| 11月30日(金) |
| 伊予銀行から「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」(県美術館)の招待状が届く。来年エジプトも海外旅行の選択先の一つであり参考になりそうだ。友人とのささやかな忘年会を企画したが、忘年会ブームで満員である。梅木賢正兄の紹介で「居酒屋八角」に決める。「八角」の命名理由は?「一遍会HP」の「一遍会」「月例会のお知らせ」など12月度に全面更改する。12月度講師菊池佐紀氏の10回分の講話リストを掲載した。灯油が明日から値上がりするので備蓄用を含めて8缶手配する。一冬持ちそうである。もっともコストダウンは1,000円にしかならないが・・・ |
| 東京の「市野元信」氏から「松木鼎三郎」の問い合わせあり。鼎三郎の孫に当り喜寿の世代の由。鼎三郎は子規と松山中学同期であり帝大に学んだ。同氏は三菱合資会社の幹部社員を経て扶桑海上保険の専務を務めたビジネスマンである。後日、僕が取り纏めた研究資料をお送りすることにした。これもまたご縁である。これを機に鼎三郎の故郷「南予」を訪ね、暖かい人情に触れていただきたいものである。 |
| 作家の青山淳平氏から一遍研究者「足助威男」氏の写真の問い合わせあり。講演で利用とのこと。同氏とは最終晩年のお付き合いなので直接の写真は残念ながら撮っていない。 |
| NHK「芸術劇場」で「二条城の清正」を観る。清正(中村右吉衛門)・秀頼(中村福助)・大政所(中村魁春)・家康(市川佐団次)出演。[清正は右吉衛門」の歴代の評価だけに、迫力、演技共に充分。佐団次の家康も適役。 |
| 11月29日(木) |
| 子規記念博物館選句の平成19年12月度子規さん懸垂幕俳句「餅ついて春待顔の小猫かな 子規」の鑑賞文を執筆し、HP【子規記念博物館「今月の俳句」(懸垂幕)鑑賞
】に掲載する。子規の明治32年12月10日開催の子規庵の句会の提出句である。一票も投じられていない。 「餅ついて咽につかえし仏かな 子規もどき」が受けるかどうか。 |
| 大街道「カメラのキタムラ」と明屋書店に立ち寄る。「広辞苑」のDVD版を予約。「歴史読本<特集 日本の年号>」を購う。付録の「歴史読本手帳<歴蔵>」は重宝できそうだ。 |
| 11月28日(水) |
| JAの定期健康診断受診。著変はないが視野が狭くなってきていることを伝える。「今日は何日かを覚えていない」の質問が不適切であると以下のクレームを申し出る。「何月何日に拘ること」こそ病的であり、健全者はあまり気にしないものだ。モラールの高いワーカーは時間を気にせず働く云々。 |
| 市図書館道後分室で4冊貸し出し。 |
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@「沙漠の女王 イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯」ジャネット・ウォラック著 ソニー出版 |
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A「神戸残照 久坂葉子」柏木薫・志村有弘・久坂葉子研究会共著 勉誠出版 |
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B「栄家の血脈」王曙光 東洋経済新報社 |
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C「靖国問題と中国」岡崎久彦&尾山太郎 海竜社 |
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| 子規記念博物館で「12月の子規さん俳句」(懸垂幕)の取材。竹田美喜子規博館長と図書室で「子規時代の松山事情」について懇談する。「一遍会報第322号」の割付、一応完成する。井手康夫子規会会長から「松山発子規辞典」の道後コースについて次回編集会議で発表の依頼あり。了承する |
| 11月27日(火) |
| 終日インターネット会員向け11・12月度定期便の印刷・発送作業。今回は@「一遍会ニュース」A小沼大八代表「念仏の布教」(11月度レジュメ)B菊地佐紀氏「川端康成と三島由紀夫〜二人の作家に共通する闇〜」(12月度レジュメ)C「一遍会報」第321号D「平成20年時宗寶暦」と盛りたくさんの内容である。念仏の布教はご参考になる事項が多いと考えている。「一遍会報」第322号には写真を7枚掲載予定なので配置、割付で苦労する。6ページ建ても検討する必要が生じてきた。 |
| 吊し柿の作業。初回分は食べ始めているが中々好評である。 |
| 11月26日(月) |
