| 7月31日(火) |
| 子規博で竹田美喜館長の懸垂幕俳句<夕立や野道を走る人遠し
子規> 鑑賞を参考にして「熟田津今昔・第二十七章 今月の子規博俳句」を掲載する。併せて湯築城外堀位置についての史跡発掘の結果を知りえたので一文を加えた。(8月1日付にて掲載する)ご覧頂きたい。一遍会ホームページは8月度に衣替え。@「一遍会」A「月例会のお知らせ」。9月度の杉野祥一講師のメッセージと10月度の平田玲子講師の紹介が新規分である。 |
| マスコミの参院選の分析報道を長時間視聴する。安倍晋三総理の6ヶ月間を見て、政策の変更は可能だが「長としての器」は一朝一夕には育たないなと思う。苦言を呈する「長老」か官房長官の入閣が必至と思われる。如何なる組織に於いても、運営の鉄則であろうが・・・ |
| 7月30日(月) |
| 第21回参議院議員選挙は予想(以上)の格差で反自民の大勝利になった。【民主60、自民37、公明9、共産3、社民2、日本新2、日本1、無所属7】
参議院は与党105、野党137。衆議院は与党が3分の2以上という構成である。結果的には2大政党となったのは事実である。四国の「四猿」も自民猿から反自民猿に変わった。 |
| 奥道後温泉でバイキング+ジャングル風呂で半日休養。常連さんと話をするようになった。 |
| 子規博で懸垂幕8月度子規さん俳句「夕立や野道を急ぐ人遠し」を取材中、公園北口の公衆トイレ傍の案内板で、発掘結果に基づく外堀境界線の明示を知る。なんとに伊予銀行道後支店、石手寺に通じる県道が外堀跡で、ふなやの庭園(鴉谷)に直結している。西は現在の伊予鉄の軌道辺りまでが外堀だっらしい。新発見の外堀跡を通して、堅固な守りであったことに納得する。 |
| 7月29日(日) |
| 参議院選挙の投票に出掛ける。自民王国愛媛だが、今回の選挙では反自民が自民党の関谷氏の票を上回るような気がする。結果は・・・・である。夜は選挙報道一色となる。 |
| 「一遍徒然草紙第68段」に「悪性周皮腫の会員からメールを寄せられしこと」を掲載する。会員からの激励のメッセージを期待しているが・・・・ |
| 葛西聖司アナウンサーを迎えての舞台芸術鑑賞講座 「歌舞伎鑑賞の勘所」を受講する。(県民文化会館)9月公演の「松竹大歌舞伎」は二代目中村錦之助(信二郎)襲名披露で中村時蔵、梅玉、尾上松緑、梅枝らが顔を揃える。「番町皿屋敷」(梅玉・時蔵・錦之助)、戻駕色相肩(松緑・錦之助)は楽しみである。因みに萬屋錦之介と二代目中村錦之助は叔父・甥の間柄である。 |
| 7月28日(土) |
| 半年も悩んでいたHPのエッセイの標題を「鐘紡春秋」とした。今日「鐘紡の社史社風」を掲載した。次々と鐘紡の記憶を書き留めていく。債務超過と損益計算書の虚偽申告と政治の動きの中で120年の歴史のある鐘紡が消滅したのだが、「日本的人事管理」に徹した「時代の証言」を残しておきたい。 |
| TV「ふしぎ発見 カッパドキア」は今年訪れただけに興味深い。キーワードは@馬A地底都市B鳩の糞と白マークCコロネーション⇒カーネーション。 |
| 7月27日(金) |
| HP「ひと・出会い・旅」に「鐘紡の社史社風」執筆開始。「鐘紡」は今年7月に消滅した。遺伝子は「鐘淵化学」と「クラシエ」に継承されてはいるが・・・OBとして「鐘紡」で検索したら鐘紡アラカルトを目にすることが出来るように、年末までにそれなりの情報を蓄積することにする。 |
| 午後、 愛媛大学図書館企画展「〜遠田家文庫から〜『一枚摺りの世界』」を観る。相撲の番付表の如きものだが、江戸末期から明治までの資料25点の展示。約一時間、どっぷりと貴重な情報の海に浸かる。もっとも3分位で通過する人もいる。「浮世絵秘図」にでも期待したのかな。いやはや。 |
| 伊予松山藩の「砂土手」の写真資料発見。砂土手の高さ、土手巾を発表した研究者はいないのではないのかな。貴重な写真だけに、再度確認した上で公表する予定。 |
| 7月26日(木) |
| 書斎での休養の一日となる。猛烈に暑い。伊吹(伊服岐)山に出掛けたこともあり三浦祐之著「口語訳古事記<ヤマトタケルの戦いと恋>」を読む。 |
| 【橘君からのメール】先日の六時屋サミットで話に出た、鉄道の事が出ていましたのでアドレス記載しておきます。誰も考えることは同じなんですね。「松山市を根本から変える JR
伊予鉄共同運営『松山線』構想はこれだ!」 |
