第七十六段  一遍会「掲示板」(平成十九年師走十二月)に日録を掲載せしこと。

12月31日(月)
子規記念博1月度子規俳句の鑑賞文を執筆。HP一遍会の「例会のお知らせ」「一遍会」「子規会俳句」などを改訂する。妻は孫の入学祝のカバンを購入の為長男家族で高島屋に出掛ける。
日誌類の点検。「年越し蕎麦」を頂いてNHKの紅白歌合戦を見ながら越年する。
12月30日(日)
シャックリ、下痢も止まり床を離れる。短期勝負の「食中毒」で終ったようだ。「東の窓」では子規の「松山20句」なかの「松葉関」をめぐっての話題からつぎつぎと話の輪が広がり、ついに同期の「作文集」作成まで漕ぎつける。来年の夢だが、若し実現し同期会総会で毎年配布できれば同期生にとっての素晴らしい想い出作りになるのでなかろうか。
夕、横浜から長男一家が帰省する。大所帯で晩餐をとり、椿湯で暖を取る。数日ではあるが故里の温もりを感じ取ってもらいたいものである。
12月29日(土)
一年間のツケが回ったのか、ついにダウンする。「ノロウイルス」の症状である。短期勝負で2日間というから明日には床を離れることが出来ようか。
12月28日(金)
食あたりで昨深夜から今暁にかけて数回の反吐。心当たりはないが、流感かな。年末・年始自重したい。午前中は「餅つき機」での3キロの餅つきを楽しむ。近所の従姉妹に御すそ分けする。神棚、仏壇、応接間にはお飾り餅を置き迎春の準備を進める。胃を休めるために三食とも固形物を取らず。夕方のなってやっと症状が治まった感じである。
12月27日(木)
12月19日に首座法戦式を了えた長子裕規氏を連れて菩提寺の龍穏寺の中野裕道師が挨拶に来宅。首座法戦式、義安寺(住持は仏国山瑞応寺食堂任兼任)、西龍寺(住持は一級建築士)、食場三好家、持田三好家などの話をする。記念品と記念写真を頂戴する。式場の法隆龍寺は永平寺派で龍穏寺は総持寺派、真言宗の御幸寺の住持も出席しているのに驚く。寺院も宗派にこだわらず仏教を興隆してほしいものだ。明年の法事はニ代秀安妻(三百回忌)と十代寛馬(百回忌)に当たるので正式に依頼する。
午後から、仏壇、掛け軸、置物の子年への「衣替え」。ワープ松山支店で金比羅宮初詣と鷲羽山観光の二泊旅行を手配する。正月明けの骨休めである。
12月26日(水)
快晴にして温暖、絶好の掃除日和である。家人は帰省家族の布団の日干しで小生は書斎の大整理。宗教と郷土史、その他に分けて書籍の大移動である。余禄は20年前に読んだ宮尾登美子著『天璋院篤姫(上・下)が出てきたことか。大河ドラマが始まるまでに一読しておきたい。
今月上旬に受診した市の健康診断結果を受ける。とくに異常ナシという判定。春までは全力投球で「窪寺再考」と「松山発子規事典」の執筆に取り組みたい。
12月25日(火)
午前中は落葉焚き。年末の孫との落葉焚き分を残して、午前中で作業完了す。午後はホームセンターでプリンター用品と園芸用品の購入。和田克司氏宛「大寺の施餓鬼過ぎたる芭蕉哉  子規」の明治期の施餓鬼につきメールする。
【「正安寺の施餓鬼の日(明治の頃の)が旧暦で判明すれば」のご指摘がありましたが、当時は概ね旧7月15日に執リ行われたと存じます。ずれても数日で、所謂新盆(8月盆)ではなかろうと愚考致します。正安寺さんの寺務日誌は恐らく戦災で焼失したと考えられますので、今となっては確定は極めて困難かと存じます。明治28年9月20日は旧の8月2日、旧盆(7月15日)は新暦で9月3日となります。いずれにしましても「大寺の施餓鬼過ぎたる」ことは間違いないと存じます。新暦と旧暦の換算には当方下記HP「こよみのページ」を利用しております。大変便利ですので江戸時代の郷土史研究で愛用しております。http://koyomi8.com/
夜、書庫を整理中「読書彷徨 北川淳一郎」(昭和48年刊・非売品)を手にする。なんと明治30年代後半の「砂土手」が克明に描写されている。同氏は旧制松山高等学校の教授であり「一遍上人伝」(愛媛先賢叢書10)の著者でもある。例会で報告し、「砂土手」の事実を周知させたい。
12月24日(月)
「一遍会報」第322号の初校を済ませ松栄印刷所にFAXを送る。一遍会正月懇親会出席者は33名で確定する。矢野敬子理事の病気長期欠席でグループの多数欠席を危惧したが、新規会員でカバーできた。
