| 10月31日(月) |
| 10月度一遍会例会の平田玲子氏(仏教美術史家)から「浄土教の変遷と
阿弥陀仏(像)」の原稿と写真(7葉)が届く。阿弥陀仏の画像と仏像をどの様に「料理」するか、316号の「一遍会報」編集は編集者冥利につきそうだ。 |
| 秋田の佐藤辰男氏(「戯曲 一遍伝〜白道のかなたに〜)著者)からメール届く。北上市の河野通信墓所訪問時の所感を送っていただける由、有難い。 |
| 午後、家人と襖の張替え作業。昭和30年代のアルバイトは家庭教師と襖の張替えが花形であった。まずまずの出来栄えに両人満足する。 |
| 10月30日(日) |
| 子規博11月垂れ幕俳句「銭湯で下駄換へられる夜寒かな 子規」の写真撮影とエッセイ執筆。「熟田津今昔98号『三好家系図B」取り纏め。 |
| 一遍会小沼代表と来年3月の一遍生誕会の講師につき打ち合わせる。 |
| 10月29日(日) |
| HP「一遍会」の「一遍会」並びに「月例会のお知らせ」「熟田津今昔第二十二章
一遍会講演記録 例会35年の歩み(資料集)」分を更改する。11月度の例会会場は内子の時宗願成寺である。出席者はお間違えないよう願いたい。 |
| 子規記念博物館で「11月の子規さん俳句」の下調べする。垂れ幕での掲示は月末ぎりぎりとなろう。「銭湯で下駄換へられる夜寒かな 子規」の筈だが・・・・・ |
| 10月28日(土) |
| 「祈りの経営〜仏教的経営序説〜」(仮題)の講話レジュメ完了。一遍会での講師のドタキャン様に常備しておきたい。 |
| 「中世史の民衆唱導文芸」(渡辺昭五著)入手。第六章「時衆(宗)と阿弥文化」に目を通す。一向俊聖に触れているところがユニーク。 |
| 高校同期会HP「東の窓」に朝一番に【松山東 おまえもか!】を投稿しました。下記します。 |
| 【「高校必修科目未履修」問題は大きな社会教育問題になっています。身びいきで母校は決してそんなことはしないと信じていました。信じていただけに現実は悲惨でした。しかも「「世界史」だけでなく「理科基礎」までおまけがついていました。一体どういうことなんでしょうか。学校当局は当然ですが、これを是としたPTAや生徒も情けないなあと思います。ましてこのような違法行為が受験生にとって幸せだと考えている教師は「人生の教師」としては完全に失格しょう。又、「みんなが渡れば恐くない」と虚偽の報告して後日改めて「やりました」と「自首」した学校長は「校長失格」でしょう。母校には一人の「坊っちやん」も「山嵐」もいなくて「狸」「赤シャツ」「のだいこ」ばかりだったとは・・・・・ことし盛大に開催した「『坊っちやん』一〇〇年祭」は、漱石さんが母校に送った「坊っちやん魂」のメッセージだったのでしょうか。いやはや。】 |
| 10月27日(金) |
| 「一遍会報」第315号の校正完了。一応完全原稿を鰹シ栄印刷所(小池氏)に手渡すと翌々日には校了とは!驚きである。一遍会理事の矢野敬子さんが松山市民病院に入院。時宗願成寺のある内子の銘菓「坂見輝月堂の『栗饅頭』」を持参する。快復を祈るや、切。 |
| 10月26日(木) |
| 「祈りの経営〜仏教的経営序説〜」(仮題)の草稿執筆。株式会社ダスキンの経営理念を実例として取り上げる。 |
| 子規の「散策集」の明治28年9月20日のコースを追体験する。石手寺からは昔の道(車がやっと通る巾)が残っており迷うことはなさそうだ。愚陀仏庵→玉川町(大寺=正法寺)→砂土手(松山東高校西)→避病院→石手寺→御竹薮(道後公園)→宇佐八幡社→西龍寺→持田八幡社→東高校北。11月11日に子規会井手会長らと一緒にウオークする予定。 |
| 10月25日(水) |
| 「一遍会報」第315号を鰹シ栄印刷所(小池氏)に手渡す。完全な割付にすると半額になるという。年間12回発行も夢ではなくなった。 |
