| 9月30日(日) |
| 10月度を迎えてHPの更改作業。 |
| @「一遍徒然草紙 第72段<一遍会前会長 故 浦屋薫先生を偲ぶ>」 |
| A「熟田津今昔今昔 第22章<一遍会講演記録 例会35年の歩み(資料集)>」:428回例会までの講師・講話・特記事項の追記。 |
| B「一遍会」:10月度例会案内と一遍会講演記録検索リンクを貼る。 |
| C「月例会のお知らせ」:10〜12月度例会案内と講師からのメッセージ記載。 |
|
| 小沼大八代表から11月度例会講話「念仏の布教」の紹介文が届く。「子規にとっての一遍さん」取り纏め。9月20日開催の子規記念博物館「第1回子規サロン」スピーチの要旨である。近々HP「熟田津今昔」に掲載予定。 |
| 9月29日(土) |
| 「追憶 故 浦屋薫先生 ご冥福をお祈り申し上げます」を執筆、HP「一遍徒然草紙」<第72段>に掲載する。お目通し頂ければ有難い。 |
| 日中は庭木の剪定作業。「椿湯」で汗を流し、夕刻一年ぶりに跡見学園の村上公平教授と会う。 |
| 道後の名物「としだのうどん」の味を継承する「うどんのあきら」でお決まりの「素うどん」で軽く腹ごしらえ。 |
| 学生時代からあった喫茶「こまどり」は本日休業で喫茶「坊っちやん」で腰を落ち着けて話し込む。 |
| 大街道では小唐人神輿の担ぎ手が集結して、来週末の秋祭りの神輿の鉢合わせの猛特訓中。一瞬の気合が勝敗を決定付けるので、殺気すら感じられる。 |
| さかな料理「志季」(古志康夫)で美酒と美味を堪能する。女将は旧松山藩主松平家の血脈であり、子息は十四代藩主定昭公(27歳死去))に眼差しがよく似ている。 |
|
| 9月28日(金) |
| 一遍会前会長の浦屋薫氏の告別式、葬儀で世話になった今村威・風本敬子両理事、岩田克之監事に連絡と御礼。小沼大八代表、頼本冨夫坊っちやん会会長、金村毅松山大教授、燦燦会伊沢信男、鈴木義彦両氏に近況報告。「追憶 浦屋薫先生」を執筆する。明日中に書き上げてHP「一遍徒然草紙」に掲載することにしたい。 |
| 午後からは秋祭り前の恒例の庭木の剪定作業。来月4日からの提灯設置の連絡来る。 |
| 9月27日(木) |
| 朝6時から近くの都井岬ビジターセンターと展望台まで散策し、昨日の親子4頭の野生馬と対面する。半日くらいかけて都井岬灯台や扇山を散策したいものである。 |
| 8時に都井岬を発ち、串間、南郷町を経て日南市の飫肥に入る。日豊線で行くと飫肥・日南・油津だから奥に入るが、伊東家5万石の城下である。島津と伊東両家の争いは熾烈であった筈だし、室町・戦国・江戸・明治維新を通しての歴史物語を是非読んでみたい。駆け足で@飫肥城歴史資料館A松尾の丸B豫章館C小村寿太郎記念館D旧山本猪平家E商家資料館などを見学する。安井息軒も当地の出身である由。森鴎外の短編「安井夫人」を思い出す。 |
| 1時半頃日向の国道沿いの「はまぐり碁石の里」で「日向路名物地鳥はまぐり膳の昼食。東国原知事の宣伝で地鶏も有名になったが、申し訳程度に「地鳥」が入れてある。地鶏でなく地鳥である商魂逞しさに新生宮崎の熱気を感じる。いやはや。 |
| 帰途も臼杵〜八幡浜は新造フェリーで快適に過ごし、22時無事帰宅する。留守番電話で一遍会・子規会前会長の浦屋徹氏の逝去を知る。 |
| 9月26日(水) |
| 8時に川内高城温泉を出発、姶良郡蒲生<かもう>町の蒲生八幡神社境内の
国特別天然記念物の樹齢1,500年の高さ30m、幹の回り24.2m、根の回り33.5mの大楠を見る。もっとも大三島の大山祇神社の大楠が最古・最大であるが・・・九州自動車道で南下、平川で「薩摩路名物御前」なる焼肉ランチの昼食。フェリーで桜島に渡る。舎監当時に立ち寄った「古里温泉」は健在であった。 |
