ここには、考えを思いつくまま書きつづってみようかと考えています。 おそらく内容は、時と共にそして私自身の変化と共に、変わってゆくと思います。「思いついた時に書き、しばらくそのまま漬けておき、また取り出して書き直す」 という気楽な気持ちで書きます。そんな不謹慎なページですが、 よろしければお付き合いください。 読んでくださった方のメールも載せたいと考えています。 

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4 2000. 8.20 生徒の学力
3 2000. 8.18 英語教師の英語力
2 2000. 1.11. Language Laboratory, out-of-date or up-to-date?
1 1997.10.25 The Goal for English Teachers

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生徒学力=テストの成績?

 「生徒の学力って一体なんだろう」と考えたことありますか?ほとんどの教師(私も含めて)は、あまり深く考えず、英語の学力=テストの成績と受けとめ、定期テストや校外模試の結果でその学力を判定していると思います。
 では、高校生が身につけておかねばならない英語力というのは具体的にはどのような力なのでしょうか?
 実用性と考えるならば、空港でのアナウンスが理解できたり、郵便局で小包を送ったり、駅の案内所でその町のホテルを予約したり、レンタカーを借りたりできる語学力がさしあたり必要だと思います。
 また、アパート、コンサート、求人などの広告、イベント案内等から必要な情報を拾って読みとる力(スキャニング)も大切だと思います。英語の雑誌などから見つけて生徒に与え、スキャニングに慣らせておく必要があると思うのです。少し形式は異なりますが、商品のラベルに書かれてある「注意書き」は、最近英語で書かれている商品も多いので、良い教材になると思います。PL法施行以降、日本でも思わず吹き出しそうになる注意書きを見かけますので、外国製品ならなおさらだと思います。
 教材として活用するのであれば、必要な情報を読みとらせたり、どういった商品の注意書きかを推測させるのも面白いと思います。以下に、身の回りで見つけたラベルから引用したものを紹介します。使えるようでしたら、授業でどうぞ。


 This (    ) is a general purpose not for tumbling-type activities. It is NOT to be used as a crash or landing (    ). Any activity involving motion or height creates the possibility of serious injury, including permanent paralysis and even death from landing or falling on the head or neck. This (    ) cannot and DOES NOT eliminate this hazard entirely.
 This (     ) is intended for use ONLY by properly trained and qualified participants under supervision of a trained, professional instructor. Use of this (    ) without proper supervision is DANGEROUS and should NOT be undertaken or permitted.
 これは、運動をするときに使う用具の WARNING です。「誤った使い方をすると、半身不随になったり、死に至ることもあるので専門家の指導のもとで適切な使い方をして下さい。」と書いています。こんな何の変哲もない用具にさえ、こんな大仰な注意書きをしなければならないのは大変なことですね。                             答え: mat
 This products is more resilient than ordinary jelly products. Therefore, if you swallow without chewing it, you may choke on it. Rather than slurping this product, pinch the bottom of container and chew well, or use spoon and eat it small portions.
 Please cut this products into small bite size pieces before allowing a small child or elderly to eat this product.
 Please do not heat or freeze this product. 
 resilient=弾力のある slurp=吸い込む  pinch= つまむ
さて、これはどんな食品についての注意書きでしょうか?女の子に人気のある食べ物です。             答え:蒟蒻畑(ゼリー)
 (      ) is a healthy beverage that smoothly supply the lost water and electrolytes from perspiration. With appropriate density and electrolyte fluid that is close to that of human body fluid, it can be absorbed into the body immediately. At work, when playing sports, after bath and when waking up, (      ) is the most approproate beverage to ease one's thirst that the body needs in the varying scenes and situations in one's life.
 汗をかくとつい自販機で買ってしまいますよね。最近は似たような商品が多くなったので、答えに少し迷うかも知れませんね。ヒントは、汗。
(      ) 内を商品名で埋めて下さい。                                            答え:は要りませんよね。
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     高校の先生の英語力ってどのくらい?