| 【返信の一部】当方、伊吹山の草花と醒ヶ井の「梅花藻<ばいかも>」を見てきました。中仙道の宿場である醒ヶ井は「古事記」の日本武尊の伝説の生きている宿場町でもあります。近くに「番場の忠太郎」の番場宿もあります。下記のHPでご覧下さい。【梅花藻】http://www.ohmitetudo.co.jp/outdoor/kusabana/summer/baikamo.html |
| 【返信の一部】昔 花市場の旅行で中仙道方面へは駆け足で見物をしましたが、恥ずかしながら梅花藻のことはまったく知りませんでした。花だけ見ると月見草によく似ていますね。馬籠は島崎藤村の生地で「夜明け前」の舞台になった所、妻籠も中仙道の宿場町で、景観保存地区として飛騨の高山と並ぶ日本の原風景でしょうか。今度機会があればゆっくりと散策したいところです。以前に新人のアナウンサーが、原稿を誤って 旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読んだエピソードを思い出しニヤニヤしている嫌らしい、じじいです。 |
| 7月25日(水) |
| 7時40分ホテルを出発、関が原から伊吹山ドライブウエイで9時伊吹山頂駐車場に着く。西遊歩道から日本百名山伊吹山(1377米)へは、西遊歩道を高山植物を眺めながらの登山。イブキの名を冠したトラノオ、フロウなど固有種が多いらしい。日本武尊、不破の関、垂井など「古事記」の伝承を思い浮かべる。 |
| 醒ヶ井の「湧水めぐり」は期待以上の感動があった。「梅花藻」は初見だが、清流にのみ咲く藻の花である。旧中仙道の地蔵川沿いに「西行水」「十王水」「居醒の清水<日本武尊伝承>」と続く。更に1時間半も歩けば「醒ヶ井養鱒場」に着く。赤坂宿、番場宿と美濃、近江の中山道宿を気ままに歩きたい衝動に駆られる。 |
| 関が原では「胡麻の郷」「名水百選泉神社湧水<伊吹三名水>」を見て、「麗守都関ヶ原」で昼食後、併設の「伊吹薬草の湯」で疲れを取る。「関が原古戦場:」はパンフレットだけで見物を済ます。大理石美術工芸製造販売の「マーブルクラフト」に立ち寄る。松山へは22時過ぎ戻る。 |
| 7月24日(火) |
| 読売観光企画の郡上八幡と伊吹山・醒ヶ井観光に参加。6時50分松山市駅を出発し、松山・高松・瀬戸中央・山陽・名神高速・東海北陸各自動車道経由で14時過ぎ郡上八幡に着く。石鎚山SA・吉備SA・西宮名塩SA・多賀SA(昼食)で小休憩。将軍家も大名家も、そして天皇家も味あうことの出来なかった短時間の空間移動で約6時間で岐阜の人となる。 |
| 旧庁舎記念館での「郡上踊り」講習では、20歳代に工場の盆踊りで徹夜踊りをしているだけに3回目には足さばき、手さばきもまずまず。踊りの師匠にも褒められてご満悦といったところ。踊りの後は、吉田川に沿って郡上八幡の町並みを食べ歩き散策(郡上八幡城、新橋、名水百選宗祇水、新町筋)。関の刃物センターでは園芸用品ばかりが気になる。ドライブイン「麗守都関ヶ原」で近江・飛騨牛の「大盤振る舞い会席」とやらで満腹。20時新岐阜駅近くの新岐阜ホテルプラザに泊まる。 |
| 7月22日(日) |
| 平成19年度「湯築城歴史塾」(10:00〜12:00)受講。川岡勉愛媛大学教授の講義は「湯築城とその周辺地域」。初回であり総括的な話ではあるが、未知の情報も多く、今後の研究に役立つ点多し。 |
| @鎌倉側についた河野(通信)氏が伊予国の「御家人統率権」を得るが、11〜12世紀は「瀬戸内の支配者は平家であったこと。(厳島神社、伊予守) |
| A承久の変(1221)で鎌倉に叛旗して敗北、衰退。鎌倉幕府滅亡後、河野道盛が足利幕府の配下となり勢力回復。14世紀前半に湯築城建設。「湯築城」初見は興国3年(1342)→守護所へ。平山城化。守護支配は中予内陸部に限定的で、東・南予、島方、山方領主の自立性。 |
| B湯築城の位置付け(A)街道と河川交通の見直し(B)道後の町<温泉、文芸、宗教など>(C)港湾(湊山城、堀江、三津、松前) |
| C1585年秀吉の四国平定、河野滅亡、湯築城廃城から松山藩の成立までの「暗闇の100年間」(道後村史料の欠如) |
| 庭の整備作業。「子規辞典」編纂作業。明治24〜27年当時、県下、松山市の疫病、旱魃による死者増、農村窮乏の背景から子規「散策集」の俳句見直し。新解釈に興味あり。 |
| 7月21日(土) |
| 子規事典編纂会議(7月19日)に委員から提出された意見や疑問を尊重しつつ原稿執筆開始。量的には半分以上割愛する必要がある。「子規会誌」は発表に当たって了解を取る必要もあり9月末に最終原稿を事務局に届ける段取りをつけた。 |
