水戸歩兵第二連隊史

明治7年(1874)
3月14日
歩兵第二連隊の創設が下令される。
明治7年(1874)
12月19日
歩兵第一、第二、第三連隊に対し、東京日比谷練兵場において、明治天皇より軍旗を親授される。
明治10年(1877)
2月12日
西南の役勃発。明治政府は2月19日討伐令を発し、征討軍を編成
明治10年(1877)
2月25日
西南の役への出動命令が下令される。
明治18年(1885)
7月1日
歩兵旅団の編成が下令される。歩兵第三連隊とともに、歩兵第二旅団に編入。
明治21年(1988)
5月12日
師団編成となり、第一師団の隷下に入る。
明治27年(1894)
8月1日
清国に対し宣戦布告し、日清戦争が勃発。
明治27年(1984)
8月30日
第一師団に出動命令が下令される。
明治28年(1985)
4月17日
清国との間に講和条約締結。
明治28年(1985)
4月21日
平和克復の詔書渙(かん)発
明治37年(1904)
2月10日
露国に対し宣戦布告し、日露戦争が勃発。
明治37年(1904)
3月6日
第一師団に出動命令が下令される。
明治37年(1904)
8月19日~24日
第一回旅順総攻撃、大頂子山、鉢巻山など攻撃。
明治38年(1905)
10月16日
平和克復の詔書渙(かん)発
明治41年(1908)
9月26日
第十四師団隷下となり、歩兵第二十七旅団に編入。
明治42年(1909)
3月15日
水戸に新兵営完成。3月26日に新兵営に移転完了。
大正8年(1919)
3月31日
ロシア革命によるシベリア出兵のため、第十四師団臨時編成が下令される。
大正9年(1920)
2月5日
尼港(ニコラエフスク)情勢悪化、尼港守備隊(第3大隊主力)孤立(尼港事件の始まり)
大正9年(1920)
3月12日
尼港守備隊と革命軍の間に全面的戦闘開始。
大正9年(1920)
3月18日
戦闘停止、武装解除の後、投獄される。
大正9年(1920)
5月25日
尼港守備隊残存者全員惨殺される。
昭和6年(1931)
9月18日
満州事変勃発。
昭和7年(1932)
1月28日
上海において日支両軍の武力衝突(第一次上海事変)
昭和7年(1932)
2月23日
第十四師団に出動命令が下令される。3月2日上海派遣軍の隷下に入る。
昭和7年(1932)
5月2日
満州へ転進。関東軍の隷下に入る。
昭和9年(1934)
11月11日~13日
茨城、栃木、群馬。埼玉の四県下において、陸軍特別大演習が実施された。
11月14日には、
大観兵式が高崎練兵場において、挙行された。
昭和11年(1936)
2月26日
ニ・ニ六事件起こる。集成一個大隊を編成して鎮圧のため東京へ派遣。
昭和12年(1937)
7月7日
蘆溝橋事件勃発(支那事変の発端)。日支全面戦争に突入。
昭和12年(1937)
8月14日
支那事変への出動命令が下令される。
昭和13年(1938)
4月22日
徐州会戦のため、集結地の新郷を出発。
昭和14年(1939)
9月26日
復員下令。
昭和15年(1940)
8月1日
第十四師団に臨時編成下令。歩兵旅団が廃止され、水戸歩兵第二連隊、高崎歩兵第十五連隊、宇都宮第五十九連隊をもって、第十四師団歩兵団が編成された。歩兵第二連隊は新たに歩兵第百二連隊を編成して、水戸兵営に置き、満州永久駐留を命じられる。
昭和16年(1941)
7月24日
第十四師団に出動命令が下令される。
昭和16年(1941)
12月8日
米英に対し、宣戦布告。太平洋戦争勃発。
昭和18年(1943)
6月10日
聯隊長に中川州男大佐が就任。
昭和19年(1944)
2月10日
大陸令をもって、第十四師団に太平洋方面への派遣下令。
昭和19年(1944)
3月1日
島嶼作戦に適応するよう編成を開始。砲兵大隊、工兵中隊他を統合し、3月5日に編成完了。
昭和19年(1944)
3月28日
大連港出帆、鎮海を経由し、4月3日横浜に入港。4月6日館山沖に移動
昭和19年(1944)
4月7日
館山沖を出港。4月10日敵移動部隊パラオ・トラック方面策動中の報を受け、小笠原父島二見港に入港、待機。
昭和19年(1944)
4月18日
二見港を出帆。4月24日全船団無事にパラオ港外ガレツ泊地へ到着。
昭和19年(1944)
4月27日
パラオ コロール島出発、ペリリュー島上陸、同島守備隊(ペリリュー地区隊)となる。
昭和19年(1944)
9月15日
米軍ペリリュー島へ上陸。
昭和19年(1944)
11月24日
軍旗奉焼、聯隊長自決、七十余年にわたる聯隊の歴史を閉じる。残る全員の斬り込み遊撃戦に転移する。

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