 私自身の英語力が貧弱なので、このテーマを取り上げるのにはかなりの勇気が要りましたが、 実はこのテーマは、私の入っているメーリングリストでもかなり話題となり侃々諤々の議論が展開されました。 実は現場の英語教師間では、お互いの英語力について語るのはタブー視されているようなところがあり、 本当のところお互いの英語力はあまり分からないものです。せいぜい、「模試の成績を偏差値でどのくらいアップさせた」とか、「ALTとよく話している」という程度の認識しかないものです。実際の英語力は、教師によって異なり、一般化して論じることは難しく、現役英語教師の英語力がどのくらいあるのかを推測するのはあまり意味がありそうもないので、「どれくらいの英語力が必要なのか」を考えてみたいと思います。
 先ほど述べた大学入試の指導力も実際には重要な英語力と言えますが、それは本来の 「コミュニケーションの手段としての英語力」とは別物だと思います。具体的には、英検やTOEICでどのくらいのレベルにあるかというのも一つの基準になると思います。
 リスニングのスピードや全体の問題量を考えると、教師の英語力を測るにはTOEICが良いと考えます。 リーディングについても、スキャニング、スキミング、速読とあらゆる能力が要求され様々なシーンでの英語力が試されます。 また、5点刻みの得点を通知してくれる点も評価できます。さらに、評価基準が一定になるように作成されており、 学習の進み具合を確かめるのに適しています。
 それでは、めざすスコアはどのくらいでしょうか。 800が一つの目安になると思います。大学生の平均が約570ですので、 おそらく特にTOEIC対策の勉強をしていなくても現役教師なら700は軽く取れます。 問題集やテキストでTOEIC対策の勉強をすれば、さらに100はアップすると思います。 ただし、この800というのはあくまでも少なくとも取るべきスコアで、スコア850以上を維持できる英語力が望ましいと思います。 10年前に850取ったというのではだめだと思います。 現場の教師全員を対象に、年に一回程度公費で受験できるようにすればどうでしょう。 850以上を維持するためには日常的に英語の勉強を続けなければならず、 特にリスニング、リーディングの分野での自己研修としては最適です。但し、 この英語力というのは、必要条件であり、これだけで十分と考えているわけではありません。 その他にも、スピーキング力やライティング力、英語に関する知識、海外体験、 授業での指導力といった要素も必要だと思っています。スピーキング、ライティング、日本語力の観点からは英検の準1級レベルの英語力も一つの基準になると思います。ちなみに、英検準1級は、TOEICスコアに換算すると750〜850くらいだと思われます。
 TOEIC850を維持する英語力(英検準1級)が、高校の英語教師には必要条件 

 あるMLで、「教師の英語力と人間性のどちらを優先すべきか」といった議論がなされていましたが、ある程度の英語力は、英語教師として必須条件なのではないでしょうか。さて、高校の英語教師の英語力について、皆さんは、どのようにお考えでしょうか。
 それから、英語力とは別にやはり英語の必要性を授業の様々な場面で生徒に説く教師としては、海外での生活体験は必要なのではないでしょうか。飛行機の予約や乗り継ぎも一人でできない、あるいは、したことがない教師が、外国事情についての授業ができるでしょうか?教師が気軽に留学できる環境を整備する必要があると思います。念のため言っておきますが、留学しないと英語力が身につかないなどと主張しているのでは決してありません。英語を純粋にコミュニケーションの手段として使える環境で生活する体験が、教師には必要だと言っているのです。

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  Language Laboratory, out of date or up to date?

