7月17日
★さらば、奇岩の町よ
↓ローズバレー
ついにカッパドキアとお別れ。
たった二晩だったけれど、すごい楽しかった。特に、このホテルとお別れするのは寂しい…。
「ぜったいまた来ようね~。そんで、こんどは一週間くらい連泊しようぜい」
「うん!ぜったい来よう!…でもその前に貯金だ」
と、二人、おいしい朝ごはんをかみしめながら、固く誓いあったのであった。
最後に、車でローズバレーをちょびっと見学。
岩肌が、ほんとうにくすんだばら色。写真だと、あんまりきれいに色が出ていないけれど。
ここにも7世紀から11世紀のフレスコ画が残っている。われら探検隊は行くことは出来なかったけれど。残念。
ローズバレーは、夕日を受けると、それは美しいばら色に変化する(らしい)。今度着たときは、夕日にチャレンジすることにする。
↓キャラバンサライのモスク
★トゥズ湖でトルコオヤジの足跡を分析する
カッパドキアからアンカラまで290キロ。
アンカラに向かう途中、アズカラハンのキャラバンサライに寄る。
ここは、スルタンハンより、少し時代が新しい。13世紀に建てられたもの。形としてはスルタンハンと同じ。
ヤル気なさそうなみやげ物屋が出てた。
道路をはさんで、くずれかけた遺跡も。何の遺跡だろう?
ここでトイレ休憩も。
りりしい目をした10歳くらいの男の子が、トイレ番。その近くで、おっさんたちがのんびりテーブルの前でおしゃべり。お前ら、働けー!
↓キャラバンサライの向かいにあった謎の遺跡
道中、「とるこべんじょ」と呼ばれて、ワタシタチに親しまれていた、トルコ式トイレ。(そして、トイレチップは「べんじょリラ」と呼ばれていた)
形は和式と同じ。流すときに、汲み置きの水を、桶に汲んでざばーっと流す。うーん、爽快。
おまけに、このトイレの窓からは草原が見渡せる。雄大。(ってーか、ここの窓は閉まらないんだろうか?)
アンカラ地方に向かう車窓から見える山肌が、また色を変える。
赤い山肌。鉄分を含んだような赤い色。
そういえば、この先のボアズカレに遺跡を残すヒッタイト文明は、鉄の文明ではなかったか?鉄はどの辺で採れたのかな。…この辺?まさかな…。
反対側に目をやると、んん?白い波頭のようなものが、視界の続く限りえんえんとのびている。
「あれがもしや、塩の湖?」
「あれ、全部塩?」
とにかく広い。今、地図で確認したけれど、マジに大きな湖。
波頭のように見えたのは、全部塩。
鉄分を含んでいるのかな?遠くの方に行くにしたがって、うすいばら色に色を変える。氷原みたい。きれい。
それにしても広い。水平線まで見える…。
トゥズ湖のトゥズとは、トルコ語で「塩」のこと。つまり、塩湖、だわな。
↓トゥズ湖
トゥズ湖の白さは目に染みる。サングラスが必需品。
太陽の日差しがぴりぴり反射して、「熱っ!痛っ!」って感じ。
湖沿岸は、泥と塩が混じりあって、靴跡に塩がにじみ出てきて固まってる。
「おお、トルコのおっさんたちが塩を取りにきたときの靴跡かしら?(←観光客の足跡)」
「まさか、このみんなの靴跡がついた塩にあたって腹を下したんじゃあ…(←そんなわけはない)」
足でちょっと掘ってみると、泥の中から塩分をたんまり含んだ水が染み出てくる。
少し進むと、本当に塩の結晶の中をざりざり歩ける。ほんのりピンク色で、掘っても掘っても、塩、塩、塩。
水分が抜けて、乾燥した塩の結晶は、直径1センチ前後あって、手にとってもべたつかない。さらっとしてる。
見た目は雪原のようなのに、この暑さ。
見た目とのギャップに、なおさら暑さを感じてしまう…。
「へーい、あー・ゆー・じゃぱにーず?」
ワタシタチが、塩の結晶を学術的に(?)分析していると、いきなりトルコの若者二人が声をかけてきた。
「いえーす」…はて、なんじゃらほい。
にいちゃんたち「じゃぱーん16。トルコ3。わっはっは」
…ですって。(2002W杯直後の7月だったから)
はいはい、日本はトルコとの決勝トーナメントで負けましたよーだ。
ほんと、ワタシはあの試合を見て、「なるほど、これが何百年も西欧列強国の不倶戴天の敵であり続けた大帝国と、開国100年ちょっとの国との違いか…」と思ったもんだった。
★割礼式おめでとう
一路、アンカラへ。
市内のレストランで昼食。アンカラ名物チキン料理、中華風の惣菜(には見えなかったが)、サラダ。デザートにライスミルクプリン。ミルク味の甘いプディングの中に米が入っている。
コメは欧米では野菜かもしれないけれど、日本じゃ、主食。その主食のコメを甘くすること自体に、自分の中の大和魂が拒絶反応を起こしてしまう。
