第六十五段   一遍会「掲示板」(平成十九年皐月五月)に日録を掲載せしこと。

5月31日(木)
子規博6月度子規俳句を確認に出かけるも懸垂幕に掲示されていない。天野名誉館長とのトラブルか。俳句フアンを失望させないでほしい。
『えひめ知の創造』第一部「愛媛からの文化発信」を読了、第二部「論考編」に入る。松野尾裕教授(経済学)の「地域の可能性と限界」に引き込まれる。故大塚久雄東大教授の『共同体の基礎理論』(昭和30年岩波書店発行)の現代的検証である。『資本論』を脇に研究した思い出が強く残っている。郷愁もあり同書に目を通す。【前近代/近代,共同体/個人,土地/商品】の二分法はすっきり頭に入ったように錯覚した。あくまで地図に過ぎなかったのだが・・・
義安寺に寺費・墓地管理費を届ける。最近は年10万円を越える。当寺院会計は非公開だが、経営的には「安定」から「拡大」を指向しているようだ。もっとも時宗宝厳寺の「経営」は多事多難とお見受けする。
5月30日(水)
緑資源機構の不正に関与して松岡利勝前農水大臣と森林開発公団(緑資源機構の前身)の山崎進一元理事が自殺した。心痛むニュースである。生命以上に大切なものがあったのか、「たかが贈収賄ではないか」という気にもなる。ベネディクトの規定する「恥の文化」は生き続けているらしい。「士の文化」とは異質である。石原都知事が言うような「男のけじめ」とも云えまい。
午前中は執筆活動。午後は畑作りをしてケールの移植を済ます。夜は海外旅行計画(ボルネオ、アメリカ西海岸、中国湖南地帯)を楽しむ。
5月29日(火)
「HP一遍会」の6月度分更改。@「一遍会公式ページ」A「月例会のお知らせ」改訂作業を進める。来月の例会「映像作家上田雅一の世界2007」には熱烈な上田監督フアンがいるので、どれだけ集まるか不安と期待が交錯する。
「松山発子規事典」中「寺社編」は「予陽郡郷俚諺集]「愛媛面影」「愛媛の仏教史」(三浦章夫)「愛媛の古刹・名刹」(越智通敏)を基本図書にしている。順調に進んでおり6月19日の子規会例会には粗原稿の取り纏めが可能か。
「えひめ知の創造」閲読中。
2.「『坊っちやん』の誕生」の著者佐藤栄作愛媛大教授は「松山坊っちやん会」の顧問でもあり直接話を聞いているだけに興味あり。
3.「平賀源内の誕生〜愛媛の視点から〜」(福田安典)は下手な講談本よりも面白いといったら著者への冒涜になるか。楽しい学問への入門書であろう。
畑の耕作。週末にはケールを50〜70本移植し、一年分のドリンクを確保する。雨上がり、椿を中心に毛虫の駆除で「スミチオン」撒布。中国初めアジア諸国からの野菜類は過剰の農薬に汚染されているのだろう・・・・・
5月28日(月)
愛媛大学(教育学部)プロジェクトチーム編「えひめ知の創造」(愛媛新聞社刊)を読み始める。
1,近代漢文教育のパイオニア〜簡野道明の愛媛時代(加藤国安)
小学校から高校まで愛用した「字源」を手元においての読書である。最近はインターネットで「字源」は活用が可能である。上記URLにアドレスを記載した。高校の恩師渡部勝己先生の父君が協力者として「字源」に記載されている。出生から東京高等師範進学までの明治初期の愛媛における彼の苦闘を始めて知った。加藤国安教授の調査手法は時系列的であり、学術論文でないだけに「郷土史発掘」のあり方のヒントを頂いた。
5月27日(日)
5月24日東京理科大(近代科学資料館)から依頼があった[理学初歩]と「理学初歩図解」につき県図書館の蔵書本に当ってみる。この同類本を福澤諭吉は手に取り、使命感を持って翻訳したのかと思うと感慨深い。150年前の子供向け教科書の水準の高さに驚く。
愛媛大学(教育学部)プロジェクトチーム編「えひめ知の創造」(愛媛新聞社刊)を借りる。第1部「簡野道明」「坊っちやん」「平賀源内」「江島為信」の人物像の構築は興味がある。「明教第37号」と併せて郷土人物史を勉強しておきたい。
