第九十九段   一遍会「掲示板」(平成二十一年長月九月)に日録を掲載せしこと。

9月30日(水)
一ヶ月ぶりか、終日雨である。予定を変更してHP「一遍会」の10月度更改ワークに集中すしセット完了である。一遍会員へ月初恒例の「一遍会のお知らせ」を流す。
【→一遍会各位】
10月というのに「暑い日が続きます」という書き出しは妙ですが、28度前後の気温が続いています。お元気ですか。お変わりありませんか。10月例会から、県内でもっとも遠隔地の愛南町の中岡修也氏が体調も回復されて出席の由です。大阪の上南光雄氏から「六波羅蜜寺」のパンフと空也上人についての大森恵子氏の論文を送っていただきました。有難うございました。
10月例会では「一遍会報」第333号をお配りいたします。小沼大八代表と今村威厳、三好恭治両理事の講話の要旨です。ご出席をお待ちしています。(以下略)
9月29日(火)
日中は県立図書館で調査・研究。隣席には愛媛大学の内田九州男教授は「郡長記録」を精査中なので挨拶だけで済ます。
@【草間時福】の父名が「好文」で確定。長兄「好照」の長男「好太郎」が松山で肺結核にて死亡の事実「発見」。
時福の詩文集『天葩泳草』通読。「漢詩・難解、短歌・秀逸、俳句・平凡」といったところか。松山を題材にした短歌は今後活用したい。
A【大野トウ吉】が頭取を勤めた「榮松社」についての基本的な資料欠如。松山大学で再調査の要あり。
B【和久正辰】については基本資料なし。
3氏の草稿を和田克司氏に送付し、一段落となる。
子規博物館「10月度子規さんの句」は「押しかけて餘所でめしくふ秋のくれ」である。鑑賞エッセイの執筆をすすめる。
9月28日(月)
今日も小一時間雨が降る。午後、座敷の土塀周辺の草抜きと庭木の伐採。
『子規事典』人物項目「大野トウ<イ同>吉」取り纏め。松山藩の旧家臣の救済を目的とした「榮松社」の頭取の業績と大野氏の実像を浮かび上がらせたい。
大収穫は明治15年に「大福帳」から「複式簿記」経営に移行したこと、小林小太郎訳の「馬耳蘇記簿法」がテキストであったことなど。
9月27日(日)
待望の雨が半時ほど降るには降ったが・・・
「一遍会報」第333号の割付と誤字チェックを済ませ、松栄印刷所にメールする。初校は来週初を予定する。午後、表庭の庭木の剪定を始める。夕、「東の窓」一時閉鎖となる。事情はよく判らないが・・・
『子規事典』人物項目「大野トウ<イ同>吉」草稿執筆。子規が指摘する「松山の福沢諭吉」なる「大野トウ吉」の実像に迫るのはなかな大変ではある。
週末の上阪では@「竹中大工工具館」で鎌倉時代の大工道具の検分A「大阪市立美術館」で「道教の美術」見学を予定に加える。
NHK特集「日本と朝鮮半島2千年E「蒙古襲来の衝撃」は出色。高麗王朝に反旗を翻した精鋭部隊「三別抄」が日本に送った書状を軸に、蒙古襲来の世界史的視野での分析である。
【メモ:三別抄】
高麗王朝の軍事組織。崔氏政権の私兵軍団から、高麗の正規軍に発展したもの。
「別抄」とは精鋭部隊を意味し、初めは地方の反乱鎮圧のための臨時編成される組織であった。
崔氏政権のもとで常設、拡大されて左別抄、右別抄の2部隊となり、のちにモンゴルの捕虜から脱出した「神義軍」を加えて「三別抄」となった。
9月26日(土)
『子規事典』の人物項目「和久正辰」草稿の継続執筆と推敲。引き続き「大野トウ吉」に取り組む。同氏につき本格的に取り組んだ論文なし。人物研究の王道である「年表」作成から開始する。維新当時の町方の組織、経済一般にも触れざるを得ないので執筆に10日間は最低要するだろうと思う。今村威一遍会理事が「一遍会報」の校正を持参。「東の窓」関係者から相談を持ち込まれる。同期会会長は引退しているので調整役は丁重にお断りする。午後、庭木(ピラカンサ、紅葉)の刈り込みと剪定。