| 「一遍会報」第322号の割付を検討する。見開きの2・3ページに思い切って絵巻ものや仏画を掲載できるように検討していきたい。12月度一遍会例会講師の菊池佐紀氏から「川端康成と三島由紀夫〜二人の作家に共通する闇〜」のレジュメが届く。 |
| 平成20年度の年賀状の立案。例年の様式で「鳥獣戯画」から子(鼠)を抜き出して再構成したい。文章はHP「鐘紡春秋」を紹介し寄稿を求めたい。章栄不動産の足立氏に「フローレンス道後町」15階からの展望の依頼をする。12月又は1月に実現するとの返事あり。午後、庭仕事と庭掃除。 |
| 11月25日(日) |
| 秋恒例の『懐かしの名画劇場』<伊藤大輔・内田吐夢監督作品特集>(10:30〜20:05)を松山市総合福祉センターで上映される。体力的には大丈夫だったが、さすがに視力?が持たず3本で引き上げる。小沼大八一遍会代表夫妻と並んで鑑賞、大いに楽しめた。 |
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@「王将」<1948年大映>伊藤大輔監督作品(坂東妻三郎・水戸光子ほか) |
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A「血槍富士」<1955東映>内田吐夢監督作品(片岡千恵蔵・月形龍之介ほか) |
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B「弁天小僧」<1958大映>伊藤大輔監督作品(市川雷蔵・青山京子・勝新太郎ほか) |
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| 【注】関根 金次郎:1868年4月23日(慶応4年4月1日)〜1946年(昭和21年)3月12日)。近代将棋の父とも言われ十三世名人。ライバルとも言われる坂田三吉との対局は特に有名で、1894年(明治27年)の初手合わせは三度戦って関根の2勝1敗。最後の対局(1918年(大正7年))までに生涯32局戦い、関根の15勝16敗1分。坂田の「実力名人」の伝説が今日でも伝えられる。 |
| 11月24日(土) |
| えひめ産業文化祭が県民文化会館で開催。恒例になった木工広場で縦・横・高さ30センチのボックス型の踏み台兼用の椅子を2脚制作する。愛媛一、いや日本一の伊予みかん「日の丸」を4箱求める。嫁の実家と息子宅に「お歳暮」として送る。今年は甘味がたっぷりとのことである。 |
| 12月度一遍会例会予定を愛媛新聞社並びにミニコミ2社に連絡する。HP「一遍会」「例会案内」に12月度例会内容をを掲載する。 |
| 伊方に帰省中の明神正氏と連絡が取れ、十二月初旬に梅木賢正氏を加えて歴史談義をすることとした。今春、母堂を亡くされただけに、テーマは葬送の民俗が中心になろうか。 |
| 11月23日(金) |
| 松山もすっかり冬の気温に下がったが、風がないので体感温度はそれほどでもない。午前中に京都紅葉の旅日記を取り纏める。息子が大学卒業時に製作した8ミリ映画「リクルート」のDVD版が届く。同期の絆を改めて確認し合ってほしいものだ。花水木や柿の落葉掃き・・・気分的に落ち着くが、寺院境内の住職の掃き掃除にも共通するものがあるか。 |
| 11月22日(木)曇り、寒い。 |
| 9時過ぎにチェックインしてJR京都駅まで出る。臨済宗大本山東福寺の紅葉を愛でる。東福寺とは奈良の東大寺と興福寺になぞらえた大伽藍の造営を摂政九条道家が祈願しただけに甍は豪壮である。前回までは紅葉ばかりに目が移ったが、今回は臥雲橋、三門(国宝)、本堂、禅堂(重文)、本堂、方丈、通天橋、開山堂(重文)、普門院、愛染堂を回り、幾つかの塔頭寺院に立ち寄る。開山した聖一国師については全く知らないので、この機会に勉強しておきたい。次回は南大門から勅使門も見て六波羅門から入り東司(重文)と「思遠池」を見逃さないようにしたい。 |
| 「JR伊勢丹」地下にある「551」で関西時代を思い出しながら昼食をとる。京都八条口発松山行きは定刻(15:30)に発車したが、なんと天王山トンネル付近で7台の追突事故があったので3時間遅滞。松山には23時半頃に到着、タクシーにてやっとその日の内に帰宅した次第である。寒くはあったが、京都の紅葉を満喫した週日であった。 |
| 11月21日(水)晴れ、寒い。 |
| 満開の高雄の紅葉狩りでもあり、7時過ぎにホテルを出て、円町でJRバス(周山行き)に乗り換える。座席も確保できた。ハイキングの看板コースである高山寺・西明寺・神護寺を経て清滝川に沿って下る。トンネルを抜けると鳥居本である。 |
| 嵯峨野を散策し嵯峨野竹林から野々宮神社を経て嵐山の渡月橋を往復する。4時を過ぎたばかりで薄暗く肌寒い。ぬくぬくのコロッケを立ち食いし、バスにてホテルに戻る。長沢池の周辺の散策は断念し、ホテルの京料理を楽しむ。 |
| 11月20日(火)曇り、寒い。 |