伊予鉄地下街のラーメン横丁で初めて「旭川ラーメン」を口にする。2年前ダイキの大亀会長から構想を聞き喜んだものだが、お客数は伸びていないようだ。
5月26日(土)
執筆中の「松山発子規事典」(松山市内寺社仏閣一覧)は『松山藩寺院録』(弘化二年1845)を基礎資料にする。『松山市史料集第13巻で検証できる。
夕、平成19年度松山中学・松山東高校同窓会総会に出席する(県民文化会館)。同期生の出席は28名。竹田美喜子規記念博物館長、井手康夫子規会会長、映画評論家門田俊三氏などなどと話が弾む。細川人美さんからコーラス「子規」の新作発表の話を聞く。
同窓会機関誌「明教第37号」の「坊っちやん発表百年記念特集」で「松山時代の漱石写真」(頼本富夫)「『坊っちやん』冒頭部の文字・表記」(佐藤栄作)の二論文掲載。頼本氏は松山坊っちやん会会長、佐藤氏は愛媛大学教授である。「坊っちやん」フアンには必読文献である。「ニッポニウム」(吉原賢二)も見過ごせない。
5月25日(金)
大塚国際美術館再訪。愛媛新聞旅行企画商品で移動(松山ー徳島)6時間、館内5・5時間の一日コースである。添乗の海田幸江さんとは1月の雪祭り以来である。代金6,980円から入館料3,150円を差し引くと交通費は3,830円で納得。いずみ観光(今治市)バスである。呼び物は「システィーナ礼拝堂天井画」両側壁面画の新たな展示。30分ほど説明を受ける。展示1074点中「環境展示」とヨーロッパで見た原画に絞った。
@鳥占い師の墓(タルクイニア・イタリア)
A秘儀の間(ポンベイ・イタリア)
B貝殻のヴィーナスの家壁面(ポンベイ・イタリア)
C聖テオドール聖堂壁画(カッパドキア・トルコ)
D聖マルタン聖堂壁画(ノアン=ヴィック・フランス)
E聖ニコラオス・オルファノス聖堂壁画(テサロニキ・ギリシャ)
Fスクロヴェーニ礼拝堂壁画(パドヴァ・イタリア)
Gシスティーナ礼拝堂天井画および壁画 ミケランジェロ「天地創造」「最後の審判」(ヴァティカン)
Hエル・グレコ祭壇衝立復元(ドーニア・マリア・ア・アラゴン学院、プラド美術館・スペイン ルーマニア国立美術館)
Iモネの「大睡蓮」(オランジュリー美術館・フランス)
Jゴヤの家「黒い絵」(プラド美術館・スペイン)
Kストゥディオーロ(バラッツォ・ドゥカーレ、ウルビーノ・イタリア)
年一回はこの美術館で西洋美術漫歩をして「ポカリスエット」を飲み、「ボンカレー」を食べ、「オロナインC」でリフレッシュするか。
5月24日(木)
「松山発子規事典」は松山市内の寺社仏閣を一括して記述開始。「宝厳寺」は情報量が多いだけに執筆に苦労する。皮肉なものである。
久しぶりに「小林小太郎」の照会が来る。東京理科大の近代科学資料館から慶応2年刊行の「理学初歩」と小林小太郎との関連についてである。原著はアメリカの児童向けの教科書であるが、福沢諭吉が「窮理図解」を著すにあたり、参考文献としたという代物である。東京理科大蔵の同書には「松山藩学校」と「勝山学校」の印があるという。明治5年翻訳され「理学初歩図解」として刊行された。両書共に県図書館に所蔵されているので近日中に閲覧したい。小林小太郎が藩校で講義したのかもしれない。興味ある研究対象である。
昨日に引き続き、午後は蕗畑の整備。
5月23日(水)
一遍会4月度月次決算と5月度の仮締め。午前中で実務は完了する。午後、蕗畑の整備。三つ葉の成長が良く、蕗を「駆逐」する勢いである。山村では竹に押されて杉、檜畑が侵食されているのと同様である。結構力仕事で夕方にはグロッキーとなる。TV映画「天使の呉れた時間」鑑賞。
5月22日(火)
午前10時半から小倉聖苑築山ホールで一遍会元理事川本陽吾様の告別式。小沼大八代表と事務局(三好)が出する。浄土真宗本願寺派で執行された。戒名は(正確ではないが)「陽吾院画徳居士」です。心からご冥福をお祈りします。チャーチル会の会員で毎年出展し、篆刻を好み、四国電力では人事労務マンで、酒を好み、魅力的な「男」でした。調和方ではなく個性的な生き方をされたと思う。
