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かずまるの自己主張(2001.08〜2002.01)

 
愛媛県生活交通確保対策地域協議会が「生活交通路線維持確保三ヵ年計画案」を策定したことについての過去の情報
9月11日の鉄道フォーラム・ホームページ@nifty FTRAIN(http://www.nifty.ne.jp/forum/ftrain/)で函館バスが100円バスを9月1日から10月末のでの試験運転しているという情報があった。函館市を中心として進められている西部地区活性化の起爆剤にと書いているが、主に観光路線としての位置付けをしているような路線である。10時から17時まで20分間隔一方向ループ運行。さて、函館の100円バスは成功するのだろうか。(2001.09.11)

今日地域ホームページのいよてつ沿線だより(http://homepage1.nifty.com/chiezou/iyotetsu/index.htm)の掲示板を見ていたら、伊予鉄道のバスに「ループ」と英語でかかれた塗装変更車の新車が5台いたとのこと。現在のループバスの必要車両は3台、予備車用の塗装というのも考えにくいので、ループバスの増発しか考えられない。しかし、現在のループバスの乗車状況から見て、果たして増発の必要性があるのだろうか。それとも、先の話にあった補助制度を利用した試験運行だろうか。ひょっとして、高松市で大失敗したので、既存路線であるこの路線で試すということはありえるのだろうか。例えば、「8の字」現行1時間間隔を30分間隔、「東南」現行30分間隔を15分間隔にするというのも考えられなくはないが。職場で隣に座るY君、彼の聞いたところではループバスの100円バスというのは情報として聞いていないという。やはり、新規路線を開拓して新たなループバスを開設するのだろうか。(2001.09.10)

県生活交通確保対策地域協議会における県独自のバス路線補助制度を創設については、内容が明らかにされていないが、都市部の試験的運用については、香川県高松市に似たようなケースがある。JR高松駅や琴電瓦町を中心として、県庁や片原町商店街を循環する100円バスである。このことについて、アサヒコム香川(http://mytown.asahi.com/kagawa/news01.asp?kiji=2510、9/6掲載)によると、香川県高松市で昨年12月から3月まで、高松市の主な公共施設と商店街とを100円で循環するバスを県や高松市の補助金を受けて1日60便試験的に運行したが、結果は約3000万円の事業費に対して500万円の収入しかなく、すでに県では第2回目の試験運行に対する補助金に慎重な姿勢を見せているという。
これを松山市に置き換えてみるとどうなるか。以前大街道南口と朝生田町東間を試験的にバスを走らせたことがあったが、おおむね乗客からは好評だったと聞く。また、伊予鉄郊外電車の駅前に駐車場を設け、自宅からの通勤客を試験的に市内へは電車で通勤させるという試みがあった。これについては、結論を聞いていないが、個人的には伊予鉄道の最終便の繰り下げの問題が浮上してくるだろうし、横河原線の朝のラッシュ時にこれ以上乗客の対応ができるのか疑問である。もし、松山市内で100円循環バスができるのであれば、どのような内容となるのか、今の段階では想像もつかないが、できれば、松山市内の自家用車至上主義社会に一石を投じてほしいと願うものである。(2001.09.05)

行政バス事業者らでつくる県生活交通確保対策地域協議会は、地域に密着するバス路線の確保のための支援措置等を盛り込んだ「生活交通路線維持確保三ヵ年計画案」を策定。(2001.8.25読売新聞から)
道路運送法改正により、今後地方バス路線への補助対象路線が125から63へ減ることから、今後国の対象外路線に対して、県独自のバス路線補助制度を創設する考え。また、予想として例えば高松市のようにバス利用の需要を促進するめの試験路線を補助対象として創設することも考えられる。(2001.08.25)

アンパンマンとドラえもんの世界
アンパンマンのオリジナルは、すでに昭和30年代までさかのぼるのだと言う。おなかをすかせた子供たちにアンパンを配って回るという発想は、すでに現代社会の子供たちには通用しない。そういえば、ドラえもんの四次元ポケットも同じような発想だったのではないか。これもまた、昭和40年代初頭には漫画化されていた。私達の年代は、その四次元ポケットから出てくるマジックアイテムに夢と希望を心待ちにしていた。しかし、時代は変わった。四次元ポケットがなくても子供達は欲しいものが何でも手に入るようになり、いつしか「ドラえもん現象」という言葉まで出てきた。ある本では、全ての自体を四次元ポケットのマジックアイテムが問題解決するため、のび太は結局進歩しないのだと書いてあった。確かに時代は変わってしまった。しかし、現代の子供たちが失ってしまった何かを届け続けて、また、四次元ポケットから出してほしいものだと思う。(2002.01.16)

かずまるは3歳7ヶ月
かずまるは粘土やブロック遊びが好きである。そして、よく坊っちゃん列車を作る。そして、その客車には必ずビューゲルが乗っかっている。しかも、教えるほうも、あの形を気動車だと言っても混乱するだけなので、何も言えない。言えないから、かずまるは、坊っちゃん列車は電気で動いているものだと思い込んでいる。で、今は爪楊枝をクロスさせて車両の先頭部分に国旗を飾ろうとしている。(2002.01.14)

かずまるのつっこみ
JR松山駅と道後温泉駅前にある松山市の観光マップを見て、かずまるがつっこんだ。まあ、坊っちゃん列車にビューゲルがついてないのはよしとしよう。@伊予鉄道郊外電車にパンタグラフがない。A伊予鉄道路面電車はパンタグラフではなくビューゲルである。BJR四国8000系はZパンタ(シングルアームパンタグラフ)ではない。以上はあくまでかずまるが発見したことである。なお、念のために言っておく。かずまるは3歳7ヶ月である。(2002.01.13)

九州一周駅伝
今日、ふと某ホームページを見ていると、九州一周駅伝のホームページを見つけた。今年が50回目と言うから歴史がある。ただ、毎年旭化成率いる宮崎県が圧倒的に強く、今年も宮崎県が優勝した。で、過去の区間記録を見てびっくりした。20回台の記録が残っているのですねぇ。宗兄弟選手、伊藤國光選手、ひげの鎌田選手、弓削選手・・・おおっ、懐かしいとしか言いようがない。ちなみに、九州一周駅伝は、1人で最大4回まで走れるが、毎年最優秀選手は4回とも区間賞をとらなくてはならないようだ。(2002.01.13)

かずまるの呪文2
今現在、1月4日午後11時30分であるが、まだかずまるは起きている。で、先ほどから、お父さんに言いたいことがあるというので何かと尋ねると、「もしかしたら、お化けが出てきて、雪だるまを食べてしまうかもしれないので、お父さん、退治して!」と言う。よっしゃー、そのくらいなら、まかせておけー、って、何すればいいねん。これも呪文か?(2002.01.04)

なんでやねん?
今夜は、夜半過ぎから雪になると言う予報である。この冬第一級の寒波が日本付近に居座っているらしい。さて、そんな日本の状況をよそに、日本のはるか南海上には、台風25号がいる。まあ、なんと季節はずれな台風である。もっとも、日本はやって来れないだろうが、現在中心気圧955ヘクトパスカル、最大風速40メートルと結構強い台風である。台風○○号というものの中で、一度だけ、「東経○○度に入ったことにより、ハリケーンから変わった、台風○○号・・・」ということを聞いた。で、気になるのだが、もし、このまま台風が居座って、台風のまま、年を越したら、台風の番号はどうなるのだろうか。そのまま25号の名称を2002年になっても使うのだろうか。それとも「2002年になったことにより、台風25号から変わった、台風1号・・・」となるのだろうか。(2001.12.24)