| 師走並みの寒さと木枯らしを思わす強風である。紅葉は一段と深まるだろうが、手袋がないと指先が冷え切ってしまう。嵐山にバスで出て、「天竜寺」を参詣、寺域の「法堂」を通り塔頭の「弘厳寺」と「宝厳院」に立ち寄る。著名な「獅子吼の庭」は中国に二度も渡った禅僧策彦周良禅師作庭の嵐山借景の回遊庭園である。須弥山を現す築山、人生を表現する「苦海」(空池)までは分かるが、此岸から彼岸にいたる船石、獣石、雲上三尊石となると解説書を見ない限り只の石にしか見えない。門前には羅漢が並ぶ。六、七分咲きか。市バス錦林車庫行で西から東に移動する。 |
| 真如堂(真正極楽寺)は浄土宗の寺という先入観があったが、開基は比叡山延暦寺の戒算上人である。真如堂の位置するあたりは、古くより神楽岡と呼れ、仏法有縁真正極楽の霊地とされており、広い寺域なので観光客が気にならない。黒谷の墓苑に沿って「会津藩士の墓」や最後の侠客?会津小鉄の一文、民社党水谷長一郎の墓を下り、法然上人の黒谷庵にゆかりのある「金戒光明寺」で暫し憩う。岡崎神社に詣で「ホテル平安の森レストラン」で昼食バイキング。 |
| 「哲学の道」を下ってお目当ての「永観堂(禅林寺)」の紅葉と堂内をゆっくりと回遊する。数回訪ねているのでお里帰りの気分である。執事長のお説教を聴く。南禅寺からインクラインに出て、地下鉄でJR京都駅に向かい、地下街のレストランのラーメンで身体を温める。 |
| 19時から京都劇場で劇団四季公演「ジーザスクライスト=スーパースター」(エレサレムバージョン)を観劇する。キリストの最後の7日間を描いた作品だが、昼間仏教の世界を彷徨っただけにカルチャショックが大きかった。22時ホテルに着く。 |
| 11月19日(月)晴れ、寒い。 |
| 朝10時に、西宮市甲東園の故武内利夫君宅を弔問し、令夫人と小一時間思い出話(中津・防府・大阪・東京・ロサンジェルス・ニューヨーク&アメリカ絵画)をする。昨日が四十九日法要の由、燦燦会を松山に集合した時に口にしてもらった「薄墨羊羹」を仏前にお供えする。 |
| 芦屋駅で杵淵邦夫君と落ち合い、国道二号線の東灘区の「桂」の小部屋で久しぶりに和食を取りながら近況を語り合う。彼の病気や在阪の「戦友」たちの近況を聞くが、物故者や病臥中の仲間の消息が多く、いささか気が滅入って寂しい限りである。 |
| 阪急芦屋川から嵐山に向かい寒風の渡月橋を渡る。紅葉は2〜3分といったところか。サンメンバーズホテル京都嵯峨で家人と落ち合い、ホテルの誕生月招待の豪華な京料理で至福の夕べを送る。今回は嵯峨野で3泊の予定である。 |
| 11月18日(日)小雨、曇り。寒い。 |
| 冷え込みが厳しい。4時に起床し、タクシーでJR松山駅に向かう。寒天の星座は実に美しい。松山05:09発「しおかぜ4号」で岡山07:50着、同駅で「のぞみ2号」に乗り換え京都09:09着までは順調であった。明石近郊での人身事故による快速列車の大幅な遅れで、普通列車で米原に向かう。大垣には二列車遅れて11時45分着。タクシーを飛ばして、正午開始の「鐘紡大垣会総会」に滑り込む。 |
| 遠隔地からの出席ということで最上席のメインに菅沼富雄大先輩(九十八歳翁)と鈴村信一先輩に挟まれて座らせて頂く。恐縮する。出席は115名。大垣16:04発にて大阪には18:13分着。「サンメンバーホテル梅田新道」でチェックイン。生憎行きつけの「夕霧蕎麦」や「光楽」がお休みで、お初天神の「阿み彦」の「しゅうまい」と「黒松白鹿」で落ち着く。NHK大河ドラマ「風林火山」を見て早々に就寝する。 |
| 11月17日(土) |
| 一遍会11月例会(第429回)を道後公民館で開催する。出席者は33名で盛況であった。 |
| (1)卓話:杉野祥一一遍会理事の「『一遍聖絵』を読む」 |
| (2)講話:小沼大八一遍会代表の「念仏の布教」:詳細なレジュメが用意され、浄土系(浄土宗・真宗・時宗)の布教の形態と蓮如による布教の実態について詳述された。別途ご連絡するのでご期待いただきたい。 |
| 一遍会正月例会(懇親会)の参加申し込みが11月度で23名となる。30名の参加があればと期待の夢膨らむ。理事会で例会は三好・杉野理事、懇親会は中川・今村・田中・大田理事、会計は岩田、蜂須賀理事、弁当・飲料などの手配はは三好・風本理事の役割分担を決める。 |
| 11月16日(金) |
| 書斎に炬燵を入れる。パソコンで「こたつ」で検索すると「火燵」が出て来た。昭和20年代は「掘火燵」で跳び箱代わりに使った記憶が甦る。 |
| 「東の窓」の「ビンゴ」で上がり、早速会員にメールする。【 「ビンゴの幸運」が舞い込んできました。「ガラポンの神様」有難うございました。「胴元さん」?に感謝します。リーチ総数が「ゴーゴー」(55=12+24+19)で、ビンゴの当り数字が「イク」(19)、更に当り日が「セブン」(7=1+6)で、恵まれた11月でした。いやはや。残された幸運の席も「ゴー」(5席)とやら、今は盛りの紅葉の葉数ですなあ。残り数日は大丈夫でしょう。それでは「おあとが宜しいようで・・・」これにて失礼させていただきます。】 |