| 一遍会8月例会予告をマスコミ(愛媛新聞社&ミニコミ紙)に流した。貸切バスは満席となったので追加申し込みを受け付けられない。嬉しい悲鳴ではある。 |
| 「丸山真男講義録<日本政治思想史1964>が八千代市の戸台有子氏から届く。「王法と仏法」「鎌倉仏教における宗教行動の変革」をじっくり読み込んでいきたい。早朝三時から「スーフィズム イスラムの心」を読みはじめる。難解ではあるが、仏教の経典同様に分かったような気分にはなる。 |
| 7月20日(金) |
| 前日の子規会7月例会内容の整理。和田克司副会長(大阪成蹊女子短大教授)宛に報告メールを送る。 |
| 【角地である井手家三番町旧邸は松山藩寛永期は<大橋角兵エ>屋敷で、東の通りまでは<奥田九市><空き地>の3屋敷です。南の通りまでは<松井仁右エ門>との2屋敷です。武家屋敷の並びから判断すると門は西向きであったと推定できます。伊佐庭氏の書簡で「横丁南へ入二軒目」ですから<大橋角兵エ>屋敷を分割した南半分に当り、竹藪が南にあったとの記述がありますから、図面下(西)が玄関口になります。とすると、玄関〜石畳(土間)の突き当りに「上がり框」があって、居間・座敷と繋がります。母屋の家人居室を他人が出入りすることは少なくとも明治期には考えられません。子規さんらは玄関口から土間を通って長廊下を右折したか、庭の隅にある(?)「くぐり戸」を利用したかなとたくましく想像しました。拙宅も村の人は南の長屋門から入るのは遠慮して、東の潜戸を利用していたようです。今は昔の物語でが・・・】 |
| 「子規辞典」中「汽車」「砂土手」などを修正する。伊予鉄道、松山鉄道についてのデータを掲載して、観光客にも興味を持ってもらうつもりである。夜に入って本格的な降り出す。 |
| 7月19日(木) |
| 県図書館で「世界修道院文化図鑑}(ファン・マリーア・ラボーア編著 東洋書林刊)と「スーフィズムイスラムの心」(シャイフ・ハーレド・ベントゥネス著 岩波刊)を借りる。「スーフィー」は今春トルコ旅行でコンヤの「メヴィラーナ博物館」に立ち寄ってから気になっている宗教で、俗っぽく云えば「イスラムの踊り念仏」である。 |
| 県美術館で「M・C・エッシャー展〜視覚の魔術師〜」鑑賞。スペインのアランブル宮殿のモザイク文様をヒントに正則分割作品を生んだという。同宮殿を訪ねた時のイスラム文化の究極の美を見つけた印象を受けたが・・・作品「上昇と下降」は錯覚の生んだ美に完全に騙された自分を冷静に眺めることが出来た。 |
| 子規会七月例会は@井手康夫(子規会会長)「井手真棹の三番町邸について」A嶌川武彦(子規会理事)「井手正鄰<真棹子息>作「高浜別業記」解説。子規に和歌を教授した井手真棹の三番町の旧邸の所在地が確認された。子規研究に寄与する所は大であろう。「松山発子規辞典」編纂委員会で「石手寺・道後コース」(三好)と「中の川・石手川堤」(宇和宣)の報告と討議。 |
| 7月18日(水) |
| 8月例会の昼食会場になる西予市卯之町の松屋旅館の女将と電話で話する。宇和島市のスポーツ大会に出表する男子学生が二連泊で110名宿泊とのこと。「万遺漏なきを期します」との女将の言葉に安心する。女将とは二、三度話したことはあるが、立派な女将であるのでまずは安心である。 |
「六時屋サミット」メンバーである橘直樹君から「インターネットで引き出せる松山の地図」の紹介あり。丹念に検索すると思わぬ掘り出し物に出てくるか。
【松山の明治42年の市内電車図】 http://www5.ocn.ne.jp/~shiokaze/furuichizu10.htm
【松山市の昭和20年6月の戦災地図】 http://home.e-catv.ne.jp/mibunoiitutae/matuyama-sensaizu.html |
| リリー・フランキー「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」と「四国百名山」(山と渓谷社刊)を図書館で借りる。 |
| 会員の佐藤辰男氏から激励のメールが届く。【ところで会報に書かれた一向俊聖の研究の労作、大変興味を持って読ませて頂きました。小生もできたら東北を巡教した俊聖の足跡を訪ねてみたいと思っております。その時は駄作をお届けいたします。】是非素晴らしい紀行文を拝見し、「一遍会報」に掲載したいものである。 |
| 7月17日(火) |
| インターネット会員登録第1号の窪寺氏から「継続する」旨ご連絡あり。事務局としてこんなに嬉しいことはない。深謝。午前中は表庭の芝桜コーナーのドクダミの除草作業。午後は恒例の「六時屋サミット」全員集まり、近況を報告する。 |
