7月19日

   ★ウルグ・アリをしのぶ


 朝食後、荷物を整理して、急いでチェックアウトして貴重品だけホテルに預けて出発。トルコ、最終日、今日も自由行動。
 タクシム広場から、今日こそ間違いなくトラムに乗車♪

 ごとごと走るトラムは、のんびりいい感じ。なんか100年前に戻ったみたいな気分。
 ワタシタチをじーっとみていたおっちゃんが、
 「あんな、ここをな、こうやったら椅子が回るねん。そしたら、二人が向き合えるやろ」
と、さくらの座っていた椅子のペダルを踏んで、向きを変えてくれた。
 なるほどー。
 ワタシタチ「ありがとー。てぃしゅきりえでぃるむ〜」
 旅先では、こうしたちょとした親切が心に染みる。
↓クルチ・アリ・パシャ・ジャミィ

 今日は、ワタシがイスタンブールでどーしてもどーしても見ておきたかったところへ。
 トラムを終点で降りて、少し道を引き返し、海に向かって歩いていけば、それはある。はずなんだけれど、何処で曲がったらいいのかワカラナイ〜。
 しかたがないので、そのへんにいたおっちゃんに道を聞きく。
 最初、おっちゃんは、ワタシタチの行っていることがわかんなかったらしく、その辺にいたポリスを捕まえてきた。
 おっちゃんとポリスを交えて
 「ここな、ここはな、この坂をまっすぐ下っていくんや。そしたらすぐ見えるで」と教えてくれた。
 お礼を言って坂を下り始めると、おっちゃんがワタシタチのほうを心配そうにじーっと見ている。
 ありがとう、おっちゃん。大丈夫、無事に目的地に行けたよ。
 
 イスティクラール通りを外れると、一気に生活空間って感じ。
 古い町並みと石畳の坂道。子供の泣き声とか子供の遊ぶ姿とか。ばあちゃんが窓際に座ってたり。とても静か。
 目的の場所は坂から降りた、大通りのそばに立っている
 クルチ・アリ・パシャ・ジャミィ。
 このジャミィをどうしても見ておきたかったのだ。ガイド氏と別れる前に、どうしても見たい、といって、場所を聞いておいたのだ。
 「ウルグ・アリ」で通じず、「16世紀のイタリア人で、トルコ海軍提督だった人が建てたモスク」と聞いたら、すぐに教えてもらえた。
 どのガイドブックを見ても、このジャミィの説明は一言も載っていない。地図に、場所と名前だけは記載されている。
 このジャミィは、16世紀のトルコ海軍の有名な海将、ウルグ・アリが建立したもの。
 ウルグ・アリ。アリ・エル・ウルージ。当時のヨーロッパでは、オキアーリと呼ばれていた。本名はジョヴァンニ・ガラーニ。
 現在もあるかどうかは分からないけれど、トルコ海軍の駆逐艦に「クルチ・アリ・パシャ」という名前のものがある。
 彼は、実は、元キリスト教徒のイタリア人。
 少年のころ、住んでいた村が海賊の襲撃を受けてさらわれ、奴隷にされ、こぎ手として海賊船に乗ってたんだけれど、海上での生活で数々の危機に見舞われるうちに才能を発揮し、船長に気に入られ、イスラム教に改宗し、海賊業に転じることとなった。
 そして、当時、海賊の首領に太守の地位を与えて海軍の指揮を任せていたオスマン帝国の意向によって、アルジェリアの太守となり、その後、マルタの騎士団やキリスト教国家を悩ませる大海賊へ。海賊、といっても、マルタ騎士団も海賊みたいなものだったので、なんともいえない気がするけれど。
 1571年、キリスト教徒対イスラム教徒の、ガレー船による最後の海戦と言われる「レパントの海戦」で、彼はトルコ陣営の最左翼を勤め、トルコ海軍の敗戦に終わったこの戦に、彼の旗艦だけがコンスタンティノープルに戻ってきた。
 その後、彼はトルコ海軍提督に命じられ、オスマン帝国の海軍を建て直し、再び地中海を荒らしまわるように。
 海に生きた男であったけれど、彼は、コンスタンティノープルで亡くなった。その彼が私財を投じて建立したのが、このモスク、というわけらしい。
 
 なんというか、ドラマティックな人生だなあ、と思って、すごく興味を持った。と、同時に、オスマン帝国の面白さも感じたもんだった。
 ジャミィはさほど大きくない。かといって、小さくもない。
↓クルチ・アリ・パシャ・ジャミィ内部