NHK朝ドラ「つばさ」終了。「出会い」がテーマであった筈だが「出会い」→「別れ」→「再会」→「別れ」と展開する。ドラマの文脈が破綻している。失敗作と云えよう。
【和田克司様→】
見事なる論旨の展開にてご執筆いただき有り難うございました。一段と光輝ある原稿として、後世に「子規事典」が残るものとなりました。
収録概念としては、子規に関連の人々にて、形の上では「坂の上の雲」関係人物一覧といたしたく(略)
9月25日(金)
『子規事典』の人物項目「草間時福」草稿の推敲。引き続いて「和久正辰」を執筆する。『明教』第35号に拙稿「『坂の上の雲』異聞」、第38号に正辰曾孫正博氏の「和久正辰の秋山好古との交流」を元に一気に書き上げる。
午後、庭木の剪定に取り掛かるが虫に負けて痒くなり中断する。
【和田克司様→】
文に格調があり、凝縮された文章に客観的な事実以外に、松山中学での教授法、演説への対応、民権運動とのかかわりなどに加えて、草間先生の歓迎のことなど、内容豊富で、素晴らしいご執筆となりました。
、「ホトトギス」に天葩と出てまいりますのが草間時福にて、下村爲山と席を同じくしていたと思います。追ってご報告します。
中川四明(紫明)とは実の兄弟にて、やがては立項すべき人物と考えております。ご執筆の範囲に入れて下さい。
9月24日(木)
日中は「ホテル奥道後」のバイキング&ジャングル風呂でリフレッシュする。『子規事典』の人物項目で「草間時福」の執筆。2000字見当で「流しが書き」して1000字まで推敲する。次回編集会議までに@岩村高俊A草間時福B西河通徹C和久正辰D大野イ同吉氏を取り纏めたい。
「東の窓」寄稿者からトラブルの相談あり。無言電話などかなり悪質な動きあり。自戒を籠めて「松山人は余所者(異端者)には決して暖かくない」と伝えた。
9月23日(水)
「秋分の日」を迎え早朝に義安寺の墓参りを済ます。
午後、宝厳寺で一遍忌&大施餓鬼法要に出席。(小沼大八代表、今村威・中川重美両理事出席)。時宗信徒である塩崎恭久衆議院議員も列席、挨拶で一遍会への期待を寄せられる。蜂須賀俊一檀家総代から出席者に一遍会への入会の誘いあり。「檀家総代会」として一遍会賛助会員登録の運びとなる。引き続き法要出席のご住職たち、檀家総代各位、一遍会三役で会食懇談。「窪寺閑室跡」の保存維持についての檀家と一遍会の協力関係を誓う。「窪寺物語」を年末までに執筆することを約する。
9月22日(火)
早朝6時から庭木の剪定。表のカイズカイブキの剪定は毎年のことながら苦労する。もっとも切り過ぎてもイブキ自体が一年かけて修整してくれるのは自然の妙である。
午後、「千年の森に集う」全国大会に出席(ひめぎんホール)。
@基調講演:折哲雄氏「森林が育む人間力―森はカオスか、コスモスか」
Aパネルディスカッション:「森林と人間の関係について総合的に捉える」
パネラー 山折哲雄氏(宗教学者)、岡信一氏(久万在林業家)、西海賢二氏(東京家政学院大学教授)、山根麻以氏(ミュージシャン)鶴見武道氏(愛媛大学農学部教授・えひめ千年の森をつくる会代表)
B山根麻以アコースティックライブ:「愛媛の森から、愛をこめて」
感銘を受けた山折哲雄氏の講話のメモを作成する。
【研究ノート】
@桃太郎が勧善懲悪の物語に変質するのは「日清・日露戦争」以後である。 柳田國男著『桃太郎の誕生』から「原点」を探る。
なぜ「柴」を沼に投げたか。・・・<水の浄化 柴漬け漁>
なぜ水女神の手渡した子供が醜いか・・・<水界の母子神、母子神信仰> 
森(山)と水(川・海)の一体化
ACO2 25%削減 京都三山の荒廃(東・北・西) ・・・「間伐材」をいかに対応する。
死者を弔う。火葬と土葬(両墓制@土葬<山>A参り墓<近隣> 【間伐材活用】提言・・・間伐材の活用
(参考)ガンジス川 聖地ベナレス  2000年前俊の誕生(ヒンズー教/イスラム教/キリスト教 歴史的推移反映して都市形成)