| 一遍会元幹事・故川本陽吾氏の満中陰法要も終わりご遺族(ご子息正和氏)から多額のご寄付を頂く。お礼状を差し出す。 |
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| 謹啓 鬱陶しい梅雨空が続いております。 故川本陽吾様のご逝去を改めてお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げております。 |
| 長年にわたり私ども一遍会の役員としてご尽力賜りましたことを一遍会会員一同を代表して衷心より御礼申し上げる次第です。特に故越智通敏先生が病臥にて一遍会へのご出席が困難になってからは、実質的に一遍会の責任者として例会を運営していただいたことにつきましては言葉に言い尽くさない感謝の気持ちで一杯であります。 |
| 今年三月宝厳寺で開催致しました一遍生誕会での献句「わが庭のタンポポ絮となる生誕会」が一遍会への最後のメッセージとなりました。私どもは故川本陽吾様が一遍会に残された「絮」を大切にして、その想いの種を育てて参りたいと考えております。 |
| さてこのたび四十九日の法要を営まれ、故人へのご追憶がさらに深まっておられることと存じます。その節、一遍会に多額のご寄付を賜り、衷心より御礼申し上げます。有難く拝受致しました。今後の一遍会の活動に有効に活用させて頂くとともに、故川本陽吾様の記念となるような企画を考えてまいる所存です。厚く御礼を申し上げます。 |
| ご母堂一子様にお宜しく御鳳声賜りますようお願い申し上げますとともに、一遍会にも是非ご出席されるように念じております。お仲間である会員一同でお待ちしております。 |
| まずは御礼とご挨拶まで。 敬具 |
| 平成十九年七月十九日 |
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| 追って 九月二十三日(秋分の日)十三時から、「奥谷 時宗 宝厳寺」にて大施餓鬼法要が長岡隆祥ご住持により執行されます。一遍会として当日ご供養させて頂きます。ご都合がよろしければ宝厳寺にお参りいただければと存じます。ご出席であれば、一遍会事務局までお知らせ下さい。 |
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| 7月16日(月) |
| 「海の日」の祝日である。門に国旗を掲揚するのを全く忘れていた。72歳の誕生日である。至って健康であることを感謝したい。午前10時13分頃新潟市上中越沖でマグニチュード6.8の地震発生。度重なる日本海側の地震、風水害は何を意味するのか。7月度子規会例会後の「松山発・子規辞典」の報告小論を取り纏め印刷する。30分程度の報告である。 |
| 午後は畑作りをして、芝桜とサルビアの移植、定植。庭は雑草も多いが、草花も多く雨上がりは結構楽しめる。気温が下がり肌寒い夏である。小学校時代の宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出す。HPで検索したら、なんとヒデリはヒドリ(日取り、日照り、一人など定説なし)が原文である。 |
| 「北ニケンカヤソショウガアレバ |
| ツマラナイカラヤメロトイヒ |
| ヒドリノトキハナミダヲナガシ |
| サムサノナツハオロオロアルキ |
| ミンナニデクノボートヨバレ」 |
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| 7月15日(日) |
| 台風一過と云いたいが一日曇天である。気温があまり上がらないのは台風の影響か。インターネット会員宛に「7月度定期便」を取り纏め発送する。会員第1号の窪寺氏の3年間の期限が到来した。継続のお願いを申し上げる。3年前全く不安な船出をしたがお蔭様で30名のお仲間が出来た。インターネット会員の個人情報漏洩事故が起きないようにアドレスは一切公表していません。 |
| 道後を訪問された千葉市の清水暉男氏宛に下記メールする。 |
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| お手紙拝見しました。家内にも読ませました。有難うございました。金毘羅さんでは良いガイドさん(香川県の香川さんとは驚きです!)に出会いましたなあ。此れもまた「この幸せ者」の貴重な経験ですね。 |
