第五章 混沌からの飛翔     がんばろや WE LOVE KOBE
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二月十一日(土)  地震・雷・火事・ローン
時間を間違えたらしく、五時に起床する。思い出したのだが、震災後は暗闇では却って眠られず電灯を点けて就寝したのだが、数日前からは以前と同じく消灯して眠るようになってきた。地震の後遺症が徐々に軽減してきているのだろう。一ヶ月ぶりの家の中での休日である。一ヵ月分の新聞の整理に集中。大震災のニュースが中心だが、GMP二・五%シェアの神戸だが、マスコミの反響も大きく、イメージ的には五%位か。全国的に消費、レジャーが沈滞しているようだ。ダイエー、コーポ、神鋼(二十万人)が、神戸復興のポイントか。ダイエ−の中内会長の神戸への思い込みが、神戸市民にはじーんと伝わってくる。
大阪は千林で開いた大栄の薬の廉価乱売は、時代の落ち着きとともに、競争会社が続出し、結果的には「都落ち」し、神戸三宮のスーパーダイエーから再出発したのは、否定でない事実である。神戸あっての今日のダイエーがあり、老経営者にとってはまさに昭和二十年代から三十年代初頭の神戸が、今日只今目にする神戸ではあるまいか。関西人にとって、中内ダイエーを応援したくなる中内会長のポーズが続く。ダイエーが好きではないが、西武の堤やイーヨーカー堂の火事場泥棒は許さんということだ。それにしても、ハーバーランドからの西武の撤収は、今後二度と神戸には出店できないとを西部は内外に宣言したことになる。東京もんは信頼できん。コープ(灘神戸生協)も、よく頑張った。賀川豊彦の理念が、市民の心に蘇って来る。不思議なものだ。
神鋼(神戸製鋼)も「本社機構は絶対に神戸から離れない」がトップの第一声とか。三社の動きを眺めていると「がんばろや神戸」「がんばろや神戸っ子」の気持ちになるから不思議だ。
一方、「地震・雷・火事・ローン」とやらで、軽量の家屋(2×2)の新築があちらこちらで散見するようになった。建築家である蛍雪会の満野久君に言わせると、「どーも」ということらしい。三十年しか持たない家が本当の家屋といえるのだろうか。一〇〇年家屋を三代で利用してこそ、家としての貫祿と歴史が刻まれるのではないのだろうか。妻は昼間は外出し、京阪デパートに出掛ける。間違えて京橋と妻に教えたのだが、京橋は京阪モールで守口市まで足を伸ばしたとか。そうとは知らず、午前中に風呂の修理も終わり、のんびりと休日の入浴を楽しむ。日記、礼状等個人的な情報管理も、やっと手の届くところまで回復した。
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二月十二日(日)晴、夜間雨  過去帳 発掘
朝七時半目覚める。朝食後、妻と阪神電車で神戸に向かう。芦屋まで電車で直通という当たり前のことが、新鮮に感じる。芦屋川に沿って山手に向かい、国道2号線を渡り、仏教会館から西に折れたが、東海道線の鉄路の上に橋梁が陥没している。芦屋の清水町付近も被害が大きく、依然として道路は塞がれたままになっている。私にとっての今日の「発掘」の目的は、妻は呆れてまともにとりあげないのだが、「過去帳」と「婚約時代の交換書簡」である。他人にとっては全く無価値に等しい代物だが、本人にとっては金銭に代えられない貴重品である。湿気を含んでいたが、大丈夫であった。もっともこれを掘り出すまでに二時間を要したのだが−−−−−−。
妻は大車輪で家具の中から備品の選び出し。二階に必要な家具や備品や衣類を運び入れた。盗難はともかく、雨風も心配であるし、二月中には取り出したものを再度道後の実家に運び入れたいものである。正直言って疲れはしたが、私なりの「宝物」を手に入れることができたので、満足である。帰宅後、早速仏壇を設け、「過去帳」を供え、般若心経を唱える。先祖とともに居ることは、精神的には落ち着くものである。
