第五十七段  一遍会「掲示板」(平成十八年長月九月)に日録を掲載せしこと。 

9月30日(土)
HP「子規会」並びに「月例会のお知らせ」を10月度版に更新する。子規記念博物館の「子規さん10月俳句」の取材に出掛ける。9月の一遍会例会の講師森原直子さんから「一遍会報」の原稿が届く。田中弘道講師の原稿も揃い、充実した紙面を提供できると思う。乞うご期待である。
9月29日(金)
「子規の松山友人一覧」の「子規全集」からの抜き出しと「旧制松山中学同窓会名簿」との突合せが完了す。明治16年卒業96名中、池田豊昌・河野政広・重松親正の三名が照合出来ず。逆に3名の調査から新事実が生まれるかもしれない。
9月28日(木)
旅行で中断していた「子規の松山友人一覧」の作成に取り組む。明治の戸籍調べである。約250名リストアップされているが3割は明らかにしていきたい。長屋門に格納している伊佐爾波神社の秋祭りの幟、提灯、蝋燭などを点検する。夜「椿の湯」で西山広報委員と打ち合わせする。
9月27日(水)
朝食後ゴルフ組、仕事組は8時に宿舎を出る。9時半まで談話室で主に宗教問題と小説「坊っちやん」を中心に話し合う。ケーブルカー・登山鉄道で公園上→強羅→箱根湯本→小田原を経てJR特別快速で大崎で下車、山手線浜松町から羽田空港に向う。箱根から羽田空港まで所要時間2時間とは、四国の山猿は驚き入った次第である。2時半発のANAに間に合い夕方には帰宅する。
250通のメール処理、草花の水遣りで日常的な生活に戻る。夜、松山子規会の井手会長から10月6日の「月見の宴」の案内あり、喜んでお受けする。
9月26日(火)
台風の影響か強風で午後から雨になる予報。小田原から小田急、箱根登山鉄道で強羅に出て「施設めぐりバス」で「ポーラ美術館」を訪ねる。同美術館はオーナーの鈴木常司氏(1930〜2000)の9,500点のコレクションである。ルノワール・シャガール・セザンヌ・モネ・ピカソや国内の著名画家の作品も多く見応えがあった。特別展「ドガ、ダリ、シャガールのバレエ− 美術の身体表現」ではバレー、踊り子の世界を楽しむことができた。庭園を眺めながらランチを取る。
15時燦燦会(会社の同期会)の会場である「桐谷箱根荘」に到着、別館の「さくら亭」に落ち着く。15時40分から僕の「漱石『坊っちやん』の舞台は旧制山口高校だ」と冨岡昭君の「心のウエルネスを重視した生き方」の懇話。18時から約2時間の総会と懇親会のあと、カラオケ組とおしゃべり組に分れる。出席は13名(冨岡夫妻、阿部・竹原・難波・伊沢・小川・羽路・松石・西島・谷本・山本・三好)である。在籍29名だから4割の出席である。一年ぶりだが病気の自慢が続く様になった。冨岡昭(上武大学客員教授)は新婚5が月?で夫人の紹介を兼ねる。大分人柄が柔らかくなったか。
箱根強羅の温泉は濁った硫黄泉である。有馬・熱海・箱根の温泉での三連泊となった。仕上げは明日帰宅後の道後温泉である。
9月25日(月)
朝9時家内を見送り、大阪に直行する。「こだま」で米原下車、タクシーで番場の浄土宗本山八葉山「蓮華寺」に向う。蓮花寺は@一遍上人と同時代の遊行聖である一向上人が開山した寺でありA六波羅探題北条仲時公以下430余名が自刃した南北朝悲劇の古戦場でありB長谷川伸の名作「番場の忠太郎」の舞台でもある。檀家は12軒ということだが、交代で勤番して案内してくれる。
「勅願寺院」としての格調あるたたずまい、古建築に襟を正す。宝物館にある一向聖の遺品、伝記、重要文化財「陸波羅南過去帳」を拝観する。境内では一向俊聖上人廟所、六波羅探題北条仲時公以下430余柱の五輪塔に深々と頭を下げる。五十三世大橋俊雄(しゅんおう)著「浄土宗本山 蓮花寺」と小川寿一編修「一向上人の御伝集成」を求める。約二時間静寂そのもののお寺の中で過ごす。「一遍聖と一向聖」で取り纏めてみたい.。
