6月度 講演要旨(黒田 仁朗 氏 「伊予松山から羽ばたいた才能たち」
テーマ■伊予からはばたいた才能たち/クリエーションについて 【通念の破壊と再構築→クリエーション】
【第一章】伊予出身の才能たち
子規記念博物館は一昨年からコラムニストの天野祐害さんを館長としてお迎えし、いろいろ面白い試みをなさっていますね。道後寄席とか盛況ですよね。
6月3日には、博物館で働く女の子の制服を一新。森英恵さんがデザインした絣の制服。もうご真になりましたか?なかなかシックで、松山らしいモダンさがありますよ。
 同日にお披露目したのですが、子規記念博物館の常設展示の出口10bほどの場所を改装する仕事を企画から、原瑞、デザインまでスタッフとしてさせていただきまして、大変勉強になりました。
 このコーナーは直接子規とは関わりのないけれど、伊予人の底力が伝わるような構成でいこうという天野館長の方針で、近世から近・現代にかけて活躍した愛媛出身の人々の中から、特に9ジャンル11人を絞り込み、代表作や活躍している映像をメーンに紹介したものです。
※人物は次の通り
(1)栗田樗堂【俳諧】小林一茶とも親交を結び、江戸時代の俳諧の名人録にも紹介された俳人
(2)三輪田米山【書道】現代書道の先駆者として再注目される書家。
(3)下村為山【絵画】近代絵画に一石を投じた画家で子規の句友。
(4)秋山好古・真之【陸軍大将・海軍中将】坂の上の雲の主人公
(5)杉浦非水【デザイン】商業デザインの第一人者
(6)井上正夫【演劇】新派俳優の第一人者
(7)高畠華宵【イラストレーション】大正ロマンを象徴する挿絵画家
(8)伊丹万作【映画】日本映画の黄金時代を築いた映画監督・シナリオライター
(9)景浦将千葉茂【野球】プロ野球の創設期、黄金期を支えた野球選手
【第2章】自分の言葉で語ろうよ
●こういうことは、改めて調べてみるとピックリすることばかりなのですが、明治の終わり頃から戦前にかけて伊予出身者の活躍は、すごいですね。演劇、映画、広告、野球‥‥、いわゆる大正ロマンという言葉に象徴されるモダニズムの第一人者たちが、こんなにも同時期に伊予からはばたいているのは、圧巻です。
 江戸時代から明治になって、国民に広く教育が普及し、欧米文化の影響を当初は模倣することから始まるのですが、やがて(借り物ではなく)日本人の感覚にピッタリと合った大衆文化として爆発的に普及したのがモタニズムではないかと思うのです。大きな歴史の流れの中でも特筆すべき、文化の曲がり角、もっとおおげさにいうと、人の心の曲がり角にあたる時期ではなかったかと患います。が、そのリーダーというか開拓者として、伊予の人は、ずいぶんがんばったんですね。子規まその先覚者たちの親玉として流れゆく先を見極め、叫んだ人といえるでしよう。
 天野祐吉館長が力を込めておっしやつていました.「これからは、一遍さんの時代ですよ。『捨ててこそ』という一遍さんの考え方が21世紀に必要なんです」と。
ただし、現代は一遍さんの時代と違って、捨てても分解されないものもたくさんありますからね。有害な化学物質〈環境ホルモン〉ですよ。あれを何とかしないといけない。21世紀は環境の世紀といわれていますが、世界でも注目される環境ホルモンの研究チームがこの愛竣にあるというのも、時代の曲がり角に忽然と現れる伊予の縁なのかもしれません。
【第3章】時代の曲がり角に現われる伊予の人
●時代の曲がり角に来ると、普段おとなしい伊予の人たちが頭角を現し、「次の時代はこっちだよJと流れを呼び込んでいく・・・・ということが、どうもあるような気がしてならないのですが、中世における一遍上人の出現もそうですよね.こ恩と奉公を絆とした土地保証制度が崩壊しかけたところに、世界帝国元から圧力がかかり、国そのものがなくなってしまうかもしれないという恐怖が世の中を戦慄させるんですよね.
 お父さんやおじいさんや近所の大人たちの言うたとおりにやってれば、およそ世の中というものは渡ってゆけるとしたものですが、革命期というのはそれが通用しないからやっかいです.世代を問わす新しい哲学を探し、獲得していかなければならない・・・。幕末がそうでしたし、終戦後もそうでしたし、現在もまたそういう時代なんじやないかなと思います.中世においては一遍上人が現れて、全部捨ててしまいなさいといいました。
天野祐吉館長が力を込めておっしやつていました.「これからは、一遍さんの時代ですよ。『捨ててこそ』という一遍さんの考え方が21世紀に必要なんです」と。
ただし、現代は一遍さんの時代と違って、捨てても分解されないものもたくさんありますからね。有害な化学物質〈環境ホルモン〉ですよ。あれを何とかしないといけない。21世紀は環境の世紀といわれていますが、世界でも注目される環境ホルモンの研究チームがこの愛竣にあるというのも、時代の曲がり角に忽然と現れる伊予の縁なのかもしれません。
【第4章】THE NAMU BEAT!!
●天野祐吉館長は、芸能史という点で念仏踊りのすばらしさについても語ってらっしゃいました.「あの官能的なダンスが、出雲阿国に継承され、歌舞伎に結実していくんです」と。そういえば、足助威男さんがお元気だったころ、「黒田くん、いつか僕をディスコに連れてってくれよ。僕ぁねえ、あれが一遍さんの念仏踊りだと思うんで、この目で確かめてみたいんだよ」と言ってたことを思い出します。「一遍上人絵巻」に描かれた念仏踊りをする善男善女の姿というのは、激しいですよね。
あれだけの激しさに到達するには、かなりど−トの効いた音楽があったと思うのですが、どんな薬草を使ってたんだるう?看い女の人が思わす足をですね、バツとあげちやうんですからね。 ツービートとかフオービートとか・・・ロックに近かったんじやない−かなあ.絵巻に楽器を演奏する人々は描かれててないのでしょうか?
僕の友人に藤田晴彦という音楽フロデューサーがいて、毎週日曜日の深夜には一緒にラジオ番組もやらせてもらっているのですが、彼がつねづね言ってますね。
「祭りのノリの善し悪しを決めるのはビートや!!」と。彼は今から15年くらい前の学生時代に当時国内で最も有名なポップスコンクールで優勝して、フロデビューし、現在は故郷愛媛でラジオのパーソナリティーなどをしているのですが、いすれ、彼と21世紀の念仏踊りをつくって、流行らせてみたいなあと思ったりしています。
「THE NANU B∈AT」とか「THE NAMU DANCE」とでも名付けて、やってみたいですね.音楽はパツと広がっちやいますから・・・・・・.むすかしい漢字がいっぱいある文章よりも直接核心をついたりできますからね.中世の人々がそうであったように、みんなで一遍さんの精神を共有することができるイベントができたら、楽しいでしょうね.