 
このページで2年前に書いた文章" The Goal for English Teachers "を、改めて読み返してみると、 「大上段から振りかざした、なんて挑戦的な文だこと」と自分でも恥ずかしくなるやら、 「他人には厳しく自分に甘い」私の性格がストレートに出ている文だなあと苦笑いしたり、 いろいろ反省させられることしきりでした。研究会でのプレゼンと違い、このHPというのは、 不特定多数の方々が読まれ、文字として記録にも残るので、 自分の考えをよく吟味して文章化しなければならないと冷や汗ものでした。とは言うものの、 "The Goal for English Teachers"は、 当時の自分の気持ちを率直に書いたものなので、 2年前の私の考えとして消さずにこのページに残しておきます。 ところで、今回は、「英語教師のめざすもの」といった大きな題目ではなく、 「英語教師として、私ができること」について書いてみたいと思います。 確かに、たった一人の英語教師ができることなんてたかだか知れているとは思いますが、 それでも自分にしかできない何かがある と信じたいものです。それは、一体何だろうか。 この疑問に答えることが私の英語教育に取り組むエネルギーの源となっていると言っても過言ではありません。 そして、あちこち回り道をしてしまったのですが、 ここに再度「LLの活用」 という結論に達したのです。(今後、別の結論が見つかるかもしれませんが・・・。)
 コンピュータ、インターネット全盛の時代に 「LLはもう古い」と言われそうですが、本当にLLはその役目を果たしたのでしょうか。そして、 時代が求めているこれからの英語教育の実践のためには、その座を次世代の教育機器に譲らねばならないのでしょうか。 ここでは、LLが英語教育に果たした役割や学校現場におけるLLの現状について端的に述べたいと思います。
 LLは、おもに次のような授業でのみ活用されてきました。

1

 LLの授業やビデオ視聴のために使う。(このビデオ視聴というのがLLの主要な利用目的となっているのは寂しい限りです。)
2


 LLの授業に代わるOC(オーラル・コミュニケーション)の授業で使う。ただ、多くの英語教師は、これらの授業でも「どうしてもLLでなければならない」というほどの必然性は感じていないように思われますし、英語T、U、リーディング、ライティングなどはもっぱら普通教室で行われます。

 LLの大きな機能は、「(1) 個別学習」ができる点にあると考えられますが、語学の授業で教師一人がカバーできるクラスサイズというのは、 せいぜい20人までと言われています。日本のように語学を40人というクラスサイズを抱え、入試に対応できる英語力をつけるには、 効率が優先され、必然「個別学習」より「講義形式」の方が好まれるのです。そのためLLは敬遠されることになるのです。 また、LLがカバーできる分野は、リスニング(以下Lと略)が中心で、リーディング(R)やライティング(W) の指導には向いていないとも考えられがちです。
 確かに、Lの分野でその効果が大いに発揮されるのは間違いないのですが、RやWの指導においても効果的な指導ができます。 と言うのも、私の指導の基本は、シャドウイングとサイトラとサマリー・チャートなので、これらの指導をするためには、 LLは不可欠なのです。これらの指導法が互いにどのように結びつきあっているかを説明します。 


つづく・・・ (要するに、書きたいのは、 OC以外の授業でも活用できるにもかかわらず、「LLは管理が大変である」とか、 「教師がその操作に不慣れである」ためにその長所が十分理解されず、利用価値が不当に低く評価されている。 LLだからできること、LLでしかできないことがある。 ということなんですが、まだ考えがまとまらないので、とりあえず本日はここで「つづく...」とします。あしからず。)

 今日は、1月21日(金)です。
 前回書いたのが、11日だったので丁度10日経ったことになります。続きを・・・と思いつつ、別のページで"Shadowing +α for Reading aloud"というのを平行して書いていたら、やっぱり話題がLLにつながってしまいました。 ここはひとまずそちらの方の進展具合を見ることにします。まあ、どちらにしてもLLでの実践が伴わないと話は前に進みませんけど。

参照
(1)One of the most important effects of the language laboratory is, as Dakin, Julian ( The language Laboratory and Language Learning. 1973. Longman, London.) states, “to isolate each learner from his fellows.”
 He goes on and presents these five different ways in which learners are isolated:
1. Each learner can work all the time.
2. Each learner can work at his own pace.
3. Each learner can work on his own materials.
4. Each learner is responsible for his own performance.
5. Each learner receives individual attention from the teacher.
  It should be remarked that isolation of learners is not really possible in ordinary secondary-school classes in Japan which consist of 40 students on average. Language laboratory teachers are, therefore, expected to plan activities in his class so that each student is guaranteed some degrees of isolation in which they can work on their own with their tape-recorders: listening to the model, repeating after it, listening to their own sounds or utterances, comparing them with the model, and re-recording them until they are pleased, without being bothered by their fellows.
("Principles of Language Laboratory Lessons" 『英米学研究 No.26』 文教大学女子短期大学部英語英文科紀要. 1992.)

