第十九段 (2003.02.02) 寶厳寺建立は665年に斉明天皇とも天智天皇によってとあるが?とのお問い合わせがありしこと。

2月に公表された「お寺ねっと」での寶厳寺の記載とHPの説明とのミスマッチの御質問かと存じます。鋭い指摘もさることながら間髪を容れぬ問い合わせに驚いています。

斉明天皇は新羅征伐の為筑紫の朝倉宮で崩御されたのが661年です。寶厳寺建立はその後数年して天智天皇の代に実現しました。ところで斉明天皇と寶厳寺のかかわりに触れる前に「お寺ねっと」の説明を再度点検しておきます。斉明天皇の勅願寺であって斉明天皇が建立したとは説明はしておりません。

豊国山 遍照院 寶厳寺− 愛媛県松山市。 当寺は斉明天皇勅願、空海入住、のち天台宗の遍照院、延応元年宗祖一遍(松壽丸)生誕地である。奥谷道場とも云う。江戸時代まで門前に末寺十二院があり、道後温泉本湯とともに繁盛した。本堂右壇には国重要文化財「一遍上人木像」左壇には河野通信、通広、通俊の位牌を安置。俳都に相応しく子規の「色里や十歩はなれて秋の風」黙禅の「子規忌過ぎ一遍忌過ぎ月は秋」ほか一遍に因んだ歌碑、句碑も多い。(お寺ねっと説明文)

寺誌によると、斉明帝が新羅征伐時、後の天智・天武の二人の皇子をつれ熟田津の石湯(道後温泉)に寄られた時、寺の裏に在る金剛滝で祈願された。この縁で天智天皇が越智守興に命じて寶厳寺を建立しました。「熟田津に舟乗りせむと月待てば潮もかなひぬいまはこぎ出でな」を詠んだ万葉の佳人額田女王も一緒だったことは御存知でしょう。斉明天皇にも天智天皇にもご縁の深いお寺であると御理解いただければ結構です。