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二月十三日(月)晴  地図と現地は違うものだ
午後から神戸営業所に集合をかけたので、JR住吉駅からバス三宮駅に向かう。バス待ち一時間強で、自宅から二時間半かかった。本社から、安田部長、山本課長が来る。会議では、支店の全般的な話とお見舞金を手渡す。特に「地図と現地の違い」を強調する。
夕、本社関係者と?得意先への見舞金?本社応援業務等につき意見交換。心情的な応援では、事態は一切解決しないことを再度強調する。神戸営業所もやっと目鼻がついたので、本社としても動きやすくなったのだろうが、もう既に勝負はついている。基準を設定するのであれば、もっと早く基準を設定してもらいたかったと思うが、体質的に他社の出方をみてしか決定しないのだろうから、望むのが無理というものか。非常時には、決断こそ必要で、形式的な決定は後回しでよい。今日、決断できる人材がいかに少ないか。決断できる人が、いかに恣意的に社内外に隔離されていることかを痛感した。
防府工場長時代からの知己である是則運輸倉庫鰍フ元役員である大場潔氏が「メザメール」の幹部を案内して、神戸営業所に来る。今回の製品は二千五百円で、電池式である。 再度、サンエス営業部(平松正次営業担当)に照会することを約束する。帰路は同じコースだが、五時に出発して七時半に着く。
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二月十四日(火)晴のち雨  区役所で罹災に関する手続き開始
朝一番に、定例の社長宛週報をFAXする。引き続き、先週の営業会議報告を聴取し、二月度実績見込みを検証する。昼前、武内利夫、村上巌両君が来訪、燦々会からの御見舞いを手渡される。同期の友情を、強く深く感じる一瞬であった。午後、カネボウ不動産叶ヤ木栄会長が支店に顔を出され、お見舞いを頂く。会長のお宅は大きな被害はなかったようだ。夕刻、梅田の旭屋書店で「狛犬学事始」(ねずてつや著)を求める。吉永直道氏が米国から帰国時、是非狛犬論議をしてみたいものだ。
妻は、神戸市東灘区役所で罹災に関する手続きやら、本山の次男の家に立ち寄った後、芦屋まで歩いた由。疲れたらしいが、気分的には爽やかムードであり、安心する。帰宅後は、見舞いの電話やら、挨拶状やらで、結構多忙である。三月四日、長男が帰阪する。父子の対話が楽しみである。
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二月十五日(水)晴  都市銀行は被災者の味方か?
自宅で、昨日燦々会(二十九名)から贈られたお見舞いの礼状を、全員に認める。取引銀行の都島支店で、震災で紛失した総合口座通帳とカードを再発行してもらう。半月程時間がかかったのだが、正直言って非常時の対応が不備であることを痛感する。身元確認の為、震災で倒壊した無人地帯となった森南町の住所に確認の通知が行き、それから大阪の寓居に転送され、その上で正式手続きが開始されることになる。殆どの金融機関(郵便局は除外して)が同様の取扱いをしているとすれば、神戸市内の郵便は輻輳し、本当に必要とする情報に遅れが出ているのではと危惧する。原則通りしか判断できない都市銀行の対応であれば、バブルの不良貸付は原則通りに実行したのであろうし、まさに狂気としか言いようがない。支店長代理には、率直に利用者としての印象を伝える。同時に口座番号が五桁の客は、貴方が入行するよりも前の顧客であることを忘れないでほしいで皮肉を言っておいた。銀行マンである次男にも、非常時に利用者の味方であったコンビニのように、「ピープルズバンク」を標榜するのであれば、危機対応を考えておくように伝えておきたい。