午後、全日空ホテルで開催された伊予銀セミナーに参加。講師は深尾光洋・日本経済研究センター理事長(慶応大学商学部教授・日銀出身)。
テーマは「2008年日本経済の見通し〜中国・アメリカの不均衡と日本経済〜」。特に「サブプライム・ローン問題の構造」に関する分析と見通しは大いに参考になった。ファンドの裏事情を知れば知るほど素人は危険である。 |
| 11月15日(木) |
| 「喪中につき欠礼」の挨拶状が、毎日数通届く。今年も最終的には50通位に達するのだろう。寂しい限りだが人の世も無常として割り切らざるを得まい。幼稚園からの幼馴染で学生時代は「ライバル」でもあった今井洋子さん(奥島病院副院長)から年賀状による新年挨拶を中止させていただく旨の通知状を受け取った。最近は印刷(パソコン印刷)が主流で<自分自身も同様だが>全く味気ないので一工夫すべきであろう。一遍聖の御歌などをシリーズ掲載するか。 |
| 週末の関西地区への手土産は「薄墨羊羹」と「栗タルト」にした。重くはなるが、賞味期限が数ヶ月であれば貰った方も安心してくれるに違いない。赤坂黒川・虎屋の羊羹は数年経っても大丈夫だったという新たな「菓子伝説」が流れ始めた。「料亭吉兆」は先代の遺産相続で「おもてなしの心」は相続せず、営利に走った愚かな相続人の一人の老舗の自殺行為であった由。 |
| 11月24日(水) |
| 宝厳寺に伺い黒田杏子氏編集の「藍生」を返却する。住職が教職の経験のある宇和町の宇都宮酒造の清酒「花神」を持参する。勿論司馬遼太郎にゆかりがある。一遍会10月度収支決算を詰め、「一遍会ニュース」「理事会資料」を作成する。 |
| 11月23日(火) |
| 宝厳寺・長岡隆祥住職との定期的打ち合わせ。今回の主目的は正月例会(懇親会)への出席だが了承は貰えず。時宗総本山・遊行寺発行の「平成20年時宗寶暦」を受け取る。会員に今月手渡したい。黒田杏子氏編集の「藍生」17周年記念号(07年11月号)に五十嵐秀彦氏による「一遍上人論〜私性の誕生とうたの漂泊」が掲載されている。同氏については全く存じ上げないが、一遍の「本質」を的確に捉えた力作である。 |
| 午後から「六時屋サミット」。マヤ文明に惹かれてメキシコに9月旅行した梅木賢正氏から写真100枚を中心に報告あり。マヤ文明とインカ文明の差異も充分には承知していないが、高度な文明と石造りの建造物の遺構に驚く。「しげまつ」で散髪。「松山百景」(霜月号)入手。@時代を見つめてきた松山駅の80年A愛媛の夕日〜郷愁さそう夕暮れの情景など興味あり。 |
| (注)「マヤ文明」では数千年に亘り260日の短暦と365日の長暦を組み合わせたカレンダーで記録した。現代の考古学者はその建造物がいつの時代のものかをその暦により確定できる由。驚くべきマヤ文明の知恵である。 |
| 11月12日(月) |
| 9時、四国がんセンターで白戸医師から血液検査の結果報告を受ける。許容範囲内なので半年後の定期検査となる。松栄印刷所から「一遍会報」321号納品。午後は畑と庭の整美。「文芸春秋」巻頭論文である藤原正彦氏「救国の提言 教養立国ニッポン」は70歳以上の世代には共感するところ多し。 |
| 【東の窓】に下記を掲示する。 |
| 「ALWAYS 三丁目の夕日」の続編も好調のようで何よりです。ご覧になりましたか。当方では息子達の方が昭和30年代に関心があり、よく東京情報を流してくれます。昭和30年代は学生時代であり、就職であり、結婚であり、子供の誕生と「家住時代」の幕開けはお互いに多忙だったですなあ。初任給は1万数千円でしたが・・・昭和30年代の写真・・・上記URLは物凄く興味ある当時の写真集だと思います。青山にあったボーリング場は「高嶺の花」だったことを思い出しました。お気に入りのHP「秘蔵の写真集」をご披露いただけませんか。
道後関所番】 |
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| 11月11日(日) |
「伊予史談会」11月度例会出席(郵政局講堂)。
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@石田雅春氏(広島県公文書館)「敗戦時における中四国地方へのアメリカ軍の進駐について」 |
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1)はじめに |
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2)日本進駐への準備 |