しょうもない夢を見た。
昨日の夜の夢の内容である。宇宙戦艦ヤマト25話で、奇跡的に助けられていた主人公古代進の兄、古代守がイスカンダル星を出発する直前にイスカンダル星女王スターシアを追って、そのままイスカンダル星に残ることになったシーンが夢の舞台であった。ヤマトのハッチ下に横付けされていたボートに乗って、イスカンダル星の首都へ・・・と、ここまではテレビ放映されたのだが、2人がこのボートに乗ったところからが私の夢のオリジナル。まじめな顔をして、古代進の方向を見やった兄守が、ボートのハンドルを握った手が、一度すべって、がくっとなるシーンをリアルに夢としてみてしまった。ほーんとにしょうもない夢。(2001.12.16)

もうすぐクリスマスだが・・・
クリスマスとは何の日かご存知でしょうか。そう、イエス・キリストの生誕の日です。本当はその日が西暦1年のはずだったが、現在では、西暦紀元前4年12月25日とされている。しかし、それは正しくないとも言われています。私はキリスト教はプロテスタントの幼稚園出身で、小学校入学後も日曜学校に通っていたほどである。それが、なぜ今キリスト教徒でないかは、ここでは述べないが、よく考えるとイエス・キリスト誕生日12月25日には大きな矛盾がある。私の出身幼稚園では当然、今の時期はイエス・キリスト生誕の劇を練習し、聖歌隊の練習をする。その劇の中で、「羊飼いが、夜中(多分12月25日の午前0時過ぎではないか。だから24日がイブとされている。)に寝転がって、星を見ていると、ベツレヘムの方向に星が流れて行って、救世主生誕を確信した」というくだりがある。しかし、それが本当に12月25日だとしたら、はっきり申し上げて、その羊飼いは凍死しているはずである。つまり、イエス・キリストの誕生日はもっと暖かい時期であったはずである。という訳で、私は12月25日はクリスマスであって、イエス・キリスト生誕の日とは思っていないのである。(2001.12.13)

私の体重の謎
先週月曜日の予防接種時の体重測定時が84キロで、自宅での体重が75キロという謎、の話ではない。私は結婚当時からこの自宅の体重計を使っていたわけだから、相対体重としては信頼ができる。実は平成4年の結婚当時は80キロで2キロくらい増えたところで減量開始。実に69・8キロまで体重を落としたので、世にも珍しい新婚での体重減という事態となった。ただ、妻の名誉のために、この減量には妻の料理によるバックアップが欠かせなかったものである。ただし、運動をしすぎて膝を壊したが。さて、これが4年後の平成8年には再び78キロになったことと、健康診断でひっかかったため、再び減量開始。このときは66.8キロまで減量した。そして、さらに5年後75キロ。ただし、現在の職場に来てからはむしろ体重が減少したくらいだが、おなかが出てきてしまった。しかし、それにしても、なぜこんなに体重が増減できるのだろうか。(2001.12.11)

朝焼けの光の中に・・・
立つ影は「ミラーマン!(ミラーマン、シュワーッ、と盛り上げてください。)」かれこれ30年くらい前にはやったミラーマン。「朝焼けの光の中に・・・」そうか今日は雨なのか。と子供心に思ったものだ。ちなみに、このミラーマンの主人公鏡の後見人率いる正義の軍団の所在地が東京都世田谷区だったことを知ってます?モニターに何度か映し出された地図の形を見て、それが小2の社会の教科書で「友子さんの区」と同じであることに興味を持ち、さっそく地図帳で東京都の地図をながめて、世田谷区であることに気づいたのでした。ちなみにその教科書で正一さんの市というのがあって、これが足利市であることに気づいたのは、それから約2年後でした。(2001.12.01)

希望します・・・とは?
私は工学部化学工学科、妻は薬学部薬学科卒業である。従って、日常生活においても、例えばビールをつぎながら「おっとっと、表面張力が・・・」とか、ぐいっとやりながら「うーん、この浸透圧・・・」などという会話が出てくる。さて、今CATVの天気予報のアナウンサーの名前を見て思い出したが、妻は名前に「希」という文字を付けることが嫌いらしい。普通の人は「希望」ととらえるのであろうが、妻は「希硫酸」「希塩酸」「希薄」とかが浮かぶのだそうだ。どうしても「薄い」「はかない」というイメージがあると言う。ということは、「○○を希望します」ということは、「望みが希薄」とか「まあ、むだだろうが頑張ってみなさいや」とかを意味するのであろうか。(2001.11.29)

かずまる式算数
愛媛はみかんの産地である。この時期は知らぬ間にみかんが増えている。かずまるは今日、そのみかんで数の勉強をしていた。みかんが13個を1から順番に数えた後、私が「みかんが13個(なんでいきなり13個やねん。)ありました。お父さんが2個食べました。あとは何個残っているでしょうか。」と言ったところ、かずまるは、スタスタとみかんをさらに2個取ってきて「13個!」確かに答えは合っているが、それでいつのまにかみかんが13個になった訳か。(2001.11.26)

唄に見る不思議な話
第2弾。ロシア民謡のカチューシャで疑問に思った人は結構あると思う。「月曜日にお風呂を沸かし、火曜日にお風呂に入り・・・」多分冷たくなっていると思うのだが。まさか、月曜日の午後11時30分頃から風呂を沸かして、曜日が変わってから風呂に入るなどというオチがあるわけではあるまいな。(2001.11.25)

そういえば・・・
かずまるに英語を教えていて気づいたこと。「鯉(カープ)」は複数形でも語尾に「s」が付かないということ。そういえば、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツ、千葉ロッテマリンズ、福岡ダイエーホークス、オリックスブルーウエイブス・・・よく考えれば全て「s」があるのに、広島東洋カープだけはカープスとは言わない。おお、なるほど、そうだったのか・・・・・(2001.11.23)

8時ちょうどの、あずさ2号で・・・・・
ちょうど20年ほど前、当時の国鉄は、特急及び急行の列車番号を、それまでの「1号、2号、3号・・・」から下りは「1号、3号、5号・・・」上りは「2号、4号、6号・・・」と変更した。従って、当時新宿発8時00分発のあずさ2号は、あずさ3号になることになった。新宿8時00分発あずさ2号の最終日は歌手「狩人」を招いてイベントを行う予定だったが、トラブルでこの最終あずさ2号は運転されなかったと聞く。さて、このあずさ2号が来年2月2日に「思い出のあずさ2号」として復活する。なんで、下り列車で2号なんじゃいと言ってはならない。「「思い出のあずさ2号」号」なのである。思わず笑ってしまった。再び「狩人」も呼ぶのだろうか。それにしても出発時刻、新宿発8時02分というのがいただけない。先発する8時ちょうどの特急を2分早めてでも、このリバイバル特急は8時ちょうどに出発しなければ意味がないではないか。(2001.11.22)

(追記)どうやら「狩人」は呼ぶらしい。(2001.11.25加筆)

やっぱりそうなるのか。
今日のニュースで日本航空と日本エアシステムとの事実上の合併が発表された。以前からうわさされたところではあるが、なるほどやっぱりそうだったのかと思った。さて、先日の航空運賃値上げの時に情報仕入れていたところ、誤って株の掲示板に迷い込んだことがある。その時の日本航空は株250円で、明日にも200円を割り込むのではと言っていた。結局は野村證券等がいっせいに阻止して、現在は290円、一時は300円を超えていた。その時の隠語に「穴」「農林企画」というのがあって、日本航空とJASの合併の話を聞いていた。「穴」はANA、全日本空輸と解るが、農林企画て何かが解らず・・・おお、それで「JAS」なのかと思ったときはなるほどと思ってしまった。(2001.11.11)

肉まん3つにあんまんひとつ・・・
かずまるの呪文である。かずまるは妻側の祖父宅に行っては、祖父の自転車に乗って近所の伊予鉄西衣山駅に電車を見に行く。そして電車を見て堪能した後、近くのコンビニでお土産を買って帰るのだが、そのお土産と言うのが表題の肉まん等なのである。それが最近になって、かずまるが日常生活の中で呪文のようにつぶやくことが増えた。今度コンビニでかずまるに言わせてみればどうだろうか。「肉まん3つにあんまんひとつ」(2001.11.05)

