眠り月

気力


うーあー……だる。なんかもうただだるいって言うより、なに、こう、背中が重くて脚も重くて、余計な錘を引きずってる感じ。
そんな状態で坂道をえっちらおっちら上るなんてのは本当に苦行にも等しくて、こんな日は、なんでこんな高校を選んだんだと涼宮さんを恨みたくもなる。
それでも俺は一応表面上平静を保たなきゃならない。
つか、周りに同じ学校の生徒の目がある以上、笑顔でいなきゃまずい。
だから、と精々気合を入れて、ちゃんと笑ってたってのに、通学路の途中で俺の顔を見るなりキョンはむっすりと眉を寄せた。
「どうかなさいましたか?」
「……別に」
別に、って言う割にものすごく不機嫌そうなんだけど。
「何か気になることでも…?」
「………さあな」
ぷいっと他所を向いた彼は、そのままずんずん歩いて行く。
せっかく朝から会えたのに、つれないなぁ。
「ご機嫌麗しくはないようですね」
苦笑した僕を軽く振り返ったキョンの目が本気で怒っているように見える。
でも、なんで怒ってんのかが分かんない。
「こんな時にも機嫌よくしてられるほど、俺は薄情に見えるか?」
「…は?」
「……体調、悪いだろ」
そう言われて、思わず息を飲んだ。
何で分かったんだろう。
笑って、平気な顔をして、それで自分の頭も体も騙してやり過ごそうと思ったのに、気づかれたら台無しじゃないか。
「………酷い人ですね」
そう呟いて、彼の肩に手を掛ける。
「古泉?」
「あなたのせいですよ」
「はあ?」
あー、もう限界。
頭がくらくらする。
気持ち悪い。
吐くならせめて道に吐きたいなぁ。
「ちょ…っ、おい! しっかりしろ!」
慌ててキョンが支えてくれなかったら、そのまま地面に転がっていただろう。
「…すみません、手を貸してください………」
そうやって、口調を整えるのが精いっぱいだ。
「ばか、こんな時にそんなもん気にするな」
「しかし……、あ………、携帯……タクシーを呼ぶなら僕の携帯が……」
「うるさいっつうの」
ぶつぶつ言う彼がどうしているのかも見ていられなかった。
頭が痛い。
目まいがする。
「おとなしくしてろ」
そう言われるまま、僕はゆっくりとしゃがみこみ、タクシーを待った。
運転手の手も借りてタクシーに乗り、僕の部屋まで彼が連れて行ってくれた。
「ほら、苦しいだろ。とっとと脱げ」
「うあー……そのセリフ…どうせなら元気な時に言ってほし………」
「あほか」
まったくもう、と文句を言いながら、彼は手慣れた様子で僕のネクタイを引き抜き、シャツのボタンを外す。
ブレザーも脱がされて、俺はごろりとベッドに転がった。
「ベルトも外すぞ」
「んー………」
「…ったく、なんでこんな状態なのに登校して来たりするんだ」
「だからー、あんたが気づかなかったらなんとかなったんだって……」
「はあ?」
「気力でなんとか持たそうと思ったのにーぃ……」
「………ばか。だから、そういうのがそもそもおかしいんだ。調子悪いならちゃんと休め。それが周りの人間のためでもある」
ズボンも脱がされ、情けない恰好のまま布団を掛けられる。
「んん……一緒に………」
「後でな。俺はとりあえず連絡してくるから」
そう言って、彼が部屋を出て行ってしまうと、なんだか無性に寂しくて、あーもう、なんでこうなるかな。
病気の時ってこれだから困る。
おまけに彼は、こんな状態だからと甘やかしてくれるつもりでいてくれるらしいから、なおさら悪い。
甘やかされるといくらでも甘えちゃうって分かってんだろうに。
少しして戻ってきた彼は、僕の頭をそっと撫でて、
「体調が悪いなら、最初から出てくるな。手を借りたいなら電話しろ。見舞いや看病くらいしてやる。…………それくらいしてやってこそ、恋人、だろ」
照れくさそうに、でも、そんなことを言ってくれるのが嬉しい。
「ん……」
その手に頭を摺り寄せて、けど、文句は言っておきたくて、
「でも、ほんとなんで気づくかなぁ……」
「文句があるのか?」
「だってさぁ………」
「気づかれなけりゃなんとかなるってのも分からんでもないが、それだったらちゃんと隠せ。分かりやすいんだよ、お前は」
えええ。
「そんなことないって。ちゃんと笑えてたはずだしっ」
「ああ、そうだな。妙にきらっきらした顔しやがって……」
「…なのになんで分かったんだよ」
ぷーと膨れる俺に、キョンは優しく笑って、
「だからこそ、だ」
って言う。
なんだよそれ。
「だから、いつにもまして笑顔が輝いてたから、無理してやがるんだなと分かったってだけの、単純な話だ」