ごはんじゃない。これはライス。野菜の一種よ。と自己暗示をかけて食べてみる。
すると、なかなかいけるじゃない。うん、おいしい。…と食べ進むうちに、いや、これはごはん。牛乳味の冷たくて甘いごはん。という思いが沸き起こってきて、おえっとなる。
決してまずくはない。どっちかといえば、おいしい部類に属するでしょうな。でも、日本で「食べろ」といわれたら、積極的には食べないなあ。
トルコ共和国の父、アタチュルクの廟へ。
↓この三人の男性の像はトルコを担う
学業、農業、軍事に携わる青年
警備に建つ銃装備の兵士を見て、ファミリーの女の子が「兵隊さんが怖い」としきりに言っていた。日本じゃあ、自衛隊員も普段あんまし見かけることがないもんね。
でも、ファミリーのパパさんが、娘さんに、どうして軍隊をもたなくてはならないのか、戦争をしないと決めた日本の自衛隊はどんなものなのか、中立国のスイスはどうあるのか、自分の国を守るということ、守るために軍事に頼らなくてはならないこと、頼らなければならない国があること、というデリケートな話題を、小学生の女の子に、わかりやすく噛み砕いて説明してあげてた。
こういうことを子供に話すのって、難しい。深いテーマだもんなあ。
実はこのとき、さくらと二人で、後ろから聞こえてくる話に、じーっと耳を傾けて、ひそかに、「うんうん、そうだよね」とうなづいておりました。ええ話やった。
このアタチュルク廟は、ムスタファ・ケマルを葬るために、1944~53年にかけて作られた霊廟。
オスマン朝末期、国内の混乱の中、ムスタファ・ケマルは革命を起こし、列強国による分割・植民地化の危機からトルコを救い、1923年にトルコ共和国を成立、初代大統領となる。
首都をここアンカラに移し、政教分離、ラテン文字の採用、などの大改革を行う。彼は、アタチュルク(トルコ語で「トルコの父」)と呼ばれて、今も国民に愛されてる。
↓女性像の一人は、アタチュルクの死を悼んで泣いている。
アタチュルクのお墓は奥に建っている建物に安置されている。透かし彫りの窓の前にあるので、明るい。天井には、金と赤のモザイクが施されていて美しい。
トルコ国民に最も愛されている政治家。
日本で最も愛されている政治家って、誰だろう。尊敬する政治家ってのを一度持ってみたいもんだわ。
↓割礼式前の男の子
割礼式を控えた男の子発見。トルコの子供ってかわいい!
割礼式の前は「痛いことをする前に楽しいこと」をするんだとか。例えば、家族で出かけたりとか。
ツアーのみんなで割礼式のことについて話していたら、ガイド氏がぽつりと。
「…とても、痛いです」
「……」「……」
女にはわかりません…。
★わしらは赤い河のほとりで
↓王の門・兵士のレリーフ
アナトリア文明博物館へ♪
ここは、もともと隊商宿として建てられ、15世紀に貴金属市場になったものを、博物館に改造したもの。
だから、そんなにだだっ広くない。ゆっくり見て回るのにちょうどいい広さ。
ここの展示物は、すべてアナトリアからの出土品。
なんてったって楽しみにしてたのは、ヒッタイト王国時代の遺跡。
特に、この王の門。このレリーフ、本物です。ハットゥシャシュ(ボアズキョイ)の遺跡に建っているのがレプリカ。触っちゃった。
鉄の文明といわれるヒッタイト文明。
発見された文献から、鉄を初めて精製した文明といわれながら、まだその証拠となる鉄は、ひとつも発掘されていない。当時のエジプトと肩を並べるほどの権勢を誇ったヒッタイト文明。その帝都ハットゥシャシュも、どのようにして滅んだのか、火災なのか、他民族の侵攻なのか、分かっていない。
まだまだ謎の多い文明。
この文明を描いた「天は赤い河のほとり」という少女漫画があって、それまでは、トルコといえばイスタンブールとカッパドキアにしか興味がなかったワタシだったんだけれど、これを読んでから、俄然、アナトリアの方面にも興味がわいてきた。だから、さくらと二人、この博物館はすごーく楽しみにしてたのだ。
←ガイド氏「これは天気の神様です。え~、名前はちょっと忘れました」
↑天候神(テシュプ)のレリーフの前で
さくらとワタシ「テシュプ…」
ガイド氏「そうそう、そうです」
ほほほ。またもやアカデミックなワタシタチ~。(←漫画に出てきてたのを覚えてただけ)
ヒッタイト時代のものとしては、他に、スタンダードと呼ばれる造形物がある。アンカラの町の中心にも、これのでっかいレプリカがある。でも、いまだに何に使用されていたのかわかってない。祭事とかに使ってたのかな?
