| 10月31日(水) |
| 松山東高校昭和29年卒同期会の副会長樋口嘉壽子さんの夫君(樋口秀敏氏)の告別式(ベルモニー会館土居田)に出掛ける。一昨年までの四年間会長を務めたが、当時副会長として私の片腕として女子の取り纏めを一任した間柄である。男性は豊後屋現会長、大川副会長、梅木前副会長と小生(前会長)と三橋局長の5名だが、女性は10数名の列席であった。三橋君には海外旅行中で欠席した同期会総会の様子を聞く。 |
| 午後は書斎にて「米国西海岸旅行記」執筆。サンフランシスコ市内と世界遺産ヨセミテ国立公園を取り纏める。 |
| 10月30日(火) |
| 朝6時に起床し午前中フルにパソコンに向い、約1200通のメール処理をする。95%はカットしたので迷惑を掛けたかもしれない。10月講師平田玲子氏から「一遍会報」の原稿が届く。貴重な写真を会報に如何にレイアウトして会員に喜んでもらうか、楽しみである。 |
| 子規記念博物館に「11月子規さん俳句」の取材に出掛ける。俳句鑑賞を執筆する。「残りけり」と「残しけり」のこだわりを強調する。11月1日付でHPに掲載する。 |
| 椿湯の浴槽に身を沈め、日本のぬくもりを10日振りに感じる。時差修正の為、20時に就寝する。 |
| 10月29日(月) |
| サンフランシスコ→関西空港→伊丹空港→松山 |
| 10月28日(日) |
| ロサンジェルス→サンフランシスコ<機中泊> |
| 10月27日(土) |
| ロサンジェルス |
| 10月26日(金) |
| ラスベガス→ロサンジェルス<ロサンジェルス泊> |
| 10月25日(木) |
| グランドキャニオン→ラスベガス<ラスベガス泊> |
| 10月24日(水) |
| サンフランシスコ→ラスベガス→世界遺産グランドキャニオン<グランドキャニオン泊> |
| 10月23日(火) |
| サンフランシスコ→世界遺産ヨセミテ国立公園→サンフランシスコ<サンフランシスコ泊> |
| 10月22日(月) |
| 松山→関西空港→サンフランシスコ<サンフランシスコ泊> |
| 10月21日(日) |
| 子規記念博物館での「湯築城歴史塾」(10:00〜)参加。講師は石野弥栄氏(湯築城資料館長)でテーマは「中世芸予諸島の海上勢力〜中世前期の海賊とその活動〜」。河野氏、村上氏、小早川氏など海上勢力(海賊)の実態を厳密な資料に基づく説明である。 |
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1)河野氏一族の海上勢力化 |
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2)海上勢力としての村上氏の台頭 |
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3)「関立」(せきだち)という海賊 |
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| 一遍会7月度例会での石野弥栄氏の「中世の伊予河野氏と三嶋社(大山祇神社)について」と関連した発表であり「一遍会報320号」を配布することとした。 |
| 高橋俊夫氏から松川二郎著『全国花街めぐり』(誠文堂昭和4年刊)を借りる。子規と漱石が訪ねた宝厳寺下の元遊郭「松ヶ枝町」も4頁の紹介あり。芸者全員が二足草鞋であったのは日本の遊郭でも珍しいらしく「松ヶ枝町」が特記されている。自慢にもならず恥ずかしい限りだが記憶に留めておきたい。 |
| 10月20日(土) |
| 愛媛大学セミナー「四国遍路と世界遺産」受講。講師は脇田晴子氏の「石見銀山の世界遺産登録と学術研究」。今年「逆転の」世界文化遺産を受賞したが学術研究で支えた「石見銀山歴史文献調査団長」としての同氏の飾らない話に共感する。学者的裏話が多く一般受講者が誤解しないかと懸念す。 |
| 念斎堀(川)と砂土手について周辺部を自転車で何度も廻る。年配者は「砂土手」と聞いてすぐに反応する。身近な存在であったらしい。 |
| 10月19日(金) |