暮に帰郷した孫達と落葉焚きをするので今年一年の伐採した庭木を程ほどに切り分ける。焼き芋を含めて家族が楽しめる年中行事となった。併せて柿の剪定。
今夕読書中「松葉関」を発見す。和田克司氏に連絡す。出典「鶴村松一著『松山文学案内』(昭和57年・青葉図書)」P100。
【松葉関は、元室町ゴミ焼却場付近の用水関のことで、戦前には松山で一番高かった焼却場のエントツ(高さ五五m)も、市ノ坪ヘの移転で取りのけられてしまい、その昔、少年たちがいたずらに石を投げ合ってあそんでいたこともすでに忘れられつつある。】尚藤野家の菩提寺は「大原家」と同様「正安寺」判明、明治期に境内に芭蕉があったかどうか写真で判定する必要ありか。
12月23日(日)
誇大広告的PRを承知の上で読売バスツアー「高知日曜市・ひろめ市場とモネの庭でのクリスマス」に参加。2,980円の超安価だけに、それなりのバスツアーではある。お蔭で貴重な体験が出来た。高速道路とは無縁で四国最長の「寒風山道路トンネル」を通り「道の駅『木の香』」<木の香温泉付設>で休憩。
次なる「いの町・土佐和紙工芸村・くらうど」では人間国宝浜田幸雄の典具帳紙を手触りで楽しむ。宿泊設備、クアハウスなど鄙には稀なアートセンターである。高知名物日曜市はほどほどにして「ひろめ市場」で生ビールを飲みながら「かつおのたたき」やとれとれの魚を味わう。高知城に上る。維新の立役者の一人である藩主山内容堂の生誕場所が広大な天理教高知本部であることに驚く。経過を是非知りたいものである。
睡蓮の咲いていない「モネに庭」は入場無料である。読売旅行の目の付け所が違う。太平洋に沈む夕陽を見たかったが雲に邪魔されて見えず。往復7時間のバスの中で一遍会2月例会講話「窪寺再考」の論旨を組み立てる。バスの揺れが脳の刺激になったようだ。まさにクリスマスプレゼントと云える。バスの添乗員曰く「日本三大がっかり名所」とは@守礼門(沖縄県那覇市)A札幌市時計台(北海道札幌市)B播磨屋橋(高知県高知市)とか。合点である。
12月22日(土)
終日雨となる。午前中は窓ガラス磨き。30面以上あるので結構身体は温かくなった。午後から子規記念博物館図書館で調査研究。竹田美喜館長と子規の俳句「松山言葉四十句」について懇談する。
1)「松山言葉四十句」
 @ 「鬼灯にぽちという女はんこなり」
 A 「うそのやうな十六日桜咲きにけり」
 B 「なぐさみや花はなけれど松葉関」
三句とも「松山発子規事典」で紹介するのだが「松葉関(堰)」は特定できず。「おなぐさみ」は松山ではお花見のことを云う。
2)藤野家の菩提寺(常信寺移転以前の)を特定できず。
3)俳誌『芙蓉』(明治32年静岡で刊行)の題字は子規、表紙絵は下村為山。「車百合」「虫籠」に次いで3番目の「ほとゝぎす」系俳誌の誕生である。
4)『伊予史談』第86号(昭和11年4月)から寺院別の「掃苔録」(お墓めぐり)連載を確認。
 @ 童謡「とちめん鶴亀頭の光る義安寺」
 A 鷺谷山大禅寺大休和尚手植の蓑毛桜跡が道後グランドテニスコート。丘上が松山市共同墓地で歴代住職の墓が残っていた由。
12月21日(金)
賀状投函を前に点検すると、町村合併後の市町村の住所変更が不十分なのに気付く。「日本郵便会社」の善意とサービスを信じて訂正無しで投函するか。午後から一遍会2月例会講演の「窪寺再考」の構想を練る。@「一遍聖絵」の映像解析A「窪寺」文献調査B修験道・河野氏などの史実調査の三本立てとしたい。
農林水産省が「農山漁村の郷土料理百選」な12月21日(金)プレス発表。転勤族・出張族のお蔭で6〜7割の料理は口にしているので「まずまずかな」と思う。因みに四国では徳島はそば雑炊/ぼうぜの姿寿司、香川は讃岐うどん/あんもち雑炊、高知はかつおのたたき/皿鉢料理、愛媛は宇和島鯛めし/じゃこ天。来年から食べていない郷土料理を喰う旅に挑戦するか。金比羅に初詣の折、四国で食べていない「あんころ雑煮」に食べたいものだ。ご存知の方はいないかな。
東京は深川丼/くさや、愛知はひまつぶし/味噌煮込みうどん、大阪は箱寿司/白みそ雑煮、福岡は水炊き/がめ煮。妥当なところだろう。松山は都会過ぎて故郷料理がなくなったのか、それとも味覚が発達していなくて故郷料理」を生み出せなかったのか、いずれにしても残念。
