7月12日  
       ★イスタンブールの花屋
 ちょっぴり早く起きて、朝食の後、散歩に行く。
 びっくりしたのは、トルコの野菜がめっちゃおいしいこと!
 トマトは甘くてすっぱくて太陽の味!って感じ。きゅうりもみずみずしくて甘くて、今まで日本で食べていたキュウリはいったいなんだったの?ってくらい味がしっかりしてる。ドレッシングなんてかけなくて十分。ちゃんとおいしい。
 エキメキ(トルコのパン。フランスパンのちょっと大きいの)に白チーズ(塩分の効いたクリームチーズって感じだ)を塗って食べたら、これまた美味!朝から満腹満足。
↑イスタンブールの花屋

  外に出ると、町はまだ動き出したばかりで、どの店も 開店前。
 けれど、大都会特有の煩雑さと汚さ、(住んでいる人は 気づかないかもしれないけれど、どこの国の都会も汚い。もちろん、日本の都会だって例外じゃない。ごみもあちこち落ちてるし、一種のすさんだ雰囲気があるの)があって、人間の匂 いがすんの。ワタシ、ごちゃごちゃしたところが好きでねえ。
 田舎に住んでいるせいか、都会って、その、たくさんの人がかもし出す煩雑さと猥雑さがおもしろい、と思う 。
 朝8時くらいなのに、もうお花屋さんが開店してた 。日本だと、10時くらいだよね。
 露店でたくさんならんでて、なかなか壮観。
  お国柄かなあ、華やかな色合いの花が多い。そんで 、バラの花に、真っ青やうすい緑のスプレーで色つけているの。造花ちっくであんまきれいだとは思わないんだけれど…。
     
   ★ヒッポロドームでエジプトに出会う
 ↓オベリスク
 エジプトのカルナック神殿からローマ皇帝により
運ばれてきたもの

   
 今日はイスタンブールの観光スポット巡り。
 イスタンブールは大きく分けて三つに分かれている。ヨーロッパサイドの旧市街と新市街。
 多くの名所旧跡、歴史的建造物と観光スポットが集中する旧市街。ワタシタチの泊まったホテルがあったのが新市街。旧市街とは金角湾をはさんだ反対側。歴史的建造物もありーの、おしゃれな店もありーの、現代トルコの町。
 そしてもうひとつが、ボスフォラス海峡を渡った反対側、アジアサイド。時間の関係でイスタンブールのアジアサイドには行けなかったんだけれど、オスマン時代の住宅も残っていたりするそうなので、今度行ってみたいな。
 さて、今回のツアーは、総勢7名。ワタシタチ女二人と、小学生の女の子連れのご夫婦、それから新婚カップル。ガイドさんは30後半〜40代と思われる男性で、日・英・伊・土、と四ヶ国語を操るインテリさん。親切かつ探究心旺盛。
 まずはヒッポロドームへ。
 エジプトから運んできたオベリスクだの、ギリシアから運んできた蛇の柱だのが建っている。時の皇帝たちが運んできたもの。
 これ一つ見ても、今のトルコという国が、過去にいろんな民族、いろんな支配者を頂いた国ってのが分かって、なかなか感慨深い。
 それにしても、こんなでっかいもんをどうやって建てたんだろうね。月並みながら、昔の人はえらかった…。 
←蛇の柱
コンスタンティヌス一世の時代に
ギリシアから運んできたもの

















     
                                  
     
 ★ブルーモスクで世界の寺院を検証する
 
 名高いブルーモスク。内部の美しいブルーのタイルからブルーモスクと呼ばれているけれど、正式名称は「スルタン・アフメット・ジャミィ」
 1616年に建てられたもの。
 イスタンブールの主がビザンチン帝国からオスマン帝国に変わってから、およそ150年後。
 実はワタシ、このアフメットをコンスタンティノープルを陥落したメフメト(マホメット)2世のことだとずーっと勘違いしてた。「ほほう、さすがは、偉大なる征服王スルタン・メフメト!」とか感心しながら見ていた。とほー。
 ブルー・モスクには、世界でも珍しい6本の尖塔(ミナレット)がある。昔はこの尖塔に坊さんたちが上がってコーランを唱えたんだとか。
 下から見上げると、立派なドームがちょっととひしゃげて見えてなんだかユーモラス。                            
 塩野七生さんのエッセイだったと思うんだけれど、モスクは、遊牧民のテントを連想させるって言っていたのがなんとなく分かるなあ。内部は、豪華な天幕、って感じ。
 イスラムは偶像崇拝を禁止しているから、聖人の彫刻や宗教画の類はないけれど、その代わりに壁と天井を埋め尽くすのは見事なモザイク、ブルーのタイル。トルコという国は、本当にブルーの似合う国。
 ワタシの主観で、各地の神社仏閣の類に興味別に点数をつけるとすれば、
↓ブルーモスク内部
安心度 面白度 荘厳度 幽玄度 寛容度 神聖度
日本の神社仏閣
欧州のカトリック教会
トルコのモスク
タイの上座位仏教寺院
となりますなあ。あくまでワタシの主観ですが。
 日本の神社仏閣がどこかストイックな感じがするのに対して、タイの寺院なんかは、どっちかっていうと、寛容的な感じがする。モスクは、靴を脱いで上がれるところと、天井が高いところが、なあんか安心するなあ。タイルがモザイクが描く調和的な美も、そう感じさせるのかな。
 なんてんでしょう、荘厳というより壮麗。圧倒的というより寛容的。
                             






