眠り月

驚愕ネタにつき未読の方はご注意
ヒント:159P

















































あまったれ



用事があると分かってたのに、つい、放課後キョンを誘った。
面倒そうな顔をしながらも、でも、どこか嬉しそうについてきてくれるキョンに胸の中があったかくなる。
部屋に入るなり上着を脱ぎ捨てて、ネクタイを放り出して、それでようやく俺は俺を取り戻して、キョンを抱きしめることが出来た。
「キョンくん…」
情けなく上ずった声で呼べば、彼は呆れたような優しい顔で僕を見つめて、そっと背中を撫でてくれた。
「あれ以来でようやくまともに時間が取れたな」
「ほんとだよ…」
二人になれた時もあるにはあるけど、長門さんと一緒に彼の家を訪問し、階下では長門さんと彼の妹さんが動物将棋に興じている、なんて状況ではとてもじゃないけど素を出すわけにはいかなかった。
それからも事後処理やなんかでばたばたしていて、今日だってその関係でもう三十分もしないうちに出かけなければならないのだ。
それでも、
「あんたを抱きしめて……ちゃんと、俺もあんたもいるって、確かめたかったんだ」
「……ああ、俺もだ」
彼にしては素直に頷いて、俺を抱きしめ返してくれる。
自分が消えるかと思った時もあった。
SOS団がどうなってしまうのかという危惧を抱いたことも。
それを全くの杞憂だと信じようとはしていたものの、敵は強大で、時間や空間を限定された能力のほかは精々ちょっとした現世的な力しか持たない身ではどうしようもないかも知れないと不安を覚えた。
なにより、キョンを奪われるのではないかと思うと恐ろしかった。
「あんたに、何事もなくてよかった……」
「お前こそ」
「へ? 俺?」
今度のことで俺が心配されるようなことなんてあったっけ、と首を傾げる俺に、キョンは目に軽い険しさを宿らせて、
「あっただろうが。……自分が薄くなっているように感じるだとかなんとか言い出したりしたのを忘れたとは言わせんぞ。それにだな、ああいうことがあったらお前も俺からは見えんところで何かしら暗躍してるんだろうってことくらい見当もつく。ただでさえ疲れてたところに更に負担がかかって、お前まで倒れたりしたらどうしようかと思ってたんだぞ」
「そっか……。ありがとな」
ぎゅうと目いっぱい抱きしめたら、キョンが呻くような声を上げたけど、暴れたりはしなかった。
それがどうしようもなく嬉しくて、
「あー……なんか、泣きそう」
「…泣きたきゃ泣けよ」
「やー、それがそうもいかないんだよな。これから出かけなきゃだし、目を真っ赤にしていくわけにもいかないっしょ?」
「…そうだったな」
「ん、ちょっとしかいられねえのに呼んだりしてごめんな?」
「いいって。……俺も、その、なんだ? ……お前とちゃんと話したかったから…」
顔を赤くしてそんなことを言ってくれる。
「……なんつうかさ」
「うん?」
「いや、そういう時はすっげぇ大変だし、あんたと思うように過ごせなくて嫌なんだけど、でもやっぱり、いいよなぁ」
「何がだ」
ちゃんと俺に分かるように言え、と唸る彼に、俺はちょっと舌を出して笑い、
「何かあった後だと、あんたが特別素直で優しくてかわいくて」
「なっ…!」
尚更顔を赤く染めた彼が、大きく目を見開く。
そうしておいて、俺を睨み、それだけじゃ足りなかったみたいで、俺のことを軽くぽかんと殴った。
「いったぁ!」
「嘘吐け!」
「嘘じゃないってー。そりゃ、多少大げさに言ったけど」
「全くお前は……」
ぶつぶつ言ってるけど、本気で怒ってないって分かる。
ああ、本当に。
「大好きだよ」
「…うるさい」
「愛してる」
軽く触れるだけのキスをしたところで、携帯が鳴った。
「……残念、タイムリミットだ」
「らしいな。森さんか?」
「多分ねー」
脱ぎ捨てた上着のポケットから携帯を探り出し、嫌々ながら通話ボタンを押すと、
「下で待ってますから、早く来なさい」
「りょーかい」
「服装を整えるくらいの時間は待ちます」
「はーい」
携帯をポケットに落とし込んで、上着を羽織る。ボタンを留める前にネクタイを締め直そうとしたら、すっと伸びてきた彼の手が、ネクタイにかかった。
そのままするりと首に通され、彼が少しばかり苦労しながらもきれいな結び目を作ってくれる。
「締めてくれんの? 嬉しいなぁ、新婚さんみたい――ぐぇっ!」
ぎゅっときつく首を絞められた。
「調子に乗るな」
そう睨みながらも、ネクタイを緩め、
「……ん、これくらいでいいだろう。ほら、とっとと出るぞ。森さんが待ってるんだろ」
「そうですね」
拗ねたいような気分になりながらもボタンを留めれば、もう外に出ても平気な状態だ。
「……毎度のことだが、お前の変身っぷりには呆れるな」
「惚れ惚れする、の間違いでは?」
「抜かせ」
そう言いながら彼はドアを開け、先に外に出る。
マンションの入り口ではもう園ねぇが待ちくたびれているんだろう。