| 海外旅行の宿泊先ホテルの内容と周辺のレストラン、ショッピング、カルチュア施設を総点検する。ラスベガスのイルミネーション見物はオプションにするかどうか。カジノで数時間過ごす馬力と金運はなさそうである。 |
| 午後、子規会10月例会に出席。講師は森慎吾氏で演題は「大原其戎宗匠と森連甫」。其戎は子規にとって唯一の俳句の師匠で連甫んp曾孫が講師の慎吾氏である。俳句の里の歴史の重厚さを感じる。 |
| 「松山発子規辞典」編集委員会。渡辺平人氏から「地誌付 温泉郡地図」に基づく温泉郡の池、堀、溝、堰の名称、場所の報告あり。砂土手と念斎堀(川)の関連で貴重な史料となる。【念西土器堀 西念薬研堀 西念臺下堀 新池堀 西堀 砂留北堀 砂留南堀 金魚池堀 本堀 御囲池 鯉ノ巣堀】 |
| 10月18日(木) |
| 月末まで海外旅行を予定しており、11月1日付の一遍会HPなどの更改作業。市役所から、椿湯周辺の「町づくり協議会」の委員委嘱の話あり、了承はしたが、広報委員の西山英昭氏を追加委嘱の依頼をする。畑の整美と柿もぎ。晩秋の雰囲気となった。 |
| 10月17日(水) |
| 市中央図書館に出掛ける。来週初にアメリカ西海岸に出かけるので「旅行ガイド」を2冊求め、速読する。米西海岸は三十年振りである。日経連の視察団に参加して欧米を廻ったが、ディズニーやらグランドキャニオン、ラスベガスで息抜きした。結構贅沢な「視察」であった。今回は、世界遺産セミヨテ国立公園、グランドキャニオン、サンディエゴが主な見所である。西海岸の油田は昔通り残っているのかな。 |
| 9月22日窪寺まんじゅしゃげ祭りで出会った若い遍路姿のペアと話をしたが、今日メールが届く。嬉しかった。 |
| 【遍路ペアから】 |
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こんにちは。9月22日の窪寺曼珠沙華祭りでお会いしたお遍路さん夫婦を覚えていらっしゃいますか?その節は、とても楽しいひとときを過ごさせていただきありがとうございました。初めてみたお神楽やとても親切にしていただいた地域の方々、一遍会の方々とのふれあいに深く感謝し、よい想い出として残って
います。
その後、私達は順調にお遍路を続け、10月7日に結願、翌日8日に高野山へ参拝し、延べ34日かけ無事満願となりました。一部電車を利用しましたが、ほ
とんどが歩き遍路だったため、肉体的、精神的に辛い旅(修行)でした。
しかし、得たものも多く、大師様を始め、たくさんの人々、物、出来事等に感謝する
ばかりです。自宅へ戻った後、一遍上人、坂村真民さんの本を読み始めました。難しくてなかなか理解できませんが、88箇所の札所限定の遍路では得られなかった貴重な
出会いを大切にして少しずつページをめくっていこうと思っています。
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| 【道後関所番から】 |
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メールと写真有難うございました。随分と長い四国路だったんですね。山と海と寺と人情と・・・四国ならではの雰囲気を感じ取っていただいてよかったと思います。素晴らしい経験をされましたね。「結願」「満願」本当におめでとうございます。
先週末の12日には「一遍会10月例会」を済ませてほっとしているところです。【みんなの掲示板】9月22日(土)分を開いてみました。一遍会のHPには折に触れてエッセイを書いてきましたので、お閑な時に覗いてみてください。
幸いなことに家人も健康ですのでよく出歩きます。「同行二人」は、ともあれ「夫婦でありたい」と願っています。「夫唱婦随」「婦唱夫随」「振り向けば君がいて」・・・かな。お二人のご多幸をお祈りしています。中学同期の上田淳君に連絡をとり、窪寺の出会いを酒の肴にして秋の夜長を過ごすことにします。メール本当に有難う。
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| 10月16日(火) |
