眠り月

深読み禁止


俺の知る古泉一樹という男は、非常に器用で凝り性で、それからちょっとばかり人が悪い。
二重人格かと思うほど巧みに外面と素の表情を使い分ける器用さもあれば、飾り切りなんかで職人芸じみた技術を披露するという器用さもある。
料理に関しての凝り方は尋常でないほどだし、特に何かしらの料理にはまって作り方を研究している時の集中力は普通でない。
人の悪いところは……まあ、主に俺に対して発揮されるわけだが、そういうところも憎めない。
欠点といえば片付けられないところと服装の趣味の悪さなのだが、それだって可愛く思えなくもない。
そういう、よく出来た人間のはずなのだが、意外なことに、こいつにも苦労をすること、苦手なことというのがあったようだ。
「うああ……またお祈りされちゃった……」
と言って古泉が机に突っ伏した。
お祈り、というのは別に、駅前で怪しげな宗教の信者に捕まったという訳ではなく、就職試験を受けに行ったところに断られた、という意味だ。
今回はご縁がありませんでしたが、などという婉曲な表現から始まり、今後のご活躍をお祈りいたしますなどと締めくくられるあれだな。
複数パターンはあるが、基本的には同じ断りの文句だ。
非常に打たれ強い古泉でも、毎度のこれはかなり堪えるらしく、空気の抜けた風船、塩を振られた青菜のようにぺしゃんこになって机から起き上がってこない。
俺はそろそろと古泉の隣に行くと、軽くその頭を撫でてやった。
「縁がなかったってことだろ。そうへこむなよ…」
「けどさー…俺なりに頑張ってんだよ? 企業研究もしたし自己分析もしたし、面接の練習とかもして、セミナーなんかも真面目に行って、それで、実際ちゃんとやれたと思うのにこうだと……もう…どうしたらいいのか分かんねえよ…」
泣きそうな情けない声で言うのを、抱きしめてやりたいと思った。
そうして、実際にそうした。
「大丈夫だから」
可能な限り優しい声で言う。
「お前ならやれるって。だから、そんなにへこむなよ」
「…無責任なこと言ってくれるね」
「まあな」
自分でもそうと分かっているから、素直に認めた。
「けど、お前ならたとえ就職できなかったとしても、なんかうまいことやる気がするぞ?」
「うまいことってなんだよ…」
「そうだな…」
言われて、少し考える。
真っ先に思い浮かぶのは、
「自分で店を開くとか、か」
「店って……料理の?」
「他にあるか?」
「…そりゃ……俺は料理は好きだけど……ちょっとは自信もあるけどさ、だからって店を持てるとは思えないんだけど…」
「資金だってないのか?」
機関からそこそこもらってるものだと思ってたが。
「あれかー……。うーん…あるにはあるだろうけど、そんな突拍子もないことのために使わせてもらえる気がしない……」
森さんにしろ身内にしろ、シビアだからな。
そんなことをするんだったら、まずあの人たちをなんとか説き伏せなければならないということだろう。
それはそれで厳しそうだ。
「大学まで出ておいて、って呆れられるだろうしねー…」
「大学は大学で楽しんだし、よく学べもしたんだろ?」
「そのつもりだけどさ…」
はあ、と吐くため息も重たい。
「……もうちょっと色々会社探さなきゃだね…」
「ん、頑張れよ。応援してるから」
「……ん、ありがと」
そう言ってすりすりと俺の肩に頭をすり寄せてくる。
出会った頃と比べて、俺と古泉の身長差は見事に逆転していて、以前のこいつの視点で、今は俺がこいつを見下ろしている。
それでも、何か変わったという気がしないのは、昔からこいつがなんだかんだであまえたがりで頼りないところのある奴だからだろうか。
ぽんぽんと背中を優しく叩き、頭を撫でてやる。
「いざとなったら俺が養ってやるからな」
と言えるのは、幸いにして、俺は内定を頂戴することが出来たからだ。
大企業でこそないものの、そこそこの中堅どころだから、少しくらいなんとかなるだろうと思っている。
もっとも、その場合にはこいつに、少しばかりの我慢をしてもらうことになるだろうが。
主に趣味の面で。
何しろこいつに財布を預けたら間違いなくうちのエンゲル係数が酷いことになり、赤字になるだろうからな。
「うう…そう言ってもらえるのはありがたいけどさぁ……」
複雑そうに唸る古泉に、にっと小さく笑ってやる。
「だったら、頑張れよ?」
「……うん」
素直に頷いた古泉は、机に広げてあったルーズリーフに手を伸ばした。
「エントリーシートとか履歴書とか書くのに、もうちょっと色々考えなおそうと思うから、相談に乗ってくれね?」
「俺でいいならなんだって手伝ってやるよ」
と座り直し、一緒になってルーズリーフを覗き込む。
「…んーと……俺の長所と短所って、たとえばどんなとこだと思う?」
長所、短所、と相変わらず汚い字で書き込みながら問う古泉に、俺はほんの少し考えて、思ったままを口にする。
「短所は…その字だろ」
「う」
「もうちょっと丁寧に書けないのか?」
「が…頑張ってみる……」
と言いつつ素直に「字」と書き込んだ。
…うん、頑張れば少しはマシだな。
あくまでも、一般人にも解読が可能になるというレベルの改善だが。