↓アヤ・ソフィア


★アヤ・ソフィアでリサイクルについて考える

 イスタンブールでどーしても見ておきたかったのは、ここ、アヤ・ソフィア!
 アヤ・ソフィアはコンスタンティノープルが陥落したあと、征服者メフメト2世がギリシア正教の寺院だったものを、内部のフレスコ画を漆喰で塗り固めてイスラム教の寺院にそのまま使っちゃったのだ。
 究極のリサイクル。地球にやさしい。

 オスマン帝国の代々の皇帝は、実は、奴隷の子供であったり、(オスマン帝国には、皇后はいても皇妃はいない。ハレムの女性たちは各国から売られてきた美女たち、つまり、奴隷)ということは、混血の皇帝だらけだったわけで、しかもそうなると、トルコ民族の血は薄くなってきったわけだし、そんで、オスマン帝国の有名な建築家ミマール・スィナンも純血トルコ人ではなかったはずだし、16世紀の有名な海将ウルグ・アリ(アリ・エル・ウルージ)は改宗したイタリア人。
 当時その名を聞くだけでヨーロッパ人を震え上がらせたというオスマン帝国の精鋭部隊イエニチェリ軍団は、キリスト教徒の国から強制的に召集してきた少年たちを改宗させて軍人に仕立て上げたものだし、優秀な人物は宮廷に入って大臣にまで出世したり。
 ということは、帝国の主要メンバーは、非トルコ人ってことになる。(純血トルコ人もいたけれど)
 …面白い!
 同じ時代の欧州に、改宗したイスラム教徒や改宗したユダヤ人を、将軍や提督にした国はあったのかしら?同じ時代の日本に、中国や朝鮮半島出身の将軍はいたのかしら?(飛鳥時代とかはいたかも…)
 もちろん、オスマン帝国にもそうせざるを得ない理由もあったんだろうけれど。(もともと内陸の民だから海軍の歴史を持たず、ために、地中海を荒らしまわっていた海賊を太守にとりたてて海軍の指揮をとらせたりとか…)
 そう考えると、オスマン帝国って、ものすごく寛容な文化を持っていたのかもしれないなあ。
 ワタシタチの知っているトルコやイスラムの文化って、一度西洋のフィルターを通っているから、妙にエキゾチシズムに満ちていたり、満ち未知あふれて偏っていたり、すんのね。
 でも、悪名高いハレムと同じようなシステムは、江戸時代の日本にもあったし(大奥)、宦官制度は中国にもあったし。
↑出口にあるフレスコ画。
コンスタンティノープルの町とアヤ・ソフィアを、
聖母マリアとキリストに捧げている。

漆喰の跡も見える。
 イスラム教の妻を4人まで持ってよい、ってのも、昔、戦の多かった時代に、未亡人とその子供を夫の兄弟が娶って養うように、ということから始まったって聞いたことがある。そして、4人の妻を同じように愛することが出来なければ、4人娶ってはいけない、らしい。ってことは、そんなことは無理だから、結局、実質的には一夫一婦制じゃん。(奥さんたくさんいたのはお金持ちだけみたいだが…)
 そ言う意味では、東洋的なのかも。

 アヤ・ソフィアは、現在も調査中なのか修復中なのか、あちこち布が掛かってた。
 内部のはがれかけた漆喰の内側から、ビザンチン時代のイエス・キリストと聖母マリア像がのぞいている。その両側には、オスマン時代の、黒字に金文字のアラビア文字で、アラーやカリフの名を刻んだ円板が掲げてあったりして、なんだか不思議な感じ。
 


  ★金角湾を望む

 トプカプ宮殿。
 うーん、ツアーでは時間が足りない!駆け足でめぐったのだ。
 有名なスプーンダイヤも見たけれど、ガラス玉と区別がつかぬ…。首からぶら下げたら、肩がこりそうな首飾りもあり。
 なにさまここの宝物館、混んでる!ワタシゃ、何が嫌いって、混雑している美術館博物館の類が大嫌い!どんなにいい展示物があっても、落ち着いて鑑賞できない博物館なんて、博物館じゃなーい!もっとゆっくり見たかった…。

 会議室(?)もちょびっと見学。の入り口付近には、水道がある。壁が大理石なので、密談が外に聞こえないように、会議中は水を出していたんだそうな。

 ここのハイライトはなんたって、バーダット・キョシュキュ。第三庭園を抜けた宮殿の奥にある。     
 ここから新市街・旧市街・金角湾が見渡せます。ほんと、絶景!
 アヤ・ソフィアはそのまま使ったメフメト2世だったけれど、宮殿は全く別の場所に建てたんだねぇ。ビザンチン時代の皇居は、たしか、金角湾の奥まったところに建っていたはず。彼の建てた宮殿は金角湾の入り口。
 かつてはここに大砲が設置されていたことから、トプ(大砲)カプ(門)サライ(宮殿)と呼ばれるようになったとか。逆に、金角湾から入港してくる船からも大砲が打ち込まれる位置のような?まあ、打ち込もうとする船もいなかったとは思うけれど。
 ビザンチンの皇帝たちと、オスマン帝国の若き支配者との考え方の相違も見えて、これまた面白い。
 冷徹で明晰で、残酷でもあったらしいけれど、こういう君主は偏見だけはなかったのかも。織田信長とかチェーザレ・ボルジアとか…。なんか似ているものを感じるのはワタシだけか??
 スルタンの大広間、も見たけれど、なんだか閑散としてた。
 西洋の宮殿みたく、人物画や宗教画がないからかな。家具の類もないし。日本のお屋敷のように、何もないけれど「簡略の美」ってものもない。
 でも、こういった宮殿にありがちな、圧迫感がない。人が移動しちゃった跡です、みたくなってた。壁のモザイクは美しかったけれど…。

 昼食は、市内のレストランで、シシケバブとか白チーズのパイとか。
 まあまあおいしかった。白チーズは、チーズがだめなさくらも食べられた。

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