| 「一遍会報」(321号)割付作業。午後からは、畑仕事で汗をかく。 |
| 市図書館(道後分室)で4冊貸し出し。@「悪の哲学」(ちくま哲学の森3)A川口順啓著「日本の旅千五百年」(弘済出版社)B塩崎智著「日露戦争もう一つの戦い〜アメリカ世論を動かした五人の英語名人〜」(祥伝社)C石寒太監修 文芸散策の会編「山頭火 漂泊の跡を歩く」(JTB) |
| 「東の窓」にメッセージを送る。 |
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「那須の極楽蜻蛉」さん、コメント有難うございました。卒業論文参考資料に古地図を活用された由、初めて知りました。そういえば、来年は大学の卒業五十周年ですね。平成20年は春と秋の2回学校からの招待もありますから上京の予定です。併せて是非竹橋の公立公文書館にも顔を出すことにします。国会図書館は一般人にとっては検索と待機時間がかかり過ぎて一日仕事になりますなあ。
松山藩や道後村の古地図は、ある程度集めました。道後は戦国時代の方が発展していました。加藤嘉明の城下づくりで、湯築城の石垣は松山城の基石となり、城北に「道後町」「今市町」が町割りされて、道後町と道後村今市の住民は強制転居となり寂びれてしまいました。「道後村古地図」のご希望があればメールでお送りします。「松山城下絵図」は原画が大きすぎて画面がおさまりません。悪しからず。
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| 10月15日(月) |
| 秋晴れの一日となる。終日亭庭の整美作業。誰に見せるわけでもないのだが、いつの日に、誰かにお見せしても恥をかかない程度には手間を掛けておきたいと思う。中国宋時代の名画「清明上河図」の反響と田中弘道理事紹介のHP「大船庵」が面白い。大船庵さんはパソコンのベテランで偉大な趣味人ではなかろうか。 |
| 夜、梅原猛著「海人と天皇(上)」を通読。 |
| 10月14日(日) |
| 伊予史談会10月例会。田中弘道理事と同席する。 |
| ○「郵政民営化発足に当たって 経過と展望」郵便局且l国支社企画部長 |
| ○「海村の生活文化(1)〜漁民の交流と漁村の成立〜」武智智博伊予史談会会長 |
| 1)瀬戸内海の概要 地勢 桜鯛 海部(あま)の存在と海人の活動 |
| 2)漁村の形成 5パターン」(@大洲領郡中湊町A西条藩喜多浜浦B大洲藩青島C新浦開拓D能地系漁民移住〜「浮鯛抄」持参) |
| 3)@「浮鯛抄(貴種流離譚)」A「末子相続(家系維持)」 |
| 4)瀬戸内海沿岸の漁村の衰退、消滅(人口統計による) |
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| 午後、秋祭りの提灯片付け。青柳恵介著「風の男白州次郎」読了。 |
| 10月13日(土) |
| 一遍会10月例会開催。 |
| 卓話:杉野祥一理事「『一遍聖絵』(第9章)を読む」 |
| 講話:平田玲子氏(仏教美術史家)「『一遍聖絵』周辺の絵画事情」 浄土系の宗祖の絵伝が盛んに作られていた中で、『一遍聖絵』は、鎌倉時代の世相を如実に描いた絵巻として、美術的にも、歴史史料としても、大変高い評価を得ている。当時の仏画や、絵巻物を見ながらがら、もう一度この絵巻が、美術史的に、どのような位置にあるのか、また、その魅力を考えてみる。講師が美術史の上の参考絵画として紹介された中国宋時代の「清明上河図」はその完成度の高さに皆さん驚いた。HP
で模写の紹介を検索したのでインターネットで流す。 |
| 理事会で来年度講師のラインアップと正月行事の検討を確認する。「町屋」で杉野祥一&太田美智子理事と懇談。理事間に軋轢が生じている。困ったものである。 |
| 10月12日(金) |
| 読売一日バスツアーで坂本竜馬脱藩の里・梼原と四国カルスト(天狗高原)に出掛ける。7:30松山市駅を出発、内子で高速を降り、五十崎・肱川に出る。道の駅「清流の里ひじかわ」で休憩と地元産野菜の購入、日吉からトンネルを抜けて梼原に入り「雲の上のホテル」で休憩。太郎川公園を散策する。竜馬姿のガイドの先導で@茶堂A六志士の墓B旧掛橋和泉邸C維新の門群像を山道を歩きながら観光する。 |