「真面目に考えたら……そうだな、短所としては、人の話を最後までちゃんと聞かない時があるってところか? お前はそれでちゃんと理解してるし、求められることも分かってるんだが、人によっては不快になるだろうな。けど、これは理解が早く、察することが出来るってことでもあるから、うまくフォローも出来ていいんじゃないか?」
「そうかな…」
と軽く首をひねりつつ、ちゃんとメモを取る古泉に、俺は言葉を続ける。
「後は、興味のないことについてはいい加減になったりするってのも短所だろ。部屋の片づけが出来ないのも、それでなんだろうし」
「う……ごめん」
「俺は慣れたけどな」
と小さく笑っておいて、
「授業なんかの時も、必修で興味ないやつだと話聞いてなかっただろ。晩飯の献立考えたりして」
「うぐ……仰せの通りでございます…」
しおしおと項垂れる古泉の頭をもう一度撫で、
「それでも、なんだかんだでそこそこの成績取れるってんだから凄いよな」
「そっかな…」
「ああ」
頷いてやれば、照れくさそうに笑う。
こういう表情が俺のものかと思うと、やっぱり嬉しい。
「で、長所の方に移るが、お前の長所はやっぱり、好きなことに対する集中力の凄さじゃないか?」
「そう?」
「ああ。それも一時的な集中力だけじゃなくて、長期的にあれこれ努力するだろ? 手間も惜しまないし、金も……ってこれは少し困るけどな」
苦笑しながらも、俺はそれをそう咎められはしないのだ。
一番その恩恵に与っているのは間違いなく俺だからな。
「だからいっそ、研究職なんか向いてるんじゃないかと思うんだがどうだろうな」
「研究職…かぁ……」
「食品会社の研究開発部とかそういうところの求人、なかったか?」
「あー……あると思う。後で調べてみる」
「ああ、そうしろ」
…っと、まだ途中だったな。
「長所の話の続きだが、お前は人との距離の取り方が上手い方だと思う。相手を見て行動出来るっていうのか? 距離を置いた方がいいタイプにはうまく当たり障りなく接することが出来るし、甘えていい相手だと思ったら簡単に打ち解けるだろ。だからか、人にものを頼むのも上手くて、しかも疎まれない。就活用に言い換えると、場の空気をプラスに持って行ったり出来るってことかな。まあ言い回しを考えるのはお前の方が得意だろ」
「そういうのも長所になるのかな」
「なるだろ」
「そっか。…うん、なんとか書けそうな気がしてきた。ありがとな、キョン」
と言った古泉はすっかり元気を取り戻したらしい。
にこにこ笑いながら俺の頬にキスを寄越した。
そうして、改めてメモを見つめていた古泉だが、その顔がなぜだかじわじわと赤くなる。
「…古泉? どうかしたのか?」
「あ………うん、いやー………」
らしくもなく言葉を濁す古泉に、俺も首を傾げながらルーズリーフを見る。
そこには読みづらいのにすっかり目になじんだ古泉の字で、俺がさっき話したことの要約が書いてあるだけだ。
赤くなるような要素があるとも思えない。
「……何か恥ずかしいことでも思い出したのか?」
「や、違う…けど」
そう言った口元が見っとも無く歪んでいる。
……気持ち悪いからにやにやすんな。
「だってさ、にやにやするよ。あんたがこんな面と向かってのろけるから……」
「はあ?」
誰がのろけたって?
「違うの?」
「そんなつもりはない」
「でも、そうだろ」
ほら、と古泉はルーズリーフを俺の目の前に突き付ける。
「俺が人の話を最後まで聞いてないって分かってるだけならともかく、それでもちゃんと通じてるんだってことまで分かってるとか、興味のない授業の時に退屈して好きなこと考えてるってのもお見通しだとか、のろけじゃないの?」
「…へ?」
「それくらい、俺のこと見てくれてて、分かってくれてるってことっしょ?」
「そ……れはそうかもしれんが……」
だからと言ってのろけとまでは思いたくない。
「長所の方にしても、俺の趣味へののめり込み具合を褒めてくれてるし、何よりこれだよね」
と言って指さしたのは、「人にものを頼むのが上手い」というところだった。
「それがどうした」
「これさー…多分、あんた以外の人は誰も思ってないと思うよ?」
「は?」
「だって俺、人に何か頼んだりってのをそもそもあんまりしねーもん」
「森さんにはしてるだろ?」
「けど、森さんは呆れきってると思うから、俺が頼むのが上手いなんてことは思ってないんじゃね? 仕方なく言うことを聞いてやってるって感覚だと思うよ」
大体、と古泉はなおさらその唇を卑しく歪め、
「これってつまり、俺に頼まれると断れないってことじゃねえの?」
と言いやがった。
実際それはその通りかも知れない。
こいつに頼まれて断れたためしなどほとんどない。
あるとしたら、よっぽど無体な要求だったとかそういうことであり、日常の雑事などの範囲であればなんだってほいほいやっちまっている気がする。
反論出来ない俺に、古泉は憎たらしい顔で、
「何度も思うことではあるけどさ、ほんっと、俺ってあんたに愛されてるのな」
などと言いやがったので、とうとう耐え切れなくなった俺は、思わずその頬を引っ叩き――その二日後の就職試験でも、古泉がお祈りを頂戴する原因を作っちまったのだった。
流石に…頬に平手の痕はまずかった……。