| 2月28日(水) |
| 一遍会の「3月度ニュース」「3月度例会案内」「3月度理事会検討資料」と「2月度収支決算報告書」の事務処理に追われる。子規博懸垂幕「子規さん俳句」は今日は快晴なので改めて写真撮影。まずまずの写真を明日全国の仲間にエッセイと共に発送する。 |
| 2月27日(火) |
| 平成19年度確定申告を松山税務署に届ける。子規記念博物館に立ち寄り懸垂幕に墨書された3月の子規さん俳句を写真に撮る。今月の句は「面白さ皆夢にせん宵の春 子規」(明治26年)である。 |
| 午後、愛媛大学法文学部の寺内教授が学生とリヤカーで来訪、処分する古い屏風を四双を持ち帰られる。芸予地震以降で立ち上がった「愛媛資料ネット」で活用していただいて有難い次第。それなりの資料が屏風の裏紙から発見できれば良いのだが・・・松栄印刷所から「一遍会報317号」届く。付録で「一遍生誕会(松壽丸湯浴み式)解説」とセットにして宝厳寺で開催する3月例会で配付する。 |
| 2月26日(月) |
| 「トポスしての道後・熟田津古道」をHP「熟田津今昔」第30章に掲載する。「伊予山の辺のみちを歩こう会」の森亮一代表に連絡する。これを機会に「歩こう会」の会員の方との情報交換が始まれば有難い。 |
| 愛媛大学法文学部の寺内教授から明日午後襖・屏風の処分品を受け取りとのこと。役に立てれば良いのだが・・・・・確定申告の最終チェック。明日松山税務署に提出する。 |
| 2月25日(日) |
| ロープウエイ東雲口駅舎の観光交流ホールで開催されたギャラリートークの参加者は50名を越えた。三好恭治の「トポスしての道後・熟田津古道」と山野芳幸氏「北条界隈はええとこぞなもし」と続く。道としては熟田津から石鎚山までである。「山・谷・川・道・ムラ・マチ」と「修験道」「一遍遊行道」「遍路道」でトポス(時と場の記憶)を再現してみた。質問も続き講師としては楽しい時間となった。 |
| 高橋俊夫氏の案内でご自宅に伺い書庫を見せていただく。足助威男著「捨聖一遍さん」「若き日の一遍」など数冊恵贈される。一遍会で活用したい。NHK大河ドラマ「風林火山」も信玄の初陣のシーンに入る。やっと信玄像が掴めるようになったが・・・・・ |
| 2月24日(土) |
| HP「熟田津今昔」に「浄土時宗開祖・一向俊聖小伝」(1)前書き (2)出自
を掲載する。明日のギャラリートーク「熟田津古道」の予習に半日費やす。 |
| 2月23日(金) |
| 「在家仏教2月号」入手。一遍会へご厚志を頂いている会津・時宗弘長寺ご住職中村昌道師の「『今』にいきる」が掲載されている。東北の時宗は、鎌倉時代一遍上人の東北巡教が起源であろうが、その時に「東明寺」が開山された由。弘長寺の門前に「当麻山東明寺」の石碑がある。ご住職の飾らない人生が淡々と語られており、一遍会でも紹介したい。「一遍会報」第317号の2校が終了。月末には納入予定。 |
| テレビ映画で山田洋次監督の「隠し剣 鬼の爪」を再度見る。2004年の初回は伊予史談会で「伊予松山藩士 小林小太郎〜文久三年起『慶応義塾入社帳』筆頭記載者〜」を発表した時である。伊予松山藩江戸藩邸で洋式砲術を教授したのが小太郎の父である小林小四郎(儀行)で、駿河田中藩で高島秋帆の師範であった。今回、「熟田津古道」のトークでは「ナンバ」という日本古来の歩き方に触れるが映画「隠し剣 鬼の爪」で詳細に描かれているのは何かの因縁か。 |
| 2月22日(木) |
| 「浄土時宗開祖 一向俊聖〜一遍の一歩先を歩いた遊行聖〜」を月末までに「熟田津今昔」に掲載する予定で作業を開始する。「一遍会報第317号」初校完了し松栄印刷所に届ける。宝厳寺で開催する3月例会で参加者に配布する予定。 |
