松山キリスト福音集会

聖書は語る




「私たちが、神を愛したのではなく、神が私たちを愛し私たちの罪のために、
なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
                               (ヨハネ第一の手紙 4:10)

人間は、神を人格的に知り、交わることができ、愛することができる被造物として創造されました。
しかしながら、人間は、せっかく与えられた自由意志をもって、神を無視し、神に逆らい、
罪を犯し続けてきました。
ところが、そんな人間をも、神は愛しておられることを、神は示そうとされました。
そのために遣わされたのが、神の御子、イエス・キリストでした。
イエス様は、私たちの罪をすべて、負ってくださいました。
その上で、自ら十字架にかかって、祈られました。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

実に、イエス様は、私たちの罪をすべて、負ってくださいました。
私たちに代わって、罪の裁きを受けてくださいました。
それは、その死の力を打ち破ることができる唯一のお方だったからです。
イエス様を救い主と信じる者に、永遠のいのちを与えるためでした。

そのことを、ヨハネの福音書3:16で
「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。」
と伝えています。

聖書は、このイエス・キリストについて、書き記されている書です。

「わたしは初めであり、終わりです」とも、イエス様は御自身のことを言い表わされました。
知ればしるほど、イエス様のすばらしさがわかります。