| 14時30分から鹿屋航空基地資料館をゆっくり見学する。海軍(鹿屋)と陸軍(知覧)が相互に戦果を競争して特攻隊の悲劇を拡大したのではなかろうか。新劇の俳優西村晃氏の「遺書」が顔を知っているだけに実在感があり、自然に涙がこみ上げてくる。平和を希求するが戦闘には勝たねばならぬことも事実である。 |
| 夕焼け時に日南国定公園内にある都井岬観光ホテルに着く。天然記念物の野生馬を写真に納める。現在120頭が13頭の種牡馬が5〜10頭のハーレムを作っているとのことである。夕食に飛び魚などの海の幸が出されたが、味はよくは分からなかった。 |
| 9月25日(火) |
| 読売旅行企画の「大隈半島3日間ロマンの旅」に参加する・「夫婦いい旅」で22,110円は超エコノミーである。 |
| @西郷隆盛の湯治場「川内高城<たき>温泉」 |
| A日向の飫肥伊藤家5万石の城下町 |
| B鹿屋の航空基地資料館 |
| が今回のツアーの目玉でもある。 |
|
| 初日はまさにドライブである。6時半に松山市駅前を出発し、九四オレンジフェリーで臼杵に渡る。フェリーは今春就航の新造船で快適な船旅となる。東九州自動車道ー【別府湾SA】−大分自動車道(湯布院・玖珠・阿蘇・日田・鳥栖)ー九州自動車道ー【広川SA】−八代15時前に着く。細川家の城下町八代の武家屋敷群見学は、中士クラスの沢井家の長屋門を道路から見学するだけ。
旧八代城主松井家(熊本藩家老職)の御茶屋であった「松浜軒」が休館による代替と思うが・・・・・旅行社が全面的に非を認めて3日目の昼食をサービスすることで決着。それにしてもお粗末なコース設定であった。 |
| 八代からは南九州自動車道で東シナ海を眺めながら一路南下、阿久根の道の駅で夕日を眺める。甑<こしき>海峡をはさんで甑島列島が浮かび上がる。宿泊は日本名湯百選の川内高城温泉「マル善」。食事はお世辞にも旨いと言えないが、露天風呂・むし風呂は、かけ湯(値)なしの天然の硫黄泉で飲用可であった。 |
| 9月24日(月) |
| 恵みの雨は夕方から降り始める。彼岸の気候に戻ってほしい。やっと庭にまんじゅしゃげが数本頭を出したと思ったら、一日に10センチ成長する。「窪寺閑室再考」の資料集めに入る。窪寺まつり参加の小沼大八代表、金村威氏、杉野祥一理事に「正八幡神社でのお神楽」写真を送る。 |
| 村上幸平氏(跡見学園前図書館長)が一年振りで里帰り。スケジュールのバッティングで面談は月末になりそうだ。東京情報が楽しみである。 |
| 福田自民党新総裁の党4役が決まる。麻生前幹事長の福田内閣での処遇に関心が移る。 |
| 9月23日(日) |
| 一遍生誕寺である宝厳寺で「一遍忌」並びに大施餓鬼が執り行われる。その後、各地から来られた僧侶、檀家総代と一緒に会食懇談する。今回長岡隆祥住職から、来年3月でお寺の住職を隠退する旨の爆弾宣言あり。参加者も驚き声も出ないほどであった。明年3月の一遍生誕会(松寿丸湯浴み式)はできるが、明後年からの開催は危ぶまれる。今から対応すべきであろう。 |
| 9月22日(土) |
| 窪寺まんじゅしゃげ祭りに参加。伊予鉄バス(松山→丹波)利用は14名。参加者は50名以上となり大盛会。 |
| 10:30一遍念仏堂で中川重美理事の司会で開会。挨拶は小生が担当す。十念仏(杉野祥一理事)の後、ご詠歌。一遍の「窪寺閑居」「窪寺旧跡」「まんじゅしゃげ園」を回遊す。正八幡宮下の「宮坊」で昼食(窪寺米<新米>と地元のこんにゃく刺身)。 |
| 13:30から夢華神楽社中による「大々神楽」。熱演で「おひねり」も飛び交い、昭和初期のお宮の雰囲気で、大いに楽しめた。@天恵の舞A石鎚山開山(@石鎚大神=斧を砥いで針にする白髪老人A役小角=法起坊大天狗)B恵比須・大国 |
| 中川理事の持ち山のまんじゅしゃげは二分咲きで見学は中止。会員の上田淳氏の車に同乗する。印象に残った参加者として○村井正良氏(坂本公民館長)○金村威氏夫妻(松山大学人文学部長)○黒田仁朗氏(現地世話人)○遍路若者ペア(恋人か夫婦か。素晴らしい若者ペアである):群馬に戻ってからのメールが楽しみである。ご多幸を祈る。記念写真を撮る。 |