B山 奥山  森  修験者<断食 断水・・・>
   里山  林  道元 ・・・ 無言業@食事A便所 B浴室<節水> (注)『一遍聖絵』記述の「山人」は奥山でなく里山か。<美濃河野系?>
C砂漠の文化
キリスト(教) 砂漠の文化
釈迦(仏教)  森林の文化ではなく「砂漠の道」である。→「林住期」 林は森ではない 菩提樹のほとりにオアシス(池)あり →「砂漠文化」の冷たさ
    
○山で遊ばない子 人間の死を直面しない子 
○森の時間軸  年輪は1年に1つのみ
○低炭素・・・もったいない 腹八分
 生物多様性・・・鎮守の森
○曼陀羅  頂上 仏  下部 神
○水の商品化
○割り箸と間伐材の有効活用
○百姓、百種、百品苗
→HP「石鎚森の学校」
9月21日(月)
彼岸の入りである。暑さ寒さも彼岸までだが、日中28度を越える暑さである。家人と義安寺に出向き、墓苑の掃除とお参り。持田(村)と一万(村)の三好家の墓参りも併せて済ます。秋彼岸中に湯山(村)と高野(村)の三好家の墓苑にもお参り予定。個人墓なので優に墓石が100以上あり、お参りも一苦労である。
夕方まで庭木の剪定。高所作業なので心身ともに疲労困憊。夕、椿湯に行くも観光客で浴槽は「超満員」である。本館の浴槽はラッシュ並みかもしれぬ。今日は「敬老の日」であるが、当方は「軽労(働)の日」ならぬ「重労(働)の日」となった。いやはやである。
【和田克司様→】
@森田愛「五」郎などは、最も難しいエラーにて、初期段階での訂正がないと、そのまま引きずってゆきます。孫引きにならぬように原典、出典を明確に記載して頂くように、改めてお願いいたします。
A中村一義のこと、どこかで見た覚えがあって、当日の指摘が出来ず失礼しました。「松」が「蕉」に通じるといった表記は定説とは思われないので、採用は見合わせます。
B角川ソフィア文庫にて子規の「仰臥漫録」が出ます。「仰臥漫録」の絵の部分がすべてカラーにて出るのと、原本の色を再現している点では、ご参考になるかもしれません。なお、本文は現代仮名遣い、平仮名として読み易くなっております。
9月20日(日)
庭仕事を中断して事務処理に注力する。
1)「一遍会報」第333号の割付完了。掲載論文3編とも一遍会役員による講話要旨となった。
@今村威理事「『亥之助漂流記』〜漂流110日、十三名全員の命を救ったもの」A小沼大八代表「病気を考える」B三好恭治理事「江戸期四国の時宗二十寺院(3)讃岐十三郡七ヶ寺」」
2)「一遍会ニュース」10月度改訂作業。
3)マスコミ・ミニコミ誌6社に10月度例会予告。
「敬老の日」のお祝い書簡(?)に返信。後期高齢者の仲間入りも間近かではあるが民主党政権のマニフェストによればこの制度は廃止になる由。喜ぶべきか否かは不明である。もっとも女性は4人に1人、男性は5人に1人が65歳以上で、75歳以上者は総人口の1割を占める(1,370万人)。もっとも宗教心とは無関係であるが・・・
9月19日(土)
第108回子規忌(9月度例会)に出席(正宗寺)
@墓前祭
A本法要:正岡家ご遺族(佐伯徹也、平松丑雄両氏)列席。
B講演は今村威氏(同会常任理事)「『松山発子規事典(仮題)を子規居士に捧げたい」で編集までの経過や編集内容について理路整然かつ詳細な説明あり。
C卓話は宇和宣氏(同会常任理事)「松山子規会創立当時を振り返って・・・」と和田克司氏(同会副会長)「『なじみ集』について」。
両卓話ともに貴重な資料(昭和18年1月松山子規会発会当初の柳原極堂自筆趣意書など)の提供あり。
引き続き「子規事典」編集委員会(第28回)出席<紀之国屋>。
特に渡部平人理事の報告に注目。(中村愛松・森田雷死久・松風会・歌原蒼苔・野間叟柳・下村為山など)
