松山キリスト福音集会

序章





「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
                       (マタイの福音書11:28〜29)
人が疲れている時、苦しい時、何によって癒されるでしょうか。
それは、真の優しさに触れる時です。
真の優しさは、ある意味で、真の強さの裏返しとも言えます。
また、深い愛の心から出て来るとも言えます。
打算や、見返りを期待する思いが、少しでも含まれていると、
もはや、真の優しさとはなり得ません
無償の愛、場合によっては、犠牲になることも厭わない愛に裏付けられていて、
初めて示し得る優しさです。
身近なところでは、母の愛や、その温かさに見られることがあるかもしれません。
しかし、常に不完全さがつきまといます。

ところが、イエス・キリストが,「わたしは心優しく、へりくだっている」と言われた時、
それは、本当にその通りであったことを知らされます。
イエス様は、侮られている人々、見下げられている人々と席を同じくされ、
食事を共にされ、交わられ、神の愛を豊かに示されました。
しかもイエス様は、真に力あるお方でした。
「盲人が見、足なえが歩き、耳の聞こえない人が聞こえるようにされ、死人が生き返り、
貧しい者には福音が宣べ伝えられている」と、
御自身がなさっていることを、言い表わされました。
どのわざも、不可能なこと、神でないとできないことばかりです。
イエス様が語られた御言葉は、恵みに満ちていたばかりでなく、権威がありました。
文字通り、風や波を一言で鎮められたこともありました。
イエス様は、天地万物を創造された神の御子であられたからです。
そのイエス様が、私やあなたを愛して下さったのです。

「神は愛である」と、聖書に記されています。