12月20日(木)
子規会理事の今村威・平岡英・宇和宣氏と昨夜の編集会議に関して電話連絡。引き続き、和田克司<松山発子規事典編集委員長>氏宛に下記を記す。午後は庭と畑の手入れ。
【和田克司様 昨日は遅くまでお付き合い頂き有難うございました。酒好きが最後まで残って子規さんを肴にして大いに語りました。楽しい一夕でした。
1)「井手の玉川」で井手神社・立花天神・玉川の因縁を知り、同時に橘諸兄の閨閥が伊予の国司であった事実を知りました。
もっとも国府は桜井でしたから何故松山なのかは目下不明です。旧玉川町の玉川の関連は・・・と考えると、数日は図書館で楽しめそうです。
2)大寺のお話は大変なご指摘だなとショックを受け続けています。今朝改めて「散策集」に目を通し、冒頭の俳句が新鮮に見えてきました。
杖によりて町を出づれハ稲の花
大寺の施餓鬼過ぎたる芭蕉哉
秋の山松欝として常信寺
高縄や稲の葉末の五里六里
砂土手や西日をうけて蕎麦の花
露草や野川の鮒のさゝ濁り
肥溜のいくつも並ぶ野菊哉
底見えて魚見えて秋の水深し
蓼短く秋の小川の溢れたり
五六反叔父がつくりし糸瓜哉
六尺の竹の梢や鵙の声
秋高し鳶舞ひしつむ城の上
秋晴れて見かくれぬべき山もなし
草の花少しありければ道後なり
砂土手や山をかざして櫨紅葉
蜻蛉の御幸寺見下す日和哉
虫鳴くや花露草の晝の露
秋澄みたり魚中浮て底の影
飛びハせで川に落ちたる螽哉
兀山をこえて吹きけり秋の風
馬の沓換ふるや櫨の紅葉散る
「大寺の施餓鬼過ぎたる芭蕉哉」 「秋の山松欝として常信寺」を「一気通貫」すると藤野家の菩提寺としての常信寺、古白の墓、初施餓鬼・・・と続き、まさに「松欝」の気分になりました。
「砂土手・西日・蕎麦」は供養のメッセージに映ります。こうなるとご指摘のように21句は子規の古白への追悼の想いとも受け取れます。興奮が続いておりますので、ゆっくりと考えることに致します。
3)時衆と竹細工についてのご指摘有難うございました。時宗の特色である「穢多者・癩者」(被差別民)の吸収が前提にありますし子規会で踏み込むのはちょっと危険かなとの感じです。2月に発表を予定している一遍会での「一遍成道の地・窪寺再考」で板囲いと竹囲いあたりから攻めてみたいと思います。「西行物語絵巻」も是非参考にさせていただきます。
4)道後周辺の寺院と堀・池についてはお役に立てそうです。尚、御宝町については、「○○水呑町」は手元史料にありますが、「○○百姓町(村)」は孫引き資料です。「おおみたから」→「百姓」→「みたから」→「御宝」でインプットされていますので、孫引き資料に飛びついた可能性があります。更に精度を高めます。「持田村」のヒント有難うございました。
今回も大いに知的刺激を受けました。ご教導有難うございました。今後とも宜しくお願い申し上げます。よき新年をお迎えいただきますように・・・】
12月19日(水)
山子規会12月例会(第779回)出席。講師は松山子規会常任理事の宇和宣氏『子規の旅』。旅という切り口で青年時代から最後の松山は『散策期』である。松山発子規事典編纂委員会で「石手・道後コース」を発表する。『子規会誌』4月号に掲載の予定。更に内容を充実させていきたい。和田克司氏から「大寺の施餓鬼過ぎたる芭蕉哉」の「施餓鬼過ぎたる」は自殺した藤野古白への切なる思いではないかとの指摘あり。熟考したい。
二次会は同じ会場(紀の国屋)で酒好きが最後まで残って子規さんを肴にして大いに語る。子規記念博物館竹田美喜館長と例会で出会う。マイHPで竹田館長の鑑賞文を掲載する許可を得た。
12月18日(火)
週末までに本年度の懸案事項を処理すべく工程表をつくり片づけ開始。
自画自賛だが「子規博俳句(懸垂幕)鑑賞」の評判が良い。「常々俳句は芭蕉のみ、一茶は加えて良し」の隣りの隠居から「子規もなかなか良いではないか」と電話あり。どうも私の鑑賞ガユニークで子規を見直していただいたらしい。HP「一遍会」の表紙から一発で「子規博物館「今月の俳句」懸垂幕」が出る様に改訂した。
菩提寺の龍穏寺&西禅寺の住職の長子は「小僧」だが明日「首座法戦式」を迎える。激励とお祝いを贈る。寺の後継が決まると正直安堵する。一遍生誕寺である宝厳寺は現住職長岡隆祥師には男子がいない。無住寺にはしたくない。貧乏を覚悟で歴史と格式ある宝厳寺を護ってくれる僧侶はいないものか。