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3) 上陸作戦の実施と舞台の展開 |
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4)占領任務の実施 |
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5)おわりに |
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A石野弥栄氏(湯築城資料館長)「河野氏と承久の乱に関する一試論〜後鳥羽院方参加の背景をめぐって〜」 |
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1)はじめに |
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2)東国御家人化を志向した河野通信 |
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3)河野氏の特殊権限とその勢力基盤〜元久二年の関東下知状の検討を中心に〜 |
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4)河野氏院方参加の背景〜承久の乱前の事件との関連性を中心に〜 |
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5)むすび |
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| 特に石野弥栄氏論文は一遍の祖父に当たる河野通信の政治的な動向の分析だけに大いに興味あり。 |
| 午後1時から6時半まで松山市民文化祭・映画祭「伊丹万作映画祭」に出席(松山市コミセン) |
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@「気まぐれ冠者」伊丹万作監督作品(1935年製作)<片岡知恵蔵主演> |
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A「無法松の一生」伊丹万作脚本 石本秀雄監督作品(1943年作品)<坂東妻三郎・園井恵子主演>陸軍大尉の息子(子役)は長門裕之(沢村アキヲ
)である。 |
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B「手をつなぐ子等」伊丹万作脚本 稲垣浩監督作品(1948年作品)<笠智衆・杉村春子主演> |
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C講演は浅利裕之氏(松山キネマ倶楽部スタッフ) |
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| 11月10日(土) |
| 「文芸春秋K」「三田評論J特集 現代外交の課題」を一読する。午後1時から5時間、石手の井手康夫子規会会長邸で風本幸子さんを加えて「松山発・子規辞典(石手・道後篇)」の総括を行なう。これで「子規会誌」掲載用の原稿を三分の一に圧縮して取り纏めることとした。酒宴でお開きとなる。「東の窓」に「砂土手」の調査を求める。 |
| 【赤シャツ・野だ・山嵐・坊っちやんが「決闘」した場所を探しています】 |
| 夏目漱石の『坊っちやん』の最終場面で「赤シャツ」と「野だ」が角屋から出るのを「山嵐」と「坊っちやん」が生玉子を懐に入れて追いかける。原文はこのように書かれています。「角屋から出る二人の影を見るや否や、おれと山嵐はすぐあとを尾けた。一番電車はまだないから二人とも城下迄あるかなければならない。温泉の町をはづれると一丁許りの杉並木があって左右は田甫になる。それを通りこすとこゝかしこに藁葺があって、畑の中を一筋に城下迄通る土手に出る。」 |
| 歩いたコースは |
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@道後公園前から電車通りの宇佐八幡社(鹿島スイミングスクール)から南町・持田(当時は田園地帯)をショートカットして、田圃だった松山中学を抜けて、砂土手を越えて、御宝町から「愚陀仏庵」へ |
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A一丁は100米ですから、道後駅から北にあるお稲荷さんを通り真っ直ぐ西に歩み、旧農事試験場を大きく左旋回する土手(松山電気鉄道路線)を上一万に向い、砂土手を越えて御宝町から「愚陀仏庵」へ |
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Bその他いろいろのコース |
