遠い声 <中>






教授の都合で、いつもより早い時間のゼミ。

通勤ラッシュとかち合ったらしく、電車は満員だった。

押し潰されるほどでは無いにしても、袖がすり合う至近距離は精神的に苦痛だ。

高耶はうっと顔を顰めた。

人の体臭、車内特有の匂い、ありとあらゆる匂いが鼻につき気分が悪くなる。

最近、どういう訳が匂いに敏感になった。

暑いと更に駄目で、先日は敏感すぎて、耐え切れずとうとう大学で倒れてしま

い、家に連絡までされ直江に心配をかけてしまった。

病院だ、検査だと慌てる直江を説得し理由を説明するとどうにか落ち着いてくれ

たのたが、解決策が無いのが困りものだ。

とりあえず口で呼吸するなどして、慣れるまで遣り過ごしている。

今朝は久しぶりに、直江の機嫌が良かったなと高耶は思った。

自分に元気が無かったせいかもしれない。

ここのところ、直江の態度がどことは言えないが、冷たい気がして高耶は困惑し

ていたのだ。

・・・・・・線を引かれている。

かと言って、突き放されているわけではなく、敢えていうなら"観察"されている

状態、とでも例えられるだろうか・・・。

髪を梳かれ、背中をあやされ、子供のようだったと思いつつ、変わらぬ仕草に安

堵していた。

高耶を気遣い、かまってくれる態度が正直、嬉しい。

両親と事故に遭い、高耶だけがたった一人生き残った。

助かったとはいえ、親戚は冷たかった。

いくあての無かった高耶を引き取ってくれたのが直江の両親で、直江と共にわけ

へだてなく育ててくれた。

ただ、海外が本拠の仕事場で共働きの夫婦だったから、出張やら短期赴任やらが

多く、夫婦揃っていたことなど数えるほどしかない。

そんな高耶にとって、家族といったら直江のことだ。

一回り近く年の離れた直江が、高耶の両親で兄弟だった。

それだけに、直江の態度は高耶の悩みの種だったのだ。喧嘩をしたわけでもない

から、謝るのもおかしい。

けれど、何をどうすればいいのか解らない。

糸口のない状態に、高耶は少し疲れてもいた。

「仰木君」

ぽんと肩を叩かれふりかえる。

小柄だが、きびきびした動作で明るい表情の女性が立っていた。

「井手野…」

同じゼミの女生徒で、高耶の数少ないGFだ。人嫌いの気がある高耶だが、不思

議と彼女とは気が合う。裏表のないさっはりした性格だからかもしれない。

彼女が直江の翻訳した本のファンだと知ったのは、ゼミ仲間になってすぐの事だ。

大きな目を少女漫画のようにキラキラさせて、会ってみたいと切望した彼女を直

江の了解をとって紹介した。

「いい娘ですね」

珍しく直江が彼女を誉めて、少し吃驚した。

高耶と違って、直江は人受け(特に女性には)がいいのだか、辛口な所があって

滅多なことでは人を誉めない。

珍しいと言うと、素直な人ですからねと高耶と同じようなことを言った。

「どうしたの、ボンヤリしちゃって。レポートの採点が悪かったとか? 」

笑いながら高耶の手元を覗き込む。

「何、言ってるんだ、違うよ。少し考え事してただけさ」

彼女の頭をコツンとこづいて、高耶も笑った。

「ねぇ、今日の午後は? 」

空いてないかと、誘いがかかる。

「うーん…、悪いけど、サークルに顔出しと用事があって、それが終わったら直江

と約束がある」

「あら……」

「ゴメン」

仕方ないわねと、井手野は肩を竦めた。

「仰木君のトコの事情は知ってるけど、それにしても二人、仲いいよね。何かねぇ

少し嫉けるかな」

「嫉ける?」

意外な科白だった。

二人の間に恋愛感情は無いし、直江への気持ちも純粋にファンどまりだと思って

いたのだが・・・・・・。

高耶の表情に、違う違うと井手野は掌をひらひらと振った。

「そういう濃いい感情じゃなくて、うーん・・・、疎外感て言うのかなぁ。仰木君を

独占してる直江さんに嫉けるのよね。陳腐だけど、友情?・・・・みたいなのに嫉妬

しちゃうな。女の子とは違うわ・・・・・・」

そうだろうか。井手野に限らず、他の女性からも時々そんな言葉を聞いた。

だが女の子たちだって、グループを組んでかなり仲がいいじゃないか。

「嫌―ね。あんなのは友情なんて言わないの。慣れあいよ」

井手野の眉根が寄る。

「女ってね根本的に同性が嫌いなの。お互いに相手ほど気味の悪い者は無いと思っ

ているわ。だから、女同士はすぐ敵になるけど、ライバルにはなかなか、なれな

かったりするものなのよ。四六時中、一緒だったりすると、きっと、息が詰まっ

ちゃうわね」

息が詰まるなんて、感じたことも無かった。

直江はずっと高耶の傍にいてくれた。朝も昼も夜も、直江だけが高耶と一緒だっ

た。

ずっと………。ず……っと………?

ふと、高耶は何かしらの違和感を感じて思考が止まった。

―――変だ………

何が…………?

自問自答を繰り返す。

直江が変わらない、変わっていない。―――っ!

そんな馬鹿なっ!

高耶は慌てて記憶を探る。

事故後、引き取られた自分の年が10歳。11違うから、直江は21。ちょうど今の自

分ぐらいで学生で・・・・。

卒論や就職をどうするかで忙しかったのに、夜中、一人で泣く高耶を気遣い慰め

てくれた。

『大丈夫、大丈夫。一人じゃないですから。私が傍にいますよ・・・・』

耳を潤す柔らかい声。

眠りへと誘う、子守歌のような優しい声。

25の時、勤めをやめて独立すると言った直江。

21・・・25・・・、の直江がいたはずで、そして30代の・・・・・・。

だが…………。

「仰木君っ、仰木君っ!どうしたの? 顔色が悪いよっ。仰木君っ!!」

井手宮野の声が遠くから聞こえてくる。

身体が熱いっ。

内側から火照るように熱くなる。息苦しさに喉が鳴った。

クルマのマエをクロいナニかがヨコギッテ

ヒをフク、シャタイ・・・

モリがヤケテイイク・・・・

泣キ叫ブ、子供のソバにヨッてきたモノ・・・・・・

―――あの昏く異様なまで赫い場所に現れたのは何だったのか

心臓がドクンとはねて、せり上がった。

「………み、…水っ……」

一言、絞り出すようにうめいて高耶は意識を手放した。









前編後編
BACK
HOME



コメント

何でだろう〜、何でだろう〜〜♪
改稿すると長くなるのは、何でだろうぅぅぅ〜♪♪・・・・・・。
まぁ、元が荒すぎるという事があるんでしょうけど、それにしても
ねぇ〜と言うのが正直なところです。