路線バス(伊予鉄バス)を利用して46番札所浄瑠璃寺へ向います。
バスの始発は、松山市駅、14番系統=丹波行・久谷行に乗車、
浄瑠璃寺前で下車、約45分で到着
伊予鉄バス時刻表案内 松山市駅(3番乗場)発 ⇒ 森松 (乗換え)
森松 ≪丹波≫行⇒ 浄瑠璃寺前 |
国道11号線を高松方面へ、久米窪田交差点(県道40号線)を久谷方面へ
右折、直進し、西林寺・南高井交差点・高速道路の下・久谷大橋・
松山市久谷支所を経て久谷中学校方面へ向け右折、
(地図1、浄瑠璃寺〜八坂寺 を参照 |
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第46番札所 医王山浄瑠璃寺 (浄瑠璃町) (089)963-0279 |
短い階段を登ると正面に本堂、左手に納経所。
本尊=薬師如来(別名=瑠璃光如来)一願弁天は、知恵と芸術の守護仏。
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浄瑠璃寺の階段を左方面へ徒歩又は車で八坂寺へ。県道194=久谷森松停車場線を約500m
八坂食堂を目印にして、左折、なだらかな坂道を約300m正面にが八坂寺。
浄瑠璃寺から八坂寺の案内図(西林寺方面)を参考 |
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第47番札所 熊野山八坂寺 (浄瑠璃町) (089)963-0271 |
正面に階段があり、高さ2mの宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。
本尊=阿弥陀如来坐像 |
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48番札所西林寺へは、徒歩又は自家用車で。
八坂食堂まで帰り、右方向=浄瑠璃寺方面=次の鋭角の三叉路を左折する。
久谷中学校を右手に見て、約300m直進。2車線道路=県道三坂松山線との交差点。
左折し直進約2kmで久谷大橋に到着。久谷大橋から正面に松山自動車道の高架道路。
直進約600mで右手に目的地の西林寺に到着。
(南高井交差点を左折=右手に杖の淵公園)八坂寺から西林寺への案内図参考 |
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第48番札所 清滝山西林寺 (高井町) (089)975-0319 |
弘法大師がこの高井の里に訪れた時渇きを覚え、とある家を訪ね1杯の水を所望した。
老婆は、遠いところまで水を汲みに行き、弘法大師に1杯の水を与えた。大師は感謝し
持っていた杖を突き立て。杖の跡から湧き出た水を「杖の淵」と呼び、奥の院となっている。
「杖の淵(じょうのふち)公園」として親しまれ、湧き出る水は渇水にも枯れたことがなく、
付近には水生植物の一種[ていれぎ」が栽培されている。「ていれぎ」は、食べるとピリッと
辛味があり、刺身のツマとして重宝されている。時期が合えば、公園隣接の「ていれぎ茶屋」
で食すことができることもある。本尊=十一面観世音菩薩
山門前に子規の句碑=秋風や高井のていれぎ三津の鯛 |
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次の49番札所へは西林寺から浄土寺までの案内図を参考。
西林寺の前の道路を右方向に出て直進約1.8kmで国道11号線と交差(久米窪田交差点)
直進すると踏切(鷹の子駅踏切)。交差点(鷹の子駅北交差点)を左折(石手方面)し
直進約600mで右手にガソリンスタンド(キグナス)がある。
浄土寺前信号を右折=正面が浄土寺。 |
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第49番札所 西林山浄土寺 (鷹子町) (089)975-1730 |
短い階段を上り仁王門。更に階段を上ると正面に本堂。
左手に浄土寺ゆかりの空也上人のことを詠んだ正岡子規の句碑がある。
本堂の建物は和様と唐様を折衷した室町時代中期の建築様式
重要文化財空也上人立像=重要文化財=も安置されている。本尊=釈迦如来
近くに、鷹の子温泉、ユートピア温泉、伊予鉄健康ランドなどの温泉施設がある。 |
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浄土寺前信号を右折、次の信号(日尾神社前)を右折し石手方面へ
伊予鉄健康ランドを過ぎて、信号(繁多寺口)を右折。突き当りを
左折して繁多寺。浄土寺から繁多寺の案内図を参考 |
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浄土寺前信号を右折、次の信号(日尾神社前)を左折、久米駅前方面へ