| ギャラリートーク会場に立ち寄り「歩こう会」の展示物を見て廻る。市内スポットからの松山城、シーズンに合った寺社の佇まいなど力作揃いと云える。古書店2店で一遍、子規、道後温泉関連図書を数冊求める。「聖徳太子の虚像〜道後温泉来湯説の真実」(2004年)を再読する。 |
| 2月21日(水) |
| 松栄印刷所から「一遍会報」第317号のゲラ刷りが届く。斉藤茂吉の愛人永井ふさ子の「一人墓」と併せて墓石に彫られた短歌の写真も載せることにした。亡き父を偲ぶ歌「ありし日の如くにあんず花咲けりみ魂帰らむこの春の雨」である。墓は松山市御幸町の長慶寺にある。 |
| 「伊予山の辺のみちを歩こう会」代表の森亮一氏来訪。ギャラリートークのレジュメを手渡し懇談する。道後の昔話をもっと聞きたいとのことである。花粉症の兆候が出る。「春近し」を身体が早速反応し始めたらしい。 |
| 「七尾みつを」氏から年度会費とメッセージが届く。週3回はメールを頂いている大学の後輩であるが京都の町屋旅館の経営を当面の挑戦目標にしているらしい。了解を得たので紹介する。【京さんぽ日記http://nanao320.ameblo.jp/】で京都の年中行事の実体験レポートである。お奨めのブログです。 |
| 2月20日(火) |
| 2月25日開催のギャラリートーク「熟田津古道」の参加者用資料を執筆。「道後村地籍図」と「大正2年版道後全図」を添付。貴重な地図である。改めて本地図を「読みながら」明治・大正期の「道後村」の再検証を開始する。 |
| 備忘用に若干のメモを記載する。 |
| @拙宅の現存する土塀が長方形の枠囲いで明示。 |
| A大正2年現在水口酒造(仁喜多津)未記載。 |
| B道後公園・石手寺間の現県道未記載。柿の谷山腹沿いに歩いたか。 |
| C石手寺周辺の検証 |
| D「ふなや」の道後温泉脇から現在の地に移転した時期。漱石の宿泊は旧地でないか。 |
| E寺井内川が彎曲して烏谷(現ふなや)に流れるのが岩盤の影響か などなど |
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| 2月19日(月) |
| 子規会2月例会出席。講師は松山市役所「坂の上の雲チーム」の石丸耕一氏で演題は「坂の上の雲ミュージアムについて」である。館長は国立民族学博物館名誉教授、大阪外国語大学理事で坂の上の雲ミュージアムの展示専門委員会座長として展示企画構成に携わった松原正毅氏に決定。開館はゴールデンウィーク直前の4月28日に決定。展示は子規と秋山兄弟が主人公であるが、日露戦争の取り扱いが微妙になっている。展示はグラフィックややレプリカが過半らしい。 |
| 引き続き「松山発子規事典」の編集会議。執筆者、テーマ、第1次締め切りを決定。石手・道後コースは7月に取り纏め、発表の予定。 |
| 2月18日(日) |
| 晴れ間を利用して市内御幸町の長建寺にある永井ふさ子の墓碑を訪ねる。松山では永井病院は大街道の現伊予鉄会館の敷地にあり著名であった。斉藤茂吉の愛人であった永井ふさ子だが永井家累代の墓な入らず、間を置いた場所に墓はあった。背面には「ありし日の如くあんず花咲けりみ魂帰らむこの春の雨」が刻まれている。平成5年83歳で死去したが、13回忌の卒塔婆が墓に立て掛けてあった。住職の案内で墓地に詣り、写真を撮った。「一遍会報」第317号に掲載する。 |