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| 最近漱石の『坊っちやん』にはまって、「『坊っちやん』地図」を作成中です。奇抜な発想でも結構ですから教えていただけませんか。所詮は「よもだ地図」ですから、いやはや。】 |
| 11月9日(金) |
| 子規博物館で牧野晃三氏と落ち合い、郷土史中心に2時間ほど語る。「愛媛新聞」投稿記事のまとめを受け取る。「一遍会報」321号の再校を済まし印刷に入る。11月に入り喪中の挨拶状が届き始める。(浦屋絢子氏夫君薫氏(一遍会・子規会前会長)、重松佳樹氏尊父、明神正氏母堂、岸本達策氏実兄)「喜ぶべきことは一刻も早く、悲しむべきことは一刻も遅く」とは太閤秀吉のことだが、ビジネス時代は「バッド ニューズ ファース」であった。 |
| 次々週、東海と京都に出掛ける。鐘紡OB会、劇団四季ミュージカル「ジーザス・クライスト=スーパースター」、故武内利夫兄宅弔問、高尾・洛北・洛中の紅葉狩がメインである。 |
| 11月8日(木) |
「松山発・子規辞典」の「石手・道後篇」の校正作業。吊るし柿用に150個ほど柿?ぎ作業。いささか首がくたびれる。夕方から皮むぎ。子供の頃を思い出す作業である。
庭の水仙畑の草むしり。「一遍会報」321号の再校を済ます。 |
| 牧野晃三氏からの連絡で漱石『坊っちやん』の「杉並木」が85歳翁の記憶で特定できた由。是非「砂土手」と関連させて「子規事典」に掲載したい。 |
| 11月7日(水) |
| 約10時間集中して「松山発・子規辞典」の「石手・道後篇」を取り纏める。さすがに疲れた。26字×24行×2段×19枚=23712字だから400字詰で換算約60枚である。子規会の井手康夫会長と風本敬子さんに連絡を取り、一度集まって内容につきディスカスすることにした。 |
| リゾートトラスト鰍ゥら「有馬離宮」オーナーの勧誘があった。40年前、同社から話があり賛成したが、残念ながら旅館組合の反対で実現できなかった。あれから40年、オーナーの魅力は薄れた。健康が許せば年数日は有馬で過ごすよと返事をしておく。 |
| 牧野晃三氏から@NHK松山「いやしのへんろフォト」シリーズA湯神社34段目の階段の「潔」の文字の謎の連絡あり。早速チェックする。 |
| 11月6日(火) |
| 天気予報通りに終日雨となる。「一遍会報321号」の初校。ミスが多く、松栄印刷所にクレームをつける。 |
| 『松山発子規事典』用の「散策記」<石手・道後コース」を『子規会誌』掲載に向けて終日執筆。 |
| 「砂土手」「鉄道」の項目で漱石の『坊っちやん』から引用可能な文章を見つける。子規と漱石の50日間の「愚陀仏庵」当時の共通体験だけに貴重と思う。地元に詳しい小学校以来の旧友に下記問い合わせ。 |
| 【道後関所番から伊佐爾波君へ】 |
| 夏目漱石の『坊っちやん』の最終場面で「赤シャツ」と「野だ」が「角屋」から出るのを「山嵐」と「坊っちやん」が生玉子を懐に入れて追いかける。「角屋から出る二人の影を見るや否や、おれと山嵐はすぐあとを尾けた。一番電車はまだないから二人とも城下迄あるかなければならない。温泉の町をはづれると一丁許りの杉並木があって左右は田甫になる。それを通りこすとこゝかしこに藁葺があって、畑の中を一筋に城下迄通る土手に出る。」の記述があります。 |
| 一丁は100米ですから、道後駅からお稲荷さん沿い(杉並木)を通り真っ直ぐ西に歩み、大きく左旋回する土手(道後鉄道路線)と考えると面白いし、文章にも合致します。公園前・持田通過では説明(一丁許りの杉並木)と合致しません。「角屋」「二神旅館」から真っ直ぐ西一丁ということも考えられるのですが、これまた一丁許りの杉並木があったかどうか。ご教示を乞う】 |
| 【伊佐爾波君から道後関所番へ】 |
| 面白い話ですが、少し違うのではないかと思います。景観描写が簡潔すぎて何処にでもある感じがします。杉林も幾らもあったように思いますし、道後鉄道線路の沿線には藁葺きの農家は散見した記憶がありません。それよりも、「温泉の町をはずれると」道後のお旅所に杉林はありましたよ。持田から砂土手に出て唐人町へというルートも・・・ |
| 【道後関所番から伊佐爾波君へ】 |
| 早速に「大発見」のコメント有難うございます。やっぱり無理ですか。次は明治20年代の写真から、杉林を「発見」していきます。漱石が子規と歩いた思い出を「暗号」として小説『坊っちやん』に載せたというエッセイを『ダ・ヴィンチ・コード』ばりに書きたいのですが・・・いやはや |
| 11月5日(月) |
| 年2回の四国がんセンターの定期検査を受診。担当ドクターが変更になる。車中にて司馬遼太郎著「街道をゆく14 南伊予・西土佐の道」を再読す。古書店「坊っちやん書房」と丸三書房に立ち寄る。 |