| 午後JT「ディライトフォーラム」(全日空ホテル)。講師は@井沢元彦氏(作家)「一神教と多神教」A石毛宏典氏(四国アイランドリーグコミショナー)「選手の育て方、子どもの育て方」。井沢さんの話は「人を見て法を説いた」内容でいささか侮辱された感じである。ペンクラブ内の識者ちとして手をぬかずにしゃべってほしかった。 |
| 三越で@松尾敏男展とA極彩色木彫りの平野千里展を鑑賞。松尾画白は堅山南風画伯の弟子。牡丹(富貴花)が多いが「月光のサンマルコ」と対面。平野氏の作品中「鏡獅子」「鐘馗」「良寛」「七福神」「福童子」など小品でも100〜300万円で手が出ない。画商の儲け分が頭をよぎる。 |
| 速水侑「地蔵信仰」(塙書房)「歴史読本・日本の英雄 肖像大全(上)」(新人物往来社)を求む。特別付録「古地図コレクション」が魅力だ。 |
| 10月24日(火) |
| 「一遍会報」第315号(平成18年12月1日発行)の紙面割付完了。11月中旬には会員各位にお届けしたい。今号は@「詩のあるところ」(森原直子講師)A「不思議不思議の世界・湯築城」(田中弘道講師)B「窪寺曼珠沙華祭り百五十名参加〜石見神楽奉納にやんやの喝采。」 |
| 10月23日(月) |
| 一遍会のインターネット運営をしながらも松山でのメンバーは少ない。従来小沼大八代表との間だけであった。50万都市では会った方が早いという面もある。後輩に当る杉野祥一理事と田中弘道会員とメールが交換できるようになった。会員からの問い合わせにも迅速に対応できるようななったことを喜びたい。 |
| 渡邊昭五著「中世史の民衆唱導文芸」(岩田書院)を注文する。現在は「アマゾン」と「
日本の古本屋」の会員になっており最も安価に手に入れている。ちなみに同書の古書価格は4,000円である。 |
| 10月22日(日) |
| HP「一遍会」の「月例会のおしらせ」に例会の最近ニュースを掲載しました。特に10月度講師の平田玲子氏(仏教美術史家)が講話に当って上映したスライド写真(浄土教関係の主な作品)は作品名を列挙しました。又「上田雅一の世界」は作品名と若干の解説を記載しました。12月に県民文化祭の一環で公開されます。ご期待下さい。 |
| 10月21日(土) |
| 一遍会11月例会をお願いする内子。時宗願成寺の永岡義尚師に正式依頼状を送付。上半期の「例会出席名簿」を作成、最近出席率が下降気味であり最低30名の出席は確保したい。 |
| 子規記念博物館で開催の「正岡子規物語 糸瓜咲て」(作・演出 大木一史)を鑑賞。初日の入りはまずまずでひとごとながら安心する。「時衆文化第14号」掲載の砂川博論文「『一遍聖絵』巻二の詞と絵」を学習す。伊予国が舞台だけに詳細なる検討には頭が下がるが・・・・・ |
| 【東の窓掲載文】 |
| 芝居は7分の入りでした。ところで・・・・・ |
| 「正岡子規物語 糸瓜咲て」の初日の入りが心配で14時からの開演をのぞきに行ってきました。7分の入りでしたが、秋晴れの絶好の戸外で楽しむ週末ですから、まずまずの入りで安心しました。根岸で上演した芝居通りの展開でしたが、子規役の新劇の石坂重二さんは同世代だけに親しみがあり、子規さんになりきった素晴らしい演技を披露してくれました。自信を持ってお薦めできる芝居で〜す。 |
| ところで次なるお勧めは11月12日(日)コミセンで開催される「坊っちやん映画祭」でしょう。なんとなんと昭和10年山本嘉次郎監督作品の初代「坊っちやん」ですから71年前の映画で〜す。大先輩の「丸山定夫」が「山嵐」役で、校長の「たぬき」は「徳川夢声」が演じます。わくわくして待っているところです。いかがでしょうか。 |