午後「文化財フォーラム愛媛」矢野元昭代表と喫茶「サラ」で懇談する。「道後歴史伝承館」建設運動の提案あり。協力を約すが、行政の支援なくば実現は極めて困難と思われる。深更まで「松山発子規事典」の編纂作業。
5月21日(月)
終日除草と整地作業。暑さのため疲労感あり。夜は「松山発子規事典」の編纂作業に当たる。
5月20日(日)
終日庭の除草作業。夜は「松山発子規事典」の編纂作業に当たる。「一遍会報」一年分を県図書館に寄贈す。
5月19日(土)
松山子規会5月例会出席。子規記念博物館学芸員・渡辺光一郎氏(詩人でもある)の講話は「うたいつぐもの」。「落合直文」を軸にして森鴎外、正岡子規、天田愚庵、与謝野鉄幹・晶子などの人脈にまで及ぶ。彼ら明治の第1世代から第2・第3世代への系譜を知りたい。渡辺氏はインターネットは時空を越えて歌人を結びつけ全国ネット否グローバルな歌会が成立していることを指摘する。歌の魂はどのように伝えられるのか。
県美術館で智内兄助展を鑑賞する。和紙にアクリル画材で描く画伯独特の世界を確立している。愛媛県の生んだ代表的な画家であることは疑いない。岸田劉生描く麗子像は生であり動であり健康的であるが、智内兄助の描く童女像は死であり静であり病的・性的ですらある。21世紀の「浮世絵」ではあるまいか。
5月18日(金)
松山法人会30周年記念総会に出席(県民文化会館サブホール)。記念講演はジャーナリストの田原総一朗氏の「今、世の中で何が起こっているか」。
@少子社会A環境問題B資源枯渇を3点から政治、経済、経営・労働、外交、国際問題とテレビ同様に鋭い分析をする。今回、田原氏の根底にあるデモクラティックな思想背景とマスコミへの健全な批判は、テレビの画面とは違った印象を受けた。
「松山発子規事典」の執筆も分担項目の過半を終了した。夜TVで映画「パッチギ!」(2004年作品)を観る。パッチギとは突き破る⇒頭突きの朝鮮語である。バックを流れる「イムジン河」のメロディーが胸に突き刺さる。
5月17日(木)
午後、故青野茂氏の告別式に参列する(小倉聖苑本町ホール)。
同氏は瀬戸内の最小の島で育ち郷土の期待を背負って旧制愛媛師範に学び、小学校教員として情熱を注がれた。ご縁があって知己となった。松根東洋城系の「渋柿」の同人である。若い時代から喘息で苦しみ、後年肺気腫となり酸素ボンベが離せなくなったが最後まで俳句からは離れなかった。
戒名が「青野茂卯居士」である。子規に倣い氏名と俳号を戒名とすることにこだわった。故人の希望を認めた菩提寺である御幸寺の住職も偉いと思う。青々とした山野に樹木の若々しい葉が繁っている・・・まさに氏名が描くイメージである。珍しく感銘を受けた告別式であった。ご冥福を祈る。
5月16日(水)
再興第91回院展を三越で鑑賞する。お目当ては福王寺一彦画伯と後藤純男画伯だが、平山郁夫、福王寺法林両画伯も大作を出品している。今回「足立美術館賞」受賞の西田俊英画伯の「吉備の鶴・誕生(左)鳴き合い(右)」は注目すべき作品である。
プレイガイドで@N響松山定期演奏会(指揮ジェームス・ジャッド)<8.23>A第34回愛媛交響楽団サマーコンサート(指揮池晋辺一郎)<6.10>のチケット購入。5月25日には大塚国債美術館に出掛け「システィーナ礼拝堂天井画」を眺めることにした。
一遍会の黒田仁朗、今村威両講師の会報原稿執筆の確約を貰う。予定通り第319号は七月例会で配布できそうである。県歴史文化博物館での一遍会8月例会時の見学コースである宇和町の米博物館、開明学校と松屋旅館(ひゅうが飯)の予約と資料の依頼を済ます。市民会合の依頼もあり「小説『坊っちやん』を読み返す〜舞台は「松山」なのか〜」のレジュメ作成。「青春文学」から「敗者の文学」への移行を提案する。
5月15日(火)
