聯隊長中川州男大佐

 

明治31年(1898)1月23日 熊本県生。        
大正7年(1918)5月27日 陸軍士官学校卒業    
大正7年(1918)12月25日 陸軍少尉進級       
昭和18年(1943)3月1日 陸軍大佐進級       
昭和18年(1943)6月10日 水戸歩兵第二聯隊着任
昭和19年(1944)11月24日 ペリリュー島にて自決 
                 陸軍中将進級(二階級特進)

  「兵の精強は訓練によって成就される。戦闘もまた演習の継続である。」という強い信念を持っていた。寡黙で、細かいことはほとんど言わない性格であったが、将兵の規律と訓練への要求は大変厳しかった。

 ペリリュー島到着後、島中央部の公学校に本部を置き、ペリリュー地区隊長となった。
 海軍航空部隊より提供された中型爆撃機に搭乗し、自ら島上空から島内、島周辺の海岸線、水路、マングローブ林、湿地、およびリーフの状況を十分に偵察し、それは、ペリリュー地区隊の防御配備計画に大いに役立った。
 中央高地を複郭陣地とし、堅固に築城を実施すれば、持久戦に有利なことをパラオ集団司令部に意見具申するとともに、築城にあたったが、時間的余裕がなく、資材も不足し、当初の計画通りの堅固な陣地を完成することはできなかった。また、米軍が迫り来る中、中川大佐は、不足する船舶をペリリュー島民の強制疎開に割き、島民が戦闘の犠牲にならないよう配慮した。

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