| 当方毎年新年に金毘羅さんの奥の院<1368段>まで夫婦で参詣に出掛け、一年の健康状態をチェックしています。 |
| お説の通りですなあ。 |
| @先ずは夫婦揃って健康である |
| A家族・親族・友人・知人が円満で、つつがない日々である |
| B旅に出る時間的余裕(暇)がある |
| C家計に多少なりとも経済的なゆとりがある |
| D意見の違いがあったとしても、結局は夫婦円満である |
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| チャップリンの「希望と健康とサムマネー」を思い出しました。 |
| 将来は@〜Dを超越する「鈍感力」(老人力)が必要になるかもしれませんな。国富5%の四国ですが、四国遍路を兼ねていつでもお出掛け下さい。紀州熊野と四国が西国浄土に一番近いそうですよ。いやはや。南無阿弥陀仏。 |
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| 7月14日(土) |
| 台風14号の四国上陸を数時間後に控えて、暴風雨の前兆の朝より続く。開催の問い合わせあり。「一遍時衆の遊行は風雨で中止せずです」と答える。とは云え参会者数は事務局としても当然懸念する。22名出席で講師の石野弥栄氏にも顔が立った。やれやれである。 |
| @杉野祥一氏(一遍会理事)の卓話「『一遍聖絵』を読む」 |
| A石野弥栄氏(湯築城資料館長)「中世の伊予河野氏と三嶋社(大山祇神社)について」 |
| 理事の出席が少なく、有志と喫茶店で今後の運営を相談する。インターネット会員には、資料などを数日中に「定期便」でお送りします。 |
| 同期の細川人美さんが団長を務める「松山女子合唱団定期公演」(県民文化会館)は日程のバッティングで不参加。子規の新体詩「月と星」「花賣る歌」を組み込んだ「子規を想ふ」の新作発表だけに子規を愛する者としては是非鑑賞したかったが、一遍さんを優先させた次第、悪しからず。「東の窓」に投稿した一文を掲載します。 |
| 素晴らしい発表会だったのでしょうね。以前の「山頭火」の発表会には出掛けましたが、今回は生憎当日が「一遍会例会日」でしたので参加することが出来ませんでした。次回の子規博の発表会に出掛ける予定です。 |
| 明治31年の作品ですから、子規さんは俳句の革新を成し遂げて、歌の革新と並行して詩にも挑戦したんですね。新体詩といえば鴎外の「於面影」、藤村の「若菜集」、晩翠の「天地有情」位しか浮かんできませんが・・・・・遠隔地の方に子規さんの「月と星」「花賣る歌」をご披露させていただきます。(「竹の里人」名で発表しています) |
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【花売る歌】
花めせ 花めせ 秋は七草百千種
月の穂芒螢草 秋海棠よくれなゐの
粧ひは誰が思ひ者 花の唇もの言はゞ
露やこぼさん露散らば 桔梗の花も妬むらん
芙蓉の花も猜むらん
花めせ 花めせ 花は紫苑や鶏頭や
千日紅もさかりぞや 日まはり日事大毛蓼
優し名にめで色にめで 折れるばかりの女郎花
我落ちにきと歌よみし 北野西野の花どころ
籃に分けたる秋の色
花めせ 花めせ めさば一把の草の花
かゝるたつきも覚束な 負けて五文の野の錦
織るやむらさき濃紫 君は著ませの藤袴
我は葛の葉うらみ妻 恋にはあらで心せく
売れ残りたる此野菊 |
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【月と星】
一) 一つ,二つ、 三つ、四つ、
星見えそむる、 あちらこちら。
二) 東、西、 南、北、
星かがやけり、 きらきら。
三) 見よや、かなたの 山の端に、
月白のぼり、 月出たり。
四) 空の真中、 月のすむ
あたりに、星も なかりけり。
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| 7月13日(金) |
| 「松山発子規事典」中<石手・道後コース(東部)>の目次と項目の抜粋を取り纏める。次週の編纂会議に提示して「子規会誌」に掲載の予定。「文芸春秋G」<生活の中の仏教用語『所詮』>で「一遍語録」の一節が紹介されている。「南無阿弥陀仏ばかり所詮たるべしと思ひさだめて」と説かれ「畢竟」や「肝要」の意に用いられている。 |
| 「所詮」と「能詮」は対語で、「能」は「〜する」、「所」は「〜される」を表す。行為について云えば主体が「能作」であり、振る舞いが「所作」となる。成程。 |
| 7月12日(木) |