米原から「こだま」で熱海に向う。バースデイ招待の「リゾーピア熱海」で一泊する。熱海の湯が塩っ辛い。台風の影響で強風と海鳴りの音がガラス窓を通り越して響いてくる。夜分数回目を覚ます。
9月24日(日)
10時新神戸駅前から阪急バスで有馬に出向く。太閤橋傍の「有馬御苑」に手荷物を預け温泉街を散策する。「金の湯」からスタートして温泉寺までの道中に中の坊・御所坊・池之坊・角の坊といった古い宿坊の名の宿屋が散在する。温泉寺、温泉神社、極楽寺、念仏寺が高台に密集している。太閤の湯殿が存在したことから妻ねねも同伴しており念仏寺が太閤夫妻の宿所であったらしい。
「有馬の工房」内にある会壽庵「ごんそば」の庭園に面した食卓で「二八そば」を食う。美味である。「銀の湯」を通り有馬籠や有馬筆の店をのぞく。有馬川に架かる「ねね橋」を渡り親水公園を経て15時にホテルに戻る。7階の部屋で温泉町がよく見渡せる。夕食、朝食ともに部屋食で社長が挨拶に来る。食後の散策を兼ねて、有馬ビューホテルと有馬グランドホテルまで足を延ばす。有馬グランドホテルは中の坊の経営だけに、何度来ても落ち着く。妻と噴水を眺めながら芝生で寛ぎショッピングを楽しむ。といっても眺めるだけであるが・・・・・
有馬は日本三古湯(道後・白浜・有馬)の一つだが、硫化化合物の褐色の温泉が気に入っている。なんだか薬効があるような気持ちになるからだろうか。
9月23日(土)
大街道9時25発のJRバスで三宮に12時半に着く。休憩後芦屋駅の一つ手前の甲南山手駅に下車し、森南町の次男淳志の新居を訪ねる、孫の雄大、亜実の歓迎を受ける。夕食は嫁の尚子の手作りで、堺さんご夫婦も加わって8人で懇談する。至福のひとときであった。新神戸駅近くの「サンメンバーズ神戸」で宿泊する。
9月22日(金)
松山子規会の依頼により「松山中学同窓会名簿」と和田克司子規会副会長(大阪成蹊短期大学教授)の資料に基づき子規の松山友人を一人づつ検証していく。気が遠くなる作業だが年末までには取り纏めたい。
夜は市民劇場「明石原人」を鑑賞。井上やすしの原作らしく歴史的な事実とフィクションをシナリオは書かれているが正直演劇的な興奮は感じられなかった。戦前の古代史と考古学の矛盾、東京帝大と京都帝大の対立など鋭い指摘はあっても「だから、どうなんだ。」という疑問への明快な回答は用意されていない。
9月21日(木)
9月23日宝厳寺にて執行される「一遍忌法要並びに施餓鬼法要」は私用で列席できずお寺に正式に連絡する。小沼代表と今村理事が列席する。夕方、義安寺に秋彼岸墓参りに出向く。お盆と彼岸の寺側の整備で墓地は極めて綺麗になっている。シキミのお供えは二割程度か。灯明をあげる。昨日の「窪寺祭り」について@NHK社会部伊藤記者から電話取材A視聴者から「放送で一遍と呼び捨てにするのはけしからん」との叱責あり。
県歴史文化博物館の大本敬久主任学芸員と電話連絡。10月5日午後、博物館で江戸末期の「道後温泉絵図」の閲覧と撮影許可を依頼する。資料目録第14集によれば、道後の主要な建物(宝厳寺,湯月八幡宮ほか)と丁寧に描かれ、張り紙がある由。「庄屋」(拙宅)についても確認したい。本目録に母の実家の「浅井家文書」が収録されているので手にしたのだが、ここで「道後温泉絵図」を確認できたのは正に縁以外のなにものでもない。
9月20日(水)
一遍会とNPO地域共創研究所NORA共催の「窪寺まんじゅしゃげ祭り」に参加する。秋晴れの中150名参加。一遍上人念仏堂に10時半集合しご詠歌で一遍忌法要。引き続き「閑居跡」「窪寺跡」の遺跡散策。正八幡神社で窪寺新米のおにぎりと手作りこんにゃくのご接待を受ける。「大々神楽 夢華神楽社中」(石見神楽系)のお神楽法要@「神迎えの舞」A「恵比寿・大国の舞」は大熱演で「おひねり」が飛び交う。一遍会中川理事邸裏山のまんじゅしゃげ(七、八分咲きか)を楽しむ。14時半散会。