| 昼食は「雲の上のホテル」の折詰弁当をとり、ホテル内の温泉の露天風呂で自然に溶け込む。東温市の前教育長渡部さんに裸で対面する。四国カルストはすすき原となっており、展望台まで往復一時間程歩く。空気がうまい。「天狗荘」でビールを飲み、帰途の車中はDVD「がばいばあちゃん」を楽しむ。歴史と大自然の中を散策し、温泉と山の料理弁当、デラックスな「こうなん観光バス」33名の安価なツアーで、まずは美人の添乗員と申し分なかった。 |
| 10月度講師平田玲子氏と杉野祥一理事から来信。明日の一遍会の打ち合わせと「一遍会報」記事の細部調整を済ます。犬伏武彦氏に講師のお願いをする。 |
| 10月11日(木) |
| 県歴史文化博物館の大本敬久主任学芸員から「一遍会報」原稿が届く。下記メールを返信する。 |
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玉稿受け取りました。ご高配深謝申し上げます。編集の上11月上旬には印刷を完了致します。
貴「『異界』としての四国―長増遁世譚より―」は大変興味深い内容ですし、11月例会で「一遍会報」を配布しましたら大いに話題になるだろうと確信しております。「一遍聖絵」に記載されている窪寺で最後を遂げた丹波の山内入道のことを思い出しました。有難うございました。
葬送について最近、板橋春夫著『誕生と死の民俗学』」に目を通していたら、関東地区には「長寿銭」という喪主側が「熨斗袋」に105円(100歳+ご縁)を入れて配る(祝う)事例の紹介がありました。全国的に広まるのかなという予感が致します。西日本でも「長寿銭」のような事例が広まっているのでしょうか。
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| 「一遍会報321号」の割付作業。一・二面は大本氏の論文と「宇和町巡検の詳細」と「同 集合写真」で埋める。三,四面は杉野祥一理事の「一遍と親鸞」を予定している。午後は伐採した庭木お粗大ゴミ用に切断作業。大汗をかく。椿湯。 |
| 10月10日(水) |
| 県図書館に伊予史談会蔵書複写し新刊本の貸し出し。 |
| ○「キリスト神話 偶像はいかにして作られたか」トム・ハーバー著 島田裕巳訳 バジリコ株ュ行2007.7.31 |
| ○「神饌 神と人の饗宴」岩井宏實 日和祐樹 著 (者と人間の分化し140) 法政大学出版局2007.9.10 |
| ○「近世遊行聖と木食観正」西海憲二 著 吉川弘文館 20007.9.10 |
| ○「加藤嘉明の人物」(伊予史談会134号)景浦稚桃 【複写】 |
| ○「古地図から観た松山城下町の研究」(伊予史談会134号) 村上節太郎 【複写】 |
| ○「松山俚人談 全」 (伊予史談会蔵)【複写】 |
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| 「坂の上の雲記念館」に立ち寄る。「三越」の北海道展の茶店で札幌ラーメン(薄味)の昼食。伯方島出身の森圭子氏の「石仏展」を眺める。午後は畑作業。 |
| 「東の窓」に秋祭りの情報を送る。 |
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溝辺と大唐人神輿の鉢合わせは「横綱相撲」でしたよ
NHKで全国版で放映されましたのでご覧いただいた方も多かったと思います。昨年松山の秋祭りでは死者が出たので、今年はマスコミも「張り切って」取材していたようです。軽症者まで数え上げて15名だとか、25名だとか全国放映していましたが、祭りに「安全症候群」を過度に導入してほしくないですね。「火事と喧嘩は江戸の華」ではなく「喧嘩みこしは伊予の華」と行きますかな。マスコミも「マッチ・ポンプ」とは因果な商売ですね。