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The Goal for English Teachers

英語教師のめざすもの    
Updated on Oct. 25, 1997

1 実用英語と受験英語の両立をめざして  

  以前、このページで、私の考えるコミュニカティブな活動のある授業を実現するために、シャドウイングやキーワードを用いた要約指導の提案をしました。その後、ディベイトに結びつくサマリーチャートや場面設定会話指導をホームページ上で紹介してきました。今後も私が実際に教室で実践してみて、皆さんにおすすめできる指導法があれば紹介したいと思っています。 
 さて、今回は、わたし自身若い頃に味わった挫折感やジレンマをもとに、「実用的な英語の指導を阻む要因」と「その要因をいかにして取り除くか」ということについてお話ししたいと思います。
 もちろん、最大の阻害要因は、言うまでもなく文法指導に重点を置いた、いわゆる偏差値至上主義派の教師自身。このような考え方は、今日明日すぐに変わるものではありません。このタイプの教師は、たいてい自分が実用英語を学んでいませんし、また、実用英語を身につけても、入試には役立たないと頑なに信じています。すなわち、「実用的な英語を教えようとすれば、入試に通用する英語力をつけることができない。」と旧態依然の文法指導に重点を置いた授業をしています。実用性のない英語とか、コミュニケーションの手段としてはほとんど役に立たない英語を教えるだけであれば、これほど楽なことはありません。与えられた環境の中で、授業を工夫し、実用的でかつ入試に通用する英語力を身につけさせる方策を見いだす努力をするのが英語教師の務めだと思います。その意味では、生徒以上に教師自身に常に努力を続けるという姿勢が要求されるのです。
 また、偏差値というプレッシャーに押しつぶされる教師もまた、阻害要因の一つであると言わざるを得ません。彼らは、実用的な英語を教えることこそ真の英語教育の在り方だと信じており、一見自分の信念に従って教育しているように見えますが、実は現実から逃避し、入試に通用する英語力をつけることをあきらめている教師。こういった教師は、偏差値至上主義派の標的となり、「実用英語とか会話ばかりやっているから、(模試の)結果を出せないんだ。」という主張がまかり通ることになり、おかげで実用英語推進派の肩身はますます狭くなるのです。 
 
 次に現在も実際に英語と関わって生活している人たちの、自分たちが受けた学校英語に対する声を紹介し、どのような英語教育が求められているのか、そして学校英語の問題点は何かを考えてみたいと思います。

     今アメリカで思うこと      五十川節子(主婦・アメリカ在住)

 ・・・こんな私が、これは聞いておいてよかったなと思ったのは、NHKの” とっさの一言”という5分間の番組だった。日常会話で話がとぎれることなく、 相づちを打ったりオウム返しに返答ができるのは、理想であるが、一年半経過した今でもそれは難しい。
 でも、 この番組は本当に現場に即した場面や言葉を捜し出して紹介しているなと感心したものだ。

    もしも子供に戻れたら       河野万里子(翻訳家)  
 ・・・4歳からやりたかった、とは言わない。せめて、学校で、 もっと視聴覚英語に力を入れてほしかった。生の音に触れさせてほしかった。 それがとても大切なことなのだと教えてほしかった。そうしたら今私は、 翻訳をする過程が、もっとスムーズで早くて楽だったに違いない。著者との連絡も、 もっと気楽に、頻繁にとれたに違いない。

語学力あってのhospitality     田代則行
                (熱海後楽園ホテルゲストアテンダント支配人)

 ・・・旅行スタイルと生活習慣では多少意味が違うかもしれませんが、 外国人、特に英語圏での生活習慣も自然と慣れ親しめるように、 英語教育の中に取り入れていくことも大切だと感じます。例えば、 学校教育の中にディベート、ディスカッションを積極的に取り入れ、 自分の考えを相手に伝えていく訓練をすることなど。
 私たちが勉強してきた文法中心の、受験のための英語が、 いかに無益であったかを感ずるとともに、実用的な内容で、 中学生頃より楽しく英語に親しめれば、もう少し視野の広い考え方も身に付いたのではと、 残念に思うことがあります。
 ぜひ、役に立ち、勉強していてよかったと思える英語教育をめざして欲しいと思います。

