皆さん、ご存じだったでしょうか。銀天街の通りにお寺があることを。気づかないまま通り過ぎてしまう方のほうが、多いのじゃないでしょうか。
元々お寺があったところに、後から銀天街の計画が降ってわいたのでしょう。
お寺の名前は圓光寺。商店街の憩いの場所として、地元の多くの方々に親しまれています。
350年以上の歴史があり、正岡子規などの文学にも深く関わりがあり、特に7代目の明月和尚は、学問に造詣が深く仁徳に優れた名僧として今日まで伝えられています。
「扶桑樹伝」という代表的な書物の他に、様々な書物も残されています。
私たちの松山北高校時代の恩師が、この圓光寺のご住職をされていました。
最近はわかりませんが、私たちが若い頃には、お寺の住職や神職の方で教鞭をとられていた方が多かったように思います。
泣く子も黙るような厳しさと迫力の中に、優しさとユーモアを兼ね備えたユニークな先生でした。
シーンと静まり返った教室で、「○○さん、女の子がそんなにはたかったらいかんぞな」
トーンの低い伊予弁で緊張した教室を、一瞬にして笑いの渦に巻き込んだことも度々ありました。
お寺の前を通る度に、ご健在だった頃の先生のことを懐かしく思いだす。