帰途、一遍会の田中弘道さん、蜂須賀理事と「珈蔵」に立ち寄り、郷土史(湯築城、寺井内川、DONGOキリスト教会など)に関して鼎談する。NHKや各民放の取材には丁寧に対応したが、夕方のローカル番組で窪寺まんじゅしゃげ祭りが色鮮やかに放映されていた。「やれやれ」の一日が終わる。
9月19日(火)
午前中は宝厳寺長岡ご住職との定期的な報告と懇談。9月23日の宝厳寺の一遍忌と大施餓鬼法要に当って会員の渡辺久さんから贈って頂いた「焼酒(やさき)一遍」をお供えした。一遍さんもお喜びになられるだろうと思う。住職からも何よりのものをと喜んでいただいた。
午後は正宗寺で松山子規会9月度例会開催。9月19日は第105回子規忌に当たり「子規忌法要」と「記念講演」。和田克司副会長の「正岡子規と陸羯南」は学会ベースでも新発見多し。引き続き「松山発子規事典編纂委員会」に出席し今後の編集方針を確認する。子規と道後界隈と松山中学校の友人達を精力的に記述することにしたい。
夜は映画「恋するトマト」(脚本・製作総指揮・主演:大地康雄監督:南部英夫 原作:小檜山博「スコール」)鑑賞(シネマルナティック湊町)。霞ヶ浦の45歳中年独身の「百姓」とフィリピンの農村で生き生きと働く女性との愛の物語である。感動した今井正監督の「米」(1956年制作)を思い出す。あの時代の農村のエネルギーは今日の社会では完全に昔話になってしまったのか。江原真二朗・中原ひとみの初々しい恋人の姿は忘れ得ない。
9月18日(月)
三連休で時間の余裕が出来たので長年お世話になっている下記にお便りする。宗門の方でホームページを立ち上げていただくと距離が縮まるのだが・・・
@遊行寺・時宗総務所A遊行寺・時宗教学研究所B仏教大学浄土宗文献センターの3宗教関係センターC会津・弘長寺(中村昌道師)D内子・願成寺(長岡義尚師)E尾道・正念寺(荻野義正師)F京都・西蓮寺(梅谷繁樹師)の4寺院である。
●敬老の日であり【東の窓】に「男子84歳、女子89歳が我らの平均余命だそうです」を投稿する。
「敬老の日」といわれても「あまり関係ないな」という印象の一日でした。道後温泉「椿湯」のサロンでは敬老のご祝儀は久米地区で1,000円、古町では1,500円、道後は人員が多いので御菓子となんとかでお茶を濁しているとかの情報が飛び交っていました。部落ごとで敬老相場が違うようです。東京、大阪では如何程でしょうか。
日本人の【平均寿命】は82歳(男子79歳、女子86歳)でジンバブエは36歳、猫は7歳、犬は10歳というところです。ところで古希を迎えた我らの余命は如何程かを調べてみました。
70歳での【平均余命】は男子は14年で84歳、女子は19年で89歳までの寿命は期待できそうだとのことです。この数字では同期会は傘壽までは男子も颯爽として参加できそうですが、米寿は女性のなかに男子がちらほらと云うことでしょうか。ともあれ今後15〜20年はシニア生活を大いに楽しめそうですが、如何に健康で豊かな生活を維持するかが大問題です。昔も今も「それにつけても金の欲しさよ」ですなあ、いやはや。
9月17日(日)
台風13号、九州に上陸。松山も突風と豪雨が断続的に発生する。。「敬老の日」祝賀?でいささか気が滅入る一日となる。ホームセンター「ダイキ」でパソコン用のキャノン純正インク、用紙や園芸用品を買い求める。パソコンの調子が悪いのは「老化」が原因なのか。
9月16日(土)
「人物叢書 行基」(吉川弘文館)をメモを取りながら読む。「東大寺大勧進 重源」とドッキングして年内には論文執筆予定。NHKTVドキュメンタリー「あの夏〜60年目の恋文」。主人公は現在72歳。昭和19年奈良女高師付属の4年生だった少年と教生先生との交流記録。同世代だけに女先生への憧れは素直に理解できる。
某宗教団体が配布した「日本大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」(富士大石寺顕正会 会長 浅井昭衛)を一読。