伊佐爾波神社に限っていうと、今年は非常にうまく運営できたと思います。一,二の神輿の未熟さはありましたが、溝辺神輿と大唐人神輿の鉢合わせは「横綱相撲」だったと思います。「ぶつかり」の当たりも強かったし、「退き際」の爽やかさが素晴らしかった。道後駅前のロータリーは狭いですから、「宮出し」での観戦は肩越しにちらりと見るのが関の山ではないでしょうか。
お奨めは「宵宮」(5日夜)の「宮入り」です。「鉢合わせ」も4組あり結構盛り上がりますし、その後100何段の階段を担ぎ上げて、神社に神輿が揃う約2時間のエベントです。比較的ゆっくりご覧にいただけると思いますよ。今年は外人の見物人が多くて驚きました。国際化も良いのですが、今話題の大相撲のように、外人の担ぎ手が多くなったら困るなあ。いやはや。
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| 10月9日(火) |
| 早朝5時から読書。大書「空也上人の研究」(石井義長)から一遍関連を拾い読み(再読)。四国霊場第49番札所浄土寺と空也・一遍に関しての論述は参考となる。県図書館で『松山俚人談』等の複写の許可があったが本日は休館日。残念。空時間は書斎の整理に転用する。「三田評論」3年分を処分する。 |
| 午後、「六時屋サミット」。念斎堀・砂土手の検証。なんと「六時屋」は念斎堀の内にあることが判明す。 |
| 10月8日(月) |
| 朝7時から祭り提灯の片付けと提灯支柱の補修。副会長の西山さんの見事な大工の腕前で9時半に完了。昨夜から雨が降ったので、蔭干後に長屋門に格納したい。「空也聖」中「三昧聖」中心に、葬送についてのスケッチをする。京都の事例が中心だが、伊予国の民俗学的論文も目を通す必要がありそうだ。 |
| 午後、除草作業。案外暑く湿気も多く疲れる。椿湯でリフレッシュするが、夜9時にダウン、就寝。 |
| 10月7日(日) |
| 朝6時、夕6時祭り提灯点灯。「宮出し」で担ぎ手15名が怪我の由。昨年は市内で死者が出ただけに、なんとか怪我程度で済めばと願う。夜地元TVで祭りの実況録画を見る。第1回戦の溝辺・大唐人は「横綱相撲」で最も印象に残る。第1回戦は[湯之町・築山][道後村・小唐人][溝辺・大唐人][持田・北小唐人」第2回戦は[湯之町・北小唐人][道後村・溝辺][築山・持田][大唐人・北小唐人]。 |
| 午後、県図書館で『松山俚談』と『伊予史談134号』<村上節太郎」古地図から観た松山城下町の研究>に目を通す。空也上人に関する著作に目を通す。妙なことに気付く。「三昧聖」については引き続き関心を持ち続けたい。 |
【空也上人】
「人は男女にかはれども赤白二ッに分けられて 生ずるときもただひとり死するやみじに友もなし 東岱前後の夕煙北嶺朝暮の草の露 おくれ先立世のならい只何事も夢ぞかし となふれば仏も我もなかりけり南むあみだぶつなむあみだぶつくうや上人の御法事」(『嬉遊笑一覧』)「日本の名僧 空也795 |
【一遍上人】
「となふれば仏も我もなかりけり南むあみだぶつなむあみだぶつくうや」(『一遍聖絵』) |
| 10月6日(土) |
| @砂土手と(府中屋)念斎堀A『子規・散策集』の大寺=正法寺説について『松山市史料集』で史料確認と検討。砂土手の唯一の史料『松山俚人談』が県図書館蔵なので今週中に閲読予定。 |
| 午後、芝桜の移植、秋の畑作り。夕、祭り提灯点灯。 |
| 10月5日(金) |
| 子規記念博図書室と県図書館で調査研究。 |
| @松山での櫨栽培の沿革、赤穂藩との関係。 |
| A松山藩の表作(米)第一主義と裏作、甘藷づくり軽視。 |
| B砂土手と念斎堀。防御か水運か遊水か。「松山俚人談」が唯一の史料か。 |
| C「子規・散策集」の大寺=正法寺説など。 |
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| 祭り提灯に本日から点灯。道後温泉駅での「宵宮」は夜8時から8台の神輿が勢揃いする。正面のかぶりつきの場所で鉢合わせの観戦。トラブルが発生し中断す。「子規博今月の俳句」の鑑賞で王子神社の茶屋での「田楽」を舞踊でなく食物と取り違える大ポカ。 |
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あいあい宗匠&みなさん