長男から例年通り「博文館当用日記」の贈り物。日記が過去の自分の分身和になったようだ。食事みたいだから中断ということは絶対に考えられない。
12月17日(月)
松栄印刷所から「一遍会報第(322号)」のゲラ刷りが届く。今回は平田玲子氏と小沼大八の論文2本。正月懇親会で配布予定。年賀状残部150枚の印刷完了。正月配達締め切りは25日。じっくりとメッセージを書き込んでみたい。
鐘紡の石沢一朝元社長逝去(77歳)。『鐘星』に石沢・三好コンビで技校修了生に10年にわたりメッセージを連載した。魅力ある先輩の御霊に祈るや切。た。
12月16日(日)
一遍会正月例会に新規申し込み2名あり。30名を越した。
湯築城歴史塾」に参加(子規記念博物館)。講師は広瀬歴史博物館館長久葉祐司氏、テーマは「東予における新居氏の発展」である。「予州新居系図」では越智玉澄から始まり「新居・別宮・川乃(河野)」に分かれ更に高市氏が輩出する。河野氏と新居氏と対比させながら源平・鎌倉・南北朝期における盛衰を資料に基づき説明あり。新居盛氏が創建した「観念寺」が時宗であることを知る。桑村は府中に近く、一遍も一向も立ち寄っているし、今後関心を以って資料の検討を進めたい。
「午後から会社関係者への年賀状350枚印刷完了、個人関係と家人分はは明日回し。夜、和田克司成蹊女子短大教授と子規「散策集」の特に「大寺」の検証に関しての往復メールを繰り返す。通説と違う見解を学会や俳人に納得させるには大変である。NHK大河ドラマ「風林火山」が終わる。引き続き日曜劇場「敵は本能寺にあり」(市川染五郎・中村梅玉・玉木宏など)を鑑賞する。原作(加藤広著『明智佐馬助の恋』)を読んでいないが、織田信長の死を巡っての意外性から最後まで緊張感があった。面白いドラマであった。
12月15日(土)
9時半ホテルの送迎車で夜須まで出て、くろしお鉄道で土佐安芸下車。高知東部バスで室戸岬に向かう。所要時間は約1時間半。左手は延々と太平洋の海原は広がる。歩き遍路の姿を眺めると「遍路は辺地(海岸沿い)」であることを実感する。正午に室戸岬に着く。バスを降りた途端強風に足をすくわれよたよたする。平行感覚が崩れたのか小一時間歩行が安定しないので最御崎寺(ほつみさきじ)参詣は断念する。
中岡慎太郎の銅像を仰ぎ、御厨人窟(みくろど)で弘法大師の苦行を偲び、室戸青年大師像を眺める。明星来影寺なる寺院らしい。興ざめである。レストラン明星で昼食を取り、乱礁遊歩道を一時間以上かけて歩く。大師ゆかりの「目洗い池」「行水池」から「ビシャゴ岩」「エボシ岩」「土佐日記御崎の泊」まで説明版あり。大小、奇岩も多く、波の音を聞きながら太平洋を真近く歩くのは気持ちよし。亜熱帯植物(特にあこうの樹)に囲まれた遊歩道は風もなく暖かであった。
15時、バスにて奈半利まで出て、くろしお鉄道終点の後免からJRにて多度津乗換えで松山には21時21分着。駅前で老婆の「座りション」を見掛ける。
12月14日(金)
JRジパング倶楽部企画「冬の小旅行」を利用しての室戸へ一泊旅行、松山10:15発「しおかぜ14号」で多度津乗り換え「南風9号」で後免に14時27分着。くろしお鉄道で夜須まで行き。ホテルの送迎車で15時には「土佐ロイヤルホテル」着。大和ロイヤル系では那須りんどう湖・八ヶ岳・長浜・唐津についで5番目である。オーシャンヴューの眺望のよい部屋なので気に入る。
ウエルカムドリンクで小休憩後、ホテル自慢の室戸海洋深層水露天風呂で小一時間、天然温泉で30分と「いい湯だな」気分を満喫する。夕食は別館「潮騒」で鰹たたき、漁師鍋、お造りと海の幸を味わう。壁面に「般若心経」が架かっていたがミスマッチとも思わず。酒は勿論「土佐鶴」(辛口)。
12月13日(木)
寒さが本格化した。日中は畑の開墾と苗木の移植(春菊、玉葱、棕櫚竹など)。燦燦会の故・TONY氏夫人から始めてメールを頂く。
【今年も残り少なくなってまいりました。久しぶりに主人のメールをあけました。いつもの三好さんからのなつかしいメールを拝見し、涙が出てまいりました。その節ははるばる遠いところをお参りくださいましてありがとうございました。主人がきっととても喜んでいると思います。もちろん私もでした。いただいた羊羹とてもおいしくいただきました。これから子規記念博物館のホームページをクリックします。私は2度訪れております。どうぞ良いお年をお迎えください。お元気でご活躍されることを心からお祈りいたしております。時々メールをあけて見ますので、よろしく。】