HP「東の窓」に「道後温泉本館改築・改修」問題が差し迫っています!!!」を投稿する。
「坊っちやん球場」「松山総合公園」とふるさと松山への思いからのご指摘有難いことです。ところで目下の「大問題」は「重要有形文化財・道後温泉本館」の改築・改修問題です。建屋自体はあまり現状とは食い違いませんが、中身は様変わりになります。
ここでも人権発言が大手を振ってまかり通っています。浴槽の男女同一スペースまでは賛成なのですが、プラス(子供用)浅槽、洗髪設備の要求まで具体化されると日本最古の温泉場として如何なものかと思います。更に脱衣場の近代化、身障者・高齢者(車椅子)用通路&エレベーター設置となると・・・要求していることは正論で反対しにくいのですが、いっそ本館は古い侭で残して、現代的な温泉会館を建築してはと云いたくなります。もっとも温量が足りませんから奥道後温泉からの「借り湯」になりましょうが・・・いやはや。
昔と同じやり方で一般市民には公開されず密室で作業が着々と進行中です。悪名高き小泉首相のように、結果が同じでもマスコミに堂々と発表して市民レベルで議論しては如何なものでしょうか。温泉の権威である「那須の極楽蜻蛉」さんはじめ温泉フアンのみなさん、どのように思われますか。特に女性のご意見をお聞かせいただきたいのですが・・・道後関所番
9月15日(金)
一遍会9月度例会講師田中弘道氏から「一遍会報」原稿がメールで届く。20字詰めになっており編集は極めて容易である。有難い。同氏の発表内容につき愛媛大学川岡勉教授から下記コメントが届く。
【私が特に興味深かったのは寺井内川に関する考察です。確かに戦国期の用水技術は従来考えられてきた以上に進んだものであったようです。そのことが河野氏についても具体的に実証できれば、これは大きな研究成果だと思います。考古学や地質学のデータなども取り入れながらさらに調査を進められ、説得力のある研究へ練り上げていただきたく存じます。】
拙論「祈りの経営〜日本的経営の原点〜」は「祈りの経営〜企業の人間的側面〜」でレジュメ完了。いよいよ「東大寺大勧進重源」を2ヶ月の予定で取り組む。HP【東の窓】で「坊っちやん球場」「松山総合公園」「道後温泉本館改築」を巡ってのフリーディスカッションが活発となる。仕掛け人として興味あり。
9月14日(木)
今月下旬に神戸・箱根、10月は連合三田会と会社のOB会で東京と岐阜に「出張」する。空と陸とホテルの予約をすべてインターネットで完了する。便利というか効率過ぎて「駅での出会いの楽しみ」がさらに減ってしまった。
「大和屋本店」での住友信託セミナーに参加。短中期の経済見通しがテーマ。「自律的景気拡大」で成熟に向うが物価上昇の上昇テンポは不安定といった所か。サービステーマは相続対策と遺言の重要性。自らが「悪者」になり「争族対策」を未然に防げということか。「ひとり死す」ことも難しい世の中である。
9月13日(水)
終日雨である。それにしても西日本は秋晴れには程遠い天候が続く。
第135回直木賞受賞作である三浦しをん著「まほろ駅前多田便利軒」と森絵都著「風が舞いあがるビニールシート)を「オール読物」で一読する。三浦は30歳、森は38歳の若い女性作家だが、直木賞でもあり文章は面白いし小説の醍醐味が感じられる。悪人がいない小説だが日本の平和を象徴しているのか。
県歴史文化博物館資料目録第14集「諸家文書目録」に母の実家浅井家文書が記載されており取り寄せる。新浜村文書には江戸後期の道後の周辺部を含めて書き込んでいる「道後温泉絵図」が紹介されている。是非この目で確認したい。
●HP「東の窓」に「松山総合公園や周辺の名刹古跡をご紹介していただけませんか」を投稿する。
「坂の上の雲」の街を訪ねた人はきっと奇異に感じるだろうなあと思います。私も年一度の里帰りで同じ気持ちを抱きました。公園に出掛けるのは年一回くらいでしょうか。