| 旧遊郭朝日楼」の取り壊しの記事が「愛媛新聞」に載っている。先週の一遍会例会で宝厳寺檀家総代でもある鉢須賀俊夫氏から聞き承知していた。犬伏武彦著「民家と人間の物語」の「第3章遊郭・朝日楼(夢乃家)」に詳しいが、市民団体の反対もあって貴重な建造物が消滅した。遊郭といえども「歴史的建造物」である。御一新や神仏混交否定で多くの歴史資産を失ったが、1000年のスパンで考えてもらいたいものだ。「日本最古の温泉」を自称するのであれば「遊郭」の残滓を完全に否定することは如何なものか。同書に拙宅の紹介(道後村大庄屋・三好家)もあるのだが、何世代持ち続けることができるか分からない。 |
| 2月17日(土) |
| 終日雨となり書斎で執筆作業。2月25日の松山城ギャラリートークでのスピーチ「トポスとしての道後 熟田津古道」のレジュメを取り纏める。 |
| 1)はじめに ○道後奥谷 宝厳寺〔一遍智真、坂村真民) |
| 2)定義 ○トポス ○熟田津 ○古道 |
| 3)中・近世の道後の光景 ○山・谷・川・道・ムラ・マチ |
| 4)熟田津古道=「伊予山の辺のみち」の文化 ○「伊予山の辺のみち」○熟田津古道(石鎚修験道)○一遍遊行道 |
| 5)おわりに ○伊能忠敬 ○「四国遍路(道)」世界遺産へ |
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| 「一遍会インターネット会員募集」の記事をリニューアルする。現在会員の匿名紹介もしているので一度ご覧下さい。 |
| 2月16日(金) |
| インターネット会員に2月度定期便を送る。時宗総本山遊行寺の「平成19年時宗寶暦」を添付した。時宗の解説もあり重宝していただけると思う。「一遍会報第317号」(4月1日付)の最終紙面割付完了。齋藤茂吉の愛人永井ふさ子の一人墓(松山市内長建寺)の写真を撮影して載せる予定である。 |
| 深更まで要したがパソコンによる確定申告を完了する。これで納税の義務を果たせそうである。試行錯誤すること5回、やれやれである。 |
| 2月15日(木) |
| 「松山市広報」に2月25日開催の「ギャラリートーク」が紹介される。「三好恭治先生」とは恐れ入ったが公的には肩書きがないから止むを得まい。午後「六時屋サミット」。井上誠一君のアマチュア写真家として「アサヒカメラ」誌で入賞した数々の写真を拝見。白黒写真の深みと渋みは彼独自の世界であろう。小生から「道後村地籍図」を提示し明治期の道後村のイメージをフリーに語り合う。地籍図に対応する写真を「発掘」することにより肉付けをしたい。 |
| 3月度一遍会のマスコミ(愛媛新聞・ミニコミ2社)、宝厳寺、田村憲治講師に案内状を作成する。 |
| 2月14日(水) |
| 一遍会田中弘道さんと六時屋で3時間の勉強会。当方からは「一向俊聖論」、田中さんからは「寺以内川・放生池」の検証についての報告と解説。 |
| 一向俊聖については類書がないので、HPに@はじめにA出自B修行C遊行D臨終・後継Eおわりに(本山八葉山蓮華寺)の6章を2月末には掲載することにした。湯築城資料館で明治・大正期の道後の情景を描く写真の提供の依頼あり。協力を約す。 |
| 2月13日(火) |
| 露天風呂で雪見の朝風呂。9時にホテルを発ち旭山動物園に直行する。お目当ての「ペンギンの散歩」を写真におさめる。あざらしの円柱水槽での泳ぎ、北極熊の巨大さ、蝦夷虎の動きなど大人が結構楽しめる。市民ボランティアの人数に驚く。市民の動物園に「進化」している。雪で高速道路が一部閉鎖となり、旭川からJRを乗り継いで新千歳空港に急ぐ。乗り換えの名古屋空港のラウンジではビールが無料サービスで一息つく。定刻20:10に松山空港着。添乗員の久万町出身の海田さんのトラブルでの沈着な対応は印象に残る。 |