| 9月21日(金) |
| 秋彼岸に入ったが、33度を越す猛暑である。明日の窪寺まんじゅしゃげ祭りが案じられる。集中力が出ないので書斎の整理で汗を流す。思い出したように「はてな」のブログに研究メモを載せる。暫くは、子規、一遍、空也について雑学を書き残しておきたい。 |
| 図書館で目を通したい書籍 @坪井洋文「ムラ社会と通過儀礼」『日本民俗文化体系』8巻 小学館 1984年 Aオームス・ヘルマン「祖先崇拝のシンボリズム」弘文堂 1987年 B宮家準「日本の民俗宗教」講談社 1994年 |
| 9月20日(木) |
| 午後、子規記念博物館で第1回「子規サロン」が開催されスピーカーとして参加する。 |
| 井手康夫「子規周辺の人々と井手家」 |
| 今村威「子規さんと茄子」 |
| 高橋俊夫「子規さんあれやこれや」 |
| 二神将「子規と道後温泉」 |
| 「子規にとっての一遍さん」 |
| 頼本冨夫「伊藤秀夫・達夫両先生のこと」 |
| 竹田美喜「陸羯南と弘前」 |
|
| 子規の温泉嫌いと道後温泉来浴の調査は興味をそそられた。 |
| 3月の一遍誕生会の講演は「道後学」と銘打って実施したい。田中弘道氏の次は二神将氏をリストアップしたい。杉野祥一氏の「『一遍聖絵』を読む」は本年度で終了し、次年度からは「『一遍聖絵』を見つめる」として絵を中心に進めることで纏まる。 |
| 9月19日(水) |
| 午前は子規記念博物館での「糸瓜忌 友の会のつどい」に参加。献花、朗読「漱石の子規回想」(俳優 山本清文)、松山女声合唱団による「子規新体詩『月と星』『花売る歌』。全員で「千の風になって」を合唱して散会す。 |
| 午後は正宗寺での第106回子規忌法要(導師 田中義雲師)と子規会例会に出席。和田克司副会長の記念講演は『子規と松山にかかわる俳句』。明治25年、28年、29年の句から松山に関連する句の検証。「明治新事物」「十二月シリーズ」と松山関連句の前後関連から「法則性(傾向)」の発見は、さすがに子規学者である。 |
| 15時から「子規事典」編集会議。平岡英氏の「散策集(城北コース)」の報告ほか。10月までに検証すべき宿題を多く抱える。松山ご城下の旧町名の呼び名につき資料発見。【明治13年愛媛県布達達書 甲第26号『松山市史料集第9】和田、平岡両氏に連絡す。 |
| 9月18日(火) |
| 明日から月末まで多忙なので奥道後温泉でバイキング&ジャングル風呂でリフレッシュ。ロビーで石井義長著『阿弥陀仏空也 念仏を始めた平安僧』を読む。空也は一遍同様自ら著述を残すことはなかったが、なんと空也の著述内容の2文が『一遍聖絵』に書かれている。一遍が如何に空也を慕ったかの例証ある。「一遍聖と空也聖」について論及する切り口が見つかった。大収穫といえる。来年度の一遍会例会で空也・源信・法然などの浄土教シリーズを企画したい。 |
| 9月14日面談した石川成昭氏(草間時福曾孫)からメール届く。 |
| @松山東高で明教館と資料館を見学し、英国の憲法を初期に翻訳した「日英の憲法比較論」を確認。 |
| A同氏の父母は学習院の卒業ですが、先生ではありません(先生から見れば教え子)。 |
| B安倍先生にはS36に両親の媒酌人をして頂き、その1年後に生まれた私が「成」の字を頂きました。 |
|
| 9月17日(月) |
昨日「子規博友の会」の中川女から9月20日開催の「子規サロン」のテーマの照会があった。慌てて「子規にとっての一遍さん」と決めた。
明治28年漱石と子規が道後や郊外を逍遙した手記に当たる『散策記』を軸に最終的にレジュメを取り纏める。 |
| 県立図書館から下記4冊貸し出し。お彼岸は空也の研究に充てたい。 |
| @伊藤唯真編『浄土の聖者 空也』(日本の名僧D)吉川弘文館発行 |
| A石井義長著『阿弥陀仏空也 念仏を始めた平安僧』(講談社選書メチエ285)講談社発行 |