「賑やかな」と「賑やかに」を考えていたら、何で「賑やか」だったんだろうと疑問を持ちました。数回訪れた時は、いつも閑散として今でも狐が出そうだったのですが・・・インターネットでやっと「賑やか」の正体をつかみました。内藤鳴雪翁が子規さんを誘ったのは、有名な王子神社の田楽踊りを見ることにあったようです。数時間も延々と続く踊りのようです。そういえば「郡上踊り」や「越中おはらの風の盆」も徹夜踊りです。
「一日の秋にぎやかに祭りかな 子規」の句の「一日のイメージ」がやっと浮かんできました。ところが、なんと
王子神社の「田楽踊り」のことを知らなかったので、大変な間違いをしでかしました。「田楽」を茶店の「田楽」と間違えて「食いしん坊の子規さん」に結び付けてしまいました。なんと舞踊の「田楽踊り」のことでした。いやはや、穴があったら入りたい心境です。
とすると、当日の王子の祭りは賑やかでなかったのではないか。子規さんは「見てきたような嘘をついて」この句を詠んだのでしょうか。
謎は深まるばかりです。 それはそれとして、王子神社の田楽踊りの説明です。クリックしてお楽しみ下さい。【http://www2.ocn.ne.jp/~sasara/1-3chukou.htm】
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| 10月4日(木) |
| 半月遅れで我が家の赤と白のまんじゅしゃげは満開である。秋祭りとまんじゅしゃげは、完全に「季重ね」である。朝7時秋祭りの提灯設置で世話人が拙宅に集合す。井手野・平岡・野本・西山・窪田・西山・岩崎・三好の各世話役と町内会の安東会長と柏井会計。5日夕、6日朝夕、7日夕がお勤めである。 |
| 一遍会9月度収支決算。新会員2名を加えて、やっと昨年度末会員数になった。各文化団体の会員数の落ち込みが顕著だが、お蔭様で一遍会は現状維持+微増である。子規の「散策記」に関連して会員の平岡英氏から貴重な情報連絡。松山市編『松山城』(P157)と「史談会誌」論文2本」、窪田重治の著作ほか。 |
| ロガック著「『ダ・ヴィンチ・コード』誕生の謎」を読書中、名画「最後の晩餐」に何故ぶどう酒が用意されなかったの疑問が湧く。議論を発展させたい。 |
| 10月3日(水) |
| 燦燦会代表世話人の武内利夫氏逝去。会員と旧羊毛事業部(竹岡平一郎元事業担当)に連絡す。[通夜式]10月5日(金)午後6時より[葬儀・告別式]6日(土)午前10時半より[場所]西宮市高畑町「エテルノ西宮」では出席出来ず。 |
| 午後、一遍会前会長故浦屋薫氏宅(りつりん館老人ホームアドバンス)弔問。夫人と2時間ほど浦屋氏の思い出を語る。「主人を見送れてほっとした」と淡々と話す語り口に日本女性の典型を見たようだ。松山東雲短大編『浦屋家文書 寛裕集書 完』を頂戴する。江戸期の知識人の心覚えである。大いに活用していきたい。宝厳寺長岡住職に遅ればせながら浦屋薫氏逝去の連絡をする。葬儀の導師は正宗寺の住職がされた由である。 |
| 心覚えの為に記し置く。 |
| 浦屋家は松山藩で歴代祐筆を務めた家系。墓地は西山宝塔寺にある。菩提寺は臨済宗妙心寺派興聖(禅)寺にあったが、トラブルがあり墓地を移動したらしい。葬儀の導師を子規さん縁の天竜山正宗(禅)寺田中住持が執行したが、同寺も臨済宗妙心寺派である。もっとも墓地は西山宝塔寺というから浄土宗であろう。 |
| 10月2日(火) |
| 「10月度一遍会ニュース」作成(A4版2枚)。県下の会員宛「例会案内メール」発送。午後、県外会員に「10月度定期便」を取り纏めて宅急便で発送。 |
| 石井義長氏の博士論文「空也上人の研究 その行業と思想」を精読する。もっとも視点は一遍との関連においてであるが・・・ |
| 松山中央農協で油粕(大袋)を購入、いよいよ本格的に秋の農園作りに取り組む。東京の矢野宏君と松山の神輿のメール交換が続く。 |
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【矢野君から道後関所番へ@】