|
○夏目漱石著「直筆で読む『坊っちやん』」(集英社 刊) |
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○半井梧庵著「印影 愛媛面影」(愛媛出版協会刊 |
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○「仮名法語集」(岩波書店刊) |
|
○「愛媛県の昭和史」(毎日新聞社刊) |
|
| 「坊っちやん」3部作?となる@「翻刻 坊っちやん」(愛媛新聞社刊)、A岡本一平画・文「坊っちゃん 絵ものがたり・遺蹟めぐり」と書架に並べる。 |
| 11月4日(日) |
| 急に寒くなったので、網戸を片付け、襖の張替えをする。書斎も夏用カーペーットを格納する。炬燵は12月に入ってからと考えている。11月度の子規俳句鑑賞について、あいあい宗匠から的確なコメントが届く。 |
| 【あいあい宗匠】から |
| 関所番様は菊を活けたのは母親の八重か妹の律と鑑賞されましたが、私は子規自身だと思います。なぜなら俳句は原則として一人称だから・・・と単純に考えましたが、どうでしょう? |
| 上五の菊は、黄を含め二種類以上の色の菊が用意されていて、活け終わったら黄菊一枝が残った。完成された見事な壷の菊もさることながら、残った黄菊一枝に子規はひとしおの思い入れを詠みたかったのでは?と思います。残し(他動詞)、残り(自動詞)の違いは大きく、前者は作者の心中に意図的なものが伺え、後者は自然の成り行きでそうなった、で、子規の場合「残りけり」は動かない。ではその思い入れとは?となると、良く分かりません。色のインパクトが強く、ゴロもいいから黄菊にしたのかな??・・・ |
| 【道後関所番】から |
| 子規さんの「菊活けて黄菊一枝残りけり」(明治32年秋)につき、今月も実作者としての鑑賞の在り方を教えていただき有難うございました。特に「なぜなら俳句は原則として一人称だから」の貴重なご指摘は、大いに参考になりました。 |
| ところで子規さんが水彩画を描き出すのは明治32年の夏からです。中村不折に貰った絵具ではじめて「秋愁裳」を描きます。不折に見せると褒められる。調子に乗って「自分の左の手に柿を握って居る処を写生」して虚子に見せると、うんともすんとも答えない。子規が「手に柿を握っている」と説明すると、やっと合点して「さっきから馬の肛門のやうだと思っていた」という滑稽な『絵』というエッセイが残っています。 |
| 子規さんはこの時期寝ながら熱心に植物の写生をして「画集」を残しています。残った(残した)黄菊は写生用だったかもしれません。手元に「画集」がないので確認していませんが、黄菊が描かれているかもしれません。尚、子規さんが横臥して菊を活けたのかどうかは「随筆集」を読み返してみることにします。 |
| 11月3日(土) |
| 「11月度子規俳句解説」のミスあり。子規記念博物館担当者に連絡する。今回で2度目である。観覧者の目でのチェックシステムを期待したい。子規会・渡部平人氏宛に「松山俚人談」の「府中屋念斎・念斎堀」の記載頁の写真版を送る。希望の方あれば一報して下さい。 |
午後、県図書館で「文字・活字文化の日」記念講演会に出席。講師は二神将(すすむ)氏、演題は「文友柳原極堂の俳誌『ほととぎす』創刊と子規顕彰」。
会場で二神将著「子規の文友 柳原極堂の生涯」を求む。 |
| 牧野晃三氏と県美術館分館(萬翠荘)で「村上空山写真展」鑑賞。@世界の子供たちA世界遺産のさまざまBブッダのふるさとCイエスのふるさと。空山氏は村上公平君の実兄で、公平君と晃三氏は旧友、幼な友達・伊賀上堪君と公平君が仲良しという中で今日でも付き合いが続いている。空山氏の釈迦・イエスの「聖地」の写真は素晴らしい。是非一遍会で公開して頂こうと考えている。 |
| 夕6時から「県民総合文化祭」(県民文化会館)に参加。「伊予万歳」・創作歌舞伎舞踊「伊予八百八狸」・「野球拳踊り」などローカル色が強い出し物多し。 特別参加の高知「須賀連」の「IZANAI」踊りはユニークで21世紀の踊り念仏のあるべき舞踊像を見た感じである。シャンソン歌手クミコの「愛の賛歌」「わが麗しき恋物語」「十年」がフィナーレを盛り上げる。「愛媛の歌」(岩本義孝作詞・中田喜直作曲)の大合唱で終了する。 |
| 11月2日(金) |
| 帰国後朝6時起床の生活パターンになる。10日分の日記を執筆する。(万年筆執筆にこだわっているので、手紙や日記類はパソコンを使用せず)松栄印刷所に「一遍会報(321号)」の原稿&写真を手渡す。県図書館、市図書館に出入りするが収穫少なし。子規会平岡英理事と図書館で立ち話程度である。 |