「えー」
「つうか、お前、自分のくせに気づいてなかったのか?」
「へ? くせ?」
「ああ。…体調悪いのに無理して外に出ると、呆れるほど眩しい顔になるだろ」
「そ…そう?」
「そうなんだ。……ったく、なんでそこまで無理するんだか……」
キョンの手が俺の髪をくしゃりと撫でる。
「……だって…あんたに会いたいじゃん?」
「だから、呼べって」
「んなこと言っても平日だしさー……」
「お前のわがままなんざ今更だろ。…ほら、いいから寝とけ。ただの風邪だろ?」
「ん……そんなとこだと思う…。後は……疲れ…かな」
そう言いながら、俺はキョンの手を取り、ぐいっと引っ張った。
「んっ……」
「さっき、後でって言ったよな…?」
「ああ………しょうがないな」
小さく声を立てて笑って、キョンは素直に布団に入ってくれた。
「制服脱がねえの?」
「お前と同じ布団に服脱いで入るってのは危険だろ」
「危険ってのは酷くねー?」
「事実そうだろうが」
「…まあね」
疲れていても、キョンが隣で無防備に寝てたら、何をするか自分でも予想はつく。
「せっかくあんたがいるのに……」
「盛るのは元気になってからにしろ」
「元気になったら、付き合ってくれるって?」
「………そうだな…」
彼は困ったように笑って、俺の頬を両手で挟み込むようにすると、
「……ほどほどにしてくれよ?」
「ん」
嬉しくて抱きしめても、彼は文句を言ったりしない。
うつるなんてことも言わない。
優しく背中を撫でて、寝かしつけてくれる。
「ほら、寝ろって…」
「…いなくなったりしない、よな?」
「大丈夫だから。………俺もちょっと寝る…」
そう言って、彼は目を閉じる。
それに安心して、俺も一緒に目を閉じた。
実際、相当疲れていたらしい。
目を閉じたらすぐに眠っていたらしい。
再び目を開けた時にはもう夕日が部屋に差し込んでいた。
「んあ………あー…流石に帰っちゃったかな……」
ぼんやりと呟くと、
「誰がだ」
と声がした。
え。
「…いてくれたんだ……?」
慌てて声のした方を見ると、キョンはベッドの横に座ってて、呆れたみたいに笑ってた。
「いてほしがったのはお前だろ。…気分はどうだ?」
「あ、うん、だいじょぶ。元気になった」
「そうみたいだな」
と優しく目を細めて、キョンは俺のおでこに手を当てた。
「……ん、よし」
「……ずっと、いてくれたんだ?」
「ああ。……お前の家ならわざわざ買い出しに行かなくてもおかゆの材料くらいはありそうだったからな。それに、いるって言ったんだから、お前が起きた時には側にいなきゃならんだろ」
当然のように言ってくれるのが嬉しくて、少しくすぐったくて、幸せってのはむず痒いなぁと思う。
このむず痒さがなくなって、穏やかなだけになっても、俺はキョンから離れられないに決まってる。
俺はキョンを抱きしめて、
「甘えていい?」
「もう甘えてるだろ」
笑いながら抱きしめ返してくれるのが嬉しい。
「きょーん」
「どうした? してほしいことでもあるのか?」
「んあー…まあ、せっかくの機会だし? 調子に乗って、タオルで体拭いてほしーとか、今日は帰らずに一緒にいてほしーとか言いたいところではあるんだけどさ、とりあえず今は、」
と俺はキョンの頬にキスをして、
「こうやってたいな。…あんたに風邪をうつしちゃまずいんだろうけど」
「うつったらお前に責任取らせるから、こういう時ばっか遠慮してないで素直に甘えてろ」
そう言って珍しく自分から、唇へのキスをくれる。
甘やかされてるなぁ。
「…運動して汗でも流す?」
言いながら、キョンの腰を撫でてみると、
「あほか」
ぺちりと額を叩かれた。
「それでへろへろにされちまったら、誰がお前の世話を焼くんだ。そういうのはせめて、快気祝いに取っとけ」
真っ赤になってそんなことを言う彼に、心臓が跳ねる。
「…うっわ」
「……お前が引くなよ。自分でも引いてんだからな」
ぷいっとそっぽを向く彼を、きつく抱きしめて、
「引いてねえよ。…嬉しくてたまんねーの。なあ、さっきの幻聴?」
「ああ、幻聴だからさっさと忘れろ」
「ひっでえ!」
「ほら、もう一回寝ろ。それとも飯にするか?」
「んー…寝直す。あんたも一緒に、だろ?」
「へえへえ」
呆れた声で言いながら、キョンは俺の頬にキスをくれた。
そのおかげか、幸せでふわふわした夢だけを見て眠れたのはいいんだけど、うっかりキョンの手料理を食べ損ねたのは残念だったな。