夜、渡部平人氏宛に中村愛松(一義)、森田雷死久(愛五郎)、松風会(→蕉風会)、梨園「赤々園」についての情報を提供する。梨園「赤々園」は温泉郡小野村大字北梅本に分家の持田村旧里正「三好保徳」が開園し、「河野房五郎」を経て明治43年「渡部綱興」に譲渡した経緯がある。日本の代表的な梨である「二十世紀」梨が、道後郷の「三好梨園」で誕生し鳥取で成功した史実をごく一部の関係者しか知らないのは寂しい限りである。
9月18日(金)
朝9時から来客応対。昼食(中国割烹「大岩」本店)をはさんで、ダイキ(城北店・EX店)で園芸用品を調達、秋彼岸用の樒(シキミ)を用意する。夕まで庭仕事。
【→一遍会会員E様】
1)六字名号「南無阿弥陀仏」の意味
明快にお答えするには、あまりに難しすぎます。宗教書にはそれらしく書いていますが、合点がいきません。老生が感得していますのは「南無+阿弥陀+仏」です。「南無」は「帰依する」で基督教の祈りの言葉「アーメン」<真実に斯く在れ>に相当します。
「阿弥陀(仏)」は「無量光(仏)」「無量寿(仏)」のことで「時と場における永遠普遍(極楽浄土)」を意味します。(注)梵語Amityusは無量寿、Amitbhaは無量光と漢訳)「仏」は「覚者」<覚りを得ることが仏になること>です。基督教の「神」の概念とは全く異質で、凡人も覚りを得れば仏になる(成仏)することになります。一般に「法身仏・報身仏・応身仏」を「三身仏」と呼びますが、釈迦牟尼は弟子からは「生身仏」と見られました。釈迦も「ONE OF 仏」ですし、凡人もまた仏になり得るわけです。
⇒お奨めしたい本があります。柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫) 
2)時宗寺の数は6ヵ所と解りましたが檀家数はどのくらい居られるんでしょうか。また一番数の多い県はどこですか。
愛媛県下の現在の時宗寺院は2寺(宝厳寺<道後>、願成寺<内子>)のみで、他の4寺は宗派が変わりました。
檀家数は正確にはわかりませんが、宝厳寺約200家、願成寺は約600家でしょう。檀家が400家以上だと「寺院経営」は安泰ですが・・・全国的には神奈川、岩手、山梨が多いようですが、資料に当たってからご返事します。ご存知のように中世(足利時代)では時宗は巨大集団でしたが、戦国時代に真宗教団に吸収されました。今日時宗が強い県は真宗が弱い県に対応していると思います。尚、四国は真言宗と天台宗に吸収されたようです。時宗の一派である「一向宗」は昭和に入ってから浄土宗に所属しています。もっとも、「浄土教」として捉えれば、日本の最強・最大の教団といえます。
3)お願い
毎日200通以上のメールを頂いております。ミスがないように件名のトップに「一遍会」と記載してもらうと有難いのですが・・・ お願いします。
9月17日(木)
四国がんセンターに出向く。「数値」など問題なし。午後は夕刻まで庭仕事。柏、桜、柿の枝切り作業。9月は「農繁期」に当り、一遍会・子規会関連の研究はスリープ「已むなし」である。
9月16日(水)
鳩山内閣が今日発足する。入閣の顔ぶれに興味があるが、亀井静香氏の郵政問題相、福島瑞穂氏の消費者相、藤井裕久氏の財務相は「名人事」と思う。菅直人氏の国家戦略相、岡田克也氏の外務相、長妻昭氏の厚生労働相は「当然の人事」、仙谷由人氏の行政刷新相、原口一博氏の総務相は「意外な人事」かな。
一遍会入会の誘いをHP「一遍会」中「インターネット会員募集中」に掲載する。前年に較べて一般会員が大幅に落ち込んでおり頭が痛い。日中約6時間、畑の整備作業。結構気温が高く疲れる。    
9月15日(火)
天候が崩れたので外出を控え家事の整理。
○金融商品の現在価値の検証:野村・三菱UFJ分は堅調だが地元の伊予銀行・二浪証券分は大打撃。新政権への移行により東アジアからの買い注文に期待するしかないか。
○奥道後温泉観光の早瀬氏から「湧ケ淵の龍」についての照会あり。湯山・奥道後の伝承を若者の視点で研究するように激励する。
