震災の影響で危惧された、青森市の全国市議会議長会のフォーラムが、10月12日、13日の2日間予定通り開催された。
いわば市議会議員の全国大会である。
次期開催地は、政令市を含め多くの市が名乗りを上げる中、地道な努力が実り松山市に決定した。
一人でも多くの議員に来ていただけるよう、駆けつけた議員で精いっぱいの誘客パフォーマンスを披露した。
フォーラムも終了し、翌日の朝食会場では仲間の議員と、神輿の鉢合わせの話に花が咲いた。
前に座っていた同年代の男性が、私たちの話に興味があったのか、声をかけてきた。
東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手の陸前高田の方だった。
震災の大津波で、家やご子息も失い、生きる気力を失くした時期もあったという。
20メートルを超える大津波が押し寄せる中、命からがら4階建てのビルの屋上に避難し、海水が足元まで迫る恐怖の中で九死に一生を得たという。
携帯で撮った、その時の貴重な写真を見せてもらった。
自衛隊や全国から集まった消防職員や自治体職員、ボランティアの方々には、本当に頭が下がる思いだったという。
それにひきかえ、被災地に連日訪れる国会議員の先生方には閉口したそうである。
ご婦人が毎日のように夢にうなされることや、避難所から仮設住宅に移った方が自立できずに苦しんでいる話、未だに善意の義援金が配分されていないことなど生の話をお聞きした。
席を立つ時、「生まれ育った陸前高田は好きだけど、今はもう住みたくない」と寂しそうに呟いた。
今まで充分すぎるほど頑張っている被災者に、今更「頑張ってください」という言葉はどうしてもかけられなかった。
東日本大震災の爪痕は予想以上に大きい。決して他人事ではない。
7か月を過ぎて、3月11日のことを生々しく思い起こした1日だった。