                           「英語通信 No.12 May 1996」大修館より

 どうでしょうか。こういった声を聞くと、相も変わらず訳読・文法中心の授業を続けている英語教師の責任の大きさを痛感せざるを得ません。「そうは言っても、大学入試という大きな壁がある以上、コミュニカティブな英語とばかり言っているわけにもいかない。」とおっしゃる向きもあるでしょう。しかし、実用英語と入試英語はまったく別物なのでしょうか。 
 私の考えでは、両者は急激に接近してきていると思います。分かりやすい例を挙げると、実用英語の代表格である、いわゆる「英検」で2級を取得していれば、センターテストで、150点前後の得点は取れるでしょう。つまり、センターテストに代表される大学入試問題が、実用的な英語能力を求める問題に変わってきたのです。もちろん大学入試問題と実用英語との間にまだまだ隔たりがあることは否定できませんが、ここ最近の入試問題の変容を考えると、大学入試を大義名分としていつまでも旧態依然の授業を続けているのは、やはり教師の怠慢でしかありません。教師があきらめるのは簡単です。しかし、こういった指導は、生徒を裏切っていることになるのです。教師がコミュニケーションを図るための道具として英語を教えようとしなくなれば、生徒にとって、実用的な英語を身につけることとか、コミュニケーションの楽しさを学ぶことはまったく不可能となります。

2 Autonomous learnerの育成をめざして  

 それでは、英語教師はなにをめざすべきなのでしょうか。実用英語を身につけさせるためにもっとも大事なことは、英語に興味を持たせたり、英語でコミュニケーションを図る喜びを教えること、また、そういった機会をできるだけ多く与えることだと思います。これができれば、生徒自身が英語を学ぼうとするので、教師は生徒に、英語を学ぶ方法や材料を提示するだけでいいのです。 
 確かに、私も週に5、6時間程度の高校の授業中だけで、生徒に実用的な英語力を身につけさせることができるとは思っていません。授業方法の工夫と同様に、いえそれ以上に、授業以外の場面で生徒が自主的に英語を学ぼうとするインセンティブをいかに植え付けられるかが重要だと思っていますし、私の授業では、そういう生徒を一人でも多く育てることを目指しています。そのために授業方法をいろいろと研究してきたつもりです。それが、シャドウイングを活用したリスニングやリーディング指導であり、キーワードやサマリーチャートを用いた要約指導、そしてディベイト指導であったのです。
 念のため付け加えておきますが、私の提唱しているのは、授業時数や補習を増やして教師自身が自分の負担を大きくしたり、あるいは本来は別の学校活動に当てるべき時間を割いて英語の授業を確保するといった方策ではありません。後で紹介するメールの中で昭和女子大の緑川日出子助教授も述べておられるように、「いかに教えないかについての工夫」をなすべきだと考えています。


 昨年(1996年)、高教研英語部会で講演された昭和女子大緑川日出子助教授と、メール交換をしましたが、そのときの私と緑川先生のメールを紹介し、「いかに教えないかについての工夫」の持つ意義とそれがもたらす効用について考えてみたいと思います。


Email to Ms. Midorikawa from Nogami

・・・略・・・大会でのご講演とても興味深く聴かせていただきました。特に先生の 「ペ アワークによる生徒同士の活動」を重視されている点や「キーワードー、キーセン テンス を用いて大意把握をさせる」といった指導法には共感を覚えました。と申しますのも、大会 の研究発表で私もそういった趣旨の発表をしていたからです。(シャドウイング指導とキー ワーズによる大意要約指導というレポートです。もしお持ちでなければ 私のホームページ でも紹介する予定ですのでご連絡いただければ幸いです。)ですから、先生の講演内容には 私自身とても勇気づけられるものがありました。
 私の授業に対する基本理念は、「教室は生徒のための舞台である。」ということです。つま り、生徒が教室以外の場で積み重ねてきた努力と練習の成果を発表する舞台だと考えています。授業中に教師が生徒の指導できることはたかが知れています。とくに、現状ではク ラスサイズや英語の授業時間数等を考慮するとリーディングやリスニング指導に関しては毎時間一人一人にきめの細かい指導ができるものではありません。したがって、教師の仕事と しては、「教室以外の場で、生徒がいかに英語に興味を持ち、自主的に英語を学ぼうとする 姿勢を身につけさせることができるか」、「手を変え品を変え( = アイデアを凝らし)英語に対する新鮮な刺激を与え続けることができるか」ということだと思っております。
                                          野上