【松山総合公園】
人と自然のふれあいの場として市政100周年を記念して開園しました。四季を通じて花と緑を楽しむことができる花見広場、松山市の花、椿を集めた椿園、展望広場にはこの公園のシンボル的存在のヨーロッパの古城風展望台があります。公園内を散歩する人、ドライブの休憩にと多くの人々が利用できる憩いの場所となっています。 住所:松山市朝日ヶ丘 TEL:089-923-9439
ところで郷土史に詳しい「伊佐爾波」さん、松山総合公園や周辺の名刹古跡をご紹介していただけませんか。
9月12日(火)
一昨日、日本HR会専務理事であった山田宏さんの偲ぶ会に出席した気持ちの高まりもあり、一気に講演用レジュメを作成する。テーマ名は「祈りの経営〜日本的経営の原点〜」。ケントク・ダスキンの創業者である鈴木清一、山田宏さんは共に面識があり纏めやすかった。一灯園の西田天香師は過去世代の方だが天香師の「無一物即無尽蔵」の書を事務室に飾っていたので御三方とも縁ある先人である。
午後は小雨の中で畑の除草作業。「一日作さざれば喰らわず」(百丈禅師)の境地である。
9月11日(月)
一遍会の「9月度定期便」を取り纏め発送しました。4点をセットにしました。@「一遍会報」314号A一遍会9月度ニュースB森原直子講師「詩のあるところ」レジュメC田中弘道講師「不思議・不思議・・・湯築城」レジュメ
Bの現代詩中「吉野弘 I was born」「島田陽子 あれへん」は詩心のない僕にもすーっと入りました。詩は「目で読むのでなく声にして読む」のが鑑賞の秘訣だと森原講師は申しておりますのでお試し下さい。
9月10日(日)
大阪の中ノ島の「リーガロイヤルホテル・光琳の間」で開催された「山田宏を偲ぶ会」にはるばる出席する。昭和35年以来のお付き合いだから40年以上になるか。「日本HR協会」の理事として専務理事だった山田さんのお手伝いをさせていただいたし、機関誌「人と経営」には度々寄稿させていただいた。
協会の理事長だった川渕秀夫氏(住友金属工業)の挨拶から始まったが同氏も九十歳の由。高度成長を支えた当時の大手、中堅の人事担当者が集合した感じである。山田さんがジョンソンに買収された「ケントク」を支えて「ダスキン」の初代社長であったことを初めて知った。(副社長と思い込んでいた)実は来年2月の一遍会講演で「祈りの経営」して一灯園(西田天香氏)⇒ケントク・ダスキン創業者(鈴木清一氏)の話をする予定であり、不思議なご縁を感じた。
9月9日(土)
一遍会9月例会開催。森原直子氏(詩誌「野獣」主宰)「詩のあるところ」と田中弘道氏(会員)「不思議・不思議・・・湯築城」の各一時間の講話。詳細は後刻HP「一遍会・月例会のお知らせ」に掲載します。理事会のあと講師の森原さんらとお茶を飲みながら懇談。講師のお二人は松山東高校の後輩に当る。
9月8日(金)
日本HR協会専務理事であった故山田宏氏のお別れ会(9月10日)出席のためJRの切符手配。「ジパングクラブ」より「阪神往復フリー切符」の方がのぞみ号に乗車できて割安とは「驚き桃の木・・・」である。同会の理事を20年余勤めたので、関西、中部の大手の人事担当者との再会が楽しみである。
恒例の三越での「第61回春の院展」を鑑賞する。お目当ての平山郁夫、後藤純男、福王子法林、福王子一彦画伯が健在で安堵する。「源氏物語抄 夕顔」(高橋秀俊)、「古道ー熊野」(加藤忠)は印象に残る。愛媛銀行一色哲昭会長と相前後しながらの鑑賞であったが、なかなかの鑑識眼のある経営者だなと感じた次第。
夕、隣家の苦情のため庭木の枝を伐採する。今後隣近所の「自己主張」が強まってくるのだろうが、庭木については「借景」を愛でる気持ちを持って欲しいものだ。
9月7日(木)