○八木不動産から9月度駐車場収支決算が届く。稼働率89.5%でまずまずの運用ではある。
○HP「東の窓」の運営に関してメンバーから意見が数通届く。経験的に、4年以上経過すると組織運営は「制度疲労」を来たす恐れがある。「民意を吸い上げる」ことが肝要であろう。
○公民館図書館から2冊貸し出し。
@堀越千秋著「赤土色のスペイン」(弦書房)
A下村徹著「ドナウの叫び ワグナー・ナンドール物語」(幻冬舎)
○「『千年の森に集う』全国大会IN石鎚」(フォレストミーティング2009)の招待状が届く。発信者はなんと石鎚山土小屋の「白石小屋」の若き経営者白石文高氏である。
宗教哲学者山折哲雄氏の講演「森林が育む人間力〜森はカオスか、コスモスか〜」がひめぎんホールで9月22日開催。山折フアンとしては是非出席したい。
○松の剪定に例年通り80数歳のベテラン職人さんが午後から仕事を開始する。
○夜、松竹大歌舞伎近松座公演を鑑賞(ひめぎんホール)。
@坂田藤十郎お目見え ご挨拶
A「恋飛脚大和往来」より「封印切 新町井筒屋の場」(坂田藤十郎・片岡愛之助・中村壱太郎・坂東彦三郎・片岡秀太郎)
B連獅子(中村翫雀・片岡愛之助・中村亀鶴・中村壱太郎)
坂田藤十郎丈の孫に当たる中村壱太郎君を初めて舞台で見たが「傾城梅川」や「連獅子」での村娘を熱演。瑞々しい色気はまさに旬である。上方歌舞伎の将来を担うことだろう。
9月14日(月)
秋分の日に開催される宝厳寺の大施餓鬼法要の後で「一遍会」の紹介をさせていただくことになった。ありがたいことである。道後の町衆に共感を持ってもらえるコピーとして「一遍さんは道後に生まれた。一遍会は道後で育った。」を考えA42枚分の草稿を執筆する。なんとか会員の拡充に結び付けたい。
午後から庭木の剪定。玄関の松はプロに任すが、ほかはすべて約半月かけて家人と二人で取り組む。初日は「玉つげ」10本を芸術的に刈り込む。疲れた。
9月13日(日)
伊予史談会9月例会出席(県生活文化センター)。
@伊予史談会理事・清水正史氏「松山市古川の今昔―片平騒動など」
A県歴史文化博物館学芸員・山内治朋氏「戦国期の肱川流域について」
両論共に歴史文化史の範疇に入るのだろうか。40年以上故郷伊予国を離れていたので、地理・地名・歴史的背景の理解が十分でないので核心をつかめない。
清水氏の話を聞きながら、一遍・河野氏・得能氏・南北朝時代・奥谷派の「八倉」や「松前」の宝厳寺末寺など連鎖的に鎌倉期の伊予国をイメージする。
片平(古川)騒動と今村久兵衛、播磨塚の戦い、軍ヶ森の戦いは改めて学習することとしたい。
肱川は愛媛県下最大の河川である。肱川の歴史的な分析を通して@連絡経路としての伊予灘A肱川汽水域の経済地帯としての可能性B在地領主層と地域支配権力など参考箇所多し。「三好家書」では遠祖三好長門守が小早川降景から長浜300石で召し抱えられており、今後の家書研究のヒントを得た。
白方勝氏(愛媛大学元教授)から「日本古代文学史における疎外されたひとびと」の恵贈あり。「軽皇子・軽郎女の悲劇」は松山市内姫原に墓があり興味深い。
午後、一遍会インターネット会員宛9月度定期便を送る。表庭の芝桜ゾーンのドクダミ撤去作業。白鳥龍介画伯から電話があり、大阪の友人(平山氏)に話をつなぐ。現役時代と違って著名な画伯とお付き合いするだけの資力も情熱もなくなってきた。
9月12日(土)
一遍会9月例会開催。出席は24名。新会員2名。
講師@:石野 弥栄氏(愛媛大学講師)
演 題:中世伊予の熊野信仰について〜地域領主との檀縁関係をめぐって〜
講師A:杉野 祥一氏(一遍会理事) 
卓 話:「一遍聖絵」を絵解きする【第12回】「聖達上人禅室の湯屋」の場
午前中に石野講師のレジュメの印刷を間に合わす。豊富な原史料と精緻な分析に圧倒される。会員のレベル以上の内容だけに、いかに消化していくか事務局としては頭が痛い。
