遠い声 <後>






気がついたら、直江が運転する車の中だった。

カーエアコンが頬に気持ちいい。

「俺……」

「構内で倒れたんですよ。今朝も少し熱っぽかったし、私も注意はしていたんですが」

すみませんと直江は優しく言った。

ダッシュボードの缶ホルダーでミネラルウォーターのボトルが揺れている。

コクリと高耶の喉が動いた。

「どうぞ、飲んで下さい。足りないでしょうけど、少しは身体が落着くと思いますから」

ひったくるようにして、あっという間に飲み干してしまう。

だが、直江の言う通り、全く足りなかった。

喉が乾くというより、身体中が欲しがっている。

溶けてしまいそうな熱が身体の中を駆け巡り、高耶の節々まで灼きつくそうとしている

ようで、自分が炎の塊なんじゃないかとさえ思えてくる。

だが、その感覚は高耶に怯えよりも、高揚感をもたらしていた。

キモチ…いい……。

高耶は自分の欲望(こえ)にぞっとした。

あの事故以来、自分は炎やそれが持つ熱とかに対して恐怖心しか持てなかったはずだ。

小さい時は、ガスレンジの炎やライターの火でさえ駄目だったほどだ。

成人した今でも多少気構えてからでないと、気分が悪くなる。

それが………。

「ちょっと急いでしまったから、高耶さんに負担をかけてしまいました」

直江が左手を延ばし、高耶の額の汗を拭った。

ひやりと冷たい、直江の掌。

「もう少し時間かけるはずだったのに、あんな彼女が現れて、あなたも満更じゃない様

子だったから………」

「井手野のこと?…満更って……何のこと?」

きょとんとした高耶の様子に直江が苦笑した。

「気が付きませんでしたか?彼女はあなたが好きなんですよ。いい方ですが、あなたを

渡す気なんてありませんでしたから…。つい、私らしくもなく焦ってしまいました」

今度は、何をと問い返さなかった。

頭より先に身体が答えを知っていた。

内側の変化が高耶の記憶を開ける。

あの時、赫く昏い場所で高耶を抱きしめた腕の持ち主は―――――。

絶望を消し、願いを叶えてくれたのは―――――――。



アナタノ望ミヲ、聞キトゲテアゲマショウ
ソノカワリ、アナタモ私ト約束デス………



「約束したんだ…」

「そうです。思い出しましたか? 」

高耶はこくりと肯いた。ハンドルを握ったままで、直江は楽しそうに笑った。

「やっと、あなたが大人になって…そして、それが約束の時」

あの山は神域の山。

普段は山越えの道も閉ざされている。

それをどういう偶然か、高耶たちの一家が迷い込んでしまった。

そして慣れない人間の気配と車に驚いた山の獣が、道へと飛び出してしまったため事故

が起きた。

「直江は…何……?」

彼が本当は人でないという事も高耶は思い出していた。あの時あそこに最初に現われた

時、彼の姿は黒い大きな……。

「あっ、いい・・・、言わなくてもいいや」

口を開きかけた直江を制して高耶は続けた。

「もう…俺も、直江と同じなんだものな」

「後悔してますか?」

「まさか」

熱っぽい体を持て余しながらも、高耶は破顔した。

「約束は約束だしな。それに、直江はいつも俺の傍にいてくれた……」

取り残される恐怖を、一人ぽっちの寂しさと深い孤独を嫌というほど知っている。

高耶は腕を伸ばし、直江に触れた。

「直江も、寂しかった?」

ふいをつかれたように直江の頬がひくりと震え、言葉もなく頷いた。

何処かの山で仲間が撃たれたと伝え聞いたのは、何時の事だったのか。

それが日本最後の……だと世間が騒いでいたが……。

直江が思い返していた傍で、高耶は良かったと、安堵したように呟いた。

「一人より二人の方が、絶対、いいよな」

辛い事や悲しい事はなくならないけど、薄くはなる。

嬉しい事や楽しい事は、きっと倍にも3倍にも感じるようになる。

「高耶さん……」

直江は目頭が熱くなるのを感じた。



ソノカワリ、アナタモ私ト約束デス………



約束の印を少しずつ、ゆっくりと夢の欠片に落とし込んでいった。

高耶の躯に染み込ませた刻印は、甘やかで艶やかな時間。

夢の底での抱擁は、いつもとても熱かった。

せわしい吐息の合間に、求め合う接吻の合間に、途切れる事無く約束は繰り返された。

「なお…え…」

苦しげに浅く息を吐き出しながら、高耶が問いかけた。

「何処…行くんだ?道が…違う……」

「高耶さんの身体が落着くまで、山に戻ろうかと思いまして。落着けば普通に人の中で

生活もできるようになります。変わっていく時期だっから、最近、辛かったでしょう?」

直江は心持ち体を近づけると、じっと高耶の目を覗きこんだ。

深い緑色の樹海がそこにあった。

吸い寄せられるように高耶も体を傾ける。

優しく包み込むような接吻の後に、深く烈しいキス―――。

梢を渡る風の音がかすかに聞こえる。

それが、あの夜の木立の音なのか、それとも山へと向かっているからなのか高耶には分

からなかった。

(どっちでもいい、同じことさ……)

大事な事は一つだけ。


「愛してる」


高耶はキスの合間にそっと囁くと、直江は満足そうに小さく笑った。(Fin)










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コメント

やっと、終わらせました…ふぇ〜…疲れた……。
作中であえて、直江の正体を語っていません。
まぁ薄々解るとは思いますが、語ってしまうと何か面白くない気がしてわざと
ハズしています。
元のC翼版も正体は違いますが、同じです。