アンパンマンのビデオを見て
アンパンマンの基礎はおなかのすいた子供たちのために自己犠牲を払ってアンパンを食べさせるというものである。その元は確か1960年代後半と聞いているから、その精神は現在になっても健在なのであろう。先日近所の人からアンパンマンのビデオをいただいてきた。確かにアンパンマンは正義のヒーローなのだが、どうもバイキンマンがかわいそうな気がしてならない。自分の気持ちをストレートに表現できずに、いじけた態度に出てしまって墓穴を掘っているとしか思えない。思わず、バイキンマンよ、がんばれ。きっと君の深層心理に潜む純粋な気持ちがいつか理解される日が来るに違いない、と思うのは私だけだろうな。せめて、2000系気動車のグリーン車でがんばれ!そういえば、もう1両のグリーン車はどきんちゃんだなぁ。(2001.11.05)

そういえば・・・
完全に忘れてしまったような気がするもの。2000円札。私はいまだに見たことがない。おつりに出されても「これ本当に本物ですか?」と聞き返してしまいそうだ。すると、隣のY君が大事そうにしまいこんだ2000円札を出してきたので、私「それニセさつか?」、隣のY君「それニセ・・・んえん・・さつか?」(2001.11.02)

報道機関の功罪
かつて某大学教授の講演で、報道機関へはあらかじめその内容を伝えていたところ、その中の一部を講演しい忘れて、実際に講演会場に居合わせた人々は「はて?そんなこと言ったっけ」ということがあったという。さて、人気グループSMAPの稲垣氏が道路交通法等で逮捕されたとき、世界最大の購読部数を誇るY新聞社では、その直後のコンサート会場で仲間の不祥事に対する陳謝はなかったとあったが、その他の新聞社ではコンサートの半ばで陳謝があったと掲載されていた。なにが起こったかは一目瞭然だが、そのときにY新聞社へ抗議のメールを送ったものの、いまだ回答はなく、私も当該新聞購読をやめた。ただし、これだけではなく、他にも継続購読が嫌になるような掲載があったからでもある。たとえば大阪府の小学校での惨事の後、その児童全員の日記等の掲載をしたりして、掲載される者の身にもなれとか、他のニュースのスペースががないとか思っていたが、次に明石市での惨事が起こったときに同じような掲載をはじめて私は切れた。かつては憲法改正論などの独自の報道をしたりして結構興味あったのだが、どこで脱線したのでしょうかね。(2001.10.28)

かつて見た心に残る怪談
30年位前、夏休みといえば平日午前中に何本かの漫画などが放映されていた。その中の「かっぱの三平(字が違うかもしれない)」という怪談ものがあった。要するに妖怪退治をするのであるが、その中で心に残る、というよりこれしか覚えていないものがある。要約すると、娘が不治の病で余命いくばくもなく、父が撮影した者の魂を奪い取るという殺人カメラを作る。(これが滅茶苦茶クラシカルで本当に昔はそう思われていたのだろうと思わざる得ない。)そして、その被写体の映ったフィルムを水に浸して、その水(多分被写体の魂があるのであろう。)を娘に飲ませて生き長らえさせていたというもの。最後は主人公が(お連れの2人は宙吊りになっていたような気がする。)その父親からカメラを奪って逆に撮影。父娘がカメラに向かって抱き合った姿が映された写真が地面に落ちていくところでドラマは終了する。怪談ものというよりも、父の娘への溺愛から始まった暴走が30年経った今でも心に残る。(2001.10.27)

信号機に関する疑問
「渡ろ渡ろ、何見て渡ろう?信号見て渡ろう・・・」で始まる有名な唄。すでに30年以上も疑問をいだいていることがある。1番の終わり「・・・赤でーは、いけない。黄色はまーだだよ」日本の信号は青→黄→赤の順で変わるが、はっきり言ってこの唄は現実と矛盾する。そういえば、日本人は青信号と言うが、どう見ても緑色である。30年前に比べると青くなったように見えるが、実際に英語では「緑green」という。かつて、30年前に小学校で「なぜ緑色なのに青信号と言うのですか?」質問したら、教師に叱られたなあ。結局緑を青というのはその国の教育なんですよね。だから馬と鹿の区別もつかない者を○○というが、馬を鹿と教育した者が馬を鹿と言っても○○ではない。実際に日本語では「アヒル」「カモ」と区別しても、英語はどちらも「duck」である。逆に英語では区別されても日本語で区別できない言葉もある。さて、信号の話に戻るが、かずまるが最近聞いている英語の教材で、(実際は英語だが日本語に訳している。)「信号は赤です、止まりなさい。信号は黄色です、待ちなさい。信号は青です、進みなさい。」どう見ても赤と黄色が逆な気がする。黄色が止まりなさいで、赤が待ちなさいではないか。だから、最近の車は黄色で止まらないんだ。そうそう、青は進めではなく、進むことができるであると警察官が言っていたはずだ。と言ったら、妻に怒られた。「かずまるが混乱するようなことを言うな」(2001.10.25)

アレクサンダー戦記
主題歌が小柳ゆきで、最近ケーブルテレビのアニマックスでよく放映されるし、個人的にこの手のものには興味があるので全部見た。終盤、アレクサンダーがインドに遠征に行くが、その中で「アレクサンダーに死を!」と連呼するシーンがある。さて、アレクサンダーをインド、つまりサンスクリット語で言うと、なんと「イスカンデル」となる。「宇宙の彼方、イスカンダルへ・・・」とか、「イスカンダルに死を!」とか、結構うーんと悩んでしまう。(2001.10.25)

匿名の話
先日航空機に関する掲示板を見た。内容は私なんかとてもとてもというオタッキーな内容だったので、最近はおじゃましていない。その掲示板には出身地があったが、その中に七色星団というのがあった。その匿名をクリックするとその人の個人情報がでるが、氏名「ドメル将軍」、好きな言葉「なにもかもみな懐かしい」となっていた。私ならばさしづめ氏名「タラン将軍」、出身地「ルビー戦線」、好きな言葉「ヒス君、君は馬鹿かね」となる。今日本の遥か南東の海上に大型で非常に強い台風22号がある。多分日本には影響はないと思うが、中心気圧925ヘクトパスカル、最大風速50メートルの台風である。さて、宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルに着水するときにスターシャから通信があるが、そのときの通信内容が「・・・現在気圧は980ミリバール、気温摂氏20度・・・」と言っている。(数値は誤りがあるかもしれません。)時代を感じる。(2001.10.25)

警察のほうが危ない
一昨日残業の帰り、時刻にして午後9時30分頃。松山市はパルティ衣山の北側、環状線と中央通りの交差点で信号を待っていると、右折可の信号になっているときにやってきたパトカーが交差点内だけサイレン鳴らしてそのまま直進して走り去ってしまった。おいおい、そういうのをあんたの業界言葉で「信号無視」と言うのだろうが。あんまりひどいとあんたらのことを・・・。という訳で、今日も古本屋で「悪の警察(だったと思う)」の本を探したが見つからなかった。(2001.10.25)

かずまる父の独り言
かずまるは風呂で湯船に浸かるとほぼ間違いなく眠くなる。しかし、それは一時的なものであって、決してだまされてはいけない。今日も結局だまされた。「ねむいー」を連発するので、抱きかかえて、布団に連れて行って、むりやり服着せて・・・というところで、それまで眠そうにしていたかずまるは一転して起き上がると、遊び始めるのであった。(2001.10.25)