那須の極楽蜻蛉さんからのメール
【子猫と小猫 日本語は含蓄がありますね。「餅ついて・・・・・」がここまで広がるとは お二人の学識に敬意を表します。年の瀬 今日の毎日新聞の「季節のたより」に「煤はきのここだけ許せ四畳半  子規」が掲載されました。坪内稔典氏の解説によると「自分の部屋をかき回されたくない子規の気持ちは、近代的で新しい。」とあります。餅つき・すす払い・年賀状・・・と自堕落に過ごしている私にも年の瀬は忙しく感じます。】
12月12日(水)
終日年賀状の作成。宛名と現役時代の関係者宛の400枚の印刷が完了する。今回は長文の内容なので添書は書かないことにした。

【謹んで新年をお慶び申し上げます
 亥年の年男を無事に勤め上げ、子年からの新たなる干支に踏み出すこととなりました。
 故里松山に帰郷いたしましてから10年、この間冠婚葬祭やOB会のご連絡を受けながら地理的、時間的な制約もあり随分ご無沙汰を重ねてまいりました。申し訳ありませんでした。お許し頂きたく存じます。学生期25年・家住(社住)期40年、そしてただ今は林棲期20年の真っ只中に居るわけですが、帰郷致しましてからの数年は「村役・鳶役・肝入りどん」ではありませんが、町内会・中学・高校・大学同窓会等の世話人として郷里に溶け込んでまいりました。
 ここ数年は一遍会、松山子規会、坊っちやん会(漱石研究会)、伊予史談会に参加して、ささやかながら研究論文を発表しております。また時間的な余裕もできましたので国内旅行は都道府県のすべてに立ち寄り、海外旅行は年2回程度カルチュアショックを受けながら楽しんでおります。
 会社・大学関係の先輩・同輩・後輩の方々が四国遍路の際にお立ち寄りいただいた節は道後温泉に入浴しながら旧交を温めさせて頂いていますインターネット仲間とはHP「一遍会」を通して情報を交換しあっておりますが、本年正月に「鐘紡春秋」を立ち上げました。この頁を通して、再びご連絡を取り合うことが出来ればと願っております。宜しくお願い申し上げます。
 「十年一昔」ではありますが、これからの十年は林棲期の充実と遊行期への準備でもあります。幸い夫婦ともども健康に過ごしておりますので、十二年後にこのような近況報告をお届けできるようにと念じています。ご家族皆々様のご多幸とご健勝を心からお祈り申し上げます。
 平成二十年戊子 元旦】
12月11日(火)
恒例の「六時屋サミット」開催。
1)井上誠一君から11月末奥道後温泉の散策路の目立たぬ場所で倒れている老人を発見し、速やかに救急車で病院に搬送できて一命を取りとめた実際談の披露。その後、両家族の交流など聞くと、日本人の暖かさを感じてホロりとする。発見が遅れれば一晩そのままということもあったかもしれない。
2)また75歳の先輩が夜10時頃自転車でドラッグストアに買い物に出掛けて農業用水に倒れ、翌朝ジョギング中の女性に発見されたが亡くなっていたという話。
3)四国遍路で安全対策の議論があるが、白装束の遍路は「死出の旅」でもあったはずだ。行き倒れても大師が傍にいるという救いと安堵が予定されている。
4)湯山の城山について
@河野の時代は菊ヶ森城(現湯山・食場)を居城にした「三好長門守」が米野々ら石手一帯を支配、「石手地頭職」が河野氏からは発状されています。加藤嘉明松山入城以来江戸時代を通して「温泉郡大庄屋」としての格式を与えられ、湯之山村(米野々〜高野 1266石)が管轄でした。三好分家が道後、持田、一万の庄屋でした。尚、江戸中期まで桑原村も三好分家が庄屋でした。(『三好家書』『湯山誌稿』『平凡社版・愛媛県の地名』)
A「城山」ですが海抜400・0米で宿野々の北西に位置します。湯ノ山では低い方の山です。(『湯山誌稿』)
B湯ノ山の古城は菊ヶ森城(食場・三好長門守)と城山<城之山・奥城>(宿野々・河野六郎)です。城山の城主は河野家ですから中世末期の城郭と捉えるべきでしょう。従って、「松山城の鬼門云々」は時代的に整合性が全くない。。
