伊予歴史文化探訪 よもだ堂日記

当サイトは、伊予の住人、よもだ堂が歴史と文化をテーマに書き綴った日誌を掲載するものです。


愛媛は「愛比売」

『古事記』『日本書紀』の神話では、日本列島はイザナキ・イザナミの夫婦神によって生み出されたことになっている。イザナキと結ばれたイザナミは大小さまざまな島を生み、日本の国土が出現する。国生み神話とも呼ばれるこの伝承の中で、四国の誕生は次のように語られている(『古事記』の本文によって示す)。

次に伊予之二名嶋(いよのふたなのしま)を生みたまひき。この嶋は身一つにして面(おも)四つあり。面ごとに名あり。かれ(そこで、の意)、伊予の国を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の国を飯依比古(いいよりひこ)といひ、粟(あは)の国を大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土佐の国を建依別(たけよりわけ)といふ。

ここでは四国全体が「伊予之二名嶋」と呼ばれ、その中に「伊予の国」「讃岐の国」「粟(阿波)の国」「土佐の国」があると語られている。いうまでもなく、「伊予」は地名、「愛比売」はその土地の神霊の名である(「讃岐」以下も同様)。

「愛比売」の意味するところは「かわいい女性」(「ひめ」は女子に対する尊称)である。「大宜都比売」は「偉大な食物の女性」、「飯依比古」は「飯の霊が依り憑く男性」(「ひこ」は男子に対する尊称)、「建依別」は「勇猛な霊が依り憑く男性」(「わけ」は男子に対する尊称)の意味である。四国の土地の神霊は、このように男神と女神に二分されると同時に、食物神(大宜都比売・飯依比古)とそうでない神とに二分されるのが特徴である。

この四国を総称して「伊予之二名嶋」とする理由は明らかではない。考古学者の森浩一氏は網野善彦氏(日本中世史)との対談の中で、この「伊予之二名嶋」に言及し、次のようなことを述べている。

国生み神話のところで四国全体を言う時には〈伊予の二名島〉と呼んでいますね。つまり、四国全体をあらわす言葉が伊予になっている。これは、どういう理由かわからんのです。讃岐も土佐も阿波も出てこないのです。大きな前方後円墳でいうと、讃岐と阿波にあって伊予でははっきりしないのですけれども、神話上の重要性は伊予にあったわけです。愛媛というところは、大きな前方後円墳でいうと取るに足りないところなんです。しかし、大きな前方後円墳でみると取るに足りないというと、朝鮮半島だって取るに足りないところとなってしまう。これは、大和にしか通じない物の見方になってしまいます。だから、大きな前方後円墳がないというところは、意外とそういうものとは別の価値観をもっていた土地の可能性があるわけです。だから、そういう意味で、僕は愛媛はおもしろい地域だと思います。

「伊予之二名嶋」の「二名嶋」が意味するところについても明らかではない。男女の神が東西からみても南北からみても二並びであるので、「ふたならびの島」の意であるともいわれるが、いささか付会の説のような気がする。

明治6年(1873)2月20日、石鐵県と神山県が合併して愛媛県が誕生した。この県名が選定された経緯については記録が残されていないが、今治出身の半井梧庵(なからいごあん 石鐵県地理掛)が明治2年に刊行した伊予国の地誌『愛媛面影』の「愛媛」という文字が審議され採択されたものと考えられている(『愛媛県史 近代上』)。『愛媛面影』の序文に「これを愛媛の面影としも名づけたるゆゑよしは、古事記に此島は身ひとつにして面四つあり、かれ伊予国を愛比売といふとあるによりて、やがて巻の名におほせつるなり」とあるように、梧庵は『古事記』に出る伊予国の神霊「愛比売」に「愛媛」の字を当てた。愛媛はかわいい女性を意味する「愛比売」―都道府県名にこうした由来をもつ例は他に見当たらない。

【付記】 「愛比売」の「愛」はア行のエを示す音仮名。この場合のエには「愛すべき。かわいい。立派な」の意がある。ヤ行音のエ(音仮名「兄」)を用いた「兄比売(えひめ)」は「年上の方の姫」の意で、「弟比売(おとひめ)」=「妹の姫」に対する語となる。

県名の選定に際して、「愛比売」の「比売」に「姫」ではなく、「媛」の字を当てたことについて、『愛媛県史 文学』では、書写の運筆と字形から、上字「愛」とつり合いがとれるのは「媛」であること、上代資料によると、「ひめ」は「媛」の字の方が一般的であったこと、漢字の意味からみると、「姫」は「女官」、「媛」は「美女」であること(新撰字鏡)などが考慮されたためであろうと推測している。同書ではまた、「愛比売」という神霊の名称について、伊予の国が「水の女(神の妻・巫女)」を核とする海神(わたつみ)信仰の世界と深く関わっていたことを示すものと考えることもできると指摘している。

三津の特産品「二名煮」は、文人画家、富岡鉄斎(1836−1924)が「伊予之二名嶋」にちなんで命名したものであるという。

(09年4月3日記)
【参考文献】
西宮一民『古事記』新潮日本古典集成 1979年6月
愛媛県史編纂委員会『愛媛県史 文学』1984年3月
愛媛県史編纂委員会『愛媛県史 近代上』1986年3月
網野善彦・森浩二『馬・船・常民 東西交流の日本列島史』河合出版 1992年5月