6月上旬恒例の「石鎚・筒上山清掃登山」に参加するので足慣らしに奥道後の杉立山(700米)に登る。奥道後行始発バスは道後7時半発である。往復4時間の行程で、正午に奥道後温泉に着く。昼食バイキングとジャングル風呂で4時間休息し17時帰宅す。2万歩の歩きで心身ともにリフレッシュする。
5月14日(月)
インターネット会員に定期便を発送しました。@一遍会ニュース&アンケートA5月度例会講師今村威氏の「松山人 安部能成」レジュメB「一遍会報318号」です。
安部能成氏は松山の出身で松山人には既知の逸話も多いのですが、ご感想はいかがでしょうか。高校時代に講演会を聞きましたが、直接お話しする機会はありませんでした。後任の文部大臣となった森戸辰男氏とは数回会う機会がありました。話がとぎれると、安部能成氏を話題にして時間を稼ぎました。昭和40年代にあった雑誌「知性」に「二人の文部大臣」なるエッセイを寄稿しました。
四国がんセンターの定期検査がパスしましたので少なくとも一年間は一遍会を含めて文化活動に注力できそうです。
夕、椿湯2階で開催した「道後浪漫温泉フェスティバル湯上り寄席」に顔出しする。漫才のレベルみかんと真打の古今亭菊志ん(円菊の弟子)の落語。彼は愛媛大学出身初の落語真打である。後輩の桂三幸(三枝の弟子・松前出身)も挨拶に来る。ほかに柳家花ん謝(花緑の弟子・八幡浜出身)がいる。
5月13日(日)
終日(8:30〜18:30)、伊予史談会「八幡浜保内町巡検」に参加する。松山市(県図書館)→松前町→伊予市→長浜→保内の往復のコースである。
巡検は@高徳寺A三島神社B旧宇都宮壮十郎邸C旧白石和太郎邸D旧二宮庄屋跡(国文化財)E愛媛蚕種会社(国文化財)E旧東洋紡赤レンガ倉庫会食懇談は保内公民館で八幡浜史談会との交流と会員の情報交換を楽しむ。双海町のシーサイド公園で往復休憩を取ったが、憩いを楽しんでいる若者多く驚く。
5月12日(土)
一遍会平成19年度総会と5月度例会開催。出席は28名。会費納入会員は昨年の水準に近づいてきた。今村威理事の「松山人 安倍能成」は知られざる逸話も多く会員に深い感銘を与えた。
8月度の西予市の県歴史文化博物館での例会開催と卯之町見学が参加人員が25名以上の見通しがあり実施を決定する。インターネットと携帯を活用しての一遍会活動の情報伝達についてもアドレスを登録してもらった。高齢者が多くて携帯でのメールまでは「進化」していない。
5月11日(金)
テレパシーは存在するのだろうか。京都の「集十さん」へのメールで「熟田津追想」(幸田志万著)に触れて数時間後、突然恩師渡部先生が訪ねて来られた。渡部武夫先生は90歳を越えて耳は遠いが、頭はシャープでおしゃべりは止まらない。来月加戸知事に会って「聖徳太子の温泉碑」の発掘の直訴をするという。来訪の趣旨は、先生の「人となり」の保証人になれということで、知事に私のことを話すという。お役に立つことならと了承する。「熟田津・聖徳太子・温泉碑・湯築城跡(伊佐爾波丘)」がひとつに繋がったドラマが、何億分の一の確率で県の予算がつくかもしれない。
子規記念博物館で「特別展 子規たちの学び舎〜明治松山の学校」を見学する。ショップで「子規 散策集」の改訂版が売価200円に積んであるのに驚く。明日の一遍会総会の準備は夕刻には完了する。
5月10日(木)
一遍会5月例会の最終準備。6月例会は例会終了後、一遍会元会員である故坂村真民翁を偲ぶDVDを上映するので公民館に場所、時間をセットする。湯築城資料館長石野弥栄氏の演題「中世の伊予河野氏と三嶋社(大山祇神社)について」が内定したので上期の例会内容を総会で発表することにした。
道後温泉「椿湯」での「湯上り寄席」(5月14日開催)に頭を突っ込んでお客集めを開始する。プロモーターの(有)ウィルの三好孝信君に出会う。
日中はサルビア、百日草、ケールの移植と芝桜の新芽の挿し芽と草引き。腰を屈めた姿勢が長時間続くと結構腰に影響が出てくる。