| B石井義長著『空也上人の研究〜その行業と思想〜」法蔵館発行 |
| C板橋春夫著『誕生と死の民俗学』吉川弘文館 |
|
| 9月16日(日) |
| 午前:「湯築城歴史塾」第3回「河野氏と南予の諸合戦」講師 湯築城資料館長 石野弥栄氏(10:00〜11:30)。構成は下記の通り。 |
| 1)はじめに 南伊予の「戦国時代」 |
| 2)鳥坂合戦(宇和)とその時代〜河野軍、南予へ出陣し、土佐一条軍を破る。〜 |
| 3)岡本城合戦前後(三間)〜土佐長宗我部氏の伊予侵攻と挫折〜 |
| 4)高森城攻防戦・黒瀬城陥落(宇和)のころ〜戦国最末期の南予情勢〜 |
|
| 正直、情報量が多く、かつ難解すぎてよく分らない。昭和31年に愛媛新聞連載の『予州風雲録』を再読し、固有名詞を頭に入れて復習することにした。 |
| 一遍会10月度例会のマスコミ用原稿を作成する。朝日新聞OB上南光雄氏は所要で「窪寺まんじゅしゃげ祭り」不参加の連絡、残念であるが致し方なし。 |
| 9月15日(土) |
| ぶり返しの猛暑か、32度を越える。まんじゅしゃげの開花が心配である。栗田勇「道元・一遍・良寛」(春秋社)宇江敏勝監修「熊野古道を歩く」を読む。鐘紡大垣会が11月18日開催(大垣フォーラムホテル)の連絡あり。出席の旨返事する。帰途数日京都に滞在して寺社めぐりをする予定。 |
| <メモ> |
| 我思う、ゆえに我あり(われおもう、ゆえにわれあり)はルネ・デカルトが自著「方法序説」の中で提唱した有名な命題である。原語はフランス語でJe
pense, donc je suis。ラテン語訳でcogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム)(cogito
- 私は思う、ergo - それ故に、sum - 私は在る)、英語では“I think,therefore
I am”。哲学の第1命題でもある。 |
ところで「南無阿弥陀仏」である。一遍を引用する。
◎となふれば 仏もわれも なかりけり 南無阿弥陀仏 なむあみだ仏
◎一念の称名は念仏が念仏を申すなり。我よく念仏申して往生せむとおもふは自力我執がうしなへざるなり。
◎しかれば名号が名号を聞くなり。 |
「南無阿弥陀仏」を「我 帰依す 阿弥陀仏」と解釈することの問題である。
浄土宗:浄土の世界を想起し念仏を唱える。【阿弥陀仏】
浄土真宗:既に救われており、信心こそが肝要【南無】
時宗:南無でも阿弥陀仏でもない。名号こそが肝要【南無阿弥陀仏】
自・他の合一、生死の超克 |
|
| 9月14日(金) |
9月20日開催の「子規サロン」のスピーチ取り纏め。「城といで湯と文学の街 松山」を捩って「城といで湯と文芸の会 松山一遍会」が基調である。
「城」は河野氏湯築城
「湯」は道後・鉄輪・熊野
「文芸」は和歌・和賛、連歌、踊り念仏、能・狂言、茶の湯、立て花、建築・造園、刀剣・工芸の阿弥集団。
次いで「時宗」「一遍会」に話をもっていきたい。 |
| 松山中学校初代校長「草間時福」氏の曾孫石川成昭氏と「町屋」で落ち合い2時間ほど語る。現在は(社)寒地港湾技術研究センター勤務。父親が安倍能成学長時代の教え子で、本人と能成氏とのツーショットがほほえましい。未見の資料が多く、改めて送っていただく様にお願いする。 |
| 夕、松竹大歌舞伎(中村信二郎改め二代目中村錦之助襲名披露)観劇(於県民文化会館)。 |
| 一、正札附根元草摺<しょうふだつきこんげんくさずり> |
| 二、襲名披露口上 |
| 三、番町皿屋敷 |
| 四、戻駕色相肩<もどりかごいろにあいかた> |
|
| 東京に較べて関西歌舞伎の知名度は低いし、会場も三分の一は空席で寂しかった。もっとも中村錦之助のスター性や演技力は不十分、未熟であった。 |
| 9月13日(木) |
| 『一遍聖絵』巻一「窪寺閑室」をテーマに講演録(来年3月一遍会)を執筆する。 |