アニメの死角
ふと、隣のY君と議論になった。宇宙戦艦ヤマト第10話で沖田艦長と古代が「地球に別れを告げる」と言いながら前向いて手を振っているのではないか、ということである。確かに地球と反対側に向かって手を振るのもおかしいが、しかし、後ろの壁に向かって手を振るのも画像的にまぬけである。で、私は思い出した。地球から最後の更新があったとき「・・・艦首を○○時の方向に向けます。遠方のため大変電波が弱くなっています。1回に3分が限度です・・・」と言っているのであるから、ひょっとして艦首は地球の方向を向けていたのかもしれない。すると、Y君曰く「ほう、艦首を「あさって」の方向に向けます、ですか」・・・・・(2001.10.20)

まさかのために・・・
このキャッチフレーズで有名な日本興亜火災、通勤時にその事務所の前を通るが、そのイメージキャラクター「石原軍団」のポスターを見ると、最近いつも平成9年1月に弟の結婚式でハワイに行ったことを思い出す。ちょうど関西空港で出発待ちをしていたときに、神田正輝と松田聖子の離婚記者会見をテレビで見た。そして、今沈没した宇和島水産高校の実習船えひめ丸に残された遺体が発見され始めた。米海軍の行為は相手国によってはおそらく宣戦布告にも近いものがあったと思う。そして、その行為は米の権力の象徴とも報道された。そして、その権力一極集中の歪み、そして反抗勢力が動き始めたのではないだろうか。米ではテロの暗い影が覆いはじめている。平和とは所詮力と力の均衡にある一時のものなのか。武力放棄による平和は存在しないのか?と思う。(2001.10.20)

2001年10月1日ダイヤ改正における意見
ミッドナイトEXP高松、うずしお3号を定期化し毎日運転(わたしゃこの「毎日運転の臨時列車」を堂々と掲載して、果たして一般人に理解できるのかいつも疑問視してます。毎日運転の臨時列車ならいつでも打ち切りできるが、定期列車にしてしまうと廃止しづらくなるということですけどね。)
時刻表9月号が発売。特急、急行及び指定席連結快速の時刻のみの掲載だが、まあ、予想どおりか。予讃線は日中停車駅を減らしてのスピードアップを目玉にしていたが、なぜ、夕方の停車駅数の多い特急より、12時頃松山駅到着の特急の方が時間がかかるのか。それでは、本末転倒ではないか。と、言っても理由が理解できるだけに仕方ないか。そう言えば、いつぞやの改正のうたい文句で、「最速2時間32分にスピードアップしました」とあって、「かつての最速2時間29分列車はどこへ行った!!」と思わず怒鳴ったことあったっけ。でも、10分程度早くなったと言っても、どの列車も2時間40分前後ではねえ。いっそ、対向列車のスピード遅くしてでも、2時間25分で走る目玉列車、その名も「スーパーしおかぜ(まあ、安直な命名)」でも走らせたらどうかと思うが。(2001.08.27)
10月のダイヤ改正ではしおかぜ17号の松山着が約10分繰り上がる。従って、同列車の今治発は17時36分から17時27分になる。これは松山から今治の企業等に通勤する者にとっては死活問題となると思う。このため、NTTや県今治地方局などではダイヤ改正反対の署名運動を開始したらしい。私は常々特急のスピードアップを主張してきたが、早ければよいというものではないことを考えさせられる。(2001.09.19)
9月29日(土)午前11時、松山駅にて。1057D特急宇和海7号は2〜4号車に運転台なしの5両編成。○内は号車番号。@2006、A2204てんむす、おむすびまん、こむすびまん、B2210あかちゃんまん、みるくぼうや、C2215、D2109しょくぱんまんでした。随時新塗装車両を増結するであろうという私の考えどおり、かずまると私はホームで満足していた。ちなみに今日は2号車のドアが開かず、ホームにかからない1号車のドアが開くというハプニングがあった。ただ、ひとつ気になること。2号車2204の車体断面が他の車両と違っていたこと。なぜ?
午後2時、今度は伊予和気駅付近の松山市安城寺踏切で9Dしおかぜ9号を発見。先頭G車がどきんちゃんの7両編成。4号車、5号車ともに岡山側に運転台があった。折り返し22Dが見れなかったので残念だったが、果たして松山駅では後ろ3両を切離し、増結して22Dは8両だったのか、後ろ2両のみを切離し、増結して22Dは7両、9Dは5両で宇和島へ向かったのか解りませんでした。(2001.09.29)
と、言うわけで翌30日再びアンパンマン列車追跡をたくらむ。ところが、当日は雨だったので、予定変更して自家用車で伊予和気駅からビデオ撮影することにした。で、結果は、9Dしおかぜ9号はいしづちを含む附属3両を従えた8両編成で通過。附属編成折り返し22Dは7両編成で通過。これで昨日の謎は解けました。しかし、今日8両編成、明日7両編成、明後日8両編成ということになるのでしょうか。(2001.09.30)(以上再掲2001.10.17)

ついにホームページビルダーが手に入った。
我が掲示板に時々出てくる、私の大学時代の友人「つなつな」からホームページビルダー2000が届いた。つなちゃんありがとう。ただ、体験版というのが気になるが・・・今のところは、インターネットエクスプローラー5に添付されているフロントページエクスプレス2(を、むりやりウインドウズMeにインストール)とメモ帳で作ってるのだけど、とりあえずはこのホームページがフルモデルチェンジするときに乗り換えてみよう。あと、今日義姉宅にケーブルインターネットが取り付けられたらしい。というわけで、今週末はそのセッティングに行かされることであろう。ま、その見返りにホームページジャックさせていただくからよしとしようか。(2001.10.15)

で、つなつなから「あれは体験版でなく本物だ。」という連絡がありましたので、ここで訂正をいたします。ただ、すでに私はフロントページ2とメモ帳に慣れてしまっているし、義姉の娘が中1でパソコンクラブに入っていると言うので、そのうち彼女に渡ることになる旨つなつなに伝えました。(2001.10.26加筆)

これが結構難しくて・・・
いや、難しいことではないのだが、めんどいのと、万一収拾がつかなくなったら・・・と思ってほったらかしにしていること。このホームページのことだが、例えば、先日の坊っちゃん列車の話題のページ。下のタスクバーを見れば解るが「伊予鉄大手町」となっているはず。かずまるのホームページって結構つぎはぎでデカくなってきた部分があるからこのようなことになるのだろうと思う。構成的には9月1日以降大幅な動きがないはずだが、本来1項目1ページとしていたところをめんどくさくて、色々な内容をつっこんだ結果だろう。が、このホームページも昨日13日を持って容量が1メガを超えたし(現在5分の1、ホームページジャックの予定もあるにはあるが)、FTPの時訳わからなくなってきたので、、このような手抜きをした結果だと反省している。が、苦情も特にないので、フルモデルチェンジするまでは当分の間このような状態が続くであろう。(2001.10.14)

正義の味方現る。
近所にりゅうちゃんという小4の男の子がいる。毎朝6時過ぎに私が起きると、家の前で剣道の素振りをやっている。彼はこの辺りのボス的存在である。また、彼は曲がったことが嫌いで、例えばかずまるがバッタ見つけて追いかけている途中、同じ近所の小1の男の子がそのバッタを捕まえたとする。すると、「それは、かずくんのもの」と判決を下す。小1の子は半泣き顔。また、自分にも結構厳しい。まさに正義の味方。ただ、父親の威厳の前にはちょっぴり泣いたりもする。子育て論として、このような子供に育てたいと思うのだが・・・(2001.10.14)

映画「復活の日」にならなければよいが・・・
あれって確か「MM88(だったっけ?)」という細菌で、南極観測隊以外の人類等が絶滅しましたよね。炭そ菌の繁殖率がよくわからないのですが、あのようにならなければと思います。(2001.10.14)

書けばいいというものではない3
意味がないと思うもの。「アイドリングストップ車」とステッカー貼ったり、ハイブリッド車買って地球にやさしいとか言うのなら、アイドリングするな、と言いたい。(2001.10.11)