伊予鉄久米駅前から 10番系統 津田団地前行 JR松山駅前行に乗車
約5分で 繁多寺口へ 運賃=150円繁多寺口より徒歩媛彦温泉方面へ
温泉を過ぎて山手が繁多寺 伊予鉄時刻表案内10番線(久米駅) |
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第50番札所 東山繁多寺 (畑寺町) (089)975-0910 |
山麓の閑静な場所にあり、市内が一望できる場所にある。
境内の左に、将軍家綱の持仏と伝わる歓喜天=おふたまた大根の紋で知られ
商売繁盛の仏様としての信仰も厚い。
本尊=薬師如来 ⇒行基の作と伝承されている。
弘安2年(1279)に聞月上人が、蒙古撃退の祈祷の勅命を受け祈願したとの
寺伝もある。 |
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繁多寺口から右方向にパチンコ店を過ぎ、畑寺交差点を直進方向(石手方面)へ
約1.5kmでエフコ東野店、さらに直進(400m)し、遍路橋を通過約300mで 石手寺
繁多寺から石手寺への案内図 |
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第51番札所 熊野山石手寺 (石手1丁目) (089)977-0870 |
伊予の国司河野氏の一族に衛門三郎という強欲非道の者がいた。ある日屋敷の門前に
貧しい身なりの旅僧(弘法太子)が度々現れた。腹を立てた三郎は箒で旅僧の鉄鉢を
叩き落し、鉢は8つに割れてしまった。翌日から三郎の8人の子供が次々に死に絶え、
(八坂寺の近くに八ツ墓古墳)非道を改め遍路となり、四国を回ること20回、絶え絶えの
身体の状態でやっと阿波の焼山寺で太子に巡り会い罪を詫び息絶えた。太子は
衛門三郎再来と記した小石を握らしてやった。翌年河野家に男子が左手を握ったまま誕生
当時安養寺といっていた住職の加持祈祷により手が開き、中から小石が現れた。
これから寺も石手寺と改めた。こんな言い伝えの残る石手寺、楼門は国宝、本堂・
三重塔などは重要文化財。本尊=薬師如来 |
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石手寺前を右方向=道後温泉方面に進む。子規記念博物館を左に見て、
路面電車の通る交差点を左折、電車通り沿いに直進、上一万交差点を平和通りを直進。
本町3丁目交差点で今治・北条方面・国道196号線へ右折。
北条バイパス交差点を、堀江方面へ直進し、内宮町交差点を左折し、観光港方面へ
和気1丁目交差点を左折し、次の信号を右折(県道183号線)、直進し 太山寺
北方面拡大地図参照 |
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第52番札所 滝雲山太山寺 (太山寺町) (089)978-0329 |
天平11年(739)聖武天皇の勅願により、行基が開いたと伝えられている。背後の山の
山頂に帝が自ら「写経」を埋められたたことから、「経ケ森=きょうがもり」と呼ばれている。
また、豊後(大分県)の真野長者が海難に遭い、山頂の光を見てその難を逃れ、本堂を
一夜にして再建したという言い伝え=一夜建立=もある。本堂は国宝、鎌倉時代の建築の
特徴を示す(嘉元3年=1305年建築)、また、八脚門(仁王門)も重要文化財。
本尊=十一面観世音菩薩、 |
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元来た県道183号線を和気方面直進、和気小学校を右に見て
JR和気駅方面へ直進。左手に円明寺
太山寺・円明寺案内図を参照 |
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第53番札所 須賀山円明寺 (和気町1丁目) (089)978-1129 |
松山市での最終の札所。3間1戸建ての八脚門をくぐりぬけると、左手に納経所、
正面に本堂がある。また、山門左手には、高さ40cmの十字に型どられた石塔に
マリア像が浮彫りされている。キリシタン禁制の時代のものといわれている。
本尊=阿弥陀如来 |
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松山市内へ帰りは、国道196号線・内宮町交差点を左折、松山市方面へ
54番札所へは、内宮町交差点を左折=今治方面へ
太山寺・円明寺案内図を参照 |
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