| @閑室内の二人は一遍智真と聖戒か、それとも・・・ |
| A「青苔緑薙の幽地」「松門柴戸」が描かれていない。 |
| B閑室の外観は「庵室」をはるかに越える住まいになっている。 |
| C丹波国の山内入道の窪寺が終焉地。 |
|
| 9月12日(水) |
| 安倍首相の突然の辞任である。企業でいえば株主総会を開催して「営業報告書」の提案・説明を行い、株主の質問を受ける段階で社長辞任というスタイルか。 |
| 「一遍徒然草紙」<第七十一段 『私がAPU(立命館アジア太平洋大学)で考えてきたこと』 一遍会インターネット会員岩田憲明氏の手記
>を掲載する。1ヶ月に21通届いた手記で彼としては「ラストメッセージ」かもしれないが、私としては「遠来の友のファーストメッセージ」と位置づけたい。 |
| 9月11日(火) |
| 9月度の「六時屋サミット」で予想外の論議となる。参加者にクリスチャンが居るのだが、文明の進化の話題からダーウインの「進化論」に移った時である。「ダーウインの『進化論』は信じない」の発言に参加者は唖然とする。話が噛み合わないままに会は終わったが、「進化論」否定の急先鋒でアメリカ南部の保守主義の牙城はバブテスト信者で、ブッシュ現大統領を支えているし「原理主義」が強いことを思いだした次第。 |
| 一遍会講師の大本敬久氏(8月度)に会報原稿の依頼、菊池佐紀氏(12月度)に講師引き受けの御礼。同期会豊後屋昌明会長に総会欠席の連絡と役員会欠席の連絡。「現執行部絶対的一任」という過去に彼が示した「引き際の美学」についてひとこと触れておいた。伊佐爾波神社の秋祭りの「道後大神輿保存会」への寄付について広報委員から詳細情報を入手する。町民から全く離れた組織運営になっている。 |
| 9月10日(月) |
| 三越で半年遅れで開催中の「第62回春の院展」を鑑賞する。光と空気と水気を感じさせてくれるので、楽しみながら自分との対話をしながら一巡する。平山郁夫、後藤純男、松尾敏男、福王寺法林画伯は健在である。松本哲男「エアーズロック」、清水操「夏の日」は印象に残る作品。 |
| 明屋書店で@「仏教新発見13 大念仏寺・清浄光寺」(朝日新聞社)A「文芸春秋I」を購う。大阪平野の大念仏寺は「万部おねり」時に再訪したい。朝日新聞OB上南光雄氏から朝日新聞(平成7年3月18日付)「一遍の骨つぼ」(今井雅晴)等の資料を送っていただく。活用したい。 |
| 9月9日(月) |
| 伊予史談会9月例会(郵政局講堂)。 |
| @寺内浩愛媛大学教授「藤原純友の乱と平将門の乱」 |
| 雑学知識としては海音寺潮五郎著『平将門』『海と風と虹と』、NHK大河ドラマ『天と地と』など豊富であるが、史学的には無知である。寺内教授の検証で『将門記』は漢文で約14000字に比し『純友追討記』は僅か1000字程で、関係資料の差が両者の研究論文に決定的な差をつけている由。学会の現在水準での報告と@純友・将門共謀説の否定A朝廷イドの純友への懐柔策と海賊分断の成功など説得力あり。但し、内紛があったとは言え、将門、純友軍ともに蜂起から敗北までの期間があまりに短期(数ヶ月)であることを解明するまでには至っていない。 |
|
| A篠原重則香川大学名誉教授「四国における農山漁村の地域特性」 |
| 篠原氏はその分野では著名らしいが、「病気の後遺症」が酷く報告の体にもならない。会場から失笑がもれる始末である。安倍内閣の閣僚の不始末同様に「身体検査」が必要であったのであろうが、篠原氏は講演を辞退されて然るべきではなかったか。「老残」のひとことに尽きるが、篠原氏は私より年も若い(69歳)。「他山の石」として、私自身も客観的に「身体検査」して講演依頼を受けることにしたい。 |
|
| HP「鐘紡春秋」中「第19章・ 鐘紡の社史社風〜第3話 二人の元文部大臣」を掲載する。
