明けない夜・醒めない夢

赤い砂漠を歩いていた。


ひとの存在をきっぱり否定したような空虚な空間。

 さらさらさらさら

聞こえるのは足元を流れる砂の音と、乾いた自分の息遣い。

どこまで続いているのか、目をこらしてもわからない。
どれほど歩いてきたのか、ふりかえってもわからない。

私はいつから歩いているのだろうか。
時間の感覚さえとうに失っている。


そういえば、月も星もないというのに、どうして闇夜でないのだろう。
疑念に見上げる空は、漆黒ではない赤い闇。
どこまでもどこまでも赤い世界。

ひどく疲れているのに、激しい焦燥感がただただ足を前に踏み出させている。
ただ進むべき方向だけはわかっているようだ。しかし、それが「何処」なのか、こたえられない自問に一瞬ぞくりとして、あたまから振り払った。


  ・・・へ行かなければ・・・を・・・して、そうすれば・・・は・・・


わかりすぎるほどわかっているはずのことが、どうしても思い出せない。
赤い闇に意思が侵食されているような恐怖に歩が止まる。
いちど止まると、たちまち覆い隠していた得体の知れないものが全身に絡みつく。


  ここは、ここは・・・


ずるりと足元がぐらついた。

 さらさらさらさら

赤い砂が渦を巻き、足にからみ、ひきこまれる。

「―――――!」

無意識に発したのは「此処」にいるはずのないひとの名。


  のばした指先に一瞬ふれた・・・




「クラピカ、クラピカ、大丈夫かっ」

反射的にはねおきた身体は、なじんだ腕の中にうけとめられた。
ほんとうに彼の手に砂の渦からひきあげられたかとの錯覚に安堵する。
視界から赤いフィルターのおちた薄闇の部屋。

「・・・レオリオ」

かすれた声で確かめる。

「悪い夢でも見たか?子守唄でも歌ってやろうか」
おどけた調子で、しかし声音と瞳は笑ってはいない。
真摯すぎるまなざしに感じる居心地の悪さ。

「なにを戯言を。私は赤子ではないぞ」
それに、おまえの子守唄ではよけいに目覚めてしまいそうだ。

「それだけ言えりゃ充分だ」

ぐしゃりと、ほんとうに子どもにするように私の髪をもしゃぐると彼はベッドを下りていった。キッチンでしばらく何事かしていたが、やがていい香りのするお茶がさしだされた。
「眠りにいいらしい」
ほんのり温まる。

部屋は薄暗がりのまま。私はおそらくひどい顔をしている。意図してかどうか、灯りをつけないでくれたことにほっとする。

「・・・昔の・・・か?」
しばらく黙って隣にかけていたレオリオが口を開いた。
凄惨な記憶に眠りをさまたげられた夜が幾度もあることを、彼は知っている。
もう当分そんなこともなかったのだが。
「いや・・・あのときのではない。けれど、誰もいない」



誰もいない世界。終わりのない世界。
明けない夜。

   あれは、いまの私そのものだ。

先が見えないのだ。
どこまでもどこまで行っても闇から抜けられない。
少しも前に進まない。
終わりがない。
まるで砂の海でひとりもがいているような。


「あさはかだな。ハンターになれば、なにもかもうまくいくような気がしていた。それがどうだ、蜘蛛も同胞の奪還も・・・」

死ぬことはおそれない。
けれど、私が死ねばそこで終わってしまう。
そうしたら、もう・・・それきりだ。
それが怖い。
私は、私が生きているうちにどれだけのことができるのだ。

仲間の元へ、なんとしても取り戻す。
その決意は変わっていないはずだというのに。


  こんな思いにとらわれるなんて・・・なさけない。



「・・・すまない、言うべきではなかった」

何を私はこぼしているのだ。
こんなことを彼に言っても困らせるだけだ。
殺人をもいとわない人間を理解してくれなどと誰が言える。



「言えよ」

ぽつりとつぶやく声にふりかえった。

「かかえこむんじゃねー。つらくなったらつらいって言え。逃げたくなったら逃げちまえばいいんだ。どっかで挫折したって、あきらめたって、誰もおまえを咎めることはできねーんだから」


ああ、彼はそういうひとだ。けれど・・・。

「それはできないのだよ、レオリオ」



「・・・できねーよな。やめろったって聞かねーよな。けど、せめておまえがしんどい時くらい頼れよ。愚痴ぐらい聞かせろよ。ひとりでいっちまうなよ」
「・・・・・・」
「それに、それでも全然なんにも進んでないわけじゃねーだろ」

肩にまわされる手、ただ自然にその胸にもたれかかる。


「どんな闇夜だって、夜明けが来ないってことはねーんだ。どんな悪夢だって必ず醒めるんだから」



「まあ、南極あたりじゃ夜が半年も続くって言うけどよ」
照れかくしのようにぼそぼそと付け加えた。

「では、いい夢もいつかは醒めてしまうのだな」
こうして身をあずけていられることがどれほどに脆いものか、自嘲気味に見上げると、レオリオは一瞬眉をひそめた。
「ばっかやろー」
言うなり強く引き寄せられ、抱きしめられる。

「これが夢か?オレは現実だぞ。夢なんかじゃねー」

頭上から降る悲痛な声に、ただ身をまかせるしかなかった。
「ほら、感じろ。わかるか?」

わかっている。わかりすぎるほどにわかるこのぬくもり。
失くしたくない。
いちど失ってしまったから、あの喪失感を二度と味わいたくないから。

ためらいがちに宙を泳いだ指がやがてレオリオの背にふれた。


  現実・・・つかんでいてもいいか


黙ったままに、もういちどひきよせられる。


私は彼のあたたかさを裏切るかもしれない。
約束はできない。
それでも、いつか悪夢をふりきれたときにその手を感じていられたなら―――。



東の空が白みはじめる。



  明けない夜はない
  醒めない夢はない
  だから、永遠の悪夢なんてないのだから



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10000HITを踏んでくださったとおのさまのリクエスト「夜が明ける」です。
いただいてすぐに浮かんだのが、ラスト3行のフレーズでした。
キリリクには似つかわしくないテーマになってしまったかもしれませんが、ある意味はじめて向きあうことができたようにも思います。
仕上がるのに倍のカウントほどもかかってしまって、もういまさらかと思いつつ、お目にとまれば幸いです。

060830