遠い声 <前>






赫い、あかい、眩しいほとの炎がゆらりと揺れた。

つんと鼻を突くガソリンの異臭。

辺りの樹木が暗闇でちりちりと音を立てながら、見えない熱に侵食されていく。

そして、炎は燃え上がる。

燃え広がりはじめた炎は、森の樹木や草花を嘗め尽くさんばかりの勢いだ。

やめてっ!

子供が叫ぶ。

誰かっ!!誰かたすけてっっ!

母さんっ、父さんっっ・・・・!!

あらん限りの声を上げ必死で呼びかけるが、応えは無い。

幼い身体に走る無数の傷と、火傷の跡。

動かない身体をそれでも必死に起し、傷だらけの腕を伸ばして、子供は父母の姿

を求め泣き叫ぶ。

ついさっきまでは、皆で笑っていたのだ。

父親が昔お世話になったという人の見舞いを兼ねて、家族で遠出をした帰り道。

見舞いに思いのほか時間をとってしまい、車は家路を急いでいた。

山越えのルートをとった方が早く戻れると選んだ道は、舗装こそしてあるものの、

ガードレールもなく離合も難しいくねくねと続く山道で、後ろの座席で高耶は内

心冷や冷やものだった。

カーブを曲がった瞬間、何かが車の前を横切った。

咄嗟に避けようと父親がハンドルを切る。

車体が、予想以上に大きく横に滑って後輪がガクンと傾いだ。

「高耶っっ!」

助手席の母親が鋭く叫び、身体を捻って後ろを振り向く。

ぐっと、身体が何かに持ち上げられるような浮遊感と圧迫感。

車はまるで、映画のスローモーションの様に立ち上がり、そのまま後方へと反り

返った。

「母さんっっ!」

落ちるっと、父か母の悲鳴と共に車は大きくバウンドし、衝撃音を立てながら落

下した

高耶は、開いたドアの隙間から投げ出された。

山肌の斜面と身体が擦れ、熱と痛みで悲鳴が上がる。

爆発音が響き、赤い閃光の映画のワンシーンのような炎と黒煙。

誰かっ、誰でもいいから、この火を止めてっ!

父さんと母さんをたすけてっ!!

誰でもいいから、何でもいいから、早くっ、神様っっ!!