| 10月20日(金) |
| 「熟田津今昔」(第97号)は10月1日発行であったが大幅に送れて本日執筆完了し発送する。100号で完結予定であり年末号が最終号となる。紀野一義編集「西田天香」(春秋社)、「ダスキン祈りの経営 鈴木清一のことば」(到知出版社)を読了。次いで「時宗文化14号」に取り組む。 |
| 10月19日(木) |
| 松山子規会10月度例会(第765回)に出席。(於正宗寺)二神将氏の講話は「子規を恋した極堂〜その始まりは交際申し込みだった〜」である。子規と極堂は慶応3年生まれで松山藩の下級武士の家に育っている。明治16年には共に共立学校に入学している。極堂は経済的な事由もあり明治22年には松山に戻り海南新聞社に入社し二人の人生は大きく変わる。詳細な調査報告である。極堂は子規についてはあますところなく語り記述したが、自分自身については寡黙であり過ぎた。極堂翁をご存知の方が元気な間に改めて「再発掘する」ことが急務と言えよう。 |
| 県立図書館で一灯園の西田天香師とダスキンの鈴木清一氏に関する著作を5冊貸し出す。「伊佐爾波さん」こと梅木賢正君と出会い情報交換する。 |
| 【東の窓掲載文】 |
| 知事選の「最後のお願い」とは違いますが・・・・・ |
| 今週末の21日、22日の14時〜と18時〜の4回「正岡子規物語 糸瓜咲て」が子規記念博物館で上演されます。チケットは2,000円です。制作と出演は東京の「劇団旅芸人」です。 |
| 以前に一度ご案内しましたが、子規記念博物館から「切符の売れゆきが悪くて心配で心配で」とのSOSが届きました。正直困っているんだろうと思います。行楽のシーズンでご多忙とは思いますが、ご関心があればお出掛けいただけませんか。満員は無理でも程々の観客がいないと舞台の子規さんが惨めでしょうから、いやはや。 |
| 10月18日(水) |
| 高校同期会開催(いよてつ高島屋ローズホール)。出席は58名(男子31名、女子27名)でまずまずである。今回を以って会長を退任したので感謝状と記念品を頂く。新会長は豊後屋昌明君で喜寿までは現体制で進めて欲しいものだ。 |
| 夕、クロネコファミリーコンサートを聴く。(県民文化会館)金聖響指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団と地元の少年合唱団などが登場する。レスピーギの交響詩「ローマの松」は初めて耳にする曲である。 |
| 「時衆文化第14号」入手。砂川博「『一遍聖絵』巻二の詞と絵」は伊予における一遍研究の好テキストである。 |
| 【東の窓掲載文】 |
| 有難うございました。 |
| 同期会は大盛会でおめでとうございました。豊後屋新会長はじめ役員の皆さん方のご尽力に心から深謝申し上げます。 |
| 今回は会長退任に当たり「感謝状」ならびに「記念品」を頂戴し心から深謝申し上げます。4年間の任期中は西林、樋口副会長、年度幹事の皆さん並びに役員各位のご尽力の上に乗っかった会長職でしたが、お蔭様で無事大任を全うすることが出来ました。有難うございました。東京支部はもとより大阪支部には在任中京都・奈良・神戸と素晴らしいエベンツを企画、実現していただき有難うございました。千賀支部長以下ご関係の皆さんに心から御礼申し上げます。 |
| 心配していました西林前副会長も元気な顔を見せていただき正直ほっとしました。お互い「喜寿」といわず「米寿」までがんばっていきましょわい。「ピエロこと三橋」さんの写真つきニュースを楽しみに待っています。まずは御礼まで。 |
| 10月17日(火) |
