キリストとは

                                                       





 
 キリストのすばらしさ

聖書では、イエス・キリストとは、いかなるお方であられると、記しているのでしょうか。


「御子(人の姿をもってこの地上に来られた、神のひとり子イエス様)は、(父なる)神の栄光の耀き、

また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。

また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座につかれました。」

                                     (ヘブライ人への手紙 1:3)  

「神の本質」とは、何でしょうか?

全知全能のお方、永遠のお方、無限のお方、完全な正義を実行されるお方、愛と恵みに満ちたお方、

等々、いろんな御性質が挙げられますが、イエス様についての記録書とも言うべき、四つの福音書を

通して知らされるのは、イエス様のこの地上における御生涯が、正にそのような神の本質を目に見える

形で示されたものであったということです。

例えば、イエス様は、すべてのことを知り尽くしておられただけでなく、それに対する完全な備えもされて

いました。御自身の身に起きることを、次のように明言されていました。


「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は祭司長、律法学者たちに

引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして異邦人に引き渡します。すると彼らは、

あざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。 しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」

このことを告げられたイエス様の弟子たちは、この時、全く理解できませんでした。


そんな弟子たちは、後にはイエス様を見捨てて、逃げ去って行き、

ペテロについては、三度もイエス様のことを「知らない」と言うと、

本人が全く予想もできず、自覚もしていない時に、そのことを予告されたのでした。

ところが、そんなペテロに対し、

「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」と言われ、

イエス様を否認した後の、ペテロの心の痛みをも知られた上で、立ち直るよう祈っておられたことも、

予め示しておられました。


さらに12弟子のひとりイスカリオテのユダが、イエス様を裏切ることを知っておられたにもかかわらず、

他の弟子たちと分け隔てなく接しられ、それが実行される直前に、そのユダの足をもほかの弟子たちの

足と同じように洗ってやられ、その後、手ぬぐいで拭いてやられたのでした。  


さらに、イエス様の予告通り、イエス様が十字架につけられた時、イエス様に「つばきをかけ、

むち打った」人々のために祈られました。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。

このイエス様を見て、一緒に十字架につけられていた犯罪人のひとりが、イエス様に願ったのでした。

「イエス様。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」

それに対して、イエス様は彼に言われました。

「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」


やがて太陽も光を失い、全地が暗くなって、3時間が過ぎると、イエス様は大声で叫んで、

「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と言って息を引き取られ、墓に葬られたのでした。

そして、週の初めの日の明け方、イエス様の予告通り、よみがえられ、

多くの人々に復活された御姿を表わされ、40日目に人々の見ている真ん前で、

天に昇っていかれました。


現在も天において、イエス様を救い主として信じる人々のために、

イエス様はとりなしをしておられます。

福音書には、イエス様がなされたみわざ、語られたみことばが記されていますが、
そのどれもが、神の権威に満ちていることに、驚嘆させられます。

正にイエス様は、天地万物を創造された神の御子であられました。

このお方のことを、さらに知ろうではありませんか。