サクラサクラ

 昭和19年11月22日午前7時頃、戦車を伴う約2個連隊の米軍は、熾烈な砲撃、火炎放射器支援のもとに、大山、南征山の包囲圏全域にわたり、総攻撃を開始した。同7時45分頃、米軍の一部が大山拠点の断崖をよじ登り、主陣地中枢に肉薄したものの、拠点守備隊が直ちに反撃、これを撃退した。同刻ごろ、中川地区隊長は戦況の急迫を憂慮し、パラオ集団高級副官に宛てて次の電報を送信したが、その後、通信は終日きわめて困難となった。
歩二電第177号 11月22日07:40発 通信断絶ノ考慮大トナルヲモッテ、最後ノ電報ハ左ノゴトクイタシタシタク 承知相成りタシ。
   一、軍旗ヲ安全ニ処置奉レリ。
   ニ、機密書類ハ異常ナク処理セリ。
右ノ場合「サクラ」ヲ連送スルニツキ報告相成リタシ。

 昭和19年11月24日16時、中川大佐は、根本大尉以下の残存兵を集め、軍旗奉焼ののち、直ちにパラオ集団司令部に「サクラ・サクラ」を打電した。

11月24日16:00発 サクラサクラ (この電報は平文で発信された。)

 中川大佐は、村井少将とともに自決を遂げ、生存者は、根本大尉の指揮のもとに遊撃隊を編成(56名、17組)して、最後の電報を以下のように発信し、18時以降、遊撃戦闘に移った。

歩二電第183号 11月24日17:00発 遊撃隊十七組ノ編成を完了セリ。自今主トシテ敵幹部オヨビ兵員ヲ随所ニ奇襲シ、モッテ守備隊長ノ遺志ヲ継承シ、持久ニ撤セヨトノ集団司令官閣下ノゴ意図ニ副ワン。遊撃隊員ハ、一同士気旺盛、敢闘ニ燃ユ。神出鬼没敵ノ心胆ヲ寒カラシメン。必ズ夜鬼トナリテモコレガ粉砕ヲ期ス。
通信断絶ノタメ本日以降、連絡期シガタク、ゴ了承ヲ請ウ。

 米軍海兵隊戦史「ペリリューの襲撃」によれば、米陸軍第81師団(第322歩兵連隊欠)は、11月25日から包囲圏の圧縮を図った。根本大尉率いる遊撃隊は、米軍の包囲網を突破することができず、24日夜から27日11時頃まで米軍と戦闘を交えたが、ほとんど玉砕した模様である。また、遊撃隊に参加できなかった重軽傷者も、27日11時頃までに大山周辺の残存拠点を固守してついに玉砕した。
 米軍は27日7時から全地区の掃討攻撃を開始し、同日11時、第323歩兵連隊長ワトソン大佐は、第81師団長ミューラー少将に、ペリリュー作戦の終了を報告した。

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