| 10時にホテルを出て甲斐大泉駅。駅に手荷物を預け、30分歩いて俳優の柳生博さんがオーナーの「八ヶ岳倶楽部」に着く。殆どの客は車であり珍しい「歩き客」を従業員が歓迎してくれる。20年の歳月がオーナーのロマンをじっくりと醸成した雰囲気である。至福のひとときを送る。12時過ぎの小海線で小淵沢に出て「スーパーあずさ」で新宿。ANA(17時発)で松山に向う。帰宅後300通近いメールをチェックする。 |
| 10月16日(月) |
| 新宿発8:00の「スーパーあずさD」で小淵沢に向い小海線・清里に11時着。清里ピクニックバスで八ヶ岳大橋を観てお目当ての「清泉寮」に着く。清泉寮2階のレストランで自然を眺めながらカレーライスセット。コーヒーの代わりにジャージー牛乳を注文する。山梨県立八ヶ岳自然ふれあいセンターでは慶応の後輩の星野道夫さんの遺作である「『星のような物語』〜心のふるさと清里展〜」を観る。「富士とせせらぎの小道」を通り牧場と富士山を眺めながら牧場の脇道を歩く。途中で「清泉寮ジャージーハット」を賞味する。 |
| 宿泊は「ダイワロイヤル大泉高原八ヶ岳ホテル」である。露天風呂のみ温泉だが、ぬめりある褐色の湯は気に入った。地酒一合でほろ酔い気分となる。 |
| 10月15日(日) |
| 2006年慶応連合三田会大会(日吉)に参加する。記念式典で服部禮次郎連合三田会会長のご壮健な姿に接する。塾旗を眺め「塾歌」「若き血」を斉唱す。「邦楽ファンタジー」は天台宗開祖1200年の比叡山延暦寺の根本中堂で奉納コンサートを許された岡林八重子氏の演奏。尺八は坂田梁山氏。引き続き丘の上音楽会は岩崎宏美、大橋純子、渡辺真知子、タケカワユキヒデ、稲垣潤一、加羽澤美濃氏ら慶応ゆかりのメンバーの演奏。昭和33年会、鐘紡会の席にも顔を出し旧交を温める。 |
| 夕方浅草寺を参詣、「駒方どぜう」を妻と差し向かい頂く。来春は一週間の長期滞在で10年ぶりに江戸の花を楽しむことに決める。新宿にて宿泊。 |
| 10月14日(土) |
| 一遍会10月度例会と理事会開催(道後公民館3階視聴覚教室)。講師は@平田玲子氏(仏教美術史家)の
「阿弥陀仏像の変遷と浄土教」とA杉野祥一氏(一遍会理事)の「『一遍聖絵』を読む」である。最終便で上京す。 |
| 10月13日(金) |
| 「祈りの経営」のテーマで日本的人事・労務管理と仏教との接点を模索している。先月ダスキンの初代社長である山田宏氏のお別れの会に出席しダスキンの経営に興味を抱いた。早速情報収集に取り掛かったが・・・・・(一灯園)西田天香⇒(ケントク&ダスキン)鈴木清一⇒(日本HR協会&ダスキン)山田宏の系譜である。 |
| 県図書館で@「ダスキン祈りの経営」A「祈りの経営ダスキンの30年」B「ダスキン経営への戦略ノート」C「自立のはばたき」D「西田天香」の在庫確認。高野修氏(時宗・遊行寺宝物館副館長)の「先祖を偲ぶ癒しの踊り〜踊り念仏と一遍上人」(NHKラジオ深夜便080901)を聴く。 |
| 10月12日(木) |
| 14日開催の10月度例会並びに理事会配布資料を最終取り纏めの上印刷。キャノンプリンターがトラブル。メーカーと電話で情報交換したが修理費が7,000円で送料を加算すると約9,000円になる。ブラックはプリント可能だから当面は支障なし。 |
| 夏野菜で最後に残ったニガウリを片付ける。畑にはケールしか残っていない。いよいよ本格的な紅葉の季節になった。来週初は清里高原を散策の予定である。 |
| 10月11日(水) |
| 一遍会10月度例会を控えて@一遍会ニュースA平成18年度上期決算書の作業。上期収入の進捗率93%、支出の進捗率は66%である。午後、市中央図書館で資料調査。夜は「文芸春秋J」「三田評論I」に目を通す。 |
| 10月10日(火) |
