やさしさの在り処 < 3 >
埒があかないまま大学を出た。
春というにはまだ風は冷たい。
けれど、光の微妙な明るさが着実に春の萌しを伝えている。
オレたちふたりだけおきざりにして。
クラピカと何度か行ったカフェが見えた。そういえば、朝から何も食べてないことにいまさら気づく。
「すこし休もうか」
オープンカフェはまだ早いような気もしたが、なぜだか広い空の下にいる方が楽に思えた。
「気休めだったな。悪ぃな」
「そんなことはない・・・感謝している。手間をとらせてすまない」
「クラピカ」の顔で、「クラピカ」の声で、他人行儀な会話。
ふたりでいると、いつだってついついオレの方がよくしゃべった。
他愛のない話にクラピカが時々ぐさぐさとツッコミをいれて、オレがげんなりして、そしてクラピカがうれしそうに笑う。
穏やかでいてほしくて、笑顔でいてほしくて、またオレはバカな話をする。
そんな昨日までの日々。
このまま部屋に帰るのは気が咎めていた。
考えなければならないことは山積しているが、当面の問題は彼女の住まい。
仕事が切れてしばらくオレの家にいるはずだったのだが、はたしていまの彼女が「オレとの同居」を良しとするだろうか。
もちろんハンター証を使えば、ホテルに住むことに問題はない。しかし、なんだかつきはなしてしまうような後ろめたさがつきまとう。
無論、そんなものはオレの思い上がりでしかないのだが。
「悪ぃ、ちょっと電話してくる」
クラピカから離れて、以前聞いたはずの携帯のナンバーを繰った。
『あら、めずらしいわね、レオリオ君が私にかけてくるなんて』
多分クラピカが唯一こころを開いている小柄な女性のふうわりとやさしい声音。
『クラピカとケンカでもしたの?・・・クラピカ、どうかしたの』
彼女に何を話すつもりだったのか、いざとなると口ごもる。
『あなた、いま心音が恐ろしく変わったわ』
気づかれないはずがない。いや、気づいてほしかったのだ。
「・・・あいつ、記憶がなくなっちまった。自分のこともオレのことも、何にも覚えてねえんだ」
電話の向こうで息をのむのがわかる。
「オレはついていてやりたいんだ。けど、いまのあいつにとっちゃオレは気を許すことのできない赤の他人で・・・おまけに男だから」
『大丈夫よ。あなた、そんなむたいなコトしないでしょ』
「あたりめーだ」
『そばにいてあげた方がいいわ。ひとりになったらいちばん不安なのはクラピカよ。いまはゼロでも、あなたならその距離をきっと埋めていけるわよ』
「キャーーー」
そのときテラスの方で悲鳴があがった。
あわてて駆け戻ると、呆然と立っているクラピカと悲鳴の主らしいウェイトレス、そして無様に倒れている軽薄そうな男が3人。
「大丈夫か、どうした」
「・・・しきりと絡んできたので断ったのだが・・・」
ようするに身の程知らずのナンパ野郎が、強引な真似をしてクラピカの鉄槌を食らったというわけだ。
「私は・・・なにか武道でもしていたのだろうか」
「だから言ったろ。凄腕のブラックリストハンターだって」
身体が覚えていることは消えないのだと聞いた気がする。
では、念能力はどうなのだろう。
蜘蛛への恨みが生み出した鎖は、まだ具現化できるのだろうか。
もしも、もしかしたら・・・
「協会の方は連絡待ちだから、とりあえずうちによって荷物とってきて、今夜はどっかホテルとるかな」
「ホテル?」
「ああ、うちに泊まるってわけにいかねーだろ、やっぱ」
センリツのアドバイスはともかく、とりあえず今日はその方がいいだろう。
「あとのことは、またゆっくり考えりゃいい」
「・・・勝手なようだが・・・もし迷惑でなければ、しばらくやっかいになってもいいだろうか」
え・・・?
「私はいま、足元の地面も消えてしまいそうな気がしている」
クラピカの瞳がまっすぐオレを見る。
「ここで少なくともあなたは私を知っていて、ここに私の居場所があったのなら・・・」
「迷惑なんてことあるわけねーだろっ」
あんまりうれしくて、オレは思わずクラピカの両手をがしっと握ってしまい、かたまった彼女にあわててそれを放した。
「ただ・・・」
少し間をおいて、ためらいがちにクラピカが口を開いた。
「その、けさのことだが・・・我々はそういう、夜を共にするような関係にあったのか」
「え、あ、まあ・・・」
面と向かって問われると、たまらなく気恥ずかしい。
「多分、いまの私は・・・そういう求めには応ずることはできないと思う」
「んなこと、考えるなっ」
こんなときに、クラピカにこんな思いをさせてしまう自分に無性に怒りがこみあげてきた。
夕陽が薄闇に色をかえていく道を黙って歩いた。
いつもオレの半歩前を行くクラピカが一歩後ろにいる。立ち止まって振り向くとぴくりと止まる。
「帰ろう」
強引にその手を握った。
表情を窺うことはできない。とまどったような震えだけが伝わる。
「・・・大丈夫だから」
ゼロに戻ったオレたちの長い道のはじまりだった。
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060528