| 2月12日(月) |
| 愛媛新聞旅行企画の「さっぽろ雪まつりと旭山動物園2日間」ツアーに参加。松山空港7:40発で羽田経由で新千歳空港着12:05。さっぽろ雪まつりも今年で第58回である。30年程前に見た雪祭りとは雲泥の差があり、なんの驚きも夢も感じられない雪の塊である。東アジア向けの冬の観光の目玉とでも言うべきか。ツアーの参加者の過半は初回であったらしいが寒さとつまらなさで早々のバスに引き上げていた。札幌の市民エネルギーは初夏を飾る「よさこいソーラン祭り」に転化したのだろうか。 |
| 大正12年創業の老舗「層雲閣グランドホテル」宿泊。リニューアルしたらしく快適な居室である。外気は−4〜−10度でさすがに「しばれる」20時から「層雲峡氷瀑まつり」見物。花火が上り、原色の色鮮やかな照明に氷雪が輝き、雪の回廊のツララなど北国の夜を楽しむ。温泉も良し。 |
| 2月11日(日) |
| 伊予史談会2月度例会(郵政局講堂) |
| @高須賀康生副会長:愛媛県議会の歴史(下) |
| A門田恭一郎理事:国領川の水利史〜鉱毒水を中心として〜 |
| 市中央図書館で書籍点検。 |
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| 建国記念日奉祝大会出席(県民文化会館)。ビデオ「皇室と日本人」上映、国歌、紀元節唱歌を斉唱し、式辞、祝辞と続く。記念講演は明星大学高橋史朗教授「教育を再生する和文化教育〜日本人の美しい心を子供達に〜」。 |
| 最近流行の子供教育論とは一味違った「親教育論」である。「しっかり抱いて(母性)下に下して(父性)一人で歩く(自立)」を強調する。児童教育の責任は親に在ることを強調する。「睡眠・食育生活・ゲーム」は「早寝・早起き・朝ごはん」「三つ子の魂百歳まで」とズバリ割りきる。人間力とは@対人関係能力(共感性)A自己制御能力(自制心)であり、乳幼児時代の甘えと壁の豊富な体験っを前提にしていると強調する。同感である。 |
| 2月10日(土) |
一遍会2月度例会。
| @卓話:杉野祥一理事「『一遍聖絵』を読む」はプロジェクターを使用して聖絵の画像解析。なかなかの好評であった。 |
| A講話:三好恭治理事「浄土時宗開祖 一向俊聖〜一遍の一歩先を歩いた遊行聖〜」 |
| 宗門の正統的な解釈を部分否定する内容であり戸惑いがあったようだ。会員から下記の所感が届く。 |
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本日のお話、知らなかったことばかりで、勉強になりました。分かったつもりの所、分からないところをまとめてみました。暇なときに教えてください。
| 1. 一遍さんよりも先輩の多くの遊行僧が歴史上存在した。 ・・ 納得 |
| 2.一遍さんは、歴史に名を残した数少ない遊行僧の一人である。・・彼の本望であったか否かは別ですが ・・ 納得 |
| 3.一遍さんと同時代に生きた「一向俊聖」という遊行僧がいる。 ・・ 始めて知りました。 |
| 4.真宗・蓮如は「一遍と一向の流れを汲む一向衆、時衆」という存在があり、その中心は「一遍ではなく、一向の流れ」である・・と認識していた。 ・・ 始めて知りました。 |
| 5.蓮如が北陸で布教活動の対象としたのは、この近似した宗教的価値観を有する「一向衆」であった。この「一向衆」の取り込みが出来たことが、北陸における蓮如の成功である。・・・ これは同時に「一向の流れを汲む一向宗」の敗北を意味する !! |