| 湯築城資料館石野弥栄館長と小一時間懇談。「阿弥号」「別府」では新知見を得る。7月例会資料を受け取る。やや専門的過ぎるか。会員の挑戦を期待したい。 |
| 「一遍会ニュース」執筆、「6月度収支決算」「理事会資料」作成などなど終日一遍会関連業務に注力する。 |
| 参議院選挙告示。保守王国の四国だし、愛媛だが、今回の選挙は流れが変わる気配がする。「年金問題」に象徴されるが、「団塊の世代の定年」がキッカケで40年後の「第2次大学紛争」が勃発するだろう。夜は「文芸春秋8月号」に目を通す。「昭和の海軍」「トヨタ帝国研究」「桜井よしこ・『慰安婦』意見広告」「妻のうつ病」など目が話せない。 |
| JCBから誕生祝に革ケース付の「トランプ」を贈ってくる。ブランディーを飲みながらひとりで「トランプ占いして誕生祝いとするか。 |
| 7月11日(水) |
| 一遍会中川理事と打ち合わせ。 |
| (1)8月度例会利用バスは奥村観光(伊予市)で運転士は会員と同様の食事と見学をセットする。 |
| (2)秋恒例「窪寺ひがんばな祭り」は9月日22日(土)翌23日は宝厳寺の大施餓鬼で関係者がバッティングしないようにセットする。 |
| 午後、子規記念博企画展「子規と鉄幹・昌子〜近代短歌の黎明〜」見学。近代短歌は「アララギ」しかしらない。落合直文(1861〜1903)について認識を新たにした。子規記念博物館編「子規俳句索引」を購う。講談社版「子規全集」掲載の3万9325句が網羅されている。子規博懸垂俳句鑑賞に役立てていきたい。 |
| 7月10日(火) |
| 湯築城資料館に石野弥栄館長を訪問、週末の7月度例会の打ち合わせをする。平成19年度湯築城歴史塾(全8回)が7月22日から開催されるので参加することにした。湯築城の情報のリフレッシュである。「丸山真男講義録〜日本政治思想史1964」を40年送れて読了する。論理構成の卓越さに改めて驚愕する。 |
| 平成18年度の講話リストのリンク付けを仕上げる。是非活用いただきたい。 |
| 7月9日(月) |
| 一遍会7月度講師石野弥栄(さかえ)氏のプロフィールを取り纏める。HP「月例会のお知らせ」に紹介します。同氏は「角川日本地名大辞典」「角川日本姓氏・歴史人物大辞典」などの編纂を担当され、考証の鋭さ、厳格さでも有名である。 |
| 映画「ママの遺したラブソング」(2004年米国)を鑑賞する。ハッピーエンドではあるがハリウッド的ではなく、捻りが効いて最後まで緊張が持続した。TSエリオットの「ひとは冒険をやめてはならぬ 長い冒険の果てに出発点へ辿りつくのだから そして初めて居場所を知るのだ」の一節が「主題」でもある。 |
| 福田保典氏の旧書「驚きのえひめ古典史」を古書店で購う。繁華街の一角の大型店舗跡が医療専門学校としてリニューアルしている。「驚きの銀天街」である。 |
| 7月8日(日) |
| HP「ひと・出会い・旅」の全面更改(序章〜第18章)をする。年末には30章まで取り纏め「鐘紡」で検索できるようにしたい。「男の美学」の実現である。 |
| 子規博・夏季子規塾は竹田美喜館長の「子規の愛した万葉集」。 |
| (1)時代の中の「万葉集」・・・明治20年代・金属活字版の「万葉集」刊行続く |
| (2)子規の短歌革新・・・明治31年(1898)『歌よみに与ふる書』 |
| (3)子規の万葉観の新しさ |
| @巻十六に見える趣向の滑稽味、材料の複雑さ |
| 「此頃のわが恋力<こひちから>記し集め功を申さば五位の冠<こうぶり>」 |
| A巻三大伴旅人の人生歌・筑紫歌壇 |
| 「あな醜<みひく>賢<さか>しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る」 |
| B「足なへ」の歌「足なへの病いゆてふ伊予の湯に 飛びても行かな鷺にあらませば」(明治31年8月6日 故里に憶ふ 第七首) |
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| 7月7日(土) |
| 七夕であるが「曇り時々雨」で牽牛、織女の逢引は果たせずの天候となった。日中が亭庭の草引きと躑躅、皐月の剪定。 |
| 「三田評論」7月号は特集「理科教育を考える」。「福澤諭吉の理科絵本『訓蒙窮理図解初編』の面白さ」(谷口真也)の紹介あり。慶応義塾普通部(中学校)では第1章を原文のまま授業で使用している由。「理解」ではなく「窮理」を体得させることが目的である。過日東京理科大の要請もあり「小林小太郎」と「理学初歩図解」と「窮理図解」をコメントしたが、ベースはスイフトの「理学初歩」である。 |
