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かずまるの自己主張(2002.02〜2002.07)

 
かずまるのサッカー
今年のW杯のヒーロー稲本選手は、名門○○幼稚園卒園であったというが、現在かずまるも幼稚園で適当にサッカーをしている。今日は夏休み中の参観日であった。その様子を妻がDVCに撮影していた。かずまるは適当に走っていたようであったが、2ゴールを決めたのであった。(2002.07.29)

まさかの時の味方
義兄一家が横浜市から帰省してきたので、ここはやはり松山の風物である(値下げ前の)坊っちゃん列車に乗せようということになったが、台風が接近している。仕方がないので、HPで天気予報のサイトをいろいろと探していたら、「台風情報リンク集」というサイトを見つけた。いろいろな台風情報に関するサイトを見ることができるのだが、やはり、公表できるのは気象台の発表したデータなのかね変わり映えがなしない。その点、ケーブルテレビの天気チャンネルは、自分勝手に予報するので、面白いやら、迷惑するやら。さて、その「台風情報リンク集」に「まさかの時の味方」というところがある。災害時の何かのサイトかと思ってクリックすると、「ローン会社」のサイトに飛ぶ。なんでやねーん。しかも、リンク集の「○○情報」とずらっと並んだサイトの中のあちこちに「まさかの時の味方」という欄が混じって並んでいる。これは笑える。(2002.07.25)

181系ヘッドマークのオークション
6月15〜16日に運転された「懐かしの181系」シリーズ。ヘッドマークのオークションは「南風」が23万円、「しおかぜ」が28万円で落札されたといういう。さて、昼の段階では南風の落札価格しか知らなかったので、坊っちゃん列車クルーに「23万円出すのなら、坊っちゃん列車に230回乗る」と言ったら、クルーは「ありがとうございます」とおっしゃった。(2002.06.16)

ブタもおだてりゃ木に登る。でも自慢させて
私は工学部出身である。したがって、学生時代はコンピュータ言語の「フォートラン」を習得しなければならなかったことになっている。さて、職場の前の部所では、給料とか各種調査資料の電算処理をする仕事をしていたが、これが「コボル」言語であった。「コボル」では対数計算ができない。したがって一度「フォートラン」との組み合わせで計算させることのできる、わが職場では希少価値の人物であった。現在は私の自作のエクセルVBAでのプログラミングが職場の出張旅費データなどで動いている。えっへん。と言っていたら、別の部所の人に言われた。「HTML」もやっているではないか。おおっ。このホームページは過去の遺物といわれる「フロントページエクスプレス2」を使っているが、めんどくさいときは直接メモ帳で「HTML」を直している。私は外国語はさっぱりだが、コンピュータ言語はいくつかできるのだ。と、そんなに誉めてもらうと、木に登ってしまうではないか。ぶーぶー。(2002.06.08)

なんでやねん
「はやて」に決定した東北新幹線八戸延伸の愛称。公募では1位「みちのく」、2位「うみねこ」、3位「はつかり」で「はやて」は19位だという。最多投票でもなんでもなく、JRが勝手に決めたとしかいいようがない。あらかじめ決定していたのか?まあ、実際には選考委員会で、公募で上位にランクされた愛称名から決定されるということは、私が旅の師と言う「宮脇俊三」氏が自ら委員をしていて、彼の書の中で言っていた。それなら、「はやて」は、さぞ予定外に得票が少なかったのであろう。新幹線「こだま」号ですら10位であった。(2002.05.15)

なんだか馴染めない
東北新幹線盛岡〜八戸間が今年12月1日開通に決定した。また、東京〜八戸間開通に合わせて、従来の「やまびこ」「なすの」に加えて、新名称の募集が行われていたが、「はやて」が有力だそうだ。この「はやて」という文字。昔の月光仮面で「はやてのように現れて、はやてのように去ってゆく・・・」で象徴されるように、速さを表すということで、青森県から東京までのスピードアップへの期待感が伺える。しかし、この「はやて」だが、実は東海道新幹線開通時の公募ででも上位にランクされていた。しかし、この「はやて」を漢字で書くと「疾風」となるが、「疾」という文字が、「疫」つまり疫病に似ていることと、「疾風」の文字そのものに「疫痢(えきり)=大辞林から引用」の意味があるため、イメージが悪いということで取り下げとなった経緯がある。結局そのときは「ひかり」「こだま」に決定したはずである。ただ、東京〜札幌間寝台特急が「北斗星」と決定されたときに、当初は違和感を感じたが、これもまた北海道住民側からの決定であった。北国に住む方々の考えもいろいろとあるだろうからとやかく言うつもりはない。ともかく、瀬戸大橋を批判し続けることができるだけの実績を積み上げてほしいと願う次第である。(2002.05.11、2002.05.13加筆)

