し、妻に協力を求める。妻は感冒と疲労で大変なのだが、二人で出掛けることにする。夕食は、コンビニの鍋物セットと清酒一合で気持ち良く酔う。
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一月三十一日(火)晴一時小雪  解体取り出しで二十年分の日記帳発見
朝七時半、妻と共に出掛ける。鶴橋駅前の「吉野屋」の和定食で腹ごしらえ。JR鶴橋−−−大阪駅−−−阪神芦屋駅がやっと一直線で結ばれたので、一時間は時間が節約できそうだ。今まで住んでいた森南町近くの芦屋市津知町界隈の被害が、自分が見たなかではもっとも悲惨な状況である。TV画像には不向きなのか、あまり採り上げられていない。八時半頃到着。横関工務店は渋滞で二時間遅れる。時間のロスが勿体ない。
解体、取り出しは、一階の茶の間、応接間、納戸、居間、中廊下に限定したが、妻が気にしていた真珠の首飾りで出てきて、一安心。私のほうは、この際「無一物即無尽蔵」でいこうかと恰好はつけていたが、最低限希望していた二十年分の日記と道後三好家の三百年来の史料が略現状のままで掘り出せたので嬉しかった。そうなると欲がでるもので、「過去帳」と妻との婚約時代の往復書簡集を手に入れたかったが発見できず、いささか残念ではある。
向こう三軒の山一質店の上西さん、小島市会議員の話では、解体経費は坪一万二千円までは神戸市が負担するとのことで、現場写真を上西さんのカメラで撮影してもらう。妙なものだと思うが、薬師寺や家の宗派である曹洞宗の大本山である鶴見総持寺の御札や父母の生前の写真は、いとも簡単に掘り出すことができた。郵便受けには、地震見舞いの葉書が届いている。非常事態には、ともかく手紙を認めて投函することだと思う。一月十七日付けの葉書見舞いを眺めていると、同時性が再現し、妙に生々しく迫力ある文面で迫ってくる。電話とは違って、魂が伝わってくるようだ。言魂というのか、いや文魂とでも言うべきであろう。
夜七時半に出社し、待機していた和田部長、武内健蔵課長から「京都厚生会」の和議申請の報告を聴取する。当社の被害は二百万円相当の見込みである。夕食は九時。ひさびさに妻の手料理。ビールが旨い。
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二月一日(水)晴  逆境なればこそ真の実力が発揮できる
二月度支店全体会議開催−−−−正月は全体会議はせずに、年初の祝賀会だったので、二ヶ月ぶりの開催である。神戸営業所関係は二月三日に現地開催とし、水野薬専営業担当にも出席してもらうことにした。話題は、当然のことながら、阪神大震災が中心となる。厳しい環境の中で、一月度売上達成率九十二%、同進捗率六十四%、回収達成率八十八%、同進捗率六十二%であり、下期販売計画達成は決して夢ではない。HMRの頑張りと意地に心からの敬意を表した。但し、京都営業所内で、過日の京都厚生会の和議申請との関連で「空売り」が判明したのは残念であるが−−−−−−−−−−−−。自分なりに、大震災以来抑えていた営業に対する思い入れを示達できたので、ほっとしている。安心して既存の営業分野は部下に任していけそうである。二月度は、神戸営業所の「復旧・復興」に全力を傾注していきたい。
夕、課長以上者で、梅田新道の「大同門」で会食懇談−−−−−よく飲み、よく食べ、よく語り合った。八時過ぎに帰宅する。酒を飲んだこともあり、私としては気分爽快であるが、妻は当然のことながら、気が滅入っている。怪我もなかったことで、家財の喪失は割り切ってほしいのだが−−−−−−。諦めに到るプロセスは、癌の宣告でも同じだが、一人ひとり違うと思うし、今はそっとしておくことが大切か。
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二月二日(木)晴  イフ(もしも)阪神大震災がなければ−−−− 
出勤前に、自宅で一月度支店業績分析をワープロで取り纏め、朝一番に課長以上者に配付する。歴史に「イフ(もしも)」は禁句だが、阪神大震災がなければ、全社でも大阪支店は抜群の業績になっていた筈だ。二月度所見を、三谷社長、喜里山本部長に提出する。併せて、水野薬専営業担当にも、別途所見を提出−−−−−−具体的には、神戸営業所管内の返品が激増するので、特損処理をしてもらいたいということだ。
昼前、漢方療法推進会関西ブロック会のブロック長が出席の上、御見舞金を頂戴する。(南部、土田、岡本、奥平、上田先生)御見舞金をどのように配付するか頭が痛いが、漢方療法推進会の担当者にとのことなので、その趣旨を生かしていこう。午後、阪神大震災以降半月間の各種情報を整理する。思い切って「捨てる」ことで、情報を整理し、ウエイト付けをおこなった。今週末に東京にいる長男に、神戸の現地での出会いを提言しておいた。
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二月三日(金)晴  がんばろや 神戸っ子
朝五時半起床。日記を整理する。弁当持参で、阪神大震災後始めて、神戸営業所と神戸配送送センターを訪問する。
鶴橋(環状線)−−−大阪−−−芦屋(バス)−−−三宮−−〔神戸営業所〕−−−三宮(地下鉄)−−−高速神戸=JR神戸−−−鷹取−−−(徒歩)−−−板宿−−総合運動公園(地下鉄)−−−〔神戸配送センター〕−−(バス)−−−JR神戸−−−三宮(地下鉄)−−芦屋(バス)−−−大阪−−−鶴橋(環状線)
神戸営業所のビルは、亀裂が入ってはいるが、鉄筋そのものには異常がなく、復旧可能との専門家の診断である。先ずは大丈夫であろう。もっとも北側の壁は一部崩れており、三宮方面の半倒壊の悲惨なビルの姿が、隙間からよく見える。出席者全員で、取りあえず事務所内を片付けて、机と椅子の置場を確保する。本社からは、水野薬専営業担当はじめ進藤営業部長、角田総務課長が出席する。話したいことは山程あったが、社員の顔を一人ひとり眺めていると、胸にこみ上げてくる感激を抑えることができず、全員の無事を祝い、今後の活動に期待した。非常事態ではあるが、一人ひとりがベストを尽くそう。結果を期待せず、プロセスを大切にしてほしい。カネボウは阪神大震災でも毅然として「お客様第一」を貫いたという実績が残れば、今後無限の信用と信頼を生むに違いないことを力説した。
神戸配送センターでは、柿原長七カネボウ物流且ミ長、西田センター長に挨拶し、協力に感謝の意を表する。JR芦屋駅からのバスは専用路線だけに四十分で三宮を結んでいる。帰途は、夕五時からバス待ち一〇〇分、バス四〇分を要し、帰宅は夜八時半となる。緊張して異常な状態にあることは自覚してはいるのだが、支店トップとしては弱みを見せるわけにもいかないし、家でも妻が精神的に参っていると思うので毅然としたポーズをとっているのだが、正直いって「疲れてきたな」と実感することが多くなった。