第34回                         Karen 

 まだお彼岸も終わっていないのに、連日20度近いぽかぽか陽気が続き、 このままだと大宝寺のうば桜などもう花を咲かせてしまうんじゃないだろうかと心配するほど。

 Once upon a time, a wealthy man asked Yakushi, the main image of this tmeple, to give him a baby. He was given a baby girl and he named her Tsuyu, drew drop. A nurse took very good care of her. But suddenly one day her milk dried up. They prayed to Yakushi and she recovered. The weathly man built a hall in thanks for her recovery. They say this is the main building of Taiho-ji, this temple. Tsuyu grew up to be a very beautiful young girl but when she was at the age of 15 she became seriously ill. The nurse prayed to Yakushi to take her own life for the girl's recovery.
  "Please plant a cherry tree in thank to Yakushi," she said. As she died, the wealthy man planted a cherry tree as she wanted. Strange to say, a few milky colored cherry blossoms bloomed directly from the trunk and their shape was said to be very much like the nurese's breasts.
 This story was translated into English by Lafcadio Hearn in the late 19th century. It is one of the stories in Hearn's book, Kwaidan, which was published in England and the US.

 そんな陽気の中を、ヒカリとブレスがやってきた。
 彼女達が、
 「レッスンを受けたい人がいる」
とカレンという女性を紹介してきた。ソダチザカリの二人とは違って、どちらかというと華奢で色白な女性だった。染めたのではなく、もともとの色だという亜麻色の髪がアーモンドアイによく似合う。が、少し話してみると、そんな外見からは想像できないほど、芯のしっかりした、一本筋がとおっている感じのする女性だった。
 今は英語とは直接かかわりのない仕事をしているが、将来は英語を使う仕事に従事したいと考えている。先日も、英会話スクールのインストラクターに応募したのだが、資格によって仕事内容が異なるらしい。彼女としては、大人を対象としたレッスンを受け持ちたかったがそのためには英検準1級が必要だという。
 「2級は持っているので、今年中には準1級を取りたいんです。」
 彼女の言葉の端々から、力づよい決意の表れが感じ取られるが、少し気負いもある。むろん、気負いがなければ英語の勉強など続けておれない部分はあるのだが・・・。
 まず、英文を読んでもらった。彼女の英語を聞き終えた後、ヒカリもブレスもなんともいえぬ心地よい余韻に浸っていたが、それは私とて同じだった。まるで美しい旋律を奏でるフルートの音色を聴いているような錯覚に陥ってしまった。ネイティブと変わらぬ流暢さで英語を話す。英語の音声変化を完全に自分のものにしているからだろう。これは、たとえば、歌が極めて上手な人がまれにいるように、持って生まれた音感センスの問題かなとも思う。
 「どうしたらアメリカ人みたいに話せるようになるんですか?」
 二人が身を乗り出して尋ねる。
 「中学校の時に熊本に住んでいて、そこでSSH(Sound Spelling Harmony)という学習法で英語の音声をみっちり指導してもらったことはあるの。英語の音に一つずつ番号が付けられていて、それを徹底的に覚え込まされたんだけれど、もし発音がいいとしたらそのおかげかも。他に特別なことはしていないから。」
 
 『今や英語は国際語となっているのだから、さまざまな英語があってしかるべきで、ネイティブのように話せることが必ずしも必要なわけでない』という主張もそれはそれで十分理解できるのだが、彼女のような英語を聴いていると、心のどこかでやはり"speak as fluently as a native speaker of English"に憧れてしまう。

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