理事会で理事から窪寺閑室跡の報告あり。土地所有者より宝厳寺に寄付されるので、宝厳寺の閑室庵として「永久保存」される。災い転じて福となった。春の「松寿丸湯浴み式」も一遍会行事から、宝厳寺行事に円満に移行できないものか、9月24日開催の一遍忌法要の後、檀家総代と打ち合わせをしたい。散会後、太田理事、杉野理事と喫茶「セラ」でティータイム。差別問題、「遊女と差別」特に宝厳寺下の旧遊郭についての共通理解を深める。
9月11日(金)
「文芸春秋」10月号に目を通す。午後、畑の除草作業がほぼ完了する。
9月10日(木)
四半期ごとの四国がんセンターでの定期検査に出かける。異常は認められず。
「坊っちやん書房」で客野澄博著「明治百年歴史の証言台」購入。著者は昭和5年生れの愛媛新聞社会部記者、切り口がユニークでデータは豊富なので郷土史研究で役立てたい。
シネマサンシャインで評判の映画「HACHI 約束の犬」鑑賞。監督はラッセ・ハルストレチ、制作兼主演はリチャードギア(オアーカーウイルソン教授)。「忠犬ハチ公」のアメリカ版であるが、人種や国家や時代を越えて共感できる映画である。映画を見ながら10年以上亡き父と共に暮らした秋田犬「龍」と二重写しになって涙が止まらない、拙宅の秋田犬は父の死に合わせるかのように食を断ち10日後に「殉死」した。平成18年春のこと、奥道後温泉まではバスを利用して家人と観桜ハイキング。松山ダム貯水池までの往復+昼食の三時間コース。池畔にペット霊園があり隠れた桜の名所である亡父とともに十数年生活を共にした秋田犬「龍」もこの霊園に眠っている。5月に父の十七回忌を執行するので「その日には帰っておいで」とお祈りをする。マイ「約束の犬 『龍』」のストーリーであるが、切ない思い出である。亡父と共に愛犬「龍」の冥福を祈りたい。家人に話したら早速見に行くとのことである。
「文芸春秋」10月号は盛り沢山の内容である。話題の酒井法子と大原麗子の週刊誌的記事と「天皇・皇后カナダご訪問随行記」(川島裕侍従長)に目を通す。夕までの3時間、畑の除草作業。
9月9日(水)
一遍会8月度収支決算を終え「理事会資料」作成。午後四時間、畑の除草作業。雨は残念ながら降りそうで降らない。
9月8日(火)
宝厳寺に出向き、長岡隆祥師と情報交換並びに打ち合わせ。
@一遍会例会報告
A窪寺閑室跡の保存経過報告
B「一遍会報」など資料説明
C大施餓鬼法要出席依頼(小沼代表&今村・三好理事)
D山門下家屋3軒更地化説明など
義安寺に詣でて秋彼岸準備の為墓苑の清掃。午後、8月度「六時屋サミット」。「湯之町ハイカラ通り」は本町・西町・川端各通りで構成されている由。
9月7日(月)
伊予銀行・みずほ銀行(井原氏)・住友信託銀行(小笠原氏)を回る。ロビーで『松山百点』<錦秋号>を手にする。
今号に一遍会会員だった「坂村真民生誕百年」と「愛媛の美術館が所蔵する自慢の作品 名作に出会う秋」が特集されている。一遍会インターネット会員に9月度例会と11月実施の高知県巡察の「定期便」を流す。「教信上人和讃(教信沙弥物語)」は例会配布後とした。高校同期会HP「東の窓」を久し振りにゆっくりと閲覧する。自他共に認める「日本一の同期会HP」ではあるが・・・・・
9月6日(日)
30度を越す「夏の暑さ」が続く。腰痛気味で庭作業は中断す。
高校同期会HP「東の窓」事務局から今回のトラブルについて照会あり。「知らしむべし。由らしむべし。」を大前提にすべきは自明のことであろう。一遍会9月例会に向けて@「9月度一遍会ニュース」A「高知県巡察案内(11月例会)」」B「念仏山教信寺紹介」を写真を多く取り込んで執筆・編集・印刷完了。
9月5日(土)