| 一遍会11月例会の講師菊池佐紀氏・演題「斉藤茂吉と永井ふさ子の愛」が決定する。斉藤茂吉の実家は時宗一向派で養家先の斎藤家は時宗遊行派である。茂吉とふさ子の邂逅が一遍生誕寺の時宗宝厳寺の境内とすればまさに小説の題材ではないか。何故に茂吉はこの時の二人の情を歌にして残さなかったのか。 |
| 夜、一遍智真と一向俊聖双方の略年譜を対比させた一覧表の作成(30%達成)。興味深い問題点が浮かび上がって来た。 |
| 【東の窓掲載文】 |
| 「氷ロンドン」は501円でした |
| 「ピエロ」さんのメッセージもあり三越に再度出掛け「懐かしの三越食堂」でお目当ての「氷ロンドン」を注文しました。「かき氷にオレンジ色のシロップ、小豆の上にアイスクリーム」と昔通りのレシピでしたが、かき氷そのものは雪のように本当に細かい氷の結晶でした。舌の記憶はないのですが「氷ロンドン」のかき氷にはざらつき感はなかったのでしょうか。それと昭和20年代の「氷ロンドン」の代金はいくらだったのでしょうか。ご常連の方もいたのだろうと思います。是非教えていただきたいのですが・・・・・ |
| 昭和23年夏祖母は亡くなりましたが、アイスクリームが好きだったので自転車を漕いでロンドン屋に猛暑のなか度々買いに行った悲しい思い出があります。当時道後ではアイスキャンディーしかありませんでした。いやはや。 |
| 10月9日(月) |
| 午前中パソコン資料の整理。HP「掲示板」を追加改訂しました。安倍晋三総理の訪中・訪韓や北朝鮮の原爆実験を前にして道理の政権構想でもある「美しい国」を一読する。 |
| 午後、三越松山支店開店60年記念コンサートで愛媛交響楽団の演奏を聴く。プログラムは@ワグナーAビゼー「アルルの女」より第2組曲Bファリァ「三角帽子」より第2組曲Cスメタナ交響詩「我が祖国」より「モルダウ」。デパート食堂で「氷ロンドン」を50年ぶりに味わう。寺田コレクションから「相笠昌義展」と知内兄助画伯の作品を観る。個性的な人物表現である。 |
| 10月8日(日) |
| 時間をたっぷり有効に使った三連休の中日である。朝6時半長屋門を開け秋祭りの提灯、幟を受け入れ格納する。今回一部修理に回す。 |
| 午前中伊予史談会10月例会出席。(1)地図から読み解く松山古町史(松友武昭氏)(2)愛媛県編「地理図誌稿」と「地理図誌」について(柚山俊夫) |
| 県美術館食堂で昼食休憩。県図書館で@高橋昌明「湖の国の中世史」(平凡社)A細川涼一「中世寺院の風景」(新曜社)ほかで番場蓮華寺を研究。三越松山支店開店60年記念エベントを見る。映画「ゆらぎ」(2006年カンヌ映画祭出品、監督西川美和、主演オダギリ・ジョー、香川照之)鑑賞。 |
| 【東の窓掲載文】 |
| 「松山やあゝ三越の六十年」 |
| 昭和21年10月6日に三越松山支店が開店したので、本日「開店60周年誕生祭」がありました。物好きですから早速見物に出掛けました。大相撲元関取「大至」の相撲甚句、記念俳句特別賞発表、60人の尺八合奏団の演奏がありました。逸品会とバザーは「通過」です。昭和21年と云えば「小学校5年生の時代」ですなあ。東雲小学校は戦災で焼失し道後小学校に通学されていたのでしょうか。それとも仮校舎が完成していたのでしょうか。ヤママン百貨店しかない時に「今日は帝劇 明日は三越」の三越の出店には驚きました。2階建ではなかったでしょうか。記憶は全く不確かです。全国各地のみなさん、三越の思い出は松山での中学・高校・青春の思い出につながるのでは・・・・・ |
| ところで発表された特別賞の俳句の中で印象に残った句を披露します。 |
| 「母と来た三越の夏孫と来し」 |
| 「ものぐさを猫に見られし漱石忌」 |
|