| 6.蓮如は「一向一揆」とのつながりを拒否した ?? ・・ 「一向宗」とのつながりを否定し、同時に「一向衆」を取り込むことにより、「一向一揆の成果」を我が物にすることに成功 !! |
| 7.一遍の流れを汲む「遊行派 ??」は、江戸時代には遊行派、四条派、六条派、当麻派、奥谷派などに分裂 ・・・ ?? |
| 8.時宗十二派 ?? 歴史的位置付けが分かりません。・・ 時衆ら、遊行の徒は結局、「中心となるべき存在、組織」を形成することなく、分裂、解体していった ・・ 遊行の徒はその性格上、大きな団体、組織を形成するのは難しいでしょうね !!・・ 江戸時代、幕府からは時宗十二派が認知されていた ?? |
| 9.明治初め、一向の流れの中心的存在であった「一向派・蓮華寺」は「浄土宗の一つの本山」となって再発足 ?? |
| 10. 「遊行派」と「一向派」は特に折り合いが悪かった ・・ ?? |
| 11. 霊山派、国阿派、市屋派、御影堂派、解意派 などの位置づけは ?? |
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| 2月9日(金) |
| 昨夜から雨が降り続く。北国では雪か。暖かで肌着を一枚減らす。とは云え、一気に春になるとは思えないが・・・一遍会2月例会資料と講義のレジュメを印刷。明日の例会準備は完了す。10月度例会講師を依頼中の平田玲子氏からテーマとして@鎌倉の仏教A「一遍聖絵」周辺の絵画事情」の連絡あり。 |
| 2月8日(木) |
| 「ふなや」で開催中の「濃田綾美 無量寿人形展」を見に出掛ける。さすがに中年の婦人ばかりである。数年前三越で同展が開かれていたが「無量寿」なる命名に引っかかり気になっていた。主君が松江に転勤したおり、そこで古代縮緬にであり魅せられてしまった。明治から戦前までの縮緬を人形を通して生命を甦らせる(無量寿)を決意した。また蛤の貝を一組使い、顔はあえて描かず見る人の心に委ねるという。ご夫妻は私どもと同年輩であろうか、着物を着用した最後の世代かもしれない。 |
| 昨年末に新築再開した「谷屋」を訪ねる。亭主が、ロビー、寝室、浴室、食堂など全設備を案内して頂く。経営者のこだわりと美学が結集した「高級山小屋風」といったところか。ターゲットは中年の夫婦やペアであるが、結構若いインターネット世代の人気もあると云う。詩人でもある三代目魚武浜田成夫氏デザインの「俺」のオリジナル浴衣は粋であり、盆踊りや温泉祭りにはヒットするのではあるまいか。 |
| 2月7日(水) |
| 一遍会2月例会直前となった。講話、一遍会のお知らせ、理事会資料を整備する。午後、桜や椿の消毒と玉葱の施肥。蕗の薹も地面を触れると、地面のすぐ下に芽が上ってきている。春はまさに其処まで来ているようだ。 |
| 一遍会宇和宣理事と「松山発・子規辞典」の執筆領域の確認。春休みには集中して取り纏めたい。 |
| 2月6日(火) |
| 骨休みを兼ねて奥道後温泉のバイキング&ジャングル風呂で静養する。目下PR中の「貸切露天風呂」に立ち寄る。シニアにはモダン過ぎて落ち着かない気分だ。一室2名で60分3,150円である。冬は寒くて入浴気分にもなるまい。桜と紅葉の季節はお奨めしたい。年金族には「バイキング&ジャングル風呂@1,000円」で充分だ。バイキングで「松山鮨」を口にする。バラ寿司であるが話題性はある。明治二十九年の子規の句に「われ愛すわが予州松山の鮓」の句がある。明治二十五年の夏、まだ子規が大学予備門の学生で暑中休暇で帰省中、漱石が初めて子規を訪ねた折、母堂が「松山鮨」で接待した。。松山市中央市場水産市場には「松山鮨」に因んだ子規の句碑が建っている。 |