出社後、明日以降の取引先へのお見舞いスケジュールを検討する。京都厚生会の更生手続きの報告を受ける。債権の3分の2は放棄せざるをえないだろう。頭が痛い問題ではある。震災前は出歩いていたのだが、現在はデスク中心の執務になってしまった。明日以降近畿六地区で開催する二月度の漢方療法推進会での挨拶原稿を纏める。
杉原千賀さん(従姉妹)からの電話で、カネボウに勤務していた次女の薫さんの結婚式には、従兄弟の浅井一志、清志、天野高伸・なつ子夫妻が出席する由。久しぶりに母方の親戚に会えるのが楽しみである。
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二月十六日(木)晴  阪神間ドーナツ・ゾーンは売上順調
朝九時半、阪急園田駅で、水野薬専事業部長、盛実支店部長と落ち合う。尼崎のニシイチ薬局、平和薬局を訪問し、地震見舞いをする。二薬局とも震源地のドーナツ・ゾーンであり、売上げは順調との由、安心する。阪神尼崎駅で二人に別れ、JRで京都に向かう。午後から、JA京都会館で漢方療法研究会京滋ブロック会に出席し、震災の被害状況と当社の対応を含めて挨拶する。
夕方帰社し、水野事業部長、宮久保事業部長補佐を誘い、レストラン司で懇談する。ママ、コック以下総出で歓待してくれる。矢島康弘元人事担当が地震時の家屋倒壊で肋骨を傷め、山中長一郎氏(スエヒロ東京且ミ長)の車で東京に運び、目下治療中とのこと。知人の消息が次々に入ってくる。夜、来週の計画を取り纏める。徐々にではあるが、スケジュールの先取りができる迄に業務の立て直しができてきた。
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二月十七日(金)晴  やっと大震災一ヵ月目−−−「ご苦労さま」
朝五時半に目覚ましで目を覚ます。布団に正座して一ヵ月前のあの瞬間を待つ。五時四十六分を確認する。妻と改めて、あの瞬間のことを語り、ここ一カ月間、働きづくめであったことを思い起こし、相互に「ご苦労さま」と感謝の言葉を交わす。
九時半、阪神御影駅で、昨日と同じく水野薬専営業担当、盛実部長と待ち合わす。三十分待ちでバスに乗車でき、三宮からは地下鉄で高速神戸駅に出る。神薬堂(久松正志社長)、ゼニヤ薬局(三宅実社長)に罹災見舞いの後、明石に出る。 大震災の中心地であり、被害は大きかったが、ともかく復旧第一の不眠不休の活動でやっと愁眉を開いたところだという印象。三宮の地下街が閉鎖されており、三宮のダイエー群も殆ど壊滅し、一般客が都心に流れて来ないので、神薬堂の打撃は大きいはずである。営業担当とは明石駅で別れ、姫路の「じばさんビル」で開催中の漢方療法推進会の神戸Aブロック会有志の勉強会に出席し、挨拶する。このグループは神戸から西地区の被害が少なかったドーナツ・ゾーンの店舗であり、いつもと変わらない雰囲気での勉強会になり、かえってこちらが拍子抜けの感じである。帰途は、安江学術課長と一緒に交通機関を乗り継ぎ、三時間半で帰宅。〔姫路−−(JR)−−神戸−(高速神戸)−−三宮−−(バス)−住吉−−(JR)−−大阪〕。
連日のハードスケジュールでいささか疲労気味である。連休で身体を休めたいのだが、日曜日は姪(杉原薫)の結婚式が茨城県土浦市の霞ヶ浦グランドパレスで挙式の為、明日は上京することになる。気分転換にはなるのかもしれぬ。震災一ヵ月目の記念日にあたり、自分に「ご苦労さん」」と言ってみたい。しかし、これからが大変だ。
倒壊家屋の解体修理、区画整理の対応、持ち出し家財の整理からはじまって、取引先の見舞い挨拶、支店の期末業績確保、全体のモラールアップ−−−−−−−−と問題は山積している。「不動心」「独立自尊」といったフレイズが、現実味を帯びた励ましのメッセージとなって体内に届く。「がんがろや! 神戸」「がんばろや! 神戸っ子」−−−「がんばろや! みんな」「がんがろや! 温子」。「がんばろや WE LOVE KOBE」。