| 作者は恐らく「俺を見て猫欠伸する漱石忌」のご同輩といったところでしょうか。三越からのメッセージに「還暦六十も言うなれば四十不惑の信念に弱冠二十歳のバイタリティ」という台詞がありました。われら古希世代は「古希七十も言うなれば四十不惑の信念に三十にして立つの自立心」と云ったところでしょうか。今回の同期会では大いに飲みましょうよ。いやはや。 |
| 10月7日(土) |
| 早朝4時半に秋祭り提灯に灯を点す。例年通り神輿の鉢合わせが延々と続く。今年はCATVの実況で祭り気分を味わう。夕刻にも提灯に点灯する。神輿は今宵再び伊佐爾波、湯神社に分かれて眠ることになる。子供神輿の声が聞えないのは寂しい限りである。 |
| 「一向上人伝(蓮華寺蔵)」に基づく「一向略年譜」を作成する。一向の東北遊行の記述はない。「仏向寺縁起」をドッキングして全体像を「創作」したい。立ち姿の死のイメージは強烈である。釈迦涅槃とは全く異質の死であるだけに弘法大師と同じく生死を超越した姿に当時の庶民は仏を感じたに違いあるまい。 |
| 10月6日(金) |
| 一向俊聖の略年表を「一向上人伝」「一向上人伝記(蓮華寺蔵)」「宝樹山称名院仏向寺縁起」「一向上人縁起絵詞」により作成開始する。既に誰かが発表していると考えるが全く情報が入らない。已む無く自らが取り纏めインターネットで活用できるようにしたい。 |
| 夕、石手公民館で「子規会月見会」開催。約20名集まる。仲秋の満月の筈だが曇天で月は見えず。 |
| 10月5日(木) |
| 午前中、喜多郡内子町。八日市・護国地区の北端に在る曹洞宗・護国山高昌寺を参詣、本堂で般若心経を唱える。雨の中、小一時間町並みを散策する。重要文化財「本芳我家住宅」復元改築に伴う特別公開に参加。同家は江戸時代は庄屋で、維新後晒蝋で財を成した内子を代表する旧家である。建屋は商家の造りだが2階に座敷・居間が6室(鶴・亀・松・竹・梅・桃)あり、上得意の接待、宿泊に当てたのではなかろうか。産部屋、仕置部屋は「離れ」に湯殿・厠・井戸と纏まっている。家人の息抜きの場でもあったか。庭園も見事である。 |
午後、県歴史文化博物館訪問。お目当ての江戸時代末期の「道後温泉図」を調査し写真におさめる。明王院・庄屋も克明に書かれており成果大であった。
大本敬久学芸員から来年度の企画に「伊予の妖怪」を取り上げたいとのことで、石手寺と拙宅に伝来する蛇骨(雌雄)を参考までに提示する。 |
| 夜、秋祭り提灯に蝋燭を点す。土砂降りの中、伊佐爾波神社、湯神社への神輿の宮入りが進行する。 |
| 10月4日(水) |
| 朝7時から道後秋祭りの提灯を今市通りに4本立てる。世話人は8名である。伊佐爾波神社八体神輿鉢会わせは今やNHKでも全国版になった。 |
| 俳誌「ほととぎす」の創刊者である柳原極堂翁の第50回忌(昭和32年10月7日没)にあたり、松山子規会で記念展を開催中。会場は松山市駅西の「よんでんプラザ」で、本日午前中は平岡英理事とコンビで受付当番。二神将、今村威、忽那哲三理事とも懇談す。虚子が絶賛した「春風やふね伊予によりて道後の湯」や「筆硯に生きて居るなり冬籠」「秋高き城に登れば石鎚や」などの色紙や極堂翁の友人の遺墨も展示。故酒井黙禅翁の「後天に残る月あり宮太鼓」は伊佐爾波神社の秋大祭の興趣だろうか。 |
| 10月3日(火) |
| 昨日の引き続き秋祭り前の庭木の剪定と畑の除草作業に注力。さすがに二日続きの肉体労働で午後10時にダウンする。 |
| 高校同期の西林保幸君から快気祝いが届く。4年間の同期会会長職を3月末に退き彼を後継会長に推薦したが6月に脳梗塞になり更に豊後屋昌明君に交替となる。やっと退院してリハビリに専念とのこと。10月下旬の同期会総会に顔を出すように勧めたが・・・現状を年相応とは思わないが健康には留意していきたい。 |
| 10月2日(月) |