Return mail from Ms.Midorikawa

 野上様、多くの点で同じように考える仲間がいると知るのはとてもうれしいことです。おっしゃるとおり教師の役割の多くは、self-directed learnerとかautonomous learnerを作り出すことであると思います。自分の英語学習歴を振り返ると、教室授業の傍らで教室よりさらに強いモーテイベーターがあり、そのために教室授業もがんばれたように思います。
 わたくしの場合は、それは米国婦人の英語クラブ指導であり、米軍基地訪問であり、さらには、 アメリカの高校生との文通でありました。全部生きた英語との接触でした。従って受験のための教室授業も苦しくても励みになりました。今は街には外国人がおり、メデイアでも外国の情報が豊富でそれらが昔ほど刺激的ではないでしょうから、昔の生徒ほど外国語学習にも熱が入りにくいかもしれませんね。そんな中で、自ら進んで学ぶ生徒を作るのはそんなに簡単ではないでしょう。それでも授業を可能な限りcreative, productiveにすることで学ぶことを楽しむ生徒を作ることは可能でしょう。そのような時間を生み出すためにも教師はいかに教えないかについて工夫をする必要があるでしょう。伝統的な訳読の授業からparagraph readingにかえることの必要性も、それが本来の読みの技術であるというほかに他の時間を作り出すためにも必要な読み方というわけです。Reading教育の専門家Frank Smithの"Learn to read as little as possible."という言葉は実に示唆に富んでいるとお思いになりませんか。
  WritingをSpeakingに続けるという先生のお考えに賛成です。しかし、そういうこともあるし、その逆もあるでしょう。どちらもproductiveな活動ですが、両者をどこまで完成させたいかにもよるでしょうね。また、最初に話させようとしてもなかなかうまくいかないこともありますから、先生のおっしゃるようにWritingからSpeakingのほうが現実的でしょうか。  
  わたくしは、大修館書店の『第二言語習得研究に基づく最新の英語教育』という書物の中でwriting指導法の解説をしています。その中でprocess writingを詳しく解説説明していますから、機会がおありでしたら一読下さい。高等学校でも大学でもこの方法を用いて指導しています。この活動の一方でoral productionを取り入れたwritingを指導するのです。process writingは教室外で作業をさせることが多いので、一方でスピーチやスキット、作文のためのビデオ利用どが可能になるわけです。先生がおっしゃるとおり、教室は慢性的時間不足です。そこで、大切なことはしっかり指導し、後は教室の外で進んで学ぶ生徒を作ることがとても大事ということになりますね。  
 さて、私はみなさんの大会の発表主旨などはまったくいただきませんでしたので、先生のご研究についてコメントをさせていただくことはできません。ホームページを開いておいでとのこと、アクセスの方法をいただけましたら、読ませていただきたくよろしくおねがいいたします。
 Thank you very much for sending me an e-mail. It was really a pleasant surprise to hear from some one who listened to my speech at the conference in Matsuyama. I was lucky to be able to read your mail at the time when I am relatively free. I may not be able to respond to you as promptly as I wish once I go back to work, and you may hear from me in English, since typing in English is many times faster than writing in typing in Japanese. Otherwise, I'll be more than happy to write to you too. I hope the New Year will turn out to b e a still greater year for you.
                                       Sincerely  Ms. Midorikawa

さて、「いかに教えないかについての工夫」とはいったいどういう指導を指すのか、そしてその指導が高校の授業でどれほど重要であるかを理解していただけたでしょうか。もしご理解いただけたなら、今日から共に、autonomous learnerを育てる授業を工夫、実践しようではありませんか。
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