 朝だったせいかな、お掃除のおじいちゃんと少年がいるだけで、誰もいない。
 ステンドグラスの美しい、静かなジャミィ。

 イタリア人のキリスト教徒でありながら、イスラムに改宗し、トルコの海賊、トルコの提督として生きて死んでいった男の生涯とは、どんなものだったんだろうなあ。
 当時は、宗教が今よりずっと精神的に大きな位置をしめていただろうから、改宗がどれほどの精神的負担であったのか想像もつかない。けれど、彼は、一生、トルコという国を裏切らなかった。彼の人生はどんなもので占められていたんだろう。
 なんてことを考えながら、ちょっぴりおセンチになったワタシ。
 資料が全く無いので、このジャミィが当時のままなのか、改修されているのか、(あるいは本物かどうか…)はまったく分からない…。
   ★ガラタ塔で金角湾を望む

 さて、地図上では、そこからガラタ塔まで直線距離にして500メートル。目立つ建物だし、迷うことも無かろう。かるいかるい♪
 と、大通りをさくさく歩いてみたものの、ガラタ塔がどこにあるのかわからない。いや、右手の方に、ガラタ塔は見えるんだけれど、どこから上るのかわからない〜。ざくざく歩いて、ガラタ橋近くまできてしまった。ますますわかんない。
 わかんないので、結局、道行くおばちゃんに聞きいた。

 教えてもらった坂道を上ると、そこは、衛星放送のパラボラアンテナとか、テレビとか、ステレオとか、なんとかの部品とかを売っている店がずらーっと並んでる。イスタンブールの秋葉原??
 にしても、この坂道、下るのはらくちんだけれど、上るとキツイ!
 このガラタ塔のある場所は、15世紀半ばまでジェノバ人居留区だったのだ。ガラタ塔は、6世紀に灯台として建てられたものを、14世紀にジェノバ人が改造したものだとか。
 1453年、コンスタンティノープル攻防戦の折。
 ビザンチン軍は、金角湾の入り口に、太い鎖をたらして、トルコ海軍が入港できないようにしていた。ところが、オスマン帝国の若き支配者は、大胆な手口で、金角湾に入り込むことに成功する。
↓ガラタ塔の螺旋階段

 ガレー船団を陸に引き上げ、この、ガラタの丘を、丸太を使って越えさせたのだ。
 すごい…。
 この丘の斜面は、けっこう急よ〜。かなりの死傷者が出たはず。人材だけは有り余っていたオスマン帝国軍だから出来た技かも。
 よかった。オスマン帝国の奴隷でなくて…。
 
↓ガラタ塔

 ガラタ塔は現在、夜になるとベリーダンスのショーが行われたりするナイトクラブになっている。このあたり、夜はあまり治安がよくないそう。
 ガラタ塔はエレベーターで最上階まで行き、さらに螺旋階段を上ると、イスタンブールが360度見渡せるテラスに出る。
 絶景〜。
 トプカプ宮殿から眺めるのと、また違った様子のイスタンブールを見ることが出来る。
 宮殿からは、街の遠景しか眺められなかったけれど、この塔からは真下も見えるので、イスタンブールの息吹が感じられる気がする。








   ★ハマムで地母神に出会う
↓チャンベリタシュ・ハマムで
きれいになった(?)ワタシ


 ガラタ橋を歩いて渡る。
 車がびゅんびゅん走る走る。そのそばで、のんびり釣り糸を垂れている人もあり。
 ガラタ橋を抜け、トラムに乗って、チャンベリタシュ駅で下車。
 この近くにある、16世紀から続くハマムに行く予定。
 駅から降りて、すぐ近くにあるはずなのに、見つからん…。ぬ〜…。またもや迷子。
 近くのテラスでランチを取っていたポリスのお兄ちゃんたちに道を聞くことに。
 ワタシ「ワタシ、ココイキタイデス」
 ポリス「ココ?この道を曲がってな、右に折れたらすぐやで。あんたら日本から来てん?」 
 ワタシタチ「そう」
 ポリス「悪いねぇ、W杯で勝たしてもろて」
 …またかい。
 ワタシ「おいしそうなランチやねぇ」
 ポリス「一緒にどうや?」
 ワタシ「ありがとー。一口いただき♪」
 さくら「…遠慮しとくよ(←苦手なチーズパイだったから)」

 お兄ちゃんたちに教えてもらったところに、ハマムはあった。
 ここは、16世紀の偉大な建築家ミマール・スィナンが建てたもの。
 中に入ると、日本の古い銭湯のような脱衣所があって、ここで衣服を脱ぎ、渡されたチェックの布を持って、いざ出陣〜♪