「一遍会報」とは別に写真を主体にした「一遍会報グラフ」を不定期刊行する予定なのでソフト「旅自慢」を使用して編集作業のテクニックを試行錯誤で学習する。夕刻からは道後公園で「湯築城観月祭」見物。「ノーザンライツ」のヴァイオィン&ハープによるアイルランドメロディ演奏、丘里奈子の日本調のオカリナ演奏など楽しむ。
高校同期会員が運営する「東の窓」をめぐって混乱が生じた。大袈裟に言えば「言論(表現)の自由」と「人権(差別・個人情報・名誉毀損)」をめぐっての論争になっている。ウエッブはバーチャルなものだから、文脈・記号をめぐっての議論の円満な解決には時間がかかろう。「東の窓」が「一穴」なり「一刺し」でもろくも崩れ去ることは避けたい。
9月4日(金)
早昼を食べて送迎車で「レスパスシティ」に向かう。「坊っちゃん劇場」で上演中の「わらび座」制作の「鶴姫伝説 瀬戸内のジャンヌ・ダルク」を鑑賞する。満員の盛況ぶりである。戦国時代の瀬戸内の「海賊」として著名な河野・来島氏と一族の「陣代」としての大祝氏と、周防の大内氏の抗争の中で忽然として現れ消えた16歳の「大祝鶴姫」の物語であり、秀作である。鶴姫役の碓井涼子の熱演、相手役「クロタカ」(越智安成)の神敏将の控えめな演技、「カモメ」古関梓紀の好演で、すっかり劇中に溶け込んだ。「見奈良天然温泉利楽」の西日本最大規模の野天風呂でノンビリして「鶴姫セット」とビールで完全にリラックスする。
9月3日(木)
一遍会12月度例会講話は大本敬久氏(愛媛県歴史文化博物館学芸課 専門学芸員)による「文楽(人形浄瑠璃)と愛媛」と決定。午後は、引き続き座敷の草引き。妻曰く、石庭みたい、庭石がこんなに美しく映えるとは! 晴天続きで乾燥した地肌に庭石が「凝縮した大自然を象徴」しているのだろうか。
第141回芥川賞受賞作磯崎憲一郎作「終の住処<ついのすみかあ>」読了。著者は44歳で三井物産人事総務部次長というエリート社員である。作品では彼と妻との日常生活がテーマであるが、主人公は「時間の集積」といったところか。人事マンにとって「時間の集積」は感覚的にすぐに理解できたので大変興味深かった。「一遍はすべてを捨て去ったが、故里と血族を捨て切れなかった」と考えるが、一遍が生きた「時間」は決してほかのものに置き換えることができないということである。
【大本敬久氏→】
12月例会の件、タイトルは「文楽(人形浄瑠璃)と愛媛」でお願いします。映像付きで話させていただきます。よろしくお願いします。「歌舞伎・文楽展」も先日終了して、今、撤去している最中です。文楽人形の頭や、歌舞伎衣裳など、展示していると愛着がわいてきて、最後、撤去するのが、少し惜しい、寂しい気分になります。
9月2日(水)
県図書館で@頼本冨夫「明教館教授 日下伯巌墓碑銘について」(松山東高校・教育研究集録第26集」・平成6年刊)A松山基督教会「回顧四十年」(大正14年刊)等を閲読、複写。「日下伯巌墓碑銘」については和田克司氏に資料送付。午後、座敷の草引きで汗をかく。
【研究ノート】
@文部省提出の県資料「松山中学移転計画申請」で「第2候補 道後村持田および松山市持田に跨る中土手の東方の地」と記述。「砂土手」でなく「中土手」・・・「南土手」「北土手」なる地名なり呼称がはっきりすると・・・ 併せて「砂土手」がどの時代から使用されるようになったのか・・・
A虚子の句「砂土手に菜種の花のさかり哉」(明治28年)虚子は帰郷して(日時は未詳)漱石と会っているので、砂土手の光景は、明治28年の光景となる。
9月1日(火)
HP「一遍会」の衣替え・・・「月例会のお知らせ」「一遍会」「熟田津今昔」「一遍徒然草紙」などを更新する。「EAST29」「燦燦会」「六時屋サミット」など月初発信。
9月度子規博懸垂幕俳句「羽織着る秋の夕のくさめ哉  子規」の鑑賞エッセイを執筆。恒例の戯作は「マスクする秋の夕のくさめ哉  子規もどき」とした。鑑賞エッセイは上記URLをクリックしてお訪ね下さい。感想をお聞かせいただければ幸甚です。