C菊ヶ森城と城山<城之山・奥城>については「伊予の古城」(伊予史談会叢書Cに詳しい)。併せて「予陽郡郷俚諺集」「予陽塵芥集」「松山叢談」「伊予古蹟志」「伊予温故録」などにも記載があります。
「文芸春秋」新年特別号を求む。特集は「暴走官僚 エリートたちが日本を食い荒らす」である。
12月10日(月)
一遍会例会11.12月欠席者全員に正月例会の案内状を出す。現在30名の申し込みがあり例年並であるが、35名程度の参加を得たい。椿湯で竹馬の友である古茂田聡君と出会う。神の湯族だが、ふらりと立ち寄った由。早速「東の窓」で報告する。
【今夜、椿湯で古茂田の聡さんと一緒になりました。早速「那須の極楽蜻蛉」さんの道後での奮闘振りを聞かせてもらいましたよ。雑草は草が生えた時に引かないと、花が咲いて種が落ちてから引いても残念ながら来年も今年と同じことになってしまいますね。「年年歳歳草相似たり、歳歳年年人同じからず」としゃれますか。】
「あいあい宗匠」から12月度子規博俳句鑑賞のコメントが届く。
【子猫には、春生まれと秋生まれがあって、(普通子猫は春の季語扱いですが)春待顔の措辞から秋生まれの子猫と分かりますネ。「昔の人のことわざに(麦藁を踏んだ猫は育つけれども、稲わらを踏んだ猫は育たない)があります。これは夫々暖かくなって行く時期、寒さに向かう時期を誰にでも理解できるよう平易な事例で教えてくれているのでしょうが、それにしても何と哀れな諺でしょう。
この句、皆様と同様にまず師走の家族総出の餅つき風景が思い浮かびます。次に大景から小景へ、作者子規は、春待顔のいとけない小猫にフォーカスを合わせました!(病臥のわが身ゆえ、憐憫の情ひとしおであるは余分)と鑑賞するのが常道で、餅つきと待春の字面が競いあってる(景が二つ)と取るのはピントが狂った解釈でしょうか?】
「道後関所番」から返信
【あいあい宗匠&みなさん「麦藁を踏んだ猫は育つけれども、稲わらを踏んだ猫は育たない」・・・この「ことばのちから」は残酷な事実なんですね。明治期の乳児死亡率は秋冬生まれが高かった歴史的事実を思い出しました。貴重なお話、有難うございました。
「餅ついて春待顔の小猫かな  子規」の鑑賞の蛇足で小猫・子猫のニュアンスについて触れましたが、子規庵で小猫を飼っていたかどうかも興味がありました。随筆『飯待つ間』(明治32年10月10日執筆)によると、子規さんは猫嫌いではなく、寝床に迷い込んできた猫を写生するくらい愛情を持っていたようですが、妹の律さんは猫嫌いだったようです。とすると世話をするのは律さんしか居ませんから、この小猫は飼い猫(子猫)ではなかったのでしょう。それにしてもこの句を詠んだのが明治32年12月10日ですから、10月10日から2ヶ月経って野良猫君が「子規庵」出入り自由になったと想像すると、なんだか心温まる猫物語となるのですが・・・いやはや。
(参考)子規の随筆『飯待つ間』(明治32年10月10日執筆)抜粋
「写した正に了る時妹再び来りて猫をつまみ出しぬ。猶追へども去らず、再び何やらにて大地に突き落しぬ。猫は庭の松の木に上りて枝の上に蹲りたるまゝ平らなる顔にてこなたを見おこせたり。斯くする間此猫一たびも鳴かざりき。」
12月9日(日)
愛媛大学「四国遍路と世界の巡礼」研究集会(9:00〜16:00)に出席。テーマは「巡礼と救済」である。
@足立広明(奈良大学文学部准教授)「古代末期のキリスト教巡礼の諸相」
A山代宏道(広島大学大学院文学研究科教授)「中世ヨーロッパのキリスト教巡礼―聖地と救済―」
B伊地知紀子(愛媛大学法文学部准教授)「済州4・3をめぐる巡礼―無辜な死を悼む旅路―」
C浅井英典(愛媛大学教育学部教授)「歩くことの効用を考える―生理学的知見から―
D井上淳(愛媛県歴史文化博物館学芸員)「記録からたどう四国遍路」
聴講しながらキーワードを見つける。
@「聖地」の時間的・地理的連続性
A奇跡を起こすのは仏陀(仏・如来)か仏弟子(弘法・日蓮)か
B聖地巡礼か寺社巡礼か
C東方崇拝(太陽・光・キリスト教)か西方崇拝(仏教)か
『松山発子規事典』(石手・道後コース)の『子規会誌』掲載原稿脱稿。一誠堂から「古書目録」(第105号)が届く。大橋俊雄『時宗の成立と展開』、吉川進『時宗阿弥教団の研究』。黒田日出男『肖像画を読む』を購めたい。平成20年度の賀状原稿執筆。@公式A友人関係B家人向けで挿絵は@「鳥獣人物図」中ねずみ画面A卓球マスコット。
