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岡玄磧 十五郎翁の息子 松山藩の医師
岡玄磧 十五郎翁の息子 松山藩の医師
天保2年(1831) 辛卯(かのとう) 生
明治35年(1902)壬寅(みずのえとら) 寂
旧2月20日 新暦3月29日
土曜 先負 辛亥(かのとい)
行年73才 齢 樹 義 勸 居 士
妻 イヨ
文政6年(1823) 癸未(みずのとひつじ) 生
明治33年(1900)庚子(かのえね) 寂
舊12月13日 新暦明治34年(1901)年2月1日
金曜 赤口 庚戌(かのえいぬ)
行年77才 本 空 自 覚 大 姉
イヨは御殿女中 8歳年上の姉さん女房
二人は武家ご法度の恋に落ち・・・姉の庇護で中島に・・・
「岡家」に婿入り 中島で医業を営む・子なし
墓詣でする福田スミエ(松山市中島町 福田家 我が家の本家
い‐し【医師】
 所定の資格を得て、病気の診察・治療を業とする人。医者。
 令制で、療病、医生の教授をつかさどる典薬寮の職員。
また、江戸幕府の職員。
正面 左面   妻 イヨ 「浮線蝶」 右面   岡 玄碩 「五三の桐」
(ふせんちょう)
齢 樹 義 勸 居 士
本 空 自 覚 大 姉