第54回 しかたがない・・・
毎年、この時期に訪れるお寺がある。別にお参りに行くわけではない。染井吉野より2週間ほど早く、見事な花をつける乳母桜を観るためだ。この乳母桜は、テレビや雑誌が開花予想で賑わう頃に満開の花を咲かせる。車を降り、山門をくぐり抜けたところにちょっとした広場があり、その中央にしっかり根を下ろし、堂々とした佇まいを見せている。 この桜の周りは、ベンチに腰かけ俳句を読む人たち、白いカンバスに向かってひたすら筆を走らせている人たち、ベストポジションを確保し撮影に余念のない人たちで賑わっていた。これもまた、例年通りの景色だ。普段はほとんど訪れる人もいないであろう山寺にとって、きっと年に一度の盛大な宴なのだろう。その主人公である乳母桜には、無数のメジロたちも応援に駆けつけて、華やかさにいっそうの彩りを添える。 毎年観ているのに、やはり今年もカメラを向けずにはいられない。今年の被写体は乳母桜そのものではなく、片時も休むことなく花から花へと動き回っているメジロたち。メジロはその名のとおり、まるで白いペンキで縁取りされたかのように、目の周囲に白い輪があり、実に愛くるしい顔をしている。よく観察すると、その白い輪は体毛の一部で、そこだけが白くなっているのが分かる。 「ふ〜ん、『乳母桜伝説』って云うのがあるんですね。」ヒカリが興味深そうに立て看板を読んでいる。この乳母桜にまつわる伝説が日本語と英語で書かれている。 「ヒカリ、どっち読んでるの?」 「まずは、日本語で。言われなくても、あとで英語も読みますから、ご心配なく。」 こちらとしてはもう少しいじりたいのに、軽くあしらわれてしまった。他の生徒も熱心に英文を書きとめている。もうこれ以上邪魔するわけにもいかない。しかたがないので、動き回るメジロに焦点を合わせシャッターを切った。 さて、今も何気なく使った「しかたがない」という日本語だが、英訳しようとするとかなり厄介な言葉だ。辞書を調べると、It can't be helped. You can't help it.などと訳されているが、状況に応じた訳し方が必要だ。例えば、次の場合はどのように訳せばいいのだろうか。 1. 「アメリカのイラク攻撃を支持したことで、小泉さんの人気が急落したんだって。」「したかがないと思うよ。」 2. エラーは誰でもするものさ。君のエラーで試合に負けたのは、しかたがないよ。(慰め) 3. 「ここまで歩いてきたの?」―「タクシーを拾えなかったのだから、しかたがないだろ。」 4. 受験するのではないのだから、心配してもしかたがないだろう。 5. 本当はあまり厳しいこと云いたくはなかったんだけど、本人のためだから、しかたがなかったんだ。 6. 君がお金に困っていたのは分かっていたけれど、僕も持ち合わせがなくて、しかたがなかったんだ。 7. そこまで云うのなら、しかたがありません。わたしも手を抜かないで、本気でやりますよ。 8. 決意が固いのでしたら、しかたがないですね。自分の思うようにやってみなさい。 それぞれ、次ような訳が考えられる。 It's not surprising. It's not your fault. I had no choice. It's no use your worrying. I did it against my will. There was nothing I could do for you. もちろん、他の訳し方もある。また、先に紹介したIt can't be helpedでも代用できるケースもある。が、やはり物足りなさはぬぐえないので、それぞれ個別の状況に応じた訳し方が要求される。さらにトリッキーなのが7と8。どうしてトリッキーなのか分かるだろうか。それは、「訳す必要がない」からだ。 ちなみに、7と8の「しかたがない」を取り除いてみるとよく分かる。 7. そこまで云うのなら、私も手を抜かないで、本気でやりますよ。 8. 決意が固いのでしたら、自分の思うようにやってみなさい。 このように、「しかたがない」を取り除いても、文意はまったく変わらない。 |