安倍能成・森戸辰男両氏の謦咳に接し、感銘を受けたことの印象記である。「働くこと即学ぶこと」「学びこころ」など鐘紡在任中の人事・教育施策展開の「原点」でもあった。 |
| 夜、黒澤明監督の『生きる』のリメイクTV版『生きる』を観る。志村喬のイメージが強すぎるので松本幸四郎の演技も今ひとつ。昭和30年代の「生きる」意義と現代の「生きる」こととに微妙且つ決定的な差異があることをTVを見ていて痛切に感じた。 |
| 9月8日(土) |
| 一遍会9月例会。出席30名で、まずまずある。 |
| @卓話「寒満月遊行上人遊行の眼 黒田杏子」 三好恭治理事。レジュメは宝厳寺長岡隆祥師から俳人黒田杏子氏に近々手渡されることになっている。 |
| A講話「一遍と親鸞」 杉野祥一理事。一遍と親鸞を対比させて両始祖の信仰と教義の差異と同一性を詳述している。「無常観」と「罪悪感」が次なるテーマとなろう。 |
| 理事会では@次年度講師リストアップA正月例会のメイン行事の問題提起と検討。詳細は避けるが、11月末には結論を出したい。 |
| 9月7日(金) |
| 昨日に引き続きHP『鐘紡春秋』執筆作業。「第19章 鐘紡の社史社風」に「第2話 鐘紡とは何か」と「参考資料 第1回読書感想文コンクールを実施して」を掲載する。教育課長当時の記念碑的作業でもある。 |
| 子規記念博物館から「子規サロン」についての書状来る。東京根岸の子規庵の集いを参考にして立ち上げた由。一応講師ということらしいが・・・・・大荒れの台風は東海以北と言うことで、四国は全く影響なし。猛暑が相変わらず続いている。 |
| 9月6日(木) |
| 子規記念博物館から「子規サロン」参加の依頼あり。(担当中川女)子規会、坊っちやん会ほか俳句、和歌の諸団体などで出席は30名を予定。一遍上人の持つ文芸性を大いにPRしていきたい。 |
| 宝厳寺・長岡隆祥師定期訪問。話題の中心は俳人・黒田杏子氏の宝厳寺や一遍・時宗を巡る興味ある話。宝厳寺境内の更地活用、寺院経営策の意見交換。寺は檀家が育て、檀家は寺が鍛えるという今日の共同体の欠如を如何に是正さすか。9月23日の大施餓鬼には小沼代表、今村理事と共に出席の旨伝える。今春逝去した川本陽吾理事[陽吾院釈画徳居士]の供養をお願いする。 |
| 朝日新OB上南光雄氏からインターネット会員登録申し込み。有難い。「窪寺まんじゅしゃげ祭り」に都合がつけば参加される由。 |
| 『鐘紡春秋 第20章』に「鐘紡技術学校〜魂ある技術者へのメッセージ〜
」を掲載する。1,000名を越す工場・販社の元中堅幹部からのメールを待ちたい。 |
| 9月5日(水) |
| 朝6時起床し、昨日盗難にあった「みずほ銀行」に向う。なんと同型のブリジストンの自転車がある。110番経由で大街道派出所から実地検証。残念ながら登録NOの該当者に連絡がつかず。間違って乗った人の善意を信じる他はなさそうだ。午後、再度検証に出掛けるが、特に変化なし。 |
| 9月度担当の卓話「寒満月遊行上人遊行の眼」のレジュメ作成。黒田杏子さんのスピーチの要約だが、テープを聴きながら学習してもらえば理解が容易な筈である。 |
| 9月4日(火) |
| シネマルナティックで第60回カンヌ国際映画賞グランプリ受賞「殯の森」(2007)を鑑賞する。河瀬直美監督作品である。出演はうだしげき、尾野真千子、渡辺真起子。「につつまれて」(1922)「かたつむり」(1994)「万華鏡」(1999)「きゃらばあ」(2001)「追憶のダンス」(2002)「Shadow〜影(2004)「垂乳女」(2006)を続く。奈良県東部のグループホームで亡妻の思い出に生きる「しげき」と子供を亡くした介護士「真千子」の出会いから殯の森での事件まで一気にドラマが展開する。森と自然、人間の触れ合いと葛藤、夫婦愛、生と死、救済など欧米人にも文脈としては理解が可能な物語である。次回は「サンジャックへの道」。スペイン語では「サンディアゴ・コンポステーラ」(聖ヤコブ巡礼路)である。スペイン旅行では割愛したコースでもある。 |