| 当時は著作権が確立していないから、福澤諭吉も小林小太郎も蕃所調所も原書入手直後から翻訳し欧米技術・知識をふきゅう・定着させていった。現代の後進国には近代法を前提に縛りをかけているが、「温暖化」以上に地球規模での知識・技術レベルの平準化が必要ではないのか。 |
| 7月6日(金) |
| 終日雨である。書斎に籠って久しぶりでパソコンの勉強。テキストは「日本パソコン学院アビバ」贈呈の「パソコン講座」。千里から登田八十八歳翁の電話。人生を山登りにたとえて9合目間近です。頂上(100歳)への期待に胸弾みますとの元気な声に逆に励まされた。HP「ひと・出会い・旅」に下記を掲載する。 |
| 第十四章 北の旅人 〜二十四のシニアな瞳〜 |
| 第十五章 イタリアルネサンス紀行 |
| 第十六章 ロシア旅愁 |
| 第十七章 ニュージーランドを駆け抜ける |
| 第十八章 奥道後物語・鐘紡同期燦燦会 |
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| 7月5日(木) |
登田幸夫八十八歳翁から定期便を頂く。東本願寺の大谷暢順師との縁があって今夏7月1日「東山浄苑護持会」の副会長に推薦された由、お目出度いことである。
早速お祝いを差し上げる。 |
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| 鬱陶しい梅雨空です。水不足が深刻な四国松山では、恵みの雨、恵みの梅雨でもあります。ご清祥にてお過ごしの事と存じます。 |
| 本日はホットニュースを拝見致しました。東山浄苑護持会副会長ご就任おめでとうございます。大谷暢順師とのご縁、何よりと存じ上げます。 |
| 真宗は浄土教の中でも「信(信仰)」を第一義として「非俗非僧」こそ最高の生き方かと存じます。 |
| 登田様の俳句を通して良寛に通じる詩趣を感じております。呉々もご自愛を賜りますように 敬具 |
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| 7月4日(水) |
| 本格的な梅雨で本日も断続的に雨が振っている。湿度があまりないのがせめても救いである。7月度子規さん俳句「さまざまの夢見し夏の一夜哉」のコメントが続々届く。月見の宗匠、那須の宗匠、あいあい宗匠らである。HPに掲載する。 |
| 市図書館から貸し出した半藤一利著「昭和史」を通読する。私自身の生きてきた時代だから大変面白いし、裏面も分る。燦燦会年度幹事の難波進君から今秋の総会の連絡が来る。9月18日伊勢志摩の料理旅館「ひさだ」に東西から目下14名参加予定である。一寸遠すぎるのだが・・・ |
| 【燦燦会 書き込み】 |
| 「カネボウ最後の日」放映のキー局は「フジテレビ」と思います。地方局なので正確にはわかりません。7月2日の朝の「報道番組」で15分くらいでした。 |
| 1)ホームプロのセールスの某氏を追って、社名変更の挨拶→入社式の写真→お別れ会→「鐘紡われら」斉唱と中島章義会長の涙と某氏の決意披露。 |
| 2)長浜工場をバックに「鐘紡の煙突」「鐘紡町」「鐘紡長浜高等学校」「東洋一の繊維工場」などについて歩きながら長浜史談会の某氏と総務課長だった馬場進さんの述懐。ともかくでっかい工場・会社であったなあということです。もっとも防府工場が20万坪ですからそれに較べると親子ほど違います。 |
| 3)昭和47年入社の横田好太郎君(彦根見習生)が小説家(「キャノンとカネボウ」の著者)としてコメント。いつもの「アンチカネボウ」でなく「懐かしきカネボウ」のトーンになっていたのには驚いた。 |
| 4)鐘紡→カネボウの歴史→「クラシエ」への期待と頑張り。鐘紡OBとしてもなかなかいい報道でした。そのうちどこかで特集を組むのではと思いが・・・・・ 見逃した御仁は残念でした。秋開催の伊勢の総会で「鐘紡われら」を歌いましょう。 |
| 7月3日(火) |
| 子規記念博物館で「7月度子規さん俳句 さなざまの夢見し夏の一夜哉 子規」を資料で確認する。写真と共に高校やカネボウの同期会にメール発信する。午後は庭木の剪定作業に追われる。 |
| 【子規博 懸垂幕 7月度俳句】 |
| さまざまの夢見て夏の一夜哉 子規】子規記念博物館選句の平成19年7月の子規さんの句は「さまざまの夢見て夏の一夜哉 子規」です