5月9日(水)
午前中は執筆活動。午後は一遍会資料整備とバラの手入れ。
夜は久々に松山三田会に出席する。7月22日の参議院選挙では三田の後輩が立候補するので隣席で語り合う。後輩の中村松山市長も同様だが、同年輩の「先生」よりも40台の「青年」を支持していきたい。明後年(2年後)慶応・早稲田の野球大会を「坊っちやん球場」で開催するための推進委員会を結成するという。「ハンカチ王子」が健在なら満員になるのでは・・・・・
京都・西蓮寺住職というより代表的な時宗・一遍の学者である梅谷繁樹師から最近の論文「<東岸居士>の背景〜曲舞、勧進、漂泊芸能者など」を送っていただいた。
5月8日(火)
六時屋サミットは憲法改正、特待生制度、ワーキングプアと実力主義、インド人の頭脳力など「たけしのTVタックル」のペースで話題が尽きず。最後は墓地の話など、やはり年ですかな。義安寺に照会したら、一基あたり年間5,000円基準ということでした。とは申せ「先祖あってのY遺伝子」ですから極端に墓石を処分することも出来ず・・・・・
「松山発子規事典」中「明治28年9月20日の散策」分の取り纏めに入る。
5月7日(月)
年一回の健康診断を兼ね、四国がんセンターでCTと血液検査。昨年松山城・堀の内から梅本に移転いたので片道1時間を要す。愛媛文化叢書『子規と松山』、鶴村松一著『松山文学案内』を待合室で通読する。3分診療、2時間待ちという次第である。
バス待ちで一遍会6月度講師の上田雅一氏に出会う。マスコミでは「映像作家上田雅一氏の世界2007」とすることで了解を頂く。「坊っちやん書房」で一遍・子規関連図書を探すも収穫なし。東京からやっと進出した「マツモトキヨシ」店内をゆっくりと見物する。客は少ないのが意外である。
5月6日(日)
道後村の古地図(天明以降〜戦前)を整理、複写する。戦後については行政の資料集を中心に取り纏めが可能と思う。一枚の地図から最小限度の「5W1H+WHY」を記述することも難解さを痛感すると共に類書の記述のあやふやさに憤りすら感じる。
午後、表の松の木の剪定。残りは1本のみ。
5月5日(土)
松山発子規事典」中「湯築城・岩崎神社・竹奉行」について執筆。田中弘道理事から天明期の道後村の地図をメールで受ける。道後温泉から石手寺への道順が今まで不確実であったが「義安寺→内代→石手寺」が確定する。
「ゴールデンウイーク恒例の庭の松の木の剪定。4本中2本終了。残り2本を上旬に完了させたい。
5月4日(金)
「みどりの日」・・・祝祭日を忘れ国旗を掲揚せず。
「松山発子規事典」中「道後の歴史」を継続執筆。イエズス会の記録の紹介は一般の人には新鮮に映るかもしれない。「一遍会報318号」をインターネットで流す。梅谷繁樹師からもメールを頂く。但し技術的には問題があるらしく田中弘道理事から好意あるクレームを頂く。
国宝三徳山三仏寺の投入堂見学の旅程の検討に入る。
5月3日(木)
ゴールデンウイークはいかがお過ごしですか。今日ぶらっと市内を歩いてみました。
県美術館の「智内兄助展」の関連で同館エントランスホールでご子息の智内威雄さんの左手によるピアノコンサートを聴きました。智内家ファミリー総出のコンサートでした。繊細な絵画表現とは違う兄助画伯の暖かい家族愛に触れて感激しました。
「坂の上の雲ミュージアム」は今日も2,000人を越える入場者だったので入場を諦めました。
萬翠荘(県美術館分館)で開催中の「坂村真民〜命のことだま展」と「正岡子規と明治の画家展&智内兄助特別展示」を見学しました。足を延ばして「愚弥陀庵」に立ち寄りましたが、観光客が多く飛び入りのボランティアガイドになりました。愚弥陀庵から散策路を通って松山城に登るコースが新設されれば「坂の上の雲ミュージアム」が生きてくるし、日本有数の天守閣見学路になるのは確実ですが・・・
