石手寺
 (衛門三郎から続く)
 時代が変わり、伊予の国の領主である河野伊予守左衛門介越智息利の令室が、玉のような若君を生んだ。しかし、若君は幾日経ってもその左の手を堅く握ってまま開くことをしない。 若君三歳の春、花見の折、大勢の真中にすすみでた若君は両手を合して「南無遍照金剛」と三度、両手を合わせた拍子に、今まで堅く握られていたお手を開かれ、その拍子に手の中より小さな石が落ち、それには「衛門三郎再生」と書かれていた。人々は衛門三郎再生と感激し、その石は松山・道後の安養寺に収められた。

 以後、この安養寺は、石手寺と改められ、第五十一番・熊野山石手寺(くまのさんいしでじ)の起こりとなった。

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