朝ウォーキングの後、近所にあるかんぽの宿の朝風呂へ行くのが私の日課である。
家の風呂は家内専用になっていて、夏場にシャワーを使うぐらいのことである。
子供の頃家のすぐそばに銭湯があり、家を新築する時も銭湯のほうがいいといって、両親は家に風呂を作らなかった。
今もそうであるが、子供の頃から早寝早起きの習慣が身についていた。近所の子と陽が沈むまで、手足や顔を真っ黒にしてよく遊んだ。遊び疲れお腹を空かして家路に着くと、仕事から帰ってきたばかりの母親が夕ご飯の支度をしている。
裸電球の灯りの下には飯台があり、その飯台を囲んで両親と姉そして私、家族4人の夕ご飯。一家団欒のひと時である。今から思えば質素な生活であったが、なぜか昭和30年代のあの頃のことがすごく懐かしい。私は遊び疲れ夕ご飯の途中に眠ってしまうことがよくあった。夏場は行水ですますことが多かったが、3日に1度くらいの間隔で銭湯に行っていた。
夕ご飯が終っても半分眠っている様な状態で銭湯に行くのを愚図っては、母親によく叱られた。
太っていた母親に、半ば引きずられるようにして銭湯に連れて行かれた。
風呂に入ると眠気も少しずつ覚めてきて、それなりにさっぱりとして気持ちがよくなってくる。晩生だった関係で小学校5年くらいまでは母親と一緒に女風呂に入っていた。
あの頃の銭湯は客も多く、地域の社交場であり、コミュニティーの場でもあった。
風呂場ではしゃいだり、湯船をプール代わりにして泳いでいて、おじさんやおばさんに叱られたこともある。
しかし、今はあの頃のように子どもに注意をしてくれる大人もあまりいないという。
お風呂のマナーは大人も含め、テレビ番組の影響や親のしつけの関係からか以前より悪くなっているように思う。
今、銭湯はピンチである。ほとんどの家やマンションにはお風呂がついている。
客は半減し廃業する業者もあり、最盛期の3分の1以下になっているという。
また、追い討ちをかけるように原油価格や原材料の高騰である。
市内のお風呂のないアパート・団地に住んでいる方々や、まちのコミュ二ティーの場である銭湯をこよなく愛する人々にとっては、銭湯はなくてはならない場所である。
経営者も、今、死に物狂いでがんばっている。
皆さんにも銭湯の良さを再認識していただき、まちの数少ない憩いの場である銭湯の灯を消さないようにしてほしいと切に願う。