| ○われに法あり君をもてなすもぶり鮓 |
| ○ふるさとや親すこやかに鮨の味 |
| ○われ愛すわが予州松山の鮓 |
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| 2月5日(月) |
| 3月下旬本年初回の海外旅行はトルコに決定。JCBトラベルとANAにチケットを依頼する。重油追加分負担が3万円とは驚く。イスタンプールなど「夢のまた夢」の世界であったがこの機に「東ローマ帝国」の繁栄と瓦解の軌跡を学習したい。密教の原点「拝火教」の旧跡が残っているのだろうか。 |
| 午後、楠の枝葉の片付け作業。幹・枝・葉付き小枝の量の多さに驚く。小片は各部屋に芳香剤として置く。「虫のつかない家作り」である。 |
| 2月4日(日) |
| HP「一遍会」の表紙を春に先駆けて一新しました。新たに「鐘紡(カネボウ)人事部私史」を付録としてアップロードすることにしました。現役時代鐘紡(カネボウ)に勤務し、その間23年間社内外に発信した文書・講演などを取り纏めて公表することにしました。130年の歴史を持った「名門鐘紡(カネボウ)」ですがいよいよ商標権(カネボウ)が花王に移ります。現役時代の「時と場の記憶」を残しておくつもりです。 |
| 午後、伐採し楠の枝葉の片付け作業。半日で終わらず明日に残す。砥部の住人から「焚き付け用」にほしいとの申し出あり。処分に頭を痛めることがなくなった。NKH大河ドラマ「風林火山」。庵原忠胤・太原雪斎・福島越前守・板垣信方・甘利虎泰・飯富虎昌・諸角虎定など家老、重臣、軍師など初めて目にする人物である。 |
| 2月3日(土) |
| 座敷の楠の伐採は午前中に終了。業者が引き取りに来る。残念ながら芯が食われており一枚板で活用するのは無理だろう。とはいえ終日町内に楠の芳香が漂う。確定申告で再度節税対策で検討する。目標は10%削減である。収入は決まっているが、支出は寄付金や必要経費を丹念に集めると実績がでるから不思議だ。 |
| HP「一遍会」の内容を一新しました。最初に訪れる客人は「捨て聖一遍上人の『一遍会』」ですので、この頁に「月例会のお知らせ」を併記しました。その上で「ホットニュース」や「講話」をリンクで結んでいますので、じっくりと読んでいただこうと思っています。ご注文があればご一報下さい。 |
| 2月2日(金) |
| 座敷の楠の伐採。家の周囲が田んぼの頃は楠の大木は田園の光景としては素晴らしかったが、今日では「でくのぼう」に成り果てた。残念。2月の子規さん俳句エッセイに「伊佐爾波さん」から下記の嬉しいコメントが届く。「『子規博の2月懸垂句解説】面白く、なるほどと読ませていただきました。知人や子供たちにも添付してやりたいと思っております。構いませんか、きっと喜ぶと思います。」 どなたでもお気軽にご活用下さい。当方は【講談社版 子規全集】に参考にして記述しております。 |
| 公民館に一遍会4月度例会の会場予約する。 |
| 2月1日(木) |
| 2月例会でプロジェクターで映写する「一向上人図」の試写する。まずまずのレイアウトなので安心する。午後、平成18年度所得税確定申告作業。昨年から「国税庁」のホームページを利用しているので簡単にはなったが「節税対策」?がうまくいかない。一律減税率が大幅に減ったので増税になる筈だが昨年並みである。増税は後日の市民税でがっぽりという目算である。頭のよい大蔵官僚に庶民は敵わない。 |
| 夕、住友生命「チャリティコンサート」(県民文化会館)に出掛ける。主題は「モーツァルトの愛と生涯」で大いに楽しんだ。 |