ホームページジャックできそうだ。
と、公言してよいかどうか。悪ければこの欄は削除します。と言うのは、近日義姉がケーブルインターネットを始めることになり、すでに申し込みをしている。ということは、5メガのホームページが確保されるはずである。しかし、彼らはその実態を知らないはずである。いや、知っていても多分ホームページを開設しようなどとは思わないはず。従って、本人の了解をとれれば、ホームページジャックが可能なはずである。別に義姉が開設してることにして、私が黒幕でいたって、商業目的や犯罪行為等をしなければかまわないのがこの世界だし。と言うわけでどうしようか。ただ、レンタルの掲示板はこっちにないとだめだろうし、2つ作る気もないし(アップロードだって義姉にやってもらうという建前になるだろうし。)。我が職場の担当者利用目的専用のホームページにして、公にしにくい(要するに改正予想など確定しないような)改正情報やシステムのウラ情報提供するというのも考えたが、これでは私の正体がばれてしまう。別にばれたからといって地球にいられなくなることもないだろうが(ウルトラマンか?)私が転勤したら即不要となる。それでもかまないが。一応案としては、鉄のページと自己主張のページを分けてしまう。または、義姉分を完全に倉庫扱いしてしまう(義姉のトップページをかずまるトップに飛ばせ、かずまる側からいくつかの項目を再び義姉側(トップページへは飛ばさない)へ飛ばす。つまり義姉側は単独ではホームページとならない)。という訳で、ホームページ名だけ思いついた。「かずまるのホームページ2」または「こじゃるのホームページ」なんじゃそら。(2001.10.08)

記録は破られるものだが・・・
ヌデレバ選手が高橋選手の女子マラソン世界最高記録を塗り替えた。うーむ、1週間の世界記録保持者であったか。2時間18分47秒・・・高温のマラソンならば男子でもありえる記録だからなあ。すごいものだと思う。しかし、ここへ来て世界記録が更新され始めたなあ、と思う。イングリッド・クリスチャンセン選手の記録が10数年も破られなかったのが不思議なくらいだ。そういえば、ロサ・モタ選手ももリサ・マーチン・オンディエキ選手も確か2時間23分台の記録のはずで、悪くはないが、世界記録を狙わずに記憶から消えてしまったし・・・。ちなみに、まらそんについては、新記録とは言わない。これは、コースによって記録の出る出ないがあるからである。従って、あくまで世界最高記録という。(2001.10.08)

あんたなぁ
職場のアンケートにて。あなたの年齢欄に「歳台」とあったので、私は迷わず「30」と書いた。すると左隣の先輩はぶすっとした顔で「もう2、3日早ければ30歳台だったのに」と言っていた。で、右隣の例のY君は「35」と書いた。あんたなぁ。どうしようかと言うY君に対して、私からのやさしい一言「そういう時は訂正印で直せばよい」それでは匿名にならんか。(2001.10.05)

これからどうなるのか・・・
今朝妻は夢で、スイミングスクールへ行っている夢を見たらしい。先生は外国人だったとかで、その後夢の中で溺れて、助けに来てくれたらしい。で、その人はなんとブッシュ米大統領だったという。最近テレビとかでよく見るからだろうなと思う。これから戦争が始まるのだろうか。(2001.10.04)

書けばいいというものではない2
あっても意味のないもの。通勤用電車の定員。エレベーターの定員。エレベーターなぞ結局は重量だろうが。私はかつて定員8人のエレベーターに6人で乗ってブザーが鳴ったことがあるぞ。で、来週末から運行される坊っちゃん列車。1両あたり定員は18人だが、座席数は12。結局6人は立てということらしい。もし座れなかったら、むしろ敷いて、空き缶置いて、座ってやろうと考えているかずまる父であった。(2001.10.02)

私の個人的見解による尊敬するマラソンランナー
て、いつからマラソン解説コーナーになったんだ?ま、いいか。とにかく私がこれは!という選手は全般に後半に爆発的なスパートができる選手である。外国人に手を広げると収拾つかなくなるので日本人に限らせていただく。瀬古選手があまりにも有名だったが、他に谷口選手と森下選手。この2人はいずれも別府大分での初マラソンで30キロ以降15分前後のハイペースで飛ばし当時の解説者を驚かせた。特に森下選手についてはマラソン3戦2勝、残りがバルセロナ銀である。(逆に宗茂選手や中山選手のようにとにかく最初にぶっちぎる選手もある種の感動を覚えたが、これで記録の出たのは宗茂選手の別府大分マラソンで出した日本記録のみである。)さて、最近では藤田選手が現在の日本記録を樹立したときに30キロ以降14分台を出していたが、どうも故障気味であるので今後に期待したい。次に世界では例があっても日本で通用しないケース。ロス五輪男子マラソンでメダルを取ったのはいずれも1万メートルからマラソンに転向した30歳台ランナーだった。特にスペディング選手(だったっけ)1万メートルの予選に出て落選してマラソン走ったような兵までいる。さて、それ以降私は日本人でこのような大型ランナーに期待したが、成功者は一人もいない。新宅選手、故金井選手、米重選手、大隈選手、女子で千葉選手、鈴木選手、増田選手いずれも長距離でならした後マラソンに転向したが、新宅選手がソウル五輪で走った以外成功例がない。(鈴木選手は世界陸上では優勝した。)結局日本人の場合はじっくり育てるよりも20歳過ぎればマラソンやったほうが成功するのだろうか。(高橋選手がもっと1万メートルが早ければこの項での成功者になるのだが。)また、ここからが本論だが、女性の場合は気の強さが勝負を左右することがある。2年前の世界陸上前年東京マラソンでの浅利選手と市橋選手のゴールシーン。最後は浅利選手が市橋選手を手で押しのけながらテープを切った。浅利選手は実業団の中でもまれて、特に吉田選手(もうひとり名前忘れた。)等チーム内にライバルがいる中でのチームリーダー。一方市橋選手は日本陸連が直接指導する方式の超エリート選手。結局その差が出たような気がしてならない。(引退後の浅利選手は別人のように穏やかな秋田美人であったのに驚いた。)さて、昨日述べた高橋選手の笑顔の奥にある時折見せる気の強さ。更なる記録更新を期待したい。(2001.10.01)

高橋尚子選手について
今日のマラソン見て思ったこと。昨年のシドニー五輪後一度は「あんた何様」とまでいわれた頃の体型からは想像もつかないほどの絞られた体型を見て自分に厳しい人だと思ったこと、横を走るカメラや前を走る時計掲示車までを追いやる気丈さである。五輪王者で世界最高記録保持者、つまり最強かつ最速ランナーはこれまで、いずれも1984年ロス五輪男子カルロス・ロペス選手が翌年ロッテルダムで出した2時間7分12秒。(だったと思う。)女子ジョーン・ベノイトが五輪前にシカゴで2時間22分?秒の世界記録の樹立後五輪本番は先行する増田選手を4キロ付近で抜いた後独走でゴールした。高橋選手はそれ以来となる。ちなみに、女子の記録はロス五輪後ロペス選手が世界最高を出した翌日にイングリッド・クリスチャンセン選手が2時間21分6秒を樹立してから、実にロルーペ選手が1999年ベルリンで2時間20分43秒を出すまで停滞。そういえば、日本女子も一時期(麓選手、安部選手もう一人忘れた)2時間26分26秒(だったっけ)の日本記録を3人出したこともあったっけ。それを朝比奈選手が2時間25分50秒台を樹立。そして、1998年3月名古屋で高橋選手が32キロ以降驚異的なスパートで2時間25分40秒台、その年12月バンコクアジア大会で2時間21分47秒の日本記録を樹立。私が感動したのがその後シドニー五輪予選に山口選手、弘山選手という2時間22分台ランナーが出たこと。結局弘山選手は女子マラソン五輪代表に漏れた世界最高記録保持者となってしまった。さて、今日のレース後小出監督が一言「あとひとつ宿題があるんだよね」と言ったこと。「ラスト2キロをね」と言ったが、確かに最初の高橋選手の日本記録のときは32キロ以降驚異的なスパートをかけたことが印象的でラストに強いという気がしていたが、よくよく考えてみれば、バンコクアジア大会は35キロから失速、五輪予選も然り、シドニー五輪然り、ラスト200メートルのリディア・シモン選手の追い上げを受けたことは有名である。つまり、体調がよくなかったのだろうとは思うが、ひょっとして最近の高橋選手はラストに弱いのではと思ってしまう。気力は世界最強だが。という訳で小出監督のもうひとつの宿題とは、多分前々からよく言っていることで「30キロ以降に5キロを15分台で走らせること」つまり、超一流を除く男子並みのスピードで走らせることだろうと思うのだが・・で、そうなれば2時間17分台(小出監督は16分台と言っている。)で走れることになるが。男子23年、女子20年(東京第1回から知っている。)来のマラソンファンとしてはうれしい日であった。ただ、ひとこと。昨年の高橋選手の金メダルの時は巨人優勝、今回は長島監督の引退セレモニーとは何かのめぐり合わせか。(2001.09.30)