紀元前7000年から6500年くらいの人類最古の集落といわれるチャタル・ホユックから出土した地母神像も。
金細工で有名なフリュギア王国時代の金細工もアリ。
この博物館、メチャ楽しい~!人も少ないし。
でも、飛行機の時間に間に合わないので、1時間くらいしかいられなかった。残念…。
アナトリア文明博物館の写真館へ←アナトリアしたい人はGO!
★飛んでイスタンブール
アンカラからツアーは二手に分かれることに。
隊長夫妻とガイド氏は列車で一泊してイスタンブールへ。ファミリーとワタシタチは飛行機で飛んでイスタンブール。
チケット発行待ち時間に、ガイド氏が
「あなたがたはどこで(アナトリア文明の)勉強したんですか?(普段、ぼーっとして人の話も聞いてないくせに、「テシュプ」と即答したのが、よほど不思議だったらしい)」という鋭い質問を投げかけてきた。
ワタシタチ「…えーと、漫画を読んで…」
ガイド氏「ほう、そんな漫画があるんですか」
と、感心(?)しておられた。
その昔、「エロイカより愛をこめて」を読んで、ドイツ語を履修した女子学生が大勢いたように、そのうち、「天は赤い河のほとり」を読んだという少女たちが、ヒッタイト文明の研究をするかもしれないね。
さて、そんなアナトリアの大地とも、ひとまずお別れ。さらば、アナトリアよ!また会う日まで!
と、飛行機の窓から見える滑走路に目をやって、さくらと二人、しんみりと思い出話に浸ってた。
…ってーか、飛行機、なかなか離陸しないんだけれど。どーなってんの?出発時刻はとうに過ぎたのに。
冷房が効いてなくて暑くて暑くて。
しかも、飛行機の中は、さすがイスラムのお国柄(?)、性別の割合は、8対2くらいで、むっさいおっさん。
むむ…、なんだかよけいに機内の温度が上昇したような気が…。
飛行機は全然飛ぶ気配もなく、仕方がないので、ドライブインで買ったトルコのスポーツ新聞を、読めもしないのに開いてみたりなんかして、イルハンやらハサンやらを見つけて「おおー」と意味もなく感心したり、隣のおっさんに飴をあげたりして暇をつぶしていると、スッチーがワタシタチの方に向かってなにやら言い始めた。
な、何事?
なんだかよくわからないけれど、ついて来いと言ってるらしい。
わけもわからずついていけば、「あれ、あんたたちの荷物で間違いない?」と彼女が指差したのは、なぜか滑走路に置き去りにされているワタシタチとファミリーの荷物…。
ワタシ「はいはいはい、間違いないですぅ」
びっくりした。下ろされるのかと思った。
それにしても、なんでワタシタチのツアーの荷物だけ??まさか、このせいで飛行機の出発が遅れてる…んじゃないよね??コワイ…。
席について、流れてきたアナウンスを、苦手なヒアリングで聞き取ったところによると、どうやら、飛行機のエンジントラブルで、それが原因で冷房も効かなくなっているらしい。
…待ちます。何時間でも。ええ、明日までだって待ちますとも。
だから、ちゃんと直して飛んでください…。お願い。ぷりーづ。
20分後(くらい)にようやく飛び立つときも、飛行中も、機内食が配られたときも、どきどきして冷や汗もんだった。
かつて、あんなに緊張して飛行機に乗っていたことがあっただであろうか。いや、無い。そして、もう二度とないことを祈る。
トルコの優秀なエンジニアとパイロットのおかげで、無事に飛んでイスタンブールでした。
夕食はホテルで。
なんかチキン料理。トルコは、どこで食べても、まず、はずれの料理ナシ。
味付け自体がシンプルで、素材がおいしいからかな。ここのチキンもおいしかった。