一遍会9月度例会の田中弘道講師の「不思議不思議の世界・・・湯築城」ほかの印刷。講師の希望でカラー印刷を加えたので知恵を絞って予算内の印刷を実施する。
県美術館で「四大浮世絵師展」を鑑賞する。写楽・歌麿・北斎・広重の4人の絵師である。江戸川乱歩賞を受賞した高橋克彦著「写楽殺人事件」を読んだのは何十年?前か。写楽の謎はこの展覧会でも擬せられた浮世絵師の作品が並ぶ。
徳山高専内の殺人事件の犯人(同級生)の自殺死体発見、結局殺人事件の詳細は不明のまま。夏休みから新学期にかけて「少年犯罪」が続出している。
9月6日(水)
秋篠宮紀子(文仁親王妃紀子)様には午前8時27分「愛育病院」で第三子の男子出産、「万世一系の天皇家の危機」が一旦解消された。日本国民として心から慶祝申し上げたい。天皇・皇后両陛下もご安堵されたことだろうと男子二人の孫を持つ同世代人として天皇のお気持ちが分り過ぎるほど分る。
本日(9月6日)の「愛媛新聞」第1面で「対山楼」の跡地に、子規さんの子孫の手で句碑が建つとの記事。句は「秋暮るる奈良の旅籠や柿の味  子規」です。法隆寺での「柿喰えば鐘がなるなり法隆寺  子規」の宿泊先が名門旅館「対山楼」で「かどや」とか「角定」とも呼ばれる一級旅館である。山岡鉄舟が「対山楼」と命名し、新政府高官やフェノロサや天心も泊まっている。
「宿取りて淋しき宵や柿を喰ふ  子規」。後年奈良の旅を思い出して「奈良角定にて  大仏の足もとに寝る夜寒かな 子規」の句を残した。
ダイキの大亀文夫副会長(前社長)と町づくりについての話が弾む。一遍会にも一度参加されたが、世話好きで苦労人である。一遍さんフアンであり続けて欲しい。
9月5日(火)
一遍会8月度収支決算並びに理事会9月度資料を作成する。講演資料を準備すれば例会の準備は完了する。午後、畑&裏庭の除草作業。隣家の苦情があり、紅葉の枝切り。ギャオの「オペラ座の怪人」を観る。
9月4日(月)
「一遍会ニュース」9月度を取り纏め印刷する。下記の内容です。
T 415回例会(9月9日)案内
U 416回例会(10月14日)案内
V 窪寺まんじゅしゃげ祭(9月20日)案内
W 【予告】11月例会(11月25日)は内子に願成寺で開催します。
X 一遍会関連DVDを作成し保存しています。DVDまたはビデオフィルム鑑賞ご希望の方は事務局にお申し出下さい。
Y 愛媛県立図書館に「一遍会報」が全巻揃い、閲覧できます。
Z 上田雅一氏(一遍会OB)製作の映画が県・文化祭で上映されます。
[ 「一遍会報」は隔月に発行します。どしどし投稿してください。
\ 一遍会について詳しくお知りになりたい方は「一遍会」のHPをご覧下さい。
\ 一遍会について詳しくお知りになりたい方は「一遍会」のHPをご覧下さい。
午後、市内の大手銀行(みずほ・住友信託)に顔を出す。住友信託の店内レイアウトが6月から一新し、じっくりと担当者と話できる。季刊誌「松山百点」錦秋号を一読す。夜TV「プレミアム10 渥美清の肖像・知られざる役者人生(没後10年)を見る。現役時代励まされ、慰められた「寅さん映画」の数々が懐かしい。
9月3日(日)
一遍会例会のリハーサルを兼ねてプロジェクターを使って一遍関係のスライドやDVDを上映する。なかなか迫力あり。10月は仏像のスライドが披露される。愛南町の「中岡修也」さんから9月例会に出席したいとの申し出あり。宇和島より南から出席された方は皆無ではないだろうか。往復5時間は要する。
午後、一遍会の資料を整理してボックスに格納する。数珠や法衣も出てきて驚く。誰が着たのであろうか。興味津々である。
9月2日(土)
子規博9月垂れ幕俳句「宿取りて淋しき宵や柿を喰ふ  子規」を巡ってメール交換が続く。(あいあい、月見に一杯、がりさん、極楽蜻蛉氏)人生70歳ともなれば俳句は作らなくとも一家言を持っており、俳人同士のやりとりより格段に面白い。