資金提供すればなんとかなるという例
今日テレビを見ていて、ついに高橋尚子選手がマラソンで女性としてはじめて2時間20分の壁を破った。世界選手権でも日本女子はマラソン団体の部3連覇しており、おそらく、現在世界最強の層の厚さを誇っていると思う。しかし、その女子マラソン、最初は惨憺たるものであった。通常男子マラソンは招待選手だけが旅費支給されるが、女子は全員男子の招待選手と同等の扱いであった。で、ある新聞には「このままでは、スポンサーがつかなくなる」とまで言われたほど層が薄かった。まともなランナーといえば佐々木選手と増田選手に浅井選手の3人くらい。1984年ロス五輪後、佐々木選手、増田選手が引退すると本当に1シーズン浅井選手くらいしか2時間40分を切れない時代があった。そして、女子選手の底上げのために都道府県対抗女子マラソンや横浜女子駅伝などが開催された。ちなみに、第1回都道府県対抗女子駅伝当時にまず目指した記録は当時女子世界記録アリソン・ロウの2時間25分25秒、そして、第1回横浜女子駅伝優勝チームソ連の記録は2時間19分53秒。今日高橋選手はその記録を(現在正式発表前で)8秒上回った。当時の増田選手の日本記録2時間30分30秒を破る日本人最初に2時間29分台で走ったのは1988年ソウル五輪直前の大阪マラソンの宮原選手、そして、その後小島選手、有森選手と続いて現在に至っている。最初にスポンサーになった企業の努力に敬意を表する次第である。そういえば、サッカーもそうでしたね。私はサッカーはあまり詳しくないのですが、これもジャパンマネーかなと思う。(2001.09.30)(追記:世界記録の変遷の中にアリソン・ロウ選手がないが、これは多分次の理由によるものと思う。ロス五輪当時の男子世界記録はアルベルト・サラザール選手であった。しかし、彼の走ったNYシティマラソンはその後距離が100メートル短いことが解り、彼の記録は抹消された。当時の報道では同じNYシティマラソンで当時世界記録を樹立した女子のアリソン・ロウ選手(すでにこのときはクリスチャンセン選手が世界記録保持者)については不問にされていたはずだが、やはりその後抹消されたのかもしれない。(2001.10.01))

結局は思想の違いか・・・
ビンラディン氏といえば今や世界中の時の人である。が、今日の新聞で彼はその富で結構世界中で慈善事業をしていたらしい。で、話は変わってそごうの水島会長の話。そごう倒産を前提として私欲を肥やすためにいろいろと裏で手を回していたということになっている。だが、彼もまたある面では慈善事業もしていたらしいし、いろいろと政界にも手を回していたのだろう。前大蔵大臣が一度は再生に税金投入の話をして、結局民意を無視できずに倒産した。一方ではテロという武力、一方では・・・。テロは許せないが、なんだか似たような話に見えるのは私だけだろうか。(2001.09.28)

私も気をつけなくては・・・
私がホームページを書くようになって1ヵ月半。もともとは仕事柄鉄道とかバスの時刻や運賃改定の情報をそのスジの方々とコミュニケーションを通じて取り入れるというのが目的であった。そして、今その甲斐があって今回の伊予鉄の改訂に関する情報のもと、いろいろな方々の協力を得て、記者発表の日が予想される日の最初の日となったのであった。来週4日間は大変忙しい週になるが、事前処理ができたこともあり、まさに時は金なり状態である。さて、その中で、私が時々アクセスしていた仮想鉄道のホームページ(私の鉄道模型も仮想鉄道の構想があるしね。)で大変なことが起こっていた。内容は掲示板の中で不適切な記事が掲載されたところ、会員同士で激しい議論が起こり、結局そのホームページの掲示板が閉鎖に追い込まれたというもの。また、昨日の伊予鉄道の改定の某地方新聞の4面、伊予鉄道の100円バスは四国では初めてという記載があったが、すでに高松で実施されており、これは国土交通省の呼びかけに応じたケースとして・・・という記載が漏れていたものである。今世界では大変なことが起ころうとしている。マスコミの方には世界を左右する可能性もあるのだから十分に気を付けていただきたいが、我々不特定多数の方が見る可能性のあるこのようなホームページに至るまで、掲載については細心の注意が必要だとつくづく感じさせられた。と、私の記事は大丈夫だろうか?もう一度確認してみようっと。(2001.09.23)

22年前の悲劇
つまり昭和54年9月19日、この日は高校2年生の運動会であった。運動会の棒倒しの競技中、敵の棒にしがみついていた私は後ろから羽交い絞めで倒され後頭部直撃、そのまま(確か救急車ではなくタクシーだったと思うから意識はあったのだろう。)病院へ直行。その日の朝私は自室をうろついている大きな蜘蛛を見かけた。従って、私にとっては朝蜘蛛も不吉な印である。で、棒倒し競技は翌年から中止、それが復活したのは、なんとそれから8年後私の弟の時代であった。弟は母の説得に耳を貸さず、敢然と立ち向かったと言う。(なんのこっちゃ。)ちなみに、私は後頭部の一番骨の硬い部分の打撲で済み、検査の結果異常はなく、(1週間くらいは目の前に時折稲妻が走ったりしていたが)翌日登校したところ、私の机の上に一輪の花が飾られていたことは言うまでもなかった。(2001.09.18)

書けばいいというものではない
今日の出勤中、ふと中古車の販売店を見たところ、「エアコン、パワステ装備、オートマティック」と書かれた車があったが、これらの装備のない「トヨタセルシオ」ってあるのだろうか。そう言えば、かつて3月頃の非常に寒い日にニュースを見ていたら「今日は寒波が来ており、11月上旬の寒さです。」と言ったアナウンサーいたなあ。何でも言えばいいものではない。あ、それは私も同様か。(2001.09.18)

確かそれは2001.03.24(土)であったが・・・
今日夜、さあ寝ようとした瞬間、寝ていたはずのかずまるが突然泣き出した。ただ泣き続けるだけでどうにもならない。このようなパターンは確か生後1年後くらいに一度あって以来のことだ。ふと、妻が「戦争始まったか?」と言ったが、そうそうかずまるは予言者ではなかった。(2001.09.17)

