LOVE <後> |
14日の午後は3時過ぎ…。 直江信綱がどこにいるかというと、彼は機上の人だった。 眼下に在る空港がだんだんと小さくなる。 高耶さんはまだ見送ってくれているだろうか……。 いってらっしゃいと笑顔で送られ、土産も期待してるなとしっかり頼まれた。 あんまり笑顔がキラキラしていたから、せっかくの週末(しかも、バレンタイン!) を一緒に過ごせなくても彼は淋しくないんだろうかと悲しくなった。 愛しい恋人の顔を思い浮かべると、ついつい深い溜息が洩れてしまい、そんな自分が 悲しいやら情けないやら……。 バレンタインの機内サービスですと配られたチョコが、よけい虚しさを誘う。 不動産業に土日が無いことぐらい百も承知しているが、やはり嫌な時は嫌なのだ。 兄に地方の物件の視察を頼まれたのは一昨日のこと。 「はい?出張です…か……?でも、その件はかなり大きな契約だから兄さんが直接 出向く話だったのでは…」 冗談ではない。 週末は高耶さんと思いっきり楽しもうと、あれやこれや計画していたのだ。今更、 キャンセルだなんて絶対にナッシング。 専務の自分では役不足だと、暗に匂わせながらやんわりと断ろうとしたが。 「忘れていたんだっ!」 兄の悲鳴に近い切っぱつまった声が、直江を遮る。 「はっ??何をですか?」 「父兄参観」 「…………」 「昨日、週末は出張だと告げたら、嫁さんと娘に『パパ、忘れたのっっ!』てダブ ルで怒鳴られた…」 今度の参観は年度末ということで各自の学習発表会の形式らしく、勉強に拘らずそ れぞれが得意なもの好きなものとかでの発表になる。 楽器演奏あり、算数パズルあり、社会見学時の発表ありと実に多彩だ。 姪っ子は何をするのかと尋ねると、彼女が通っている新体操教室の技を友人と披露 するらしい。 当然、パパにもしっかりビデオ係りというお役目がある。 愛妻家兼、マイホームパパを自負している兄だ。 「…それは…確かに不味いですね…」 不味いのは解るが、こちらも譲れない。 きっぱり断ろうと口を開いた矢先に、兄の先手。 だてに先に生まれてやいやしない。 「そうだろぅ、お前なら解ってくれると思っていたよ。先方さんには、お前が行く と先ほど連絡しておいたから大丈夫だ」 我が意を得たとばかりにガシッと両手を掴まれ、ブンブンと振られた。 先ほどって…本当は決定の事後承諾ですかと兄を恨んだが後のまつり。 手際よくチケットや書類を手渡され、今は狭い座席に座っているという次第。 ポゥーンと機内ベルが鳴り、ベルト着用サインが消え客室乗務員がサービスにまわ りだした。 直江は資料に目を通そうかと、アタッシュケースを開けた。 と、自分では入れた覚えのない包みが一つ。 「何だ?」 封もしていない紙袋を覗くと、中には高耶愛用のMDウォークマンと直江へと書か れた白いカード。 カードの裏面には、これまた素っ気無く『聴け』と一言だけの殴り書き。 「???…」 取りあえず素直にヘッドフォンを耳に当て、電源をオンにする。 聞こえてきたのは、数人のざわめきや、ヴァイオリンのチューニングの音。 少し篭った感じがするからどこかのスタジオ内だろうか…。 やがて足音とドアを締める音がして、しんと静かになった。 『直江…』 耳にまろび込む、和(やわら)かい声。 『……っと、…えーと、そのな……』 何やら気恥ずかしいのか、なかなか次の言葉が続かない。 『あぁん、もう、じれったいわね。貸しなさい』 綾子? 彼女の性格によく似たしゃきしゃきした口調が、文字通り耳に飛び込んでくる。 