第二十四段(2003.05.08) 寶厳寺境内の観音堂の脇にある句碑には説明文がないのですが由緒ある句碑かどうかの問い合わせありしこと。 寶厳寺境内の句碑は子規、茂吉など著名な句碑が多くありますが、観音堂脇の句碑は地元の方も観光客も見過ごしてしまわれている様に思います。 句碑の表面には『あとやさき百寿も露のいのち哉 静雲』、裏面には『願主 小原菁々子 柴田慎子 施主 阿部節子』と刻まれています。ホトトギス系の俳人の方であれば静雲と云えば「冬野」の主宰者河野静雲師を想起されるでしょう。
ところで酒井黙禅の『子規忌過ぎ一遍忌過ぎ月は秋』なる句碑が境内にありますが、黙禅師は昭和初期の愛媛県下のホトトギス派の重鎮です。東大俳句会出身者を虚子が郷里松山に送り込んだ由ですが、寶厳寺で静雲師との出会いがあったのでしょうか。