「熟田津今昔」第96号を定期読者に発送する。100号完結なので残り僅か。継続のアピールもあるが、何事も潮時というものがあろう。
夕、恒例の「夕焼けプラットホームコンサートに出かける。(伊予市双海町にあるJR下灘駅のプラットホームをステージに開催。今年で21回目の由。元南海放送の小林真三パーソナリティーの司会で愛媛出身の2年連続出演の加藤いづみさんと3年連続出演の高橋研さんの熱演。東京のどんな劇場にも負けないシチュエーションが此処にはある。演奏者のうしろに夕焼けの海、時々刻々変化する雲の七変化。ラスト頃は星空の海などなど。時間と海と空と風に溶け込んでの二時間はまるで「真夏の夜の夢」である。一遍会のスター歌手阿部春子さんに出会う。
●HP「東の窓」に「「年中蝿」の駆除は難しいですなあ」を投稿しました。
「五月蝿」とかいて「うるさい」と読むらしいですが、迷惑メールはまさに「年中蝿」ですなあ。当方は諦めて、達観した境地で「迷惑メール」を朝昼晩3回チェックして排除しています。
システム的な操作(名詞、宛名を特定して駆除)をすると仲間のメールが「削除済みアイテム」になったり・・・・・現在は「受信日時」を「送信者」リストに並べ替えて一括処理しています。50通だと1〜2分で処理は可能でしょうか。
年賀状の住所変更と同じで、アドレス変更すると七夕の友人からの連絡は途絶えてしまうことを危惧しています。メールで通販や懸賞に応募するとてき面に迷惑メールが増えますなあ。痛し痒しです、いやはや。
9月1日(金)
「子規記念博物館」天野祐吉館長推奨の平成18年9月の子規さんの句は「宿取りて淋しき宵や柿を喰ふ  子規」です。
明治32年当時は脊椎カリエスが悪化して寝返りもままならなかった筈ですから、病床で元気だった当時の旅の記憶を思い出して作った一句でしょうか。明治28年愚陀仏庵で五十二日間漱石とともに過ごし、漱石から借金して帰京の途中に立ち寄った古都奈良が子規さんにとっての最後の旅、最後の宿でした。松山での俳句仲間とも別れ旅先の宿で奈良名産の柿を食べながら夜を過ごしている。静か過ぎる宿でもあり、寂しさを紛らわすことも出来ない。せめて好物の柿を喰らって秋の一夜を送ることにしようかという句意でしょうか。
(注)子規の宿泊した宿は「対山楼」で「かどや」とか「角定」とも呼ばれる一級旅館である。山岡鉄舟が「対山楼」と命名しフェノロサや天心も泊まっている。
「奈良角定にて  大仏の足もとに寝る夜寒かな 子規」の句がある。宿泊代は高かったのだろうか、借りた金は費やしてしまったと漱石に報告している。
 子規さんの明治32年の句には驚くほど柿を詠んでいます。
○句を閲すラムプの下や柿二つ
自ら自らの手を写して
◎樽柿を握るところを写生哉
○大なるやはらかき柿を好みたり
○我好(スキ)の柿をくはれぬ病哉
○柿店に馬繋ぎたる騎兵哉
○渋柿の木蔭に遊ぶ童哉
○風呂敷をほどけば柿のころげゝり
○柿を入れし帽子小脇にかゝへけり
○停車場に柿売る柿の名所かな
○酔さめや戸棚を探る柿二つ
○干柿や湯殿のうしろ納屋の前
○初なりの柿を仏にそなへけり
(胃病八句より)
○胃を病で柿をくほれぬいさめ哉
○側に柿くふ人を怨みけり
◎柿もくはて随問随答を草しけり
○柿あまたくひたるよりの病哉
○柿くはぬ病に柿をもらひけり
○柿くはぬ腹にまぐろのうまき哉
○癒えんとし柿くはれぬそ小淋しき  
(注)◎は高浜虚子選「子規句集」掲載の句です。
 なんという柿好き、なんという食欲さ、なんという無邪気さ・・・「俳聖子規」ではなく松山人にとっては「食いしんぼの子規さん」以外の何者でもない。あと一ヶ月もすれば柿を口にするのでしょうか。お気に入りの子規さんの柿の一句を是非お仲間に披露していただきたいものだ。 
子規さんにあやかって一句 
「をととひの熟せし柿も喰わざりし 子規もどき」
子規さんの死が十月だったら辞世の句は糸瓜でなく柿になっていたのでしょうか。いやはや。道後関所番