やさしさの在り処 < 2 >

「クラピカ」がオレに言う。

―――お前は誰だ

悪い冗談。いや、そんな冗談を嫌うのは誰でもないクラピカ自身。

いったいなにがどうなったってんだ。
甘い夜を過ごした恋人が、一夜明けたらまるで暴漢でも見るような目でオレを見ている。
いたたまれなくなって目をそらした。

「記憶喪失」ってやつ・・・なのか?
そんなもの、ドラマや映画の中だけの常套句だと思っていた。
もちろんわかっているさ。これでも一応医学生のはしくれだ。
しかし・・・知識と理解は相容れない。

目覚めたら見知らぬ男とあの状況で、記憶を失くしても性格がそのままならショックはそうとうなものだろう。
せめてもうすこし違った場面ならよかったのに。

その不安を、震える身体を、抱きしめて静めることもできない。

それでも・・・パニックに陥る寸前でとどまっているのは、彼女の生来の強さなのか。
よほどうろたえているのはオレの方。
やみくもにまくしたてて、クラピカを困惑させるばかり。


おちつけと自分を叱咤して、とりあえずシャワーと着替えを。
コトのあとそのままなのだ、いまの彼女には気持ちのいいはずがない。
いや、オレが見たくなかったのかもしれない。
昨日まで着ていたクルタ服にも反応しない。迷って、うちに置いてあるごく普通の服を用意した。

そして、ようやく少しずつ・・・。



「非礼をわびる」
どこかで聞いたセリフ。
そこから始まったことを意識の下のなにかが言わせたのか。

正直なにをどう伝えたのか覚えていない。
ただ、言いそびれたいちばん大事なこと、無意識にさけたこと。
いや・・・わかっていて口をつぐんだこと。


「私の家はどこだ。先ほどの話では、ここへは休暇で来ているようだったが。私の家族は」
至極あたりまえな問いだ。
「いねーよ。身寄りはひとりもいない」
表情がこわばった。
「家も仕事上の仮住まいばかりで、契約が切れたところだから、多分、どこにも・・・」
「クルタというのは・・・?私の姓か」
「いや・・・お前の出身の少数民族の名前だ。やっぱり、もういない」
あえて詳細は語らなかった。
クラピカも求めなかった。

視線がさまよう。
唯一の現実のように握りしめる携帯。

日々の痕跡を残さないようにつとめているクラピカが、携帯に残した「3月3日」。
こころにとめておきたいと思ってくれたのか。
その気持ちがうれしくて、つらくて、たまらない。






他に方策も思いつかず、大学で懇意にしている教授のところへつれていくことにした。

「ほう、君もすみに置けんね。こんなかわいい彼女がいたとは」
「せんせー、そーゆーんじゃ」
どことなくネテロ会長に似た老人は意味あり気にそっと耳打ちしてきた。
「子どもができたんなら専門外だぞ」
「ちーがーうー!!!」

・・・まったく、ひとが真剣に悩んでるってのに。このくそじじいが―――。

「で、状況を話してくれ。いつからこうなった。あたまを打ったとか、なにか強いショックをうけたとか」
「けさ、目が覚めたらこうなってたんで・・・」
「ふむ。君の部屋かね」
クラピカが真っ赤になってそっぽを向いた。
「君、彼女が嫌がるようなことをムリヤリしたりしてないだろうね」
「してない、してない」
ぶんぶん首を振るオレを、ほんとうかというような疑いのこもったまなざしでクラピカが見あげる。
「信用してくれよー」


結局言えたのは、心因性の記憶喪失らしいということぐらい。
ハンター協会に連絡して専門家を紹介してもらうことにしたが、それとてどれほど期待できるかわからない。
消えているのは「クラピカにまつわる記憶」のみ。

「クルタ」も、「緋の目」も、「蜘蛛」も、きれいさっぱり消えてしまった。



忘れてはいけないと口癖のように言っていたこと
ほんとうはずっと忘れたかったんじゃないのか

うっすら得体の知れない思いがじわじわと胸中を占めていく。

  もしも、もしかしたら・・・


思いは凝り固まってどす黒くなる。

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060523