日本の今後の経済について
今日元上司N氏宅で焼肉パーティをしていての話。やはり当時の上司で昨年退職されたM氏とこのHPによく出てくるHさんとの会話。Hさんの主張としては、今の経済を立て直すには、消費拡大をしなければならない。1000円必要ならば1100円の消費をしなければならない。高齢者が小遣いをためこむのも問題がある、と主張する。それに対してM氏はそうは言っても預貯金に心配のある老後ほど心細いものはない。退職金の金利と年金で生活をしたい。その結果残る退職金、それがあるから子供達にものが言えるのだ、と主張する。このやりとりについては、双方の問題とそれによる今後の日本の問題を露呈していると考える。私の主張としては、まずHさんへは、高齢者のその預貯金について、確かに施設にはいって残る預貯金について批判があるのは事実だが、それは社会制度が悪いのであって、それを高齢者に求めるのは無理だろうと思う。そして、M氏へは、今は貨幣経済だからそう思うのであって、もし近い将来貨幣経済が崩壊したら、その預貯金は紙くずと消える。今絶対にそれはないとは言い切れないのだ、と思う。2020年頃にピークを迎える超高齢化社会、その前に現在に至って迷走する日本経済、果たしてどうしたらよいのか、それは私には全くわからない。(2001.09.15)

学校ではまだそんなことをやっているのか?
ウィークリーまぐまぐでは時々ギャグの投票があるが、 2001/09/12号で「6年生の息子が、学校の謝恩会で友達5人と“モーニングムスコ”というグループ名で歌を唄うことになっていた。が学年主任からクレームがついて“仲良し5人組”に変えさせられたそうだ。」とある。はっきり言って私はこのギャグは笑えない。私はかつて小学校6年生のとき、社会のH教諭に「今は何世紀か」という問いに「ミルクセーキ」と答えて廊下に立たされたことがある。いや、先の話は私が悪い。しかし、最近「弱肉強食」を「焼肉定食」と書いてもそれは生徒の自由な発想としてとらえるべきだという見解をしていなかったか?昨今の教師の無数のスキャンダルの中、小6年生のユニークな発想までも押さえつけようとする教師に対して怒りを覚える。(2001.09.13)

トロッコ列車に関する日本の安全基準について
最近文句が多くて恐縮だが、日本の展望車両(含トロッコ車両)て、乗客に気を使いすぎではと思う。新婚旅行先のニュージーランドの展望車は、吹き抜けの車両連結して、自由に行き来できて、通常速度で走ってたぞ。で、私は新妻ほったらかしで、始発から終着までずっと展望車で凍えてて、妻を怒らしたぞ。日本の場合(このトロッコと四万十川のトロッコしか乗ったことないが)、乗車区間を限定して、速度落として。ま、日本の安全基準というものがあるから仕方はないが、しかし、ここのトロッコは車両に木の枝があたりまくって、結構スリルあったぞ。また乗りたいけど、時間が短いなあ、というのが実感。(2001.08.27掲載分から2001.09.12再掲)

無題
先週の金曜日にかずまるは3年保育の予備軍としてはじめて幼稚園に体験入園した。そのバスの中で「ここ何処?」という問いに「まつやまぁ」と言って失笑を買ったらしい。さて、「おおブレネリ」という曲があるが、「おおブレネリ、あなたのおうちは何処、私のおうちはスイッツランドよー」これを日本語に置き換えると、「おまえの家はどこぞ」「おお、わしの家は日本じゃ」「おお、おまえもか、わしの家も日本じゃ、奇遇じゃのー」「ヤーッホーッ、ホートランランラン・・・」となる。まぁ、ヨーロッパの国際感覚が日本と違うという見本なのだろうけど。(2001.09.09)

四季の車窓
今月はCATVの旅チャンネルで土日の午前9時から1時間「四季の車窓」という番組がある。すでに何度か再放送それているが、月によって放送時間が変わったりして、なかなか全部を見ることができない。有名な旅行作家(我が鉄の師宮脇俊三氏と種村直樹氏)が路線を選定して、駅から駅までの車窓をカメラの流し撮りするもので、旅行ものというよりは、やや鉄のおたくに近い内容となっている。本当は30分番組だが、今月は特別に2回分連続放映しており、1回2路線ずつ、1日計4路線の放映がある。今日の4路線目は伊予鉄道高浜線と路面電車の市駅ー道後温泉間が放映された。時期的には松山市役所前が地下駐車場工事中なので、平成8年頃と思われる。ちなみに、目をこらして見ていたが、私は映っていなかった。あたりまえか。(2001.09.08)

趣味の原点と時刻表
私がなぜ鉄道ものを趣味とすることとなったか?子供の頃に住んでいた自宅から徒歩3分くらいのところに鉄道が走っていて、祖母等に連れられてよく見に行ったからかな。当時午後3時過ぎに列車が3本立て続けに通るということを知っていて、祖母等にこの時間になると連れて行けとせがんだらしい。さて、鉄道模型との出会いは、小学校6年の誕生日プレゼントに買ってもらった気動車3両と線路1周分。時刻表との出会いは、小学校3年の時に四国版時刻表を何らかの方法で手に入れて、すでにこのころから自分の思い通りの列車ダイヤを作っていた。大型時刻表については、小学校6年の時に大阪に旅行していて、たまたま昭和49年8月号(小学校6年)を見つけて、その分厚さの割りに350円という私の小遣いで買える書籍だったこと。今、過去の時刻表は全て処分してしまっているが、新幹線博多延伸の昭和50年3月号など、復刻版で買えば1冊あたり10倍近い値段になっていると思うと、つい・・・・・という気分になってしまう。(2001.09.06)

私の青春〜大学編
前に私の青春として宇宙戦艦ヤマトをあげたけど、私の大学生活の青春と言えば、パソコンゲームのウィザードリィである。元祖RPGでドラゴンクエスト等の先駆者的ゲームでもあるが、特にウィザードリィはシナリオが縛られないとあってマニアに受けた。今では、あの感動に魅せられて、そしてあの感動を忘れられずにツクールシリーズでゲームの作成などもやったりしている。しかし、私がこの世界にはまったのは、やはり大学の友人達の影響が大きいだろう。一緒に北海道で死にかけて、今は某大手企業でコンピュータ開発しているK、このHP作るときに世話になり、最近ソフトウェアの会社を立ち上げたT、やはり大手企業でコンピュータ技術で化学開発しているYとか、大学時代をともにし、今も交流が密な仲間達の影響が大きい。そして、20年前、彼らの持つパソコンを拝借して徹夜したアップルコンピュータ時代のウィザードリィ、社会人になってやりまくったファミコンのウィザードリィ、そして20年の時を経て初めて自分のパソコンで体験するウィザードリィ。ゲームの内容もだけど、自分の青春を回顧させる1ページである。(2001.09.05)

私は裸眼を貫くぞ!!
今日は職場でVDT検診があった。いわゆるOA機器常時作業者に義務付けられた検診である。私の5メートル(つまり通常の)視力は右0.7左1.0。また2メート視力は左右とも1.5でおまけがつく。これで来週の免許書換え裸眼合格に明るい材料ができた。3年前のプログラマー時代に右1.2左1.5まで視力を上げて、周囲に変人扱いされて以来、再び視力は低下傾向。とりあえず、ここを乗り切れば5年間視力低下の苦しみから解放される。(て、それでいいんか?)と、妻に話したら「それなら、検査前の針治療は必要なし」そんな殺生な!!(2001.09.04)

頭をうつ病?
かつて、アサヒコムの右の欄に「あなたのうつ病度測定」というのがあった。全25問それぞれ4択で、回答に応じて0〜3点が加算される。で、確か32点以上だとうつ病です、というもの。私は24点だったが、なぜ「食欲がある」「よく眠れる」者はうつ病なのだろうか。私はこれだけで6点加算されてしまっている。これは納得できない。ちなみに、私の妻は身長が低いので、台所の戸棚を低く設定している。おかげで私はよく頭を打ち、一度は脳神経外科に運ばれた。これを聞いた旧同僚のHさん曰く「お前は頭をうつ病だ。」(2001.09.04)

