松山の狸にまつわる話 |
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日本三大狸話と言えば、 上総の国木更津=千葉県木更津市の「證誠寺 の狸ばやし」 上州館林=群馬県館林市=茂林寺の「分福茶釜」、 そして伊予の国=愛媛県・松山市=の「伊予の松山騒動・八百八狸物語」 |
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松山市には「伊予の松山騒動・八百八狸物語」のほか、たくさんの狸にまつわる話が 残っている。 |
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四国は狸王国と言われるほど狸にまつわる民話・伝説が至る所にあるが、狐にまつわる |
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奥方に化けた古狐 |
道後公園の湯築城跡にまつわる話。湯築城は今を去ること700年位前の建武の頃(1334年頃)伊予の地を治めていた河野通盛が二重堀を設け東に大手門、西に搦手門=道後公園駅前方面を作り、湯築城と称した。 この湯築城の3代城主=河野道直の奥方が、ある日急に二人となってどちらが真の奥方か見分けがつかない。見分けのつかない奥方二人に家来たちも途方に暮れていた。医者にみせると「何ぞ魂が分かれる奇病ではございますまいか」等と治療の方法も無いという。合点のいかぬまま道直公は二人一緒に座敷牢に閉じ込めてしまった。そして4日目の朝、空腹になった時を見計らって食事を与え、その様子を詳しく観察していると、一人がガツガツと耳を動かして食べだした。直ぐに取り押さえ縄をかけたところ「古狐」の姿になった。 道直公はこの「古狐」を木に縛りつけて火あぶりにしようとしたところ、大小3千匹の狐が現れ「この狐は貴狐明神の子孫で四国の狐の統領です。今焼き殺されると、ご領内に必ず災いがおこります。お助けくださればきっとご恩に報います。どうかお助けを・・・」と命乞いをした。道直公は、狐の一族が四国から出て行くなら許してやるという約束の証文を取って狐を追放した。しかして、四国には狐が居なくなったという。狸族が四国ではばを利かすことになった。 |
案内している狸 | ||||||
八百八狸 | 六角堂狸 | お袖狸 | 金平狸 | 毘沙門狸 | 真狸と狸平 | 源七狸 |