ところで松山人もあまり立ち寄らない観光スポットに「家庭裁判所裏の大名庭園」があります。「坂の上の雲ミュージアム」見学後にお奨めです。躑躅の時期は一見の価値があります。ご夫婦揃って裁判所の敷地に入ると離婚調停と間違えられかもしれませんが立ち入りは自由です。ご安心下さい。
【あいあい宗匠から】
我が家の南面は民家までの間に田圃が残っていて6月半ばともなれば、早苗田の蛙の合唱を聞くことが出来ます。田舎に生まれ育った者にとって、蛙の鳴き声は五月蝿いと言うより郷愁ですね・・・。
5月子規記念館懸垂幕俳句「五月雨や畳に上る青蛙 子規」は関所番様、那須の極楽蜻蛉様ご両人の鋭く的を得た名鑑賞、何時ものように味読させて頂きました。五月雨(さみだれ)の「さ」は五月(さつき)のさ、「みだれ」は水垂れの意、五月雨は梅雨期に降る雨、青蛙も夏の季語、この句の一見「季重ね」は中七下五が一つのフレーズとみなせるから異存はなしですね。
「注意」
蛙(俳句ではかわずと読むこと)は、春の季語、雨蛙、青蛙は夏の季語ですね。では、蜻蛉は?(従来は秋の季語として扱われているが)初夏にはもう見られることから夏(盛夏)に(水原秋桜子は)入れています。ただ「赤蜻蛉」は秋の季語として別扱いにしています。
 【道後関所番から】
「蛙(かわず)は、春の季語、雨蛙(かえる)、青蛙(かえる)は夏の季語」とのご説明有難うございました。俳句の世界の約束事の難しさを改めて知りました。ところで子規さんは、「蛙」と「青蛙」は春の季語、「雨蛙」は夏の季語と思っていたようです。
新聞「日本」の明治34年6月26日号で「五月雨や畳に上る青蛙 子規」は「春の部」で、同じ日付の「竹椽や青き色なる雨蛙  子規」は「夏の部」になっています。虚子・碧悟桐が編集した俳書『春夏秋冬』で「夏の部」におさめて、爾後「青蛙」の季語は夏になった様です。自信がなかったので子規記念博物館の竹田美喜館長に確認しました。
中国の故事に「白馬非馬論」(白馬も黒馬は馬であるとすると馬は何色か)がありますが、俳句では蛙(かわず)と青蛙(かえる)は別物なのですね。勉強になりました。有難うございました。
「蛙(かわず)とは蛙(かえる)のことか郷蛙(里帰る) 道後関所番」 いやはや。
【那須の宗匠から】
同じ蛙であっても季節の違いがある。勉強になりました。日本語の奥深さを感じますね。 私たちは折角の言葉を粗末にしすぎていますね。敬語論争を含めもっともっと日本語を大切にする論議が活発になるべきでしょう。なんて云っても極楽蜻蛉では仕様がありませんね。
広辞苑には「浮ついた暢気者を罵って云う言葉」と記載されています。その語源は???不勉強で調べた事はありません。季語としては通季とでもしておきますか。
今日は朝から爽やかな五月晴れ、前の田圃で「田植え」が始まりました。季寄せに「田を植ゑる しずかな音へ 出でにけり  草田男」なる句が載っています。でも最近の田植えは自動田植機でエンジン音を響かせての機械作業。田植唄を唄いながらの共同作業ではありませんね。
昨日は八十八夜 「霜なくて 曇る 八十八夜かな 子規」 昨日の朝は4℃と遅霜注意報が出てました。ぴったりの季節感でした。季語は「春」 一夜明けての「田植え」は夏、季語に相応しくまさしく初夏。季語の適切さに驚きを感じています。「茶摘笠今朝は田植えの花となり  草田男もどき」
5月2日(水)
土耳古旅行写真300葉以上の整理。撮影スポットの特定に時間がかかる。デジタル写真は撮影時刻が記録されているのに始めて気付く。「子規博五月度子規さん俳句鑑賞」で那須の宗匠からメールが届く。
【那須の宗匠から】
我が家の前の田圃に水がはられ、急に蛙の声が騒々しくなってきました。今日は八十八夜 新茶の美味しい時期にとなりましたね。5月度の子規さんの句は素直で、判りやすく気に入りました。気に入ったなんて生意気ですね。ひょいと季寄せを開いて見ましたら「五月雨や上野の山も見飽きたり 子規」 が載ってました。何時ごろの句でしょうか? 動けないわが身の苛立たしさの現われかと感じたのですが・・・