| 第1幕「モーツァルト、その人生」でピアニスト菊地洋子が「メヌエットK1」から「ピアノ四重奏第1番K478」を演奏。 |
| 第2幕は立川談志門下の真打で慶応大卒の異色の落語家立川談慶の「紙屑屋inモーツァルト」で会場を沸かせる。 |
| 第3幕は「モーツゥアルト、その愛」でソプラノ歌手天羽明恵による歌劇「フィガロの結婚」「ドン=ジョヴァン二」の中からの独唱曲。 |
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| 【子規博懸垂幕・子規2月度俳句「まだ咲いてゐまいと見れば梅の花 子規」
】 |
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| 天野祐吉子規記念博物館長選句の平成19年2月の子規さんの句は「まだ咲いてゐまいと見れば梅の花 子規」です
。この句は「寒山落木 拾遺」(明治25年)に載っていますが、同じ句が五百木飄亭宛の明治25年2月26日付書簡には「正月の梅のさく頃駒込の梅園にて」と前書きがあります。 |
25歳の子規さんにとって人生を変えざるを得なかった出来事がこの年ですから、この句に寄せる子規さんの思いを感じ取る必要があろうかと考えます。
明治25年正月には駒込追分町の借家で「来客ヲ謝絶ス」と張り紙をして処女作となる小説『月の都』を執筆する。2月下旬には幸田露伴を訪ね批評を頼むが数日を経ずして返却される。 |
| 自信家の子規さんだけにショックが大きく5月には「僕ハ小説家ニナルヲ欲セズ 詩人トナランコトヲ欲ス」と虚子宛の手紙に記している。追い討ちをかけるように6月には大学の学年末試験に落第し退学を決意する。明治のエリートコースから挫折したが陸羯南の縁で「日本新聞」の社員となり、俳句を中心にした子規さんの35歳までの「後半生」が始まっていくことになる。 |
| 五百木飄亭宛の2月26日付手紙から、2月下旬には幸田露伴を訪ねているので、『月の都』執筆もおそらく最終章か或いは完結しておる時期と思われる。駒込の借家から「駒込の梅園」は程近い場所にあったのだろう。息抜きに梅園に出掛けると、なんと梅は蕾ではなく凛として花をつけておるではないか。馥郁とした香りすらしている。数ヶ月集中した処女作『月の都』が蕾で終わるのではなく花となるのだ。露伴、紅葉、逍遙を越える小説家正岡子規の誕生を暗示している。子規さんの鼓動が聞こえてくるようだ。不安と安堵、成功と挫折は、誰にとっても青春そのものではあるまいか。尚、飄亭は明治3年松山生まれで子規さんより3歳年下ですが常磐会寄宿舎時代からの子規の俳友。新聞「日本」の編集長でのち「日本及日本人」を主宰したジャーナリストである。昭和12年77歳で没した。 |
| (注)この句の解釈は独断に過ぎると感じる方が殆どでしょう。子規さんは、どんな挫折があっても究極の楽観者です。俳友の皆さんもご自分の句を「虚子を越えている」とか「芭蕉の寂びに通じる」などと自己陶酔されたことはありませんか。子規さんはこのような生き方ができたからこそ大病の中で俳句の革新が可能になったと信じます。 |
| 子規さんにあやかって一句 |
| 「頭出してゐまいと見ればつくしんぼ 子規もどき」 |
| 「つくしんぼ」でも「蕗の薹」でも良いのですが、陽気に誘われて散策すると草や木の生命力に驚きます。今時分「春は名のみの」でも早いくらいの季節ですが、春が其処に来ているような錯覚をします。暖冬なんでしょうか、今年になって木枯らしの吠える音を聞いていません。案外「まだ咲いてゐまいと見れば桜かな 子規もどき」の方が今春に限ってはぴったりなのでしょうか。いやはや。道後関所番 |