 ハマムの中は総大理石。
 あったまった大理石の上に寝そべって、体を温める。何百年も人の汗を吸ってきた大理石の匂いがする。(ってどんな匂いじゃ)
 暑いけれどきもちいい〜。日本のサウナみたいにむんむん暑くなくて、ちょうどいい。
 ワタシタチが行ったのは、午前10時過ぎくらいで、お客さんはスペイン人らしきおばちゃん二人と、南アフリカから一人旅できたと言う女の子とワタシタチ、だけ。のんびりできた。
 サウナで汗を流した後、おばちゃんたちによるあかすりと、洗髪が待っている。
 おばちゃんの一人は、アンカラのアナトリア文明博物館で見た地母神が現代によみがえったのかと思うほど、そっくりな体型をしておられた。
 それにしても、このあかすりと洗髪、オスマン帝国一千年の歴史を感じさせる、豪快かつ、ダイナミックなもの。
 ぐおーしぐおーし、と全身マッサージを施された後、流し台に誘導され、ぐわっしぐわっしとシャンプーしてくれる。そして、そのシャンプーで、つるっと洗顔もして、体も洗ってくれる。
 つまり、シャンプー兼洗顔剤兼石鹸。
 だ…ダイナミック。
 さくら「ふー。すごい気持ちよかったね〜。…でも、なんか、髪の毛の中にシャンプーが残ってて、じゃりじゃりいうんだけど」
 ワタシ「いやー、さっぱりしたねぇ。…でもさあ、顔がつっぱる…」
 細かいことは気にしない。これぞ真の大陸文化。
 悠久の歴史を感じた。

 日本人のおばちゃんが一人でやってきていて、ハマムの地母神さまに、チップ代わりのつもりなのか、おかきをあげてた。どうでもいいけれど、どーしておばちゃんって、何処に行くにもおかきとミカンを持っていくんだろう?まあいいけど。
 どうせあげるんなら、袋の空いたヤツじゃなくて、新しいのをあげればいいのに。なんか、それって、ちょっと失礼なんじゃあ…。
 地母神さま、戸惑っておられたよ。
 地母神さま「これ、何?」
 ワタシ「えー…じゃぱにーず・そるてぃ・びすけっと…かな?」(他に説明のしようが…??)
 地母神さまはぽりぽりと神妙な顔で召し上がっておられた。
↓向こうに見えるのがスレイマニエ・ジャミィ
  ★スレイマニエ・ジャミィでトルコを思う
 
 グランドバザールの横を通って、食器や台所用品のお店が建ち並ぶ通りを抜ける。問屋街なのかな?観光客らしき人の姿は少ない。っていうか、また迷子。
 モスクのドームは目の前に見えるんだけれど、入り口、どこ?
 仕方が無いので、その辺にいた商店のおっちゃんに道を聞きく。
 「入り口はな、そこに小さいのが見えるやろ?あそこやで、まちがえたらあかんで」
 入り口、というか裏口?を指差して、教えてくれた。おっちゃんは、ワタシタチが間違えずにその入り口にちゃんと入るか、じーっと見守っていてくれた。おっちゃん、ありがとう。
 このジャミィは、オスマン帝国が最も繁栄した16世紀の大帝スレイマンが、これもまたオスマン帝国の大建築家ミマール・スィナンに作らせたもの。
 ブルーモスクより広くて天井も高く、座り込んでのんびりおしゃべりしてたいような、ゆったりした雰囲気のあるジャミィ。
 ゆっくり座っていたかったんだけれど、時間がなくて…。

 ジャミィを出て、歩いてトラムの駅まで行きたかったのに、また迷う。ここは誰。わたしは何処。
 ワタシタチって、イスタンブールの街中で、半日くらいは迷ってた気がする。
 大学らしき建物の裏門に座ってたおっちゃんに道を聞いて、ようやくトラムの駅を発見。
 せっかくハマムできれいになったのに(?)、汗だくだく。とほほ…。
 
 時計を見れば、集合時間まで1時間あるかないか。
 まずい。
 トラムでエノミニュ駅まで出て、ガラタ橋を渡り、地下鉄に乗って、新市街のトラムで帰る予定だったけれど、間に合わないかもしれない。二人とも昨日のいやな記憶が残っていたのでタクシーにはなるべく乗りたくなかったけれど。でも仕方が無い。
 駅の近くで流しを拾って乗った。
 でも、昨日のタクシーの方がむしろ少数派。この運転手さんはいい人だった。さくらにタバコも分けてくれた。(ワタシは吸わないので…)
 ただ、そのう、もうちっと安全運転を心がけてくれるとありがたい。あんまし飛ばすんで、死ぬかと思ったよ。
   ★バグラヴァを買う

 タクシーで帰ったおかげですこし時間が余ったので、イスティクラール通りでお買い物。
 どーしてももう一度バグラヴァを食べたかったので、込んでる店が正解だろうと思って、人であふれている店で購入。(結局、時間が無くてトルコで食べられず、日本まで持って帰って食べたけれど)
 買い物してたら、昨日、トラムの駅で話し掛けてきたにいちゃんに再会。
 ワタシタチ「あーっ、昨日はありがとう〜。今日、ちゃんとトラムに乗れたよ〜(日本語)」
 にいちゃん「(わかってんだかわかってないんだか)そうかい、よかったよかった(トルコ語)」
 というようなことを言って去っていった。トルコのさわやかさんだった。
 近くのファーストフード店でチキンのサンドイッチを買って昼食。トラムで帰ってこなくてよかった〜。


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