【道後関所番】
那須のお宅の前は田圃ですか。羨ましいなあ。小学校唱歌を口にしました。
「かえるのうたが きこえてくるよ
 クヮ クヮ クヮ クヮ ケケケケ ケケケケ クヮクヮクヮ
かえるのうたが きこえてくるよ
 クヮ クヮ クヮ クヮ ケケケケ ケケケケ クヮクヮクヮ」
「五月雨や上野の山も見飽きたり 子規」 は明治34年7月6日付の新聞「日本」に載っています。今月の「五月雨や畳に上る青蛙   子規」が同年6月26日付ですから、この年は東京は長雨だったのでしょうか。さすがに子規さんもうんざりして「動けないわが身の苛立たしさ」から「見飽きたり」と絶叫したのでしょうか。ご指摘の通りだと思います。
ゴールデンウイークの前半は観光客の出足もよく、道後温泉は大賑わいです。「椿湯」まで大混雑で繁盛しています。当方は「「五月雨や湯築城跡も見飽きたり  子規もどき」 です。いやはや。 道後関所番
5月1日(火)
「一遍会7月例会」の会場申し込み。公民館視聴覚教室でセットする。「子規博五月度子規さん俳句鑑賞」を各サークルに発信する。「熟田津今昔」<第二十七章 子規記念博物館「今月の俳句」(懸垂幕)鑑賞>にも掲載中。子規さんにご関心ある方はご笑覧下さい。コメントを頂戴すれば掲載させていただきます。
伊佐爾波神社と湯神社を参拝する。135段の石段を上って参拝する観光客も多い。道後温泉の入湯者も切符の順番待ちである。
【子規博5月度俳句   「五月雨や畳に上る青蛙  子規」】
子規記念博物館選句の平成19年5月の子規さんの句は「五月雨や畳に上る青蛙  子規」です 。前月までは天野祐吉館長選句と付記したのですが、4月1日付人事で天野館長は名誉館長になり、新館長には竹田美喜副館長が就任されました。竹田館長は気さくな方で、母校の後輩であり同窓会総会にもよく顔を出されています。済美平成中等学校の教諭で愛媛大学の講師も兼任され、万葉集学者でもあります。引き続き天野祐吉名誉館長が選句されるとのことです。
この句は明治34年6月26日の新聞「日本」に掲載されました。季語は「五月雨」で陰暦5月(新暦では6月)ですから勿論「夏」の俳句です。また子規編の『春夏秋冬』の「夏之部」に集録されている。(注)同日付の新聞「日本」に「雨蛙(三句)」として「五月雨の句」と並んで「園茂み傘に飛びつく青蛙  子規」「竹椽や青き色なる雨蛙  子規」が掲載されています。
明治34年といえば、子規さんは病状が悪化し、床に臥したままで寝返りも出来ない状態にあった。伊藤左千夫の文章(明治34年6月「子規子の近況」)を引用すると「六畳の畳に所々麻にて手をかける様なものを床の四方にこしらへあり、これは寝反りの時に是につかまって僅かに体を動かすために候、又東の鴨居に麻縄を張り、其より白木綿の紐を釣り、それにつかまって幾分にても体を浮かして痛み所をゆるめるために候」とある。想像しても身の毛のよだつ、阿修羅というか生き地獄である。
そのような病状で、しかも降り続く五月雨で気も沈んでいただろう。そこへ青蛙がひょっこりと縁側から畳の上まで這い上がってきた。寝たっきりの子規さんはこの小さい訪問客が目に留まり、恐らく心も和んだことだろう。写生俳句の真髄のような句がすぐに出来上がった。平凡といえば平凡、子供でも初心者でも作れそうな句である。それだけに、じっくり味わってみたい。
「五月雨」といえば高校時代の教科書で学んだ芭蕉と蕪村の句が浮かんでくる。
「五月雨や大河を前に家二軒    蕪村 」
「五月雨を集めてはやし最上川   芭蕉」
堂々たる先人の二句に比し、子規さんの句は根岸の子規庵の小宇宙の中で生命の賛歌を表現したものだと格調高く鑑賞も出来ようが・・・・・
そこで子規さんにあやかって一句
「青蛙昭和も遠くなりにけり  子規・草田男もどき」
道後村から田圃がなくなって青蛙を見ることはなくなりましたなあ。いやはや。道後関所番