早足に階段を駆け下りて、一階に着く直前、一言だけ彼に囁いた。
「好きです」
「知ってる」
あっさりと返した彼に苦笑すれば、軽く背中を叩かれた。
「また今度来させろよ。次はもっとゆっくり出来る時にな」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
「ん」
じゃあな、と軽く言って先に出て行った彼を見送り、やはり待っていてくれた黒いタクシーに乗り込んだ。
「お待たせしました」
「間に合うからいいわ」
助手席から園ねぇのあっさりとした声が返ってくるのと同時に走り出す。
事後処理がまだ終わっていないせいで、どうにも慌ただしくていけない。
「ひと段落したら、ちょっと休みをいただきたいところですけど、それも涼宮さん次第なんでしょうね」
「休みたいなら、少し眠ったら?」
「そういうことじゃありませんよ」
分かってるくせに、意地の悪だ。
でも、俺は大人しく目を閉じた。
休める時に少しでも休んでおきたい。
けど、眠れないだろうな。
まぶたの裏に、大好きなキョンの姿を思い描きながら、俺は唇を軽く歪めた。
俺はまだあんたに隠してることがあるって知ったら、あんたは傷つくのかな――なんて、思ってたのに、実際にはそうじゃなかったらしいと知ったのは、つい昨日のことだ。
ぽつぽつと、まるで普通の友人のようにメールのやりとりを行うようになった橘京子が、昨日明かしてくれた。
彼との交渉の間で、俺と機関のことを彼に明かした、と。
勿論それは彼女が知りえる範囲内でのことだし、彼が信じたという保証もないんだけど、そうと聞いた時は少しばかり驚いたし焦りもした。
それくらい、彼は何も変わっていなかったからだ。
言われてみれば、あの事件のまとめのような会話をした時に、それっぽい質問をされた記憶はある。
けど、それだってほんの少しのものだった。
キョンだって、その気があるならもっと突っ込んだ質問をしていただろう。
状況が悪かったというのなら、そうかも知れない。
だから、今日、もしかしたら質問されるかと思っていたのに、そんなこともなかった。
今日だって時間がなかったけど、それが理由ではないだろう。
その必要がないと彼が判断したのだと思えた。
彼からすると当然なのだが、橘京子の心証はすこぶる悪い。
だから、その話をまるで信じていないと言うこともあるかも知れなかった。
だけど、違うと思いたい。
彼は橘京子の言葉が真実だと知っていて、その上で何も聞かないんだと。
僕と機関の関係がどうであれ、俺が彼に誤解を抱かせるような言動をしているとしても構わないと思っていてくれるんだろう。
多分、俺以外の誰でも、キョンに惹かれるような人間は多かれ少なかれそう感じているだろうと思うくらい、彼の魅力はそこにもあると思う。
深く立ち入らないくらいの一定の距離を保ちつつ、けれど、あるがままに受け入れてくれる寛容さ。
それが凄く嬉しい。
その優しさに甘えていいんだと思える。
俺はそっと息を吐く。
甘ったれた、そうじゃなかったら、甘ったるいそれを、咎められはしなかった。
橘京子が彼に語ったことは、嘘じゃない。
でも、彼女のことだから、多分に言い過ぎただろう。
機関を作ったのは俺だなんて、オーバー過ぎる。
他のメンバーと協力して、何とか今の形になっていった中で、俺が代表のようなことになったのはたまたまそうなったってだけだ。
それも対外的なもので、スポンサーなりなんなりと会合を持つ必要がある時のための肩書でしかなく、それぞれがそれぞれの能力や功績に見合った発言力を持つ合議制度にも似た運営方法を取っているため、内部では序列も階級もありやしない。
その俺が、機関を裏切るということは、機関そのものが瓦解する危険性を持っている、と言ったら、流石に言い過ぎかな。
でも、最悪そうなるということはよく分かってる。
作り上げ、ずっとそこに身を置いてきたからこそ、機関の問題も脆弱さもよく分かるから。
機関の中にもそれぞれいろんな考え方や思惑がある。
それをかろうじてまとめているのに、その中で俺が勝手に動くような真似をして、あまつさえ機関としての方針を無視して独断専行に踏み切ったら、機関がばらばらになってもおかしくない。
それをもう一度まとめ直すなんてことが可能だとしても、それにどれだけの犠牲を必要とするのかなんて、考えたくもないくらいだ。
それを出し惜しみするつもりもないけど、出来ればそんなことはしたくないと思うくらいには、機関そのものへの思い入れだってある。
だから、本当にそれは最後の手段だ。
俺はそっと目を開け、助手席と運転席を見た。
いつも世話になっている二人の姿がそこにある。
「……森さん」
「どうしたの? 古泉」
「……僕は……いや、俺は、本当に好きなんだ。SOS団も、機関も」
けど、何よりも大切なのは、愛してるのはキョンだから。
「……分かってますよ」
そう言って、園ねぇは笑ったようだった。