『直江、よく聴きなさいよ。これから高耶があんたにヴァレンタイン用の曲をプレ ゼントしまーす。未来の比類なき演奏家による、ただ一つのあんただけのモノだか 心して聴くようにね。』 『姉…さん……勘弁してくれ』 『何言ってんのよ、あんたが曲を渡すって決めたんでしょうが』 『そうじゃなくて、比類無きとかの……』 『男が細かいこと気にすんじゃないのっ。ほら、さっさと準備して』 バシッと背中を叩く音と、咳き込む様子の高耶。 (こらっ、高耶さんを手荒に扱うな綾子!) 仲がいい割には普段の力関係が知れる様子に、思わず直江は拳を握り締めた。 もっとも仲間内でも彼女に頭が上がる者はいないのだが……。 『曲は、クライスラー”愛のよろこび”。ヴァイオリン仰木高耶、ピアノ伴奏を門 脇綾子。はい、直江ココで拍手』 つられて、パチパチとつい拍手をすると隣席の客の目線が迷惑げにちらりと動いた。 ガタガタと用意をする音。 一瞬の静寂。 そして―――――― 夜、もう一人の住人が欠けたリヴィングで高耶はヴァイオリンを弾いていた手をと め壁の時計を見た。 「げっ…、8時過ぎてる……」 夕方、バイトから帰宅してからすぐ弾きだしたから、かれこれ2時間強。 防音完備のマンションだから音が洩れる心配は無いが、食事や他のことをすっぽか したままだ。 一度熱中すると、それこそ寝食忘れてしまいがちだが、基本的に几帳面な性格のた め日々のリズムを崩すのを高耶は嫌う。 芸術家にありがちな、退廃的な不健康さとは無縁だ。 「何か、食べようっと……」 すると、まるで見計らったかのように電話が鳴った。 ディスプレイの番号に、ふわりと笑みが広がる。 「直江っ」 受話器を取るや否や弾み出しそうな勢いで呼びかけた。 「高耶さん……」 少し低めの耳触りのいい声。 人の声と一番近い楽器はチェロだと言われているが、直江の声を聞いているとその ことを実感してしまう。 「今日は素晴らしい贈り物を、ありがとうごさいました」 「うん………」 言葉に出来ないくらい嬉しかったと告げられて、耳が少し火照った。 「本当は……」 「はい?」 「ちゃんとチョコぐらい贈ろうかなって…でも……買えなくて……」 「充分ですよ。あのMDは私の宝物です」 「ねーさんが手伝ってくれたから……いいのになったんだ」 そうですかと、頷く気配がした。 「…綾子には二人してお世話になりっぱなしで、頭があがりませんね」 電話は当然ながら声だけでしか、相手に伝わらない。 それでも、高耶は直江が向こうで微笑んでいる気がした。 贈り物を選ぶのは苦手だが、贈るっていう行為は素敵だと高耶は思った。 その先に相手の笑顔があると解っていれば、なおさらだ。 おやすみなさいと言いあって受話器を置くと、いくばくかの寂寥感と小さな幸福感 が高耶を包みこむ。 「…早く、帰ってこいよ、直江」 約束はしなかったけど、迎えに行ったら喜ぶだろうか。 驚いて、喜んで、でもって公衆の面前にもかかわらず抱きしめてくるかもれしない。 それは……… 「ちょっと…嫌だな…」 苦笑しながら弦を弾くと、ピンッと澄んだ音が一つ。 想いの底まで響いたような音だった。 |
コメント …遅くなって、すみません……。 後篇は前作を掲げた段階で7割書けていたのですが、煮詰まってしまい 全部書き直しました。 煮詰まった理由は、「R」と「碧空」の設定がかぶっていた事。 かぶらしたつもりは無かっただけに、あかんやんて感じで…(苦笑)。 アイデンテティーの無さを実感です。あ〜ぁ…… でもって、直江WD編のネタもあったけど、問題外 |