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| 明治31年夏開かれた「俳句会稿」に記載されています。季語は「夏の夜」である。(注「子規全集」第15巻643P)
この句を目にしてシェークスピアの「真夏の夜の夢」や夏目漱石の「夢十夜」を連想しました実作者でないのでよく分りませんが、「夏の夜」は「短夜(みじかよ)」で夏の夜は短く、まだ宵ながら明けるといった感じで、いつまでも涼を納れる人たちが起きているといった風情であろう。 |
| しかもその中で特に一夜と強調している。さらに「さまざまな夢見し」(過去形)でなく「さまざまな夢見て」(現在進行形か現在完了形)である。個人的な体験を加味して独断で鑑賞すると、「しらじらと夜も明けてきた。さまざまなことを夢に見て目覚めた今もよく覚えている。早くそれらの夢語りしたい。いくら話しても話し足りない位だ。」夏の夜の短さと夢の長さが対蹠して描かれているのではないだろうか。 |
| 実は講談社版「子規全集」では同趣向の俳句で、一ヶ月ほど前の明治31年の「夏 時候」に「第十二議会解散」と前書きがあって「いろいろの夢見て夏の一夜哉 子規」が載っています。 |
| 前書の「第十二議会解散」がこの鑑賞を的確に判断するキーワーとなる。 「第十二回帝国会議解散」は明治31年(1898)6月10日である。第3次伊藤博文内閣は、日清戦争(明治28〜29年)の戦後処理と軍備拡張のために地租・酒造税などの増徴案を出すが、衆議院は同案を圧倒的大差で否決した。そこで、政府は衆議院を解散したが、自由党と進歩党の提携機運が高まり、6月22日に憲政党が結成された。同月25日に伊藤内閣は総辞職し30日に第1次大隈内閣(大隈・板垣内閣)が成立する。子規さんの勤務先である「日本」もジャーナリズムとしての主張を展開している。とすると「さまざまな夢」は私的な夢というより公(おおやけ)に関連する夢ではなかろうか。 |
| 子規さんたちが「坂の上の雲」を見つめて語り合った夢の挫折だったかもしれない。子規さんの著作の中にヒントがある筈だが不勉強でよくわからないし、俳句鑑賞には特に必要もなかろう。 |
| 興味があるのは本年7月28日の参議院選挙を前にしてこの句を挙げた天野祐吉名誉館長の魂胆というかウイットというか「よもだぶり」である。安倍晋三総理大臣は「憲法改正を含む戦後政治の総決算」を大胆に提言している。どのように国民が判断を下すか大変興味がある。夏の一夜と言わず選挙運動期間中を通して、さまざまな夢を見て、夢を語っていきたいものである。110年前の明治31年の第十二回帝国会議解散に当たっての子規さんが俳句に込めた感慨が、今日只今の我々の胸に迫ってくるものがある。 |
| そこで子規さんにあやかって一句 |
| 「第21回参議院議員通常選挙 さまざまの悪夢見果てむ夏の夜 子規もどき」 いやはや。道後関所番 |
| 7月2日(月) |
| 5時半に起床し朝風呂に入る。残念ながら雨で日の出も石鎚山も拝めず。12時までホテルで休憩して帰宅する。 |
| 朝の報道番組の特集「カネボウの最後の日」を感慨を以って眺める。中島章義会長の「鐘紡われら」を歌いながらの慟哭がじ〜んとくる。長浜工場を背景に総務課長だった馬場進さんが語り、「鐘紡町」「鐘紡長浜高等学校」「世界一の絹織工場」が消えていくことの時代の流れを感じる。小説家横田好太郎ということで横田君(昭和47年入社)が語ったが「アンチカネボウ」でなく「懐かしきカネボウ」のトーンになっていたのには驚いた。 |
| 昭和39年以降の大学卒の幹部要員の採用から教育、配置、ローテーションまで20年間担当しただけに中島会長以下のご苦労に感謝したい。新会社クラシエの健全な発展を心から祈りたい。 |
| 7月1日(日) |
| 石鎚山の山開きである。登山は遠慮して骨休みを兼ねて石鎚山が一望できる西条市の「国民休暇村東予」に出掛ける。燧灘を眺めながらの露天風呂(温泉)よし、魚料理中心のバイキング良し、敷地内の山から海浜までの散策もよく、お気に入りのリゾートである。 |
| 風呂上りに毎日新聞を眺めていたら橋爪鶴麿さん(俳句「麦」主宰)の「竹落葉」が載っている。新婚時代お隣が橋爪さんであった。久しぶりで書面を認める。 |
| ○あじさいは星宿る花指鳴らす |
| ○白つめ草摘んで墳墓の嵩とする |
| ○万年筆悲喜を配せり暑しとも |
| ○竹落葉少し薄れし使命感 |
| ○戦いを過去のものとし難し夾竹桃 |
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