| 住友信託銀行、みずほ銀行で大口定期(年利率1%)契約、昼食は「ザ・丼」。宝くじ当り8枚で5,100円。マイ自転車が盗難に合い警察に被害届けを提出。 |
| 朝日新聞・上南光雄氏に下記メールする。 |
【やっと「窪寺まんじゅしゃげ祭り」の案内パンフが出来上がりました。「一遍会報」などを取り纏め、明日お送りさせていただきます。ご笑覧下さいませ。
縁あって一遍会の世話人を致しておりますが、現役引退後帰郷して10年目と云ったところで「一遍会としては上等兵」でしょうか。
上南様は浅山圓祥師や一遍会の越智通敏会長、足助威男氏をご存知とは羨ましい限りです。私の役回りは越智、足助先生たちの最晩年にお側に接し「お見送り」のお世話をしたというところでしょうか。梅谷繁樹先生には宝厳寺でご高話を頂き、それ以後何かとご高配を賜っております。 |
| 20年前には朝日新聞松山支局長としてご活躍されました由、現在90歳で矍鑠としておられる上田健一翁の一遍会活動の8ミリ映画をご覧頂いたのだろうかと存じます。当時私は鐘紡(カネボウ)の人事部長から山口県の防府工場長をしておりました。在勤中実業団陸上競技連盟の副会長で中国ブロックの会長をしておりました。マスコミにも働きかけて「九州一周駅伝」に対抗すべく「中国駅伝」を発展的に解消して「中国一周駅伝」を企画し、故人になられた安倍、竹下、宮澤、橋本先生への働き掛けを考えておりました。「今は昔の夢」ですが、もし実現して開会式には四先生と共産党の宮本委員長が参加したら、大ニュースになったろうと思っています。 |
| 古希を過ぎましたが、相変わらず夢ばかり食っております。昨年開場しました「坊っちやん劇場」で、数年後には一遍上人か弘法大師を主人公に、遍路、巡礼、踊り念仏、盆踊りをキーにして、四国の遍路・巡礼路の世界遺産指定に向けてのミュージカル実現の仕掛けをやっています。今後なにかとご支援を賜りますようにお願い申し上げます。】 |
|
| 9月3日(月) |
| 猛暑が続く。連日28度〜35度であり、異常気象と言わざるをえない。一遍会8月度決算に基づいて銀行回りをする。 |
| 9月度一遍会例会で披露する雑ネタとしては・・・ |
| @8月例会では西予市卯之町の「松屋旅館」の「ひゅうが飯」を食したが、女将の大気洋子さんが「『松屋旅館』秋のお漬物」(全3回)をNHKセミナーを語る。 |
| A一遍会代表の小沼大八氏の「日本仏教と仏像のはなし」(全6回)が同じくNKKセミナーで講演する。 |
| B「坊っちやん劇場」山川龍巳支配人との近未来での一遍を主人公にしたミュージカルだが、弘法大師、一遍、遍路、巡礼、踊り念仏、盆踊りがキーワードなりそうだ。 |
| C瀬戸内寂聴師と俳人黒田杏子氏による「一遍文学談義」は子規記念博物館を巻き込んで企画したい。竹田亜美喜館長の「一遍の和歌」からスタートさせたい。 |
| D松山大学が企画している「『歩き遍路』1日体験ツアー」。ドイツ語、英語、中国語、韓国語の通訳がつき国際交流と遍路と若者の結びつきが可能となった。 |
| Aコース:浄瑠璃寺〜浄土寺(空也上人像)〜石手寺(衛門三郎玉の石)〜宝厳寺(一遍上人立像) |
| Bコース:三坂峠〜「坂本屋」〜「窪寺跡」〜「大黒座」(三坂馬子唄)〜浄瑠璃寺 |
|
|
| 9月2日(日) |
| 猛暑が続く。一遍会インターネット会員に9月度定期便を送る。今回は8月度例会資料と9月度「一遍会ニュース」「一遍会報230号」と盛り沢山である。石野弥栄湯築城資料館長を訪ね同氏の講演要旨を掲載した「一遍会報」を届ける。菊池佐紀氏宛12月度例会講師の依頼状を送る。一遍会8月収支決算を済ます。 |
| 家人と旅行プランを練る。9月は大隈半島、10月はアメリカ西海岸、11月は京都と九州の紅葉狩り、12月はジパング倶楽部招待を決める。秋祭りは地元と西条、山登りは剣山。年末には一遍ゆかりの鉄輪温泉で一年の汗と垢をおとしたい。結構遊びも多忙である。今日只今をエンジョイしたい。 |