| 朝一番に道後公民館に出向き「一遍会12月例会」の会場を確保する。雨混じりの中での庭木の剪定作業。毎年秋祭り直前の定例的なハードワークである。椿に蜂の巣があったらしく襲来を受け刺される。痛さを堪えての作業となる。秋祭りには拙宅が伊佐爾波神社の神輿のお旅所だったので、担ぎ手が100人近く庭に屯した。今は昔の物語りである。また歴代「遊行上人」が宝厳寺に立ち寄られた時は、ご城下で出迎え、次の訪問先の和気郡の境までお見送りするのが大庄屋の義務であったようだ。 |
| 「一向上人伝」を読み始める。「一遍聖絵」と錯覚する箇所が随所にある。鎌倉時代の庶民は一遍時衆と一向時衆と混同したのではあるまいか。 |
| 10月1日(日) |
| HPで@「一遍会」A「月例会のお知らせ」B「一遍徒然草紙」第57段『9月度日録』C「熟田津今昔」第27章『子規記念博物館「今月の子規俳句」鑑賞
を更改しました。』是非ご覧頂きたく。 |
| ところで今月の子規さん俳句は・・・・ |
| 「子規記念博物館」天野祐吉館長推奨の平成18年10月の子規さんの句は「夜更ケテ米トグ音ヤキリギリス 子規」です。 |
| 子規さんが病床で書き綴った「仰臥漫録」の明治34年9月9日分に記載されています。長年行方不明であった「仰臥漫録」ですが、平成13年5月に「子規庵の土蔵から発見」されて現在は芦屋の「虚子記念文学館」に陳列されています。俳人仲間ではやがて「国宝」になるだろうと密かに、或いは公然と話されています。子規さんが「俳聖子規」にならないようにと願っています。 |
| ところで明治34年9月9日分の記述は膨大で「子規全集第11巻」で4頁半に及びます。書き出しは決まって食事の記述です。 |
| ○便通及び包帯 |
| ○朝 栗小豆飯三碗(新暦重陽)佃煮 |
| 間食 紅茶一杯半(牛乳来ラズ) 菓子パン三個 |
| 午 栗飯ノ粥四碗 マグロノサシミ 葱の味噌相 白瓜ノ漬物 梨一ッ又一ッ 氷水一杯 |
| 夕 小豆粥三碗 鰌鍋 昼ノサシミノ残リ 和布 煮栗 |
| ○朝両足ヲ按摩セシム |
| ○長塚ノ使栗ヲ持チ来ル |
|
| このあとは目につくもの、耳に聞こえるもの、舌で味わうものを丹念に書きとめます。絲瓜、蝶、ジャガタラ雀、隣家の手風琴、蝉、蜻蛉、揚羽、山女郎、梨など。この感興をもとに24句も書きとめています。今月の「子規さん俳句」は24句中の最後の4句の中の1句です。 |
| コホロギヤ物音絶エシ台所 |
| サマザマノ蟲鳴ク夜トナリニケリ |
| 夜更ケテ米トグ音ヤキリギリス |
| 痩臑ニ秋ノ蚊トマル憎キカナ |
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| 子規さんは夕食を済ませ「仰臥漫録」に病床での一日の記録と俳句を取り纏める。残暑も薄らぎ子規庵にも涼しい微風が流れ込み、庭の蟲が耳に心地よい。夜も更けてきたのか、大食の子規さんの為に母か妹が明日の米を研ぐ音が聞こえてくる。ああ、今日一日も無事に終わったなあ。季語は「キリギリス」である。 |
| 別に「キリギリス」でなくとも秋の虫であれば季節感はあるが、子規さんは意識してはいないがイソップの「蟻とキリギリス」の話を思い出した。「キリギリス」は冬を越せない。子規さんはこの年は越えることが出来たが翌々年の明治36年9月19日に逝去した。今年も命日に松山の正宗寺で第105回子規忌が執り行われ列席した。 |
| 子規さんにあやかって一句。 |
| 「夜更けてパソコンキーやキリギリス 子規もどき」 |
| インターネットご同好、ご同病の皆さんには、この俳句を体感されていると思いますが、いやはや。道後関所番 |
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