衛門三郎
 昔、久谷の里での話。天長(西暦800年代頭)の頃、河野衛門三郎(こうの えもんさぶろう)という豪族がいた。年貢米の取立てが主たる役目の衛門三郎は性来強欲非道で、悪鬼長者とあだ名されて村人に恐れられていた。ある日僧が、衛門三郎の門前に立ち托鉢を行おうとした。しかし、衛門三郎はそれに腹を立て、竹ぼうきで僧の眉間に打ちかかり、僧が鉄鉢で受止めたところ、鉄鉢は、八つに破れて四方に飛び散ってしまった。この僧が、この地を訪れていた、弘法大師であった。
 三郎には八人の子がいました。どういうことか、その翌日から子どもたちは次々と急死。「八子他界は不憫なこと」と、大師は一夜で八塚を築かれ菩提を弔らわれました。八人の愛する子どもをなくした衛門三郎は、今までの数々の行いを悔い改め、高僧にお会いして懺悔し謝罪しようと四国遍路の旅に出た。
 そして四国を二十度まで回ったが、どうしても大師に逢う事が出来ない。阿波の第十番・切幡寺(きりはたじ)で、逆に回れば逢えるかも知れないと思い、八十八番・讃岐大窪寺(おおくぼじ)から逆路をたどりはじめた。第十二番・焼山寺(しょうざんじ)の近くにきたとき、三郎は二十一度の旅の疲れにどっと大地に倒れてしまいました。すると「三郎!」「三郎!」と呼ぶ声が聞こえ、眼を開くと、見慣れぬ旅僧が立っていた。それこそ探し求めていた弘法大師その人でした。
 弘法大師空海のお姿に気がついた三郎は、起き上がって平伏し「お許し下さい」と言った後は、言葉が続かず泣くばかりです。大師が小石を拾って「衛門三郎再生」と書き、左の手に握らせると、三郎は眠るがごとく安らかに息絶えたのでした。 (石手寺へ続く)
文殊院 八ツ塚
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