道後湯之町の神社に置かれるていますお御輿さんの写真を拝見させてもらいました。ありがとうございます。
小学生の頃持田の神社から道後迄子供みこしを担いで宮入りに参加したことを思い出しました。もうあれからずいぶん年が過ぎましたが昔のことは瞼に浮かんできます。認知症になったんじゃないかと思う昨今ですが、昔のことは思い出します。
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【道後関所番から矢野君へA】
湯之町の「ベタ金神輿」は昔どおりにロープを巻いていますから懐かしく思い出されたことと思います。松山の秋祭りがいよいよ始まります。伊佐爾波神社から宮入り・宮出しする道後八町八体は溝辺・道後村・湯之町・持田・築山・大唐人・小唐人・北小唐人です。平成7年に持田が復活加入して八体が揃い、全国的に知名度が上がりました。持田神輿は100年振りに新調しての参加ですから、矢野さんが担いだ神輿はもう見ることは出来ません。持田の中に神輿倉を建てて大事に扱っていますから、余所者は祭りの時しか持田神輿は拝めません。機会があったら是非秋祭りに帰ってきてくださいな。子供のときの記憶からか「溝辺強し」の恐怖感を今でも持っています。持田は小結クラスかな。
4日から祭り提灯を点灯しますが、宮出しの時は午前4時過ぎの点灯ですから世話人としては張り切らざるを得ません。女神輿、子供神輿と賑やかになりましたが、祭りの寄付がなかなか集まらなくて世話人さんにとっては大変なご時勢になってきました。道後もマンションが多くなり神輿の維持に四苦八苦の状況です。いやはや。 道後関所番
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【矢野君から道後関所番へB】
相模原もやっと秋風がさわやかに吹き始めました、松山の秋祭りはもうじき、今月の7日あたりが道後はお神輿さんで賑わってくるのでしょうねえ。
伊佐爾波神社の宮出宮入のお神輿さんの詳しいお話有難うございます。溝辺が強かったのですねえ、持田のお神輿さんは強くはなかったのを覚えてます。鉢合わせの後は、公園の池のあたりまで蹴散らされた持田の大人御輿のこと、石投げ合戦も始まり観ていても怖かった思いが今も目に浮かんできます。唐人は唐人町のことですかねえ。今も唐人町という町はあるんでしょうかねえ、唐人町の辺には川が流れていたと記憶します。あれは中の川だったでしょうか。中の川をさかのぼったところにはよく通った映画館、銀映があったように思います。
今年は無理ですが来年は道後にお神輿さんを観にいきます。昔は古三津もお神輿さんでにぎわった記憶があります。
当地相模原の上溝も秋祭りがあってお神輿が出ますが松山みたいな盛大な祭りじゃなく規模も小さいです。
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| 10月1日(月) |
| 一遍会12月度例会(12月8日12:30−15:30)の会場予約。子規記念博物館で10月度懸垂幕俳句の取材。今月の俳句は「一日の秋にぎやかに祭りかな 子規」(明治27年)である。鑑賞エッセイを執筆する。 |
| HPに下記3項目を掲載する。是非ご覧頂きたい。 |
| @「熟田津今昔今昔」第二十七章 『子規記念博物館「今月の俳句」(懸垂幕)鑑賞
』<追加> |
| A「熟田津今昔今昔」第三十二章 『子規サロン「子規にとっての一遍さん」』 <新規> |
| B「一遍徒然草紙」第七十三段 『一遍会「掲示板」(平成十九年長月九月)に日録を掲載せしこと。』<新規> |
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| 「東の窓EAST29」と「燦燦会SUNSUNメール」「一遍会インターネット会員メール」に定期便を送る。 |
| 図書館支所で4冊貸し出し。@青柳恵介「風の男白州次郎」A五木寛之「林住期」B梅原猛 「海人と天皇」(上)Cライザ・ロガッタ「『ダ・ヴィンチ・コード』誕生の謎」 |
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