第二十五段(2003.05.14) 河野静雲師「露命句碑」(承第二十四段)につき俳誌「冬野」掲載資料を送付いただきしこと。

「冬野」編集部(持永真理子様)から平成6年3月号「河野静雲先生回顧号」と同8年5月号「河野静雲先生句碑除幕式 四国松山寶厳寺境内特集号」の該当する資料を恵贈いただきました。深謝申し上げます。数ページにも及びますのでその一端だけを記載して多くの方に静雲師「露命句碑」の由緒を記憶していただきたいと願っています。

平成4年「冬野八百号記念」の四国旅行の折寶厳寺で法要され寶厳寺住職長岡隆祥師が導師を務めました。河野静雲師が河野水軍の末裔というご縁はありましたが、住職にとっては内子町願成寺の亡兄が静雲師の句弟子であり「あんなにも亡兄を慕わせ御遷化20年を経てこんなに大勢の方が御供養される静雲先生とは・・・・と深く感銘をうけた由です。平成6年福岡市美術館で河野静雲師回顧展開催時住職は博多に向かい小原菁々子氏の案内で同展を見学し、境内に句碑建立を決意されました。

平成8年2月15日、寶厳寺住職ほか総本山遊行寺はじめ各地の青年僧60名の読経の中で「あとやさき百寿も露のいのち哉」の句碑が除幕され、傍らの白梅が色を添えた。 「冬野」関係の俳人は全国各地から約50名出席された。
当日は一遍上人第759回生誕会の日にも当たり、生誕会法要と定雲和尚(静雲師)23回忌法要、時宗青年会の声明、坂村真民氏作詞「二人旅」新曲発表、龍谷合唱団による仏教賛歌披露り、まことに寶厳寺関係者にとっても盛儀であった。

藤沢の遊行寺境内に「生きてゐて相逢ふ僧や一遍忌   静雲」の句碑が建っています。「あとやさき百寿も露のいのち哉  静雲」と併せて味わいたいものです。更に詳しく河野静雲師や俳誌「冬野」についてお知りになりたい方は事務局までご照会下さい。