  タカヤ・・・サ・・・ン・・・・・・
  ・・・タカヤ・・・サ・・・ン・・・・・・
  ダレカガ、呼んデイル・・・・・・



「高耶さん、高耶さんっ!」

肩を揺さ振られ起こされた。

ぽっかりと目を開けると、真上で心配そうに直江が覗き込んでいた。

耳に残る呼び声が夢と現を彷徨い、目を開けているにもかかわらず、まだ夢を見

ている気がして、高耶は直江と白い天井をぼんやり見詰ていた。

朝の陽射しがカーテン越しにもれ、今日も暑くなりそうな予感を運ぶ。

夏の陽はすでに高く、蝉が我が世とばかりに鳴いていた。

「な・・・なお・・・え・・・・・・」

声がしわがれて、躯もだるい。

腕一つ動かすことさえ嫌だった。

首筋から背中の汗が肌に張り付き、気持ちが悪い。

トクトクと早鐘のような、心臓の音。

夢だというのに、きな臭い匂いま漂っているようで、高耶は眉をひそめた。

「なかなか起きてこないんで来てみたら、あなたの呻き声が聴こえて・・・・・・。嫌

な夢でも見てましたか?」

おはようございますと穏かに微笑みを向け、直江は呆けたように動かない高耶の

背中に手を当て抱き起こす。

為されるがままの身体が少し熱っぽい。

直江は彼の額とうなじの交互に手をあてがった。

「熱は・・・無いようですね。夏バテかもしれませんねぇ・・・。でも急がないと、ゼ

ミに遅れますよ」

「うん……」

反応の鈍い高耶を、直江は気遣わしげに見守る。

普段は元気一杯の高耶だが、最近、暑さのためか体調を崩しがちで心配になる。

「大丈夫ですか?」

「うん、心配かけてゴメン。・・・・・・何か・・・嫌な夢、見てたらしくって身体がだる

いんだ」

「そう・・・ですか・・・」

直江はあやすように高耶の背中を撫でた。

「……たぶん、あん時の夢だと思う・・・・・・。父さんと母さんが・・・・・」

死んだ時と、高耶は続けられず口篭もった。

あれから数年が経ち、両親の死を解っていても口にするのが躊躇われるのだ。

事故の時の恐怖と喪失感が、また自分を襲ってくるような錯覚に陥ってしまう。

思わず暗い顔になった高耶を、直江何も言わず抱きしめた。

高耶は両親が事故死した時の記憶を、ほとんど持っていない。

事故があったという事実、とその時の感覚は覚えているのだが、前後の記憶が全

くと言っていいほど抜けているのだ。

医者はショックのあまりの記憶喪失だと診断した。

だが消えた記憶は、時折、忘れた事は罪だと言わんばかりに夢に現れては高耶を

苦しめた。

そして、その夢の後は必ずといっていいほど身体や頭が重かった。

夢は目覚めと共に後姿さえ残さず霧散してまうというのに、置き土産のように身体を

重くする。

「高耶さん……」

直江はうな垂れた日向の頭に、ぽんと手を置いてそのままくしゃくしゃと髪をか

き混ぜた。

「夢はただの夢ですよ。あなたに何もしやしません。ほら、シャキッとして。朝

ご飯、食べましょう、ねっ」

そう、沈んでいたって仕方がない。高耶も気分を切替えた。

「今日の朝ご飯は?」

「鯵の開きに小松菜と、湯葉のお味噌汁・・・」

「和食かぁ・・・、あっ、でも、カフェ・オ・レは絶対、つけてくれよ」

「合いませんよ、高耶さん」

「いいの、オレ、直江が淹れてくれるカフェ・オ・レ好きなんだもん」

仕方ないですねぇと言いつつ、直江の目尻が下がった。

直江は基本的に高耶に甘い。

それこそ、メロメロに甘い。

高耶もそれが解っているから、他愛もない我儘を、時折、ポンとぶつけて甘えて

みせる。そんな些細なやりとりを繰り返す事で、高耶は自分の居場所を確認して

いるのかもしれない。

直江は高耶の遠縁にあたり保護者兼同居人だ。

翻訳と通訳を生業としていて、高耶とは一回り近く年歳が離れている。

直江の親が母方の遠縁で天涯孤独となった高耶を引取り、育ててくれたのだ。

現在は仕事の都合で海外赴任してしまった親の代りに、直江が高耶の保護者とい

う位置にいる。

優しくて、高耶の何もかを包み込んでくれるような直江といるのが、一番、安ら

ぎで好きだった高耶だが、最近はそれが返って苦痛になりつつあった。

直江といると焦燥感さえ感じるようになっている。

もやもやとした掴み所が無い感情に、高耶は苛立っていた。

言葉に出来ないもどかしさは、元々口下手なだけに厄介だった。

優しさだけでは足りないのに、足りないモノが解らない。

だが今朝は、夢のせいだろうか、以前のようにすんなりと直江の腕に身体を預け

ていられた。そこはかとない幸せを高耶はかみ締める。

「高耶さん、さぁ・・・・・・」

急がないと、食べ損ねてしまいますよ、と促され高耶は名残惜しげに身体を離し

慌しい朝へと気持ちを切り替えた。






中編
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コメント
以前、健小次サイト「」に差上げた品の焼き直しミラージュ版。
骨子だけ同じの代物で、改稿したら倍の長さに・・・(オイオイ・・・)。
今、読み返すと話も荒く恥かしい品なんですが、ネタ的には好きな話です。
目下の悩みは"○お○"を入れるかどうするか・・・・。
リクエスト&気分が乗ればと思ってますが、どうでしょう。