| 9月1日(土) |
| 「一遍会」HPを更改しインターネット会員に9月度行事のお知らせをメールする。11月例会の会場予約は予定通り11月17日でセットする。10月度講師平田玲子氏から「講師からのメッセージ」が届く。早速「月例会のお知らせ」に掲示する。 |
| 「子規博9月度懸垂幕俳句『神鳴ノ鳴レトモ秋ノ暑サカナ 子規』」の鑑賞を「EAST29」と「燦燦会」のメンバーに下記メールする。反響が楽しみである。 |
| 【子規記念博物館選句の平成19年9月の子規さんの句は 「神鳴ノ鳴レトモ秋ノ暑サカナ 子規」です
。 |
| 子規さんの遺稿でもある『仰臥漫録』の明治34年9月5日付に執筆されています。翌年の9月19日死去しましたから一年前の句に当たります。常人でも猛暑、残暑の厳しさは身体に堪えます。子規さんのように病臥にある者にとっては耐え難い暑さ、苦しみだったに違いありません。それにしても子規さんの食気には驚きますなあ。正直あやかりたいものです。遠くに雷の音を聞き一雨来ないかと願いながら、期待が外れて一層暑さが耐え難くなった無念さが「神鳴ノ鳴レトモ」に込められているようです。 |
| 雷を神鳴と表現した子規さんの心境がわかっていただけるかと思い、『仰臥漫録』の原文を記載します。 |
| 九月五日 雨 夕方 遠雷 |
| 朝 粥三椀 佃煮 瓜の漬物 |
| 昼 メジノサシミ 粥四椀 焼茄子 |
| 昼 メジノサシミ 粥四椀 焼茄子 |
| 間食 梨一ツ 紅茶一杯 菓子パン数個 |
| 夕 鶏肉 卵二ツ 粥三椀 煮 若和布二杯酢カケ |
午前 陸妻君巴サントオシマサントヲツレテ来ル 陸氏ノ持帰リタル朝鮮少女ノ服ヲ巴サンニ着セントナリ 服ハ立派ナリ 日本モ友禅ナドヤメテ此ヤウナモノニシタシ
芙蓉ヨリモ朝顔ヨリモウツクシク |
| 夕刻三吉氏来ル 明日京へ帰ルト也 |
| 題払子 肋骨ノクレシ払子毛ノ長サ三尺モアリ |
| 馬の尾に仏性ありや秋の風 |
| 神鳴ノ鳴レトモ秋ノ暑サカナ |
|
|
| 「神鳴」(かみなり)は雷で「夏の季語」、「秋」は勿論「秋の季語」、「暑さ」は「夏の季語」ですが、この句の季語は秋で、秋の俳句とされます。子規さんともなれば季語など融通無碍なんですなあ。「神鳴」を雷の当て字にした用例は初めてですが、雷は太鼓を持った雷神の仕業と伝えられ、蚊帳に入ってへそを隠せと子供の頃に教えられましたなあ。いやはや。 |
| ところで「神鳴」を逆にした「鳴神」(なるかみ)は雷の別名です。ご存知の歌舞伎十八番の一つである「鳴神」は、鳴神上人が戒壇を設けていなかったのに立腹し降雨の道を絶ったが、雲の絶間姫の女色に迷って呪法は破れてしまうという筋書きです。男は高齢になっても「久米の仙人」同様女性の色香には弱いですなあ。昨今マスコミで話題の参議院議員の「さくら親爺」も・・・・・クワバラクワバラ。 |
| そこで子規さんにあやかって一句 |
| 「素裸ニナレトモ秋ノ暑サカナ 子規モドキ」 いやはや。 道後関所番 |
| 追って |
| 竹田美喜・子規記念博物館新館長の発案で、子規さんの命日に当たる来る9月19日に子規博で「子規生誕140年 糸瓜忌(へちまき)」(10:00〜11:00)を開催します。内容は「献花」「朗読 漱石の子規回想 (まつやまアーツマネジメント山本清文氏)「合唱 松山女子合唱団による子規新体詩『月と星』『花売る歌』」です。入場は全館無料です。「東の窓」でも話題になりましたが、細川人美さんも勿論出演されます。俳句愛好家並びに自由時間愛好者の皆さん、是非子規記念博物館に来館して子規さんを偲びませんか。 |
| 当日の午後13:00からは松山市駅近くの子規庵・正宗寺で「子規忌」の行事(法要並びに講演会)を執り行います。こちらにもお越しいただいて、この日は一日子規さんにどっぷりつかりませんか。 |
|
|
|