貧乏者の懇親会
隣のY君は現在非常に金欠らしい。現在小遣いが500円だという。にもかかわらず、飲みには行きたいらしい。そこで、私が彼にとっておきの懇親会を提案した。場所はJR松山駅。駅のコンビニで、つまみとビールを買って、待合室で飲めば、500円コースも夢ではない。と彼に提案したのだが、どうも彼のプライドが許さなかったらしい。(2002.05.07)

GW後半の天気予報の正体
ごらんのとおりです。当日の2日前から6時間ごとに、以下のとおりコロコロと変わってきている。これで天気予報といえるのだろうか。したがって、土曜日の坊っちゃん列車の切符を買えない理由、つまり土曜日の坊っちゃん列車が予約最終日の木曜日までに買えない理由がお分かりいただけると思う。2日前の夕方から、コロコロと天気が変わるのでは信用できないので、切符が買えないのである。週間天気予報については、当たる確率を同時に示すと言っていたが、その後どうなったのだろうか。(2002.05.06)

発  表   5月3日(金)   5月4日(土)   5月5日(日)   5月6日(月)  
4/30 5時 晴時々曇/20   曇/40   曇/40   未発表  
4/30 11時 晴時々曇/20 曇/40 曇一時雨/50 × 未発表
4/30 17時 晴時々曇/20 曇/40 曇一時雨/50 未発表
5/1 5時 晴時々曇/20 曇/40 曇一時雨/50 曇時々晴/30
5/1 11時 曇時々晴/30 × 曇時々晴/30 × 曇/40 × 曇時々晴/30
5/1 17時 曇時々晴/30 曇時々晴/30 曇/40 曇時々晴/30
5/2 5時 曇時々晴/30 曇時々晴/30 曇/40 曇時々晴/30
5/2 11時 曇時々雨/70 × 曇時々雨/70 × 曇時々晴/30 × 曇時々晴/30
5/2 17時 曇時々雨/70 曇時々雨/70 曇時々晴/30 曇時々晴/30
5/3 5時 曇後雨/70 × 曇時々雨/70 曇時々晴/30 曇時々晴/30
5/3 11時 曇後雨/70 曇時々雨/60 × 曇時々晴/30 曇時々晴/30
5/2 17時 曇後雨/50 × 曇時々雨/60 曇時々晴/30 曇時々晴/30
5/3 5時 曇/20 × 曇時々雨/60 曇時々晴/30 曇時々晴/30
5/3 11時 曇/30 × 曇時々雨/50 × 曇時々晴/20 × 曇時々晴/30
5/3 17時 曇後雨/50 × 曇時々雨/70 × 曇時々晴/20 曇時々晴/30
5/4 5時   曇後雨/60 × 曇/20 × 曇時々晴/30
5/4 17時   雨後曇/60 × 曇時々晴/20 × 曇時々晴/30
5/5 5時     晴/0 × 晴後曇/30 ×
5/5 11時     晴/0 晴後曇/30
5/5 17時     晴/0 晴後雨/50 ×
5/6 5時       曇時々晴/40 ×
5/6 11時       曇/40 ×
実際   晴後曇 × 曇後雨 × 曇時々雨 ×

かずまるの呪文3
かずまるは最近「諺」が好きである。先日も旅行先でしりとりして「安物買いの銭失い」と親の立場を危うくされた。ところで、この言葉案外的を得ている場合がある。例えば、坊っちゃん列車が松山市駅で転換作業しているときに、「念に念をいれ」とか「転ばぬ先の杖」とか言う。おいおい。(2002.05.03)

四半世紀たてば・・・
現在、CATVのアニマックスで「サイボーグ009」を放映している。その原点は四半世紀どころではなく、週間漫画(確か少年キング)連載開始は昭和39年という。また、最初の映画では「003」ことフランソーズ・アルヌールの声をジュディ・オングがやっていたっけ。私が全ての漫画本をそろえたのがちょうど25年前の中学校2年生の時の昭和51年頃。その時の9巻から開始した「天使編」は、ついに石ノ森章太郎氏は構想で終えてしまった。今、その息子さんが再現しようとしているという。多分、ストーリーもその時間も壮大なものとなるであろう。さて、その後昭和54年頃に、もう一度アニメ放映していた。そして、23年の時を経て今回の放映。時代の流れとはいえ、キャラクターのしゃべり方が現代の言葉であることにアンバランスを感じてしまう。特に「003」フランソーズ・アルヌールの声が、あまりに乗りが良すぎていただけない。まあ、新しい世代の者にターゲットをあてるのであれば、それもやむをえないが、我々40歳前後以上の者を無視できない漫画であったはずだ、と思うのだが。(2002.05.01)

よく見れば
機関車の場合、ディーゼル機関車は「D」、電気機関車は「E」、蒸気機関車はなにもつかず、その次に動輪の組数が1組から順に「A」「B」「C」・・・とつけられる。例として、「DE10」とはディーゼルで動輪が5組、「EF65」とは電気機関車で動輪が6組、かの有名な「デゴイチ」こと「D51」は蒸気機関車で動輪が4組である。ちなみに、現在松山市内で走っている坊っちゃん列車は「D1」型だが、動輪が2組だから、旧国鉄の名称に当てはめれば、蒸気機関車ならば「B1」、まあ、ディーゼルとすれば「DB1」となるべきである。さて、「機関車トーマス」を見ていてふと気が付いた。「トーマス」といえば「小さくても大きなことができる。」がキャッチフレーズだが、よく見ると動輪が3組ある。「パーシー」とか「レディ」とかは2組であるから、決して小さくはない。この世界で最大の「ゴードン」でも動輪は3軸であるから「C型」ロコである。ただし、「トーマス」が動輪=車軸の3組に対して、「ゴードン」は動輪3組の車軸は9組であるから、確かに大きさは全然違う。(2002.04.29)

しりとり
最近、かずまるは「しりとり」にはまっている。で、今日、旅行先の伊野町の博物館で妻を待つ間、しりとりをしていて、「や」を私が「やや!」と言ったら、かずまるは「安物買いの銭失い」と言った。うーむ、父親の威厳がないではないか。(2002.04.28)

地方公共団体における地域エゴについて
山形新聞を見ていると、山形県知事が山形新幹線庄内延長を250億円程度で建設することを強調していた。以前は確か、県単独事業ででもやると言っていた。それはそれで結構なのだが、先日は山形空港の東京便に固執していて、我々から言わせてもらえば、特に東京〜山形航空便について、県にお金あるの?と言いたいところがある。で、逆の話。東奥日報を読むと、瀬戸内海の3大橋は批判の的となっている。yahooのY!ニュース中「整備新幹線」の01年8月23日東奥日報社説にあるから、一度読んでみるとよい。彼らの四国に対する考え方がよく解る。さて、以前旅先で青森県の人と話していて、「青森県人の最も嫌いな県が愛媛県」なのだそうだ。その根底には昭和44年夏の甲子園決勝の松山商−三沢延長18回引き分け再試合で松山商が優勝したことにあるらしい。彼によると、そんなこんなで「一度愛媛県がどのようなところか見てみたい」と言っていたが、それだけ遠いということなのだろう。試合から33年、彼と話してから17年、結構根強いものがあるように思えてならない。(2002.04.21)

歌に見る光と影
最近かずまるは「機関車トーマス・消えた機関車」にはまっている。かずまるの場合、坊っちゃん列車の存在よりも「機関車トーマス」の方が新しい。さて、その物語の中で悪役「ディーゼル10」が「線路は続くよ、どーこまでも、って、どこまでも続いてたまるかってんだい」というせりふがある。この意味であるが、我々日本人はこの歌は線路がどこまでも続いて、楽しいな。いや、欧米の歌だからもっと雄大なのだろう、と思う。しかし、この歌は元は、労働歌なのである、となると話は変わってくる。そういえば、この歌、途中で「ラララ・・・」と続いて、歌が途切れない。要するに、労働中寝させないために、労働者に歌わせながら線路を伸ばしていったのである。日本にも似たような歌がある。「ソーラン節」がそうである。やはり、途中でお囃子が入って途切れない。眠ったら最後、作業終了後何人かの死体が見つかったという話も聞く。歌うことは楽しいが、結構恨みのある歌って多いものである。(2002.04.14)

坊っちゃん列車探検隊の話題
今日松山駅で「坊っちゃん列車探検」のイベント情報が張られていました。5月26日(日)午前9時30分に三津浜駅集合梅津寺→(電車)→松山市駅→(徒歩)→歩行町→(徒歩)→道後温泉→松山駅で14時解散。参加費は保険料100円ですが、交通費及び昼食は個人持ちとなっています。お、掲載に間違いがあれば、その都度掲載します。梅津寺へ何しに行くかは、もう常識でしょうが、松山市駅では伊予鉄本社前と子規堂へ行くのでしょう。歩行町というのは、米山工場製の坊っちゃん列車を見て、旧路線の道路を歩くのでしょうか。ただ、松山市駅→道後温泉間徒歩というのは、かずまるにとっては結構きついなあと思います。(2002.04.13掲示板から再掲)

松山空港での疑問
松山空港は、屋上のデッキに向かって飛行機が停止する。で、当然、しゃもじのようなバドルで手を振るマーシャラーを見ることができる。このしゃもじをみて、かずまるは、彼のことを「おじゃるまる」と呼んでいる。さて、このマーシャラー、全日本空輸とその他(日本エアシステムと日本航空)では明らかに動作が違う。どう違うかといえば、飛行機が停止線に入ったときに目の高さで下向きに「×」の合図を送る。その時に全日本空輸ではすぐさま車止めをして、しゃもじを下におろしてエンジンが停止する。しかし、日本航空等では、「×」の合図後にエンジンが停止して、車止めをする。この差は何?(2002.04.07)

坊っちゃん列車2号機への動き・・・「愛媛の鉄の紹介・坊っちゃん列車大研究」の欄へ移動しました。(2002.04.07)

昭和の時代の伊予鉄道
年度末で職場の席が変わるので、整理していたら、昭和63年9月1日改正の伊予鉄道の運賃表がでてきた。なんと、市内バスが@BD〜GIJと存在するではないか。運転本数がわからないからなんともいえないが、各番線は次のとおりである。
@:松山駅〜久米駅線:JR松山駅〜(→三番町経由、←千舟経由)〜松山市駅〜大街道口〜新立〜枝松〜久米駅
B:市駅〜鴨川線:松山市駅〜大街道〜護国神社前〜本町6〜鴨川団地前(2001年4月廃止)
D:味生〜道後温泉線:道後温泉駅前〜湯渡町〜一番町1〜(→二番町経由市役所前、←三番町経由県松山地方局前)〜松山市駅〜(→南堀端経由、←三番町6経由)〜松山駅前〜朝美2〜津田団地前
E道後温泉〜三津港線:道後温泉駅前〜祝谷〜(県民文化会館前経由または護国神社前経由)〜西一万〜大街道〜松山市駅〜コミセン前〜松山駅前〜大手町〜味酒町2〜古町駅前〜本町〜本町6〜中央通2〜聖陵高校前〜松江橋〜三本柳〜朝日橋〜三津2〜三津港
F:津田団地〜ファミリー温泉線:津田団地〜朝美2〜松山駅前〜(→三番町経由、左千舟町経由、ただし双方とも松山市駅経由)〜松商前〜一番町1〜湯渡町〜短大前〜久米駅前
G:東野線:(現在も運行中)松山駅前〜松山市駅〜東野〜道後温泉駅前
I:津田団地〜短大前経由〜森松線:(津田団地〜短大前〜久米駅前は現在も運行中)津田団地〜朝美2〜松山駅前〜(→三番町経由、左千舟町経由)〜松山市駅〜大街道〜一番町1〜湯渡町〜短大前〜久米駅前〜高井〜森松
J:津田団地〜東野経由〜森松線:津田団地〜朝美2〜松山駅前〜(→三番町経由、←千舟町経由)〜松山市駅〜大街道〜一番町1〜湯渡町〜東野〜久米駅前〜高井〜森松
このうち、Jについては、昭和60年頃で1時間に1本運行されていたのを記憶している以外は記憶にない。昭和63年頃など、宮田町に住んでいたにもかかわらず、味酒町にバス停があったことさえ、二番町、三番町などのバス停も覚えていない。しかし、結構繁盛に走っていたものだなあ、と思う。他にも、五十崎準急線、佐礼谷(中山町)、大栄(双海町)なども松山からの直通便があった。川内線なども松山駅前から発車しており、贅沢な時代だったのか、時代に乗り遅れた時代だったのか。
現在の東西循環線や千舟コミュータなどは、この時代の廃止路線のリリースだったのだなあ、というのがよく解る。あの時代にとは言わないが、公共交通機関復権のために、利用者も再考すべき時だと思う。(2002.03.30)

瀬戸の花嫁
かずまるは時々「瀬戸の花嫁」唄う。ただし、インストルメンタルである。かずまるの同級生の親でも知らない者がいるのでは?とも思う。ただし、かずまるの場合は、「ペポン、ペポン、まもなく、1番乗場に列車が入ります。危険ですから白線の内側にお下がりください。」と言ってから、「あなたーの島へ・・・」と言うところから唄いはじめる。と隣のY君に言ったら、「やっぱり、(鉄)そうくるか!」と言われた。(2002.03.30)

ここで問題です。
予讃線アンパンマン列車11両のうち、絶対に松山〜宇和島間を走らない車両はどれでしょうか。答えは「ロールパンナ号」これだけ2150番台だから、必ず付属編成の7号車に入ることになる。(他の編成の1号車に入らない限り。)他の2100番台4両「しょくぱんまん、メロンパンナ、カレーバンマン、クリームパンダ」はローテーション組んでいる。残る6両は論外。4月から隣のM先輩が宇和島転勤で松山から長距離通勤することになって、「毎日アンパンマン列車に乗れる」と言ったので、「ロールパンナ号」だけは乗れないと話したら、思いっきり馬鹿にされた。(2002.03.23)

10000番ゲッターへ。
昨年8月19日以降のアクセスカウンターが、3月15日就寝現在8065を数えている。リトルダンサーの松山上陸をフォーカスして以来、アクセスが増加しているのはありがたいことである。ちょっと早いが、このままの状態が続けば、4月中旬には10000件を突破しそうである。そこで、日頃の感謝をこめて、10000番ゲッターには、なにかプレゼントを考えている。景品は、私の懐を考慮して1000円程度のオレンジカードを考えている。財源はもちろん坊っちゃん列車基金。自己申告制で10000番ゲッターに掲示板に書き込んでもらう。万一申告がなかったり、アップロード作業で私自身がゲッターになった場合は、前後10番くらいの自己申告者で抽選を行うというのはどうだろうか。いずれにせよ、詳細は9000件を超えた段階で発表します。(2002.03.10、2002.03.16加筆)

松山で言えば・・・
わらべ歌「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ、熊本どこさ、船場さ、船場山には狸がおってさ・・・」この船場だが、場所的には現在の熊本城の南側300メートル付近にある。山というよりは、川の近くだ。町の中心からそうは離れていないとは思っていたが、あまりにも街中すぎて以外だった。ちなみに、検索サイトで「船場」と入力すれば、詳細がわかると思う。山というよりは小さな丘があったのかもしれない。松山で言えば、松山市駅の南側付近である。そう言えば、伊予鉄道開業当時の地図を見ていると、現在の大街道から勝山町にかけては完全に人家が途切れており、線路は畑の中を走っている。いずれにしても時代を感じる。(2002.03.02)

[No.154で取り上げた「軌道線電車がハイテクからローテクに逆戻り」という件について](Shi-Mamutaさんからの掲示板からの転載)
 
1950年代前半鉄道線車両の進化とほぼ時を同じくして、軌道線の世界にも新技術の波が一気に押し寄せました。最も大きな動きを見せたのは大阪市電(当時)で、全国に先駆けてカルダン駆動の高性能試作車3000号を投入、その実績をもとに量産車3001形50両をデビューさせました。それを追うように、神戸市電(当時)は1150形、広島電鉄は550形(551号・現存)、そして土佐電鉄も200形の車体に当時最新の走り装置を組み合わせた500形(501号・現存)を投入します。
 鉄道線同様、輸送の高効率化に寄与すると見られていたこれらの高性能車ですが、成功といえる結果を残したのは大阪だけ。他の各都市では2軸車などに足を引っ張られて本来の性能を発揮できなかった上、併用軌道上で細かなスピード調節ができない、保守点検が困難等の理由で運用現場から嫌われてしまい、折角の高性能車も結局従来の直接制御・釣掛駆動に改造されてしまいます。そして、唯一成果を上げた3001形も、1960年10月6日に発生した「10時間渋滞」の原因として大阪市民の怒りの種にされてしまい、それから9年後の市電全面廃止によってその活躍に終止符を打ったのです。
 広島・長崎の両都市に電機子チョッパ制御の軽快電車が投入されたのは1980年、大阪市電廃止から11年後のこと。これでようやく「バック・トゥ・ザ・ローテク」状態から開放された訳ですが、この出来事がなければ今の軌道線に未来はなかったかもしれませんね。(2002.02.11)

それは何か違うのでは。
これは、妻の話。姉の長男、つまり甥が5歳のときに「アンパンマン」を見ていて、「アンパーンチ」とアンパンマンに投げ飛ばされたバイキンマンが、飛ばされながら「覚えてろー」というシーンがあった。で、「アンパーンチ、覚えてろー」と何度も言った後、「覚えてろってなんやろ?」と言って、がくっときたことがある。で、その時の妻は冷静に「それはね、忘れないでね、覚えていてね、という意味よ。」と答えて、姉、つまり私の義姉に怒られたらしい。(2002.02.03)

ワンコイン循環バスに県補助
ワンコイン循環バスの路線設定について、どうしても気になることがある。久米駅からの路線について、核となる駅と病院、公共施設を結ぶのであれば、久米駅〜来住町〜工業技術センター〜鷹ノ子病院(鷹ノ子駅)〜久米駅でループさせても時間的に問題なさそうだし、より利便性が高まると思う。鷹ノ子病院は鷹ノ子駅至近距離だからというのであれば、松山生協病院をターゲットにするとか。松山市駅の路線については実は過去に廃止された市内線をリリースしたらしいことから、ひょっとして、過去に認可された路線でないと認可されにくい?いや、それなら南環状線等の東南ループのこともあるし。ま、なにかあったのでしょうが、疑問です。(2001.09.16)

9月11日に補正予算案を発表した中の資料、つまり愛媛県のホームページ中にワンコイン循環バスの経路が記載されていたことを忘れていました。(誰かつっこんでくれー)その経路と言うのは、@松山市駅からの路線は松山市駅〜味酒町〜宮西町〜JR松山駅〜松山市駅〜千舟町〜二番町〜中央郵便局〜松山市駅で運行時間帯:07:00〜20:00(15分間隔)、A久米駅からの路線は久米駅〜来住町〜リハビリ病院〜来住町〜久米駅で運行時間帯:07:00〜21:00(30分間隔)というものです。松山市駅からの路線は松山市駅ーJR松山駅間に7分かかることを考えると、ひょっとして2台のバスで回す必要があるのではと考えます。ならば、はて?バスの台数は合うのだろうか。(2001.09.15)

ワンコイン循環バスの実施時期について、よく考えると愛媛県の9月定例県議会の閉会が10月9日ということは、最終日に可決されるまで、実施はできないと解釈される。10月9日の議決後に運賃改定等の記者発表をする場合、伊予鉄道のイベントの時期から見て、改定が時期を失していると思う。それまでに改定して2段改定を行うということもありえるのだろうか。(2001.09.13)

県は9月11日に補正予算案を発表した。その中で交通需要マネージメント実証実験実施費用として896万円を計上している。12日の愛媛新聞の記事では、実証実験は10月中旬から1年間伊予鉄道久米駅と松山市駅を起点に、既存路線のない2ルートにワンコイン(100円)循環バスを運行するとある。これで、先日からループバスの情報についてはいろいろ記載したところだが、これである程度先が見えてきた。
@伊予鉄道が新たに購入した「ループバス」の表記のあるバス5台。残り2台は新たな2ルートに投入されるのは間違いない。A実施時期10月中旬というのは、10日伊予鉄デパートグランドオープン、12日坊っちゃん列車運転開始、13日の坊っちゃん列車の一般乗車開始のいずれかではなかろうか。B路線について、久米駅については解りやすい。多分4月に廃止された路線のリリース、久米ー来住団地ー工業技術センターー水泥団地ー久米あたりが予想される。松山市駅の場合はどこがあるだろう。既存路線がないのは石井町方面が考えられるが、東南ループとのからみでルートが考えにくいが、さあどうか。(2001.09.12)(以上2002.04.29に加筆)