昭和49年頃の宇宙観
今、CATVで宇宙戦艦ヤマトを放映している。昭和49年10月放映開始で私は当時小学校6年生。第1話が余りにも難しすぎて、アルプスの少女ハイジの最終回までほとんど見ることはなかった。で、第1作は39話の予定が26話で放映打切り。。私は第1作に関しては(2作目以降は知らん)、20歳台までは1〜26話まですべての台詞、ナレーションを話せた。さすがに、今は一言一句間違わずにとはならなくなった。さて、今になって、このヤマトの宇宙観がすごいと思ったこと。というより、当時まだ発見されてなかったこと2点。1点目は冥王星の月の存在。冥王星(冥府の王プルート)の発見者はあらかじめ衛星の名にプルートの妻カローンを考えていたと言うが、カローンが発見されたのは確か昭和50年代中ごろのはず。ただ、冥王星の衛星カローンは、ヤマトに出てきた小さい月ではなく、というより連星と言ってもいいほど大きく、カローンの公転の中心は冥王星の地表に出る。2点目は冥王星の外側のアステロイドベルトの存在。テレビには出てこなかったが、設定では「冥王星の外には望遠鏡で確認できるような天体がないことから、小惑星帯ではないかと言われはじめ、最近になって・・・」と書いてあった。それが1992年についにその正体を発見。やはり小惑星であったことが判明した。ただし、ヤマトの必殺技アストロイドベルトができるほど小惑星が浮遊しているわけではない。あと、逆にかずまるに今見せられないこと。それは木星の輪。かずまるは輪のない木星を木星と言わない。(天王星と海王星は話に出てこない。)でも、実際の航行や戦闘シーンの現実性はともかく、あの宇宙観はすごかった。私の青春だった。(2001.09.03)

婦女って?
婦女暴行、男からすれば最低の犯罪だと思うが、男の本能がなくならない限り絶滅することはないだろうなとも思う犯罪。で、ふと、婦と女の違いて何?と思った。別に女性暴行でもいいじゃないか。いや暴行はよくないか。と、もんもんと、いや考えていたら、私の持っている本の中に実にタイムリーな話題があった。日本語倶楽部編の語源〜面白すぎる雑学知識(青春出版社)の中で、「おとこ」の対は「おんな」ではなく「おとめ」であり、男ではなくなった「おきな」の対が「おみな」それが訛って「おんな」だ、とある。そうかー。生殖能力があるかどうかで婦と女が分けられるのかー。とすれば、婦女子の子も納得できる。ってそれでいいんか。(2001.09.03)

本来の募金の意味とは?
最近は、職場の募金にノルマが課せられている。しかも、最近とみにインフレ化している。先日の募金は希望金額500円だったが、今回はついに希望金額1,000円と大台に乗った。1,000円といえば、今後○○の募金が年末を控えてずらっと並んでいるのに、サラリーマンの小遣いからすれば、もはやポケットマネーでは対応できない。妻との交渉が必要となる。阪神淡路大震災の時には、数ヶ月間毎月5,000円ずつ募金していたし、今回だって募金に協力する。協力するから、ひとこと言わせてくれ。それは、もはや募金とは言わない。集金だ。(2001.09.02)

学生時代の北海道の思い出を掲載してて・・・
荒涼としたモノトーンの世界。20年前の記憶をたどってみようと思ったが、よく思い出してみると、わたしゃ結構旅先で死にかけてるなあ、と思った。@昭和59年3月別海町尾岱沼でブリザードの中、買い物に行こうとして、150メートル歩くのに30分かかったこと。帰ったら民宿の主人に怒られた。冬の北海道を甘く見るなと。A昭和60年3月大学の友人Kと2人旅で紋別市の紋別山展望台にてスキー場のリフトで上がったものの「下りは歩いてくださいね」と無責任な管理人の言葉。帰路は雪また雪の中をラッセルすること約2時間。これはつらかった。二人でラッセルする役と踏み固めた後を追いかける役を順番に。そのうち無意識に二人ともが後ろにつきたがる。以来私は歩くときには、ポットの湯とチョコレートを忘れずに持参している。B北海道ではないが、昭和58年8月岩手県八幡平の遊歩道にて、どこかの標識の向きが違っていて、樹海の中を約2時間さまよったこと。(2001.09.02)

私の趣味
私は、中学3年生のときに、まじめに音楽大学付属高校ピアノ学科を目指したことがある。今にしてみれば、行かなくて良かったとは思うが、まあ、一応ソナタの途中までは習った。
私は自分の結婚式で、自分で結婚行進曲を弾いて、妻が一人で入場してひんしゅくかったが、この結婚行進曲はメンデルスゾーン作曲の方である。一般的にはワーグナーの方が有名ではあるが、私がワーグナーの結婚行進曲が好きではない理由は次のとおりである。
そもそもこの曲は、ワーグナーの戯曲ニーヴェルンゲンの指輪に出てくる北欧の英雄ジークフリートと妻グードルーンとの婚礼の時に流れた曲である。しかし、このジークフリートはその直後、妻グードルーンの兄弟に裏切られて殺されるという、あまりめでたい曲ではない。一方、メンデルスゾーンの方は、シェークスピアの戯曲「真夏の夜の夢」全13曲中10曲目の曲だが、現在、そのうちの5部作で構成された楽曲の最終章として演奏される。従って、後がないから、これでめでたく終わるのだー、という理由である。
ところで、ピアノの腕前から言うと、妻のほうが上手であり、私のピアノについて、「あんたの結婚行進曲はやけくそだ」と言う。ということは、あんたはやけくその妻か。(2001.09.01)

大変な惨事
9月1日未明に発生した新宿の火災は、死者44人という戦後5番目の大惨事となった。通常、健常者の場合は火災で焼死することは少ない。防火扉が閉まらなかったとか、逃げるところがなかったとかで一酸化中毒によるものが多く、今回もその傾向にあったらしい。一酸化中毒死の場合、死体は外見上きれいだと言う。各報道で、防火管理者の責任が重いと書いてあったが、この防火管理者とは、主に防火管理者講習受講することによって取得できる。しかし、災害によって責任を追及される防火管理者とは、この防火管理者ではなく、実質防火管理の指示を行える立場にある者を指す。つまり、ワンマン社長ならば、社長が責任を負うことになる。案外忘れがちだが、消防機関の命令権は警察のそれに匹敵する。しかし、知り合いの消防職員は「私たちは、人の命を守る立場なので、ただ取り締まればよいと言う訳にはいかない」とおっしゃられていた。しかし、今回は大惨事だ。多分、消防法が改正されると思う。
今日は関東大震災を教訓とした防災の日。そう言えば、昭和63年の今日、県庁で火事があったな。(2001.09.01)

かずまるとは
なぜ、「かずまる」か?正式には「かずき」と申します。妻がNHK教育テレビ見ていて、「かずき、かずきかずきまる・・・」なぜ、「まる」なのかは、単にゴロが良かっただけらしいが、「モーニング娘。」の後ろにも「まる」がついているじゃないかと思ったのが事の始まりです。もともとは、職場で仕事用のエクセルファイル名にかずまる(kazmal)と命名したのですが、なんと、今ではこのファイルで計算されたデータが我が全職場で使われています。あと、かずまるで計算されたデータをエクセルVBAで自動書き込みさせる「こじゃる(kojal)」というファイルも存在しています。(2001.08.31)

確かに2001.03.24(土)であった。
この日は年度末で、仕事の事業が最終段階に入っていて、土曜日の休日ではあったが出勤しようとしていた。すると、かずまるは普通私が出勤するときは「パパー、ばいばーい」と言うのに、この日に限って「パパー、会社ないよー」と繰り返し叫ぶのであった。私はその時、「とりあえず、今日は交通事故には気をつけよう」と思いながら、自転車をこいで休日出勤した。そして、その日の午後3時半少し前に芸予地震が起こった。(2001.08.25)