| 午後から庭の柿もぎ(息子ファミリーに故里の香りを送る)と芝桜の除草)、畑の作業(トマト、ニガウリなどの夏物の処分)。果実類に「お礼の肥料」を施す。夕、椿湯。子規会の渡部平人氏から丁重なメール(念斎についてお問い合わせ)を頂く。 |
| 11月1日(木) |
| 超多忙な月初の一日となる。 |
| 1)一月度例会の場所・時間取り。10時から3時までの五時間を映画会を含めて有効に活用していきたい。 |
| 2)HP@「一遍会」A「月例会のお知らせ」B熟田津今昔第二十七章「子規記念博物館「今月の俳句」鑑賞
」C熟田津今昔第十五章「道後八勝十六谷」を改訂掲載する。 |
| 3)一遍会会員に「一遍会例会ニュース」、EAST29会員に「今月の子規さん俳句」をメール発送。「米国西海岸旅行記」取り纏め。 |
| 4)「一遍会報(321号)」割付完了。11月例会で配付予定。 |
| 5)公民館で書籍貸し出し。 |
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@ちくま哲学の森4「世界を見る」 |
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Aちくま哲学の森7「驚くこころ」 |
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B津本陽著「草原の覇王チンギス・ハーン」(PHP) |
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C「発掘えひめ人〜近代を拓いた101人」(愛媛新聞社) |
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| 6)朝6時から「「米国西海岸旅行記」執筆再開。グランドキャニオン・ラスベガス・ロサンジェルスを一気に取り纏める。 |
| 【子規博・今月の俳句】 |
| 子規記念博物館選句の平成19年11月の子規さんの句は 「菊活けて黄菊一枝残りけり 子規」です
。 |
| 『俳句稿拾遺』(「子規全集」B571頁)に記載されており、明治32年の作品です。季語は「菊」で秋の句になります。新聞『日本』の同年11月3日号に掲載されています。11月3日といえば戦前の「明治節」ですが、子規さんの時代は明治天皇が御存命ですから、天皇誕生日即ち「天長節」に当たります。日本が隆盛の時代でもあり、新聞「日本」では子規が選者となって「菊五十句・活けられたる」として菊の句五十句を揃えて祝意を表しています。 |
| この句を素直に鑑賞すれば、黄菊・白菊、大輪・小輪といろいろな菊を活けて、やって出来上がってみれば黄菊が一枝残っていたといった風情でしょうか。多くの俳人の鑑賞態度と違って、僕自身は子規さんが「一枝残しけり」でなく「一枝残りけり」と詠んだことに拘わって鑑賞したいのです。この句の作者(子規)が菊を活けたのではないことを頭に入れて鑑賞したいのです。恐らく母の八重さんか妹の律さんが菊を活けている姿を子規さんは病床で眺めていて、「おゝ、やっと見事な菊が活け上がったなあ。一枝残った黄菊は、窓際の文机用かな。」と感じたのではないのだろうか。 |
| 僕の子供の頃の記憶では、祖母や母が茶の間や台所でよく季節の花を活け、玄関や居間に飾っていました。いつも数本は残して洗面所や小窓などの「一輪挿し」にもお裾分けの草花は飾られ、家中が明るくなったものでした。根岸の子規庵も同様ではなかったのでしょうか。生け花を親しんでおられる女性の方はどのように鑑賞されるのでしょうか。是非教えていただきたいと願っています。 |
| 子規さんの明治天皇への想いは強く、明治33年の天長節には『日本』に長歌「明治三年十一月三日の佳辰に遇ひて詠める歌」、明治31年の天長節には『日本』に「賀の歌」を掲載している。日本の国花は慣習上は桜であるが天皇家の紋章は菊であり、最高の勲章は「大勲位菊花章」、真の友情は「菊花の契り」、春は蘭、夏は竹、秋は菊、冬は梅と古来「四君子」と称えられた花でもある。「菊酒」は長命の薬で、とりわけ重陽の節句(旧暦九月九日)に飲めば長寿は疑いなしである。 |
| 良いことづくめであるが、小学校のクラス編成は松・竹・梅・桜・菊の順で、ランクは上位とは云えなかった、いやはや。 |
| そこで子規さんにあやかって一句 |
| 「菊活けて黄菊一枝残しけり 子規もどき」 道後関所番 |
| 追記 |
| 昨日、樋口嘉壽子さんのご主人様の葬儀並びに告別式に参列致しました。祭壇に飾られた御遺影の周りは黄菊、白菊で埋め尽くされていました。「青春」から「朱夏」へそして「白秋」「玄冬」に向うのが世の常とは申せ、樋口さんの姿を拝見しつつ心からなる寂しさを感じました。衷心よりご主人様のご冥福をお祈り申し上げます。三好恭治 拝】 |
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