12月8日(土)
一遍会12月度例会(第430回)開催。(道後公民館)出席は24名。寒さの中まずまずか。視聴覚教室の暖房が故障し寒さに震える。
講師は菊池佐紀氏(文芸誌「アミーゴ」主宰)。講話は「川端康成と三島由紀夫〜二人の作家に共通する闇〜」。今回で10回目の出講である。
 例会  年月日  場 所       講話テーマ
 322  981212  道後公民館  良寛〜その実像と虚像
 334  991211  道後公民館  西行〜その伝説と素顔〜
 346  001209  道後公民館  千利休〜秀吉との確執と貫いたばさら精神〜
 358  011208  道後公民館  漱石の孤独〜「坊ちゃん」から「則天去私」まで
 370  021214  道後公民館  遠藤周作の「イエス観」〜「沈黙」を中心に考える〜
 382  031213  道後公民館  人間一茶
 394  041211  道後公民館  太宰治〜人間失格の文学〜
 410  060408  道後公民館  日本文学に現れた『妖』〜源氏物語から近代文学まで」
 418  061209  道後公民館  齋藤茂吉と永井ふさ子の愛〜四国なるをとめ恋しも
 430  071208  道後公民館  川端康成と三島由紀夫〜二人の作家に共通する闇 〜
理事会で新年例会の細部打ち合わせ。出席は30名+5〜6名である。三味線、ハーモニカ、ギターと余興は盛り沢山となった。
12月7日(金)
明日の一遍会12月度例会の準備。講師菊池佐紀氏レジュメ「川端康成と三島由紀夫〜二人の作家に共通する闇〜 」、12月度一遍会ニュース、理事会資料を取り纏まる。昨夜の飲み会で話題になった項目を取り纏めて、明神、梅木両君にメール。
【昨夜は23時までおしゃべり。家内から「よく話すことがありますね。」とやや呆れ顔でしたが「まだまだ話したりないくらいだ。」と答えました。何かとお疲れでしょうが、松山に来たら是非毎月でもお話したいものです。「居酒屋八角」は梅木先生の教え子のお店となると3人の「定席」にしないといけませんなあ。今後が楽しみです。○【居酒屋八角】 http://www.geocities.jp/hakkaku923/
○大本敬久氏:愛媛県歴史文化博物館主任学芸員
  早稲田大学→立正大学(修士) 
  八幡浜市内の日蓮宗住持の息。
  宗教民俗学 南予民俗学会(?)の要 
  一遍会会員(年一回講演)
  HP には大本敬久氏に関して、随分多く情報が記載されています。「自己紹介のアドレス」が不明です。あしからず。「大本敬久」で検索してください。
○「開明学校」研究員の堀内八重さんの写真付きHPです。藤堂家とともに三重に移った堀内家の某女の息子が松尾芭蕉となります。
詳しくは調べていませんが・・・結構面白いドラマです。尚、堀内家は宇和の旧家で、おそらく士分から土着した庄屋と考えています。南予までは羽を伸ばしていません。
【堀内さん】 http://www7a.biglobe.ne.jp/~s-matsuyama/chijikaigi.html
【芭蕉の生母】 http://www.ict.ne.jp/~ueno-lc/basyo.html
とりあえずご報告します。】
70年前に行儀見習い兼僕の子守役で拙宅で働いていた「ねえや」の消息が分かった。18歳くらいで嫁ぎ、戦後は蜜柑、そして五明ゴルフカントリー(現エリエールGC)のオーナーになった人物(洲之内氏)がご主人である。残念ながら亡くなられた。ひと回り位違う年齢だから、米寿前だろうか。小学校時代に一度訪ねてきてくれたことを思い出す。なんとなく近い将来「ねえや」に会えるような気がする。「ねえや」とはいつも3畳間で一緒に寝たことは不思議に覚えている。「ねえや」の息子と家内が卓球クラブで珠を打ち合っているとは、まさに驚きである。
12月6日(木)
新居浜の義叔母の葬儀に参列(萩生・三光苑ホール)。導師は松山・御幸寺住持である。久米の菩提寺の住職がいなくなり統合兼務となった由。午後、県総合科学博物館と今秋JR伊予西条駅周辺に開館した「十河信二記念館」「四国鉄道文化館」「西条市観光交流センター」に立ち寄る。見学は一時間程だが、石鎚山系を眺め「うつぬきの水」(自噴水)を口に含ませる醍醐味は格別である。展示物は物足りないが時間が解決してくれるだろう。
夜、二番町「居酒屋八角」で明神正・梅木賢正君と「忘年会」。農村の過疎・限界集落、衆議院選挙候補者、皇室、原子力発電などなど。年初、伊方原子力発電所見学を決める。(〜23:00)
12月5日(水)
昨夜22時過ぎから不調となったパソコン&インターネットが午前中も回復せず試行錯誤の調整作業を繰り返す。愛媛CATVに連絡し「モデム」を交換してもらう。速度が速くなり且つ安定して一安心。メールの受発信記録と内容を整理する。日中、「松山発子規事典(石手寺コース)」の最終作業。ほぼ計画を完了する。『選択(12月号)』入手。
12月4日(火)
朝8時、湯山食場から奥道後・杉立山登山。往路2時間、復路1時間半の「山岳散歩」である。春秋2回登山しているので感慨はないが、健康チェックにはなる。奥道後温泉で昼食バイキングの後、ジャングル風呂で休養する。三重県伊賀と西条市の入湯客と露天風呂で20分ほどおしゃべりと「お国自慢」。伊予の三古湯(道後温泉・鈍川温泉・本谷温泉)は推古天皇らが伊予国政庁(熟田津)上陸後の入湯コースである由。本谷温泉へは入湯料200円の超安価な由。
12月中旬ジパング倶楽部の室戸(宿泊は土佐ロイヤルホテル)観光をセットする。空海ゆかりの四国霊場第24蕃札所・最御崎寺には立ち寄りたい。夜は引き続き「松山発子規事典(石手寺コース)」最終作業。新居浜の叔父の妻の訃報が届く。葬儀は6日(木)10:00「新居浜萩生・三灯苑」。
12月3日(月)
一遍会2月度例会の会場申し込みを済ます。「一遍会報」第322号の割付につき松栄印刷所(担当小池氏)と打ち合わす。写真が多いので慎重を期し12月20日頃に納入し、新春の例会で配布する。午後から庭木の選定作業。予定の半分を済ます。水曜日に残りを処理し年末までの剪定作業は終了したい。
夜にかけて「松山発子規事典」の石手寺コースの校正作業。規定字数まで絞り込むには40%のカットが必要となる。頭を抱え込む。
12月2日(日)
賀状製作では例年「鳥獣人物戯画」から十二支の動物を借用している。市中央図書館で中央公論社版「日本の絵画」から「子(鼠)」をコピーする。なんと「戯画」の中で鼠が出てくるのはなんと一回切りである。
松山チャーチル会の秋季展示会(県美術館)に顔を出す。受付で川本良子さんと挨拶する。今春逝去された一遍会理事川本陽吾氏の令夫人である。良子さんの絵は赤の使い方に特徴があり又鮮やかな色調であるので、会場の何処に陳列されていてもすぐに分かる。遠目には梅原龍三郎画伯の色調である。「一遍徒然草紙」に「第75段 平成十九年霜月日録」を掲載する。
深夜TVで「世界遺産 清貧の聖人の町 アッシジ」を観る。数年前に夕暮れ時に訪れた印象は極めて鮮明である。再度訪ねてみたい場所である。「バジリカ」「ジョットーの連続フレスコ画」「聖フランチェスコ」「聖女キアラ」「聖フランチェスコ僧衣」などを通して宗教的興奮を覚える。
12月1日(土)
一遍会メール会員宛「12月度例会ニュース」を一斉に送る。
朝8時に家を出て西予市宇和町の県歴史文化博物館に向う。お目当ては特別展「戦国南予風雲録〜乱世を語る南予の名品〜」である。併せて「古墳に秘められた品々〜副葬品から見た愛媛の古墳文化〜」を見る。横穴式古墳では副葬品が10人以上纏まって出土しているのには驚く。主任学芸員の石岡ひとみ氏から「戦国愛媛の考古学」についてレクチュアを受ける。が、充分には咀嚼できない。「曲輪」「土塁」「切岸」「掘切」のキーワードを知る。『溝口コレクション(戦前絵葉書・近代印刷物等)』<資料目録15集>と『古墳に秘められた品々〜副葬品から見た愛媛の古墳文化〜』解説書を求める。
中町入り口で卯之町の醸造元で「開明」を売り出している「元見屋」主人の本多照昌氏と立ち話。時間があれば中町の近況を聞きたかったのだが・・・昼食は中町の松屋旅館の名物料理「ひゅうが飯」。女将に「一遍会報」第321号を手渡し、8月の卯之町巡見時の女将の名講義の謝意を伝える。宇和町の西園寺氏の居城は「松葉城」と「黒瀬城」だが、黒瀬山の紅葉は鮮